「聴力障害者とサッカーとの歴史について」

 

 

北海道高等聾学校という聴力障害者の高校生の学校があって、昭和45年小樽市銭函の海のそばにあってちょっとした高地に開校され、開校1年目でいきなり小樽地区予選初優勝を果たしました。しかし残念ながら、「耳が不自由」という理由だけで全道大会に参加することが認められませんでした。当時は障害者に対する差別と偏見がかなり強かったと思います。「なぜ全道大会に参加出来ないのか?」という記事で新聞に載ったことがあり、その弾みで当校サッカー部の部長が熱心的に小樽サッカー協会・北海道サッカー協会を通じて日本サッカー協会に交渉してきました。長い歳月をかけて、ようやく昭和49年、高等聾学校サッカー部が高体連に正式加盟し公式としての出場が承認されるようになりました。その後、当校サッカー部はさらにサッカー技術を磨き、最盛期である昭和51年〜59年の間は数え切れない程、小樽地区予選で優勝し何度も全道大会に出場した実積がありました。全道大会の最高成績はベスト4(3位)進出した歴もあります。常勝軍団と呼ばれる程強いチームになり、当時は小樽地区予選でただ1勝だけでなく優勝しなければならないというプレッシャーがある程でした。

 

昭和47年に「札幌ろうサッカークラブ」を結成しました。結成した当時は札幌社会人サッカーリーグ戦で優勝争いを展開する程、強豪チームになりました。全国ろうあ者体育大会サッカー競技も毎年各県をまわり開催されていますが、20年前は参加チームは5チーム前後で少なかったが、93年にJリーグが発足してからサッカー人気が高まり、現在は20チーム近くに増えています。全国的にレベルが上がり、強い日本代表を作ることができます。4年に1度のアジア・世界ろうあサッカー大会に参加した実績もあり、日本ろうあサッカーが少しづつ発展して来ました。全国ろうあ者体育大会サッカー競技で不滅の14年連続優勝(昭和54年〜平成6年)という金字塔を捧げることができました。

 

 

 

 

 

 

昭和51年 全国高校サッカー選手権北海道大

対 室大谷

 

 

昭和52年 小樽地区予選

 

 

昭和53年 小樽地区予選

 

 

昭和53年 高体連小樽地区予選

 

 

昭和52年 全道高校サッカー新人戦

ベスト4進出

 

 

昭和54年 札幌ろうサッカークラブとの交流試合

 

 

昭和54年 小樽地区予選

 

 

昭和54年 全国高校サッカー選手権北海道大

対 苫駒大高

 

 

昭和55年 全国高校サッカー選手権北海道大

対 札光星高

ベスト8進出

 

 

昭和55年 小樽地区予選

 

 

昭和58年 小樽地区予選

 

 

昭和58年 全国高校サッカー選手権北海道大

対 室大谷

 

 

昭和59年 全国高校サッカー選手権北海道大

 

 

昭和59年 小樽地区予選

 

 

 

 

 

 

 

 

作成者  ()電脳堂AZU