この世の者ではない異界の住人『妖』(あやかし)

人々の負の感情に寄生し、精神・生命を脅かす・・・。

『妖』から人々を守り、妖自体を封印・消滅する『妖撃者』(ようげきしゃ)

彼らは今日も闇に蠢く異界の住人と対峙するのだった。

 

第四話『笑』

地球は日本。
首都東京のお隣神奈川県。
県庁所在地・横浜市。
場所は関内。

横浜スタジアムから徒歩五分の位置。

有名私立。『海央学園』(かいおうがくえん)校門前。

その日は梅雨に相応しく生憎の雨。
午前中は叩きつけるような激しい雨だったが、午後に入った現在は小雨へ変化している。

学校帰りの少年が丁度門の前を通過した。
学校指定色・青色の傘を差して。

「?」
視線を感じる。

校門前の木立。校舎から校門まで続くレンガ道。
花壇。思いつく場所に目を遣るが人影はない。
雨で視界が霞むが、少年の視力は両目ともニ.〇。
見間違うことは考えにくい。

 《クスクス・・・。みぃつけた》

心底愉しい。幼い少女の声。
背をむけ家路を急ぐ少年の耳に、それが届くことはなかった。

 おかしいな〜。

少年は、 −見習い妖撃者− 星鏡 和也(ほしかがみ かずや)は、不思議でしょうがない。
気配がする。
子供の気配。感知しているのに認知できない。

臨時教師の頼みで資料作りをお手伝い。
クラスメイトは帰宅していて、自分のほかに見知った顔は学園にいなかった。

「妖ってゆー感じじゃないし。彷徨える魂系列でもないし。人だったら、簡単に探れる」
思わず声に出して呟いてしまう始末。

感覚が鋭い妖撃者。人の気配を探るのは得意だ。
半人前で、察知能力がやや欠ける和也だって、一般人よりは勘が良い。
ハズ。

たまに彷徨っている方々に遭遇する。
ただ、妖撃者はそっち系の能力がないので、自己防御するに留まるのみ。

「う〜ん。師匠の訓練が厳しいから、疲れてるんだ。僕、きっと疲れてるんだよね〜」
彼の師匠が聞いたなら。
怒髪天をつく勢いで怒り狂っただろう。
違和感を他人のせいにし、和也は自宅へ向け歩き出した。

 《フフフ・・・》

水溜りに足が入る音。
水飛沫が飛んで雨音に混じる。

「!?」
やや警戒して振り返るも和也の背後には誰もいない。

「き、気味悪いかも・・・」
和也は妖撃者。妖や、グロテスクなホラーに強い。
けれど、オドロオドロしい怪談系の住人にはとんと弱かった。
雨で肌寒い他に奇妙な寒気を感じ身体を竦ませる。

『和也様〜』
救いの声。
黒いラブラドールが和也の目の前に現れた。

「た、助かった〜」
犬の方に傘を傾け、和也はホッとして顔を緩める。
ラブラドールは不思議そうに主の顔を見上げた。
「なんかさ〜、変な気配がしたんだよ。人じゃなさそうだし、ううっ、気味悪っ」
和也はしゃがんで犬の頭を撫でるフリ。
無邪気な子供を演出しつつ、犬の耳元に囁いた。
『・・・声、聞こえます』
犬は耳を前後に動かす。

忠犬な彼女は霊犬(れいけん)コマ。
半人前妖撃者、和也の相棒だ。和也一筋七年。
『家庭の事情』で、共に暮らせぬ家族に代わり、和也と関内付近のマンションで暮らしている。

 《くすくす、ふふふっ》

コマの言葉を裏付けるように再度笑い声。
屈託のない幼子の笑い声。

「ナニ?なんなんだよ、これ」
不安な顔をして和也が小さく呻く。
『分かりません。ですが、人でないことは確かですね。気配が異質です』
コマはクンクン匂いを嗅ぐ。
和也の肢体は緊張で強張った。
「じゃぁ、彷徨っちゃってる系?」
『違います・・・口で説明するのは、難しいんです』
困惑する和也以上にコマは困惑していた。
和也の補助として、様々な異形の者と接している。
主の師匠のお墨付きまで貰った感知能力。

 なのに、この不思議な不快感はなんなのだろうか?

背筋を這う悪寒や尻尾を掠める冷気。
雨が降っているからではない。誰かがここに居る。

 《みぃ〜つけた》

かくれんぼの鬼が隠れていた友達を発見した。
そんな声。

『!?』
顔を上げたコマが過剰な反応を示す。
動揺を隠せない風でコマの目が宙を彷徨う。

 《やっと、みつけた。まさか・・・なんて。くすくす》

少女の声は鈴を転がすような可愛らしいもの。
姿は依然見えないが、こちらに近づいている感じがした。

『和也様!ここは逃げましょうっ。私達の手に負えません』
コマが懇願して和也の顔色を窺がう。
必死なコマの形相に、和也もただならぬ空気を感じ取る。
「コマ?」
『お願いです。私のコトを信じてください』
コマが和也の鞄を咥えグイグイ引っ張る。
一刻も早くこの場を立ち去るように。

 《だ〜め。逃がさない》

「っ!?」
頭に直接響く不快音。
ガラスを爪で引っかいて発声する、独特のギィィィという音。
和也もコマも音に耳を塞ぐ。
耐え切れず目を瞑りひたすら堪える。

『ここ・・・は』
音が止んで目を開ける。コマが戸惑う。
色を失った町。時計を止めたように、動かない人。落ちない雨。
「うわっ、カチカチ」
和也は、咄嗟に放り投げた自分の傘が色を失い固まっているので驚いている。
石の様に固い傘。
「コマがしたの?」
妖を逃がさない為。妖撃者は場を歪め、別空間に彼らを誘う。
その技術がない和也に代わり、コマが場を歪めていた。
つまるところ和也の補佐役だ。
『私は何も』
妖撃者が使うソレと、この場の変化は酷似している。似て非なるもの。
モノクロの空間は、妖撃者の使う術ではない。
コマとて用も無しに別空間を作成したりしない。
「師匠かな〜」
『時と場所を考えて、ふざけて下さい』
ピリピリしたコマが声を張り上げた。
「ご、ごめん」
慌てて和也が謝った。

元々温和で和也一筋のコマが。こんな風に和也に怒鳴ることなど滅多にない。
滅多にないだけに、怒鳴られると無条件で謝ってしまう和也だった。

『何者です!私達をどうするつもりです』
和也を護るは我が役目。長様と交わした大切な。

使命にもまして。和也と過ごすうち、コマに芽生えた暖かな感情。
母親代わりで兄弟代わり。曖昧な自分の立場。
説明できない和也に対する引け目。

全ては、和也のためだけに。

『答えなさい』
怖くない。
自分に言い聞かせ、尾を立てる。耳だって立てる。
平和で暖かい場所。
ずっと和也にいて欲しいから。

だから怖いわけなんかない。

 《なにようっ。アタシは遊びたいだけなのに〜》

不貞腐れた少女の声。
コマは油断せずグルグル唸った。
彼女にしては珍しく、犬歯をむき出しにして。

 《女の嫉妬は醜いだけ。ほら、あ そ ぼ ?》

ひときわ甲高い声で少女が笑い転げた。
可笑しくて、可笑しくてたまらない。
そんな風な笑い声だった。

突然、雷光が次々落ちる。
おそらく声の主にとっては予めの仕掛けだったのだろう。

 《きちんと避けないと、壊れちゃうからね♪》

意地悪く少女の声が忠告。
忍び笑いが漏れ聞こえる。

『和也様!閉じ込められています』
悲痛な声音でコマが叫ぶ。
「術も使えないんだ。封印されてる、かも」
何度も結界を張ろうとしたが労徒に終わっていた。
和也は印を組んでみたがいつも感じる力の波動を掴めないでいる。

 《よそ見しないでね、ほら》

 バチィィ。

雷光が和也を弾いた。静電気で体が痺れる何倍もの圧力。
強力な体の痛み。電気で熱せられた服が、外気と衝突し煙をあげた。
肌がヒリヒリするので何処か火傷したかもしれない。

「くっ・・・」
額に、首筋に、背中に。脂汗が流れる。
和也は痺れた左足を引きずるようにして、絶え間なく落ちる雷光を避けた。

 《あはははっ!ふふふ・・・》

少女の哄笑。無邪気なようだが棘のある笑い。
少女の笑いに呼応し、激しさを増す雷光攻撃。

 《ほらほら。もっと遊んでっ》

豪雨よろしく降り注ぐ。
ついに。
コマが避けきれず雷光が身体に直撃。
『うぐっ・・・』
感電死するのでは。疑いたくなるような、体の痺れ。
コマは荒い呼吸を繰り返した。

 《くすくすっ。口の割りに、ワンちゃん、弱いんだ〜》

二度、三度。コマだけを狙う光。
何発も攻撃をまともに受け、コマの足元がよろめいた。

 《もっと、遊ぼうよ〜》

コマの体が意思に反して浮き上がった。

「コマっ!」
空でもがくコマ。和也は無理を承知で腕を伸ばす。

 《ほーら、ドッスン〜》

『あああぁぁぁぁ』
悲鳴を上げ地面に激突したコマ。その身体は動かない。
固まってしまったように、動かない。
和也は動揺の余り呼吸を忘れる。

 赤い。

コマと地面が接した部分から、液体が滲み出た。赤い、液体。

 あれは なんなんだ? なんで こまは ウゴカナイ?

覚束ない足取りでコマに近づく。

 液体は絶え間なく流れ出る。
 漂う匂い。あれはナニ?

 《あーあ。簡単に壊れちゃう。ツマンナイの〜》

コロコロ哂う少女の、興ざめした調子の声。
雷光の勢いも少し弱まった。
和也は目の前の光景に対処するので精一杯。
姿無き、まやかしの声など相手にしていられない。
震える指先を伸ばす。コマの背に触れた。

 ベチャリ。

 真っ赤な、真っ赤な・・・?停止寸前の思考回路。

 指先に付いたソレを認めた瞬間、和也の箍が外れた。

 《そうそう、早く見せて。君の本性》

わざと和也を煽る声。

焦点の合わない和也の瞳。霞む視界。
揺らぐ力。
和也は無意識に立ち上がり、心から沸きあがる激情に身を任せた。

「我は対極を成す。内に秘めた陰を我は望む。我は唱える」
感情が消えた和也の唇から、零れだす言葉。
明らかに異質な詠唱。通常の術の詠唱とは、異なる言葉の羅列。
「許さないよ?」
薄く唇を開いて和也は笑った。
指についたコマの血を舌で舐め取る。
和也の足元に見慣れない文字が浮かぶ。

和也が力を解放。

師匠の呪符が燃え灰となった。

 《あははははっ!これだよ、これ。アタシ達が求める力。あの時に失った力》

風が巻き起こり和也の髪が舞う。
和也は右腕を真横に持ち上げた。

「滅却の力。崩壊の呼び声。我は行使する」
大気が震撼する。得体の知れない闇に結界内が激しく揺れた。
右手から放つ、漆黒の弾丸。
今なら声の主が何処にいるか分かる。
和也は狙いを定めた。

「はいはい、暴れるのはソレくらいで」
空間を切り裂き白刃閃く。
銀色の瞬きは、あっという間に闇を浄化。
雷光さえも一刀両断。

和也と同い年くらい。
野球帽を目深に被った少年が一人。
刀を片手に登場する。

 《きゃはははっ。いいわ、今日はひいてあげるよ》

遠ざかる少女の声。
野球帽の少年は、刀をニ三度振り鞘に収めた。
チン、という唾の音が涼やかだ。

「ボケーっとしてんなよ」
帽子少年は呆れて動かない和也の背を引っぱたいた。
「あ・・・あれ・・・?」
自分の中の怒りが。全てを敵とした憎しみが、綺麗サッパリ消えている。
切り取られたみたいに。
和也は胸に手をあて考え込む。

帽子少年は倒れたコマに近づき、何か言葉をかけた。

『・・・大丈夫・・・です・・・』
弱々しいが、コマはしっかりと声を発す。
和也は最悪の事態を想定したが、どうやらコマは生きているらしい。
安堵してその場にへたり込む。
「ありがとう」
和也は少年に礼を述べた。自分でも分からない力を使った。
その影響で、体がカクカク震え、力が入らない。
「別に助けたくて助けたわけじゃない。俺の都合だ」
振り返った少年の顔に感情は無かった。

和也も母親譲りの整った顔立ちをしている。
だが、帽子少年はそれ以上だ。
和也は目を見張る。

子供特有の滑らかな肌。美しく孤を描く眉。男にしては長い睫毛。
やや、つり目気味の大きな瞳。筋の通った鼻。ふっくらとした唇。
世に言う美少年系な顔立ちだ。
少年が無表情な分、人形のような印象を強く受けるが。

「君の?」
和也が首を傾げる。
「覚悟がないなら、今日のコトは忘れろ。死ぬぞ」
言い捨てて少年は姿を消した。
文字通り、その場から忽然と消えた。
現れた時と同じくらい唐突に。

同時に時を取り戻す町。
あれほど鮮明だった血の匂いすら雨に溶け込む。
色とりどりの傘が目の前を通り過ぎる。

『和也様?』
声がして。首だけ動かして振り向くと、コマが立っていた。
怪我をした様子は無い。
いたって普通そうで何時ものコマだ。
「怪我・・・は?」
煙に包まれた心境で、和也が恐る恐る問いかける。
『何故か、癒えてるんです』
聴いた瞬間。

コマが見えなくなった。

雨のせい?水で視界がブレて、ぼんやりして見えない。

コマが普通にクーンと鳴いて、和也の頬を舐める。
くすぐったい舌の感触。
曖昧な思考回路がやっと答えを弾き出した。

 − 僕は泣いているんだ −

一旦納得すると涙は止まらない。
しゃくりあげ人目も憚らず泣く。
泣き喚く、と言った表現がぴったり当てはまる。

雨に濡れ、犬に慰められる少年。

道行く人は立ち止まるものの一種異様な雰囲気にどうしたらいいかわからない。

主を安心させたいコマも。
人目があるので人の姿をとることができない。
四面楚歌のような状態が数分続いた。

「風引くぞ?」
スッと差し出された傘。コマが尾を千切れんばかりに振る。
腕をつかまれ、上へ引っ張られる。
慌てて目元を擦り和也は声の主を見上げた。
『初代様、助かりました〜』
五月に。初めて擬似戦闘を体験した時。
和也を助けた同業者と思しき青年。
彼に向かってコマは、お座りをして尻尾を振る。
「・・・大丈夫か?」
和也、魂が抜けきった様子。
放心する弟子に氷は微苦笑した。
「師匠・・・なの?」

 ゼッタイ、嘘じゃん。

和也は思う。

和也の師匠は、凄腕妖撃者。
その名は水流 氷(みずながる こお)
でもって、前世が初代妖撃者の長と言う胡散臭い肩書きを持つのだ。
強すぎる潜在能力で老けにくい、オプション付きの。
だから、師匠は外見が中学生くらいだ。
実年齢は二十八だが。

「マジでっ?」
我に返り和也絶叫。
よく見てみれば、氷らしき面影が青年にはある。

もしかしなくても、やっぱり師匠!?

大人に保護された少年。
足を止めた人々はコトの成り行きを見守っていたが、結論を下し、三々五々散っていく。

「まじで。和也、分からなかったのか?」
しみじみ呆れた氷の呟きに、和也は頭を殴られたような衝撃を受ける。
「いや、だってさ・・・」
モゴモゴ口篭る和也。
「見たことないし、聞いたことないし」
三年の付き合いになる師匠だが実年齢の姿を取れる。
とは、一度も聞いたことがない。
和也は信じられない気分で、青年姿の氷を見上げる。
「見せたことないし、聞かれたことがない。から」
この弟子にしてこの師匠。
案外性格が似ている師弟である。悪びれもせず、氷はニコリと笑った。
えくぼが頬に出来る。
「うっ・・・」
負けた。なんの勝負か分からないけど、完全に負けた。
和也は反論する元気もなくガックリ肩を落とす。
「ホレ、帰るぞ。風引くだろ?」
ちょんちょん。
和也のつむじを指先で突き氷が歩きだした。
『帰ったら、すぐお風呂にしましょうね』
並んで歩いてコマが和也の足に身体を摺り寄せた。
自分が死にかけたことより、和也の健康が大切らしい。
見事なハチ公ぶりだ。

和也は疲れて声もだせない。
色々なことが起きた。
ショックが大きすぎて、どれから考えればいいのか決めかねるほどに。

雨に濡れて緑色濃い並木道。
植え込みの紫陽花。雨粒に震える紫色。
鈍色の空、梅雨はまだ明けそうにもない。
腫れあがった己の目蓋が重い。

耳を澄ます。

雨音に少女の声が混じっていないか。
確かめずにはいられない。

できれば、二度と聞きたくない。

考えて身を竦ませた和也だった。





二人と一匹を見送る美女が二人。

物陰から一部始終を見ていた。

身につける服は違えど、双子らしく、同じ顔をしている。

「お姉さま?顔色が悪いですわ」
青ざめた姉の横顔。妹は姉の腕にそっと触れた。
「華蝶(かちょう)の毒気に当たったせいよ」
無表情に姉が応じた。
妹はやや困ったように。口許に手をあて笑う。
「ふふ。あの子にも困ったものね。お姉さまが監視しているのに、待ちきれないんだもの」
「希蝶(きちょう)、あのお方の指示が出るまでは・・・」
「ええ、お姉さま。それに裏切り者の始末もあるでしょう?」
姉そっくりの顔が幸せそうに微笑んだ。

誰にでも分かる何の捻りも無い前フリ・汗。毎回長々とここまで読んでくださってお疲れ様です&感謝!ブラウザバックプリーズ