第一話『散歩』



この世の者ではない異界の住人『妖』(あやかし)
人々の負の感情に寄生し、精神・生命を脅かす・・・。
『妖』から人々を守り、妖を封印・消滅する『妖撃者』(ようげきしゃ)
彼らは今日も闇に蠢く異界の住人と対峙するのだった。


地球は日本。
首都東京のお隣神奈川県。
県庁所在地・横浜市。場所は関内。
九月とはいえ残暑厳しい熱気が渦巻く繁華街。
ネオンの光も眩しいその場所をテクテク歩く少年が一人。

艶のある黒髪。ショートボブに近い長さ。
切れ長の瞳に絶妙なバランスの二重。
長い睫毛と、どちらかと言えば甘いマスクに成長するであろう予感を抱かせる二枚目顔。

本人が醸しだす『ほや〜』とした雰囲気と相俟って、育ちの良さを感じさせる少年である。

「あーあぁ。やっぱ・・・少しだけ癪だな」
ペットボトルから直飲みする。
喉を通るグレープ味の微炭酸飲料。
一気に半分ほど飲んでから少年は火照った顔を手で扇いだ。

少年が持つリードの先には一匹の犬。
暗闇では目立たないが、煌々と灯るネオンの光で黒毛が艶やかに見えるラブラドール。
気遣わしげに少年を顧みて立ち止まる。

「あ、ゴメン。散歩途中だね」
犬がクゥーンと鳴けば少年は歩き出す。
『たまにはこんな真夜中の散歩も良いじゃないですか?』
犬が笑う。

一見犬だが。彼女の名前は小春(こはる)=コマ。
通称コマ。
霊犬という種族で、少年に仕えて七年になるスーパー家政婦。
人の姿になることも出来る。

「まーね。徹夜訓練に比べたら楽しいよ」
少年の顔に浮かぶ恐怖に、犬は苦笑を浮かべた。

一見只の少年だが。彼の名前は星鏡 和也(ほしかがみ かずや)。
見習い妖撃者で小学五年生。関内近くの中古マンションにコマと二人暮らし中である。
『まだ半人前なんですから・・・訓練は必要です』
やんわり反省を促せば、和也はムム〜と剥れた。
「そりゃぁ、さぁ?師匠や一人前の人みたいに落ち着いてないし。経験も少ないけど。少しは認めてくれたっていいじゃん」

師匠の泥棒猫。

最後の呟きは和也の中に消える。

彼の言う師匠とは『初代妖撃者の長』の生まれ代わり。
等と言う非常に胡散臭い肩書きを持つ凄腕妖撃者。
強大な潜在能力のせいで外見が中学生ほどという大人子供。
実年齢は二十八歳。

その大人子供に、好意を寄せていた女性を奪われた和也。
一寸ばかり傷心気味である。

「夏の時だって頑張ったのに。夏が明けて二学期が始まったら・・・また何時もの訓練で。僕だって我慢してんのに」
夏の事件により己の本質を理解した和也。
まだ心の整理はついていない。
本人が否定するほど内心の動揺は顕になるもので。
コマは和也のぼやきを胸のうちに仕舞っておくことにした。

『さ。探検と洒落こみましょうか』
コマが前足を持ち上げれば和也は元気良くうなずく。

深夜まで店を開いているのは居酒屋かコンビニ位のもの。
ほろ酔い加減のサラリーマンや、夏の熱気に負けないカップルが道を歩く。
夏の余韻が抜けない若者グループもいて中々賑やかである。

『但し。家出と勘違いされるような行動は駄目ですよ』
釘を刺すコマに、
「分かってるよ〜。警察に保護されたなんて師匠に知られたら・・・。明日から訓練量が二倍だよ」
妙に真実味を帯びた喩で答える和也。

一人と一匹は大きな通りを歩き出す。
シャッターの閉まった銀行・薬局・百貨店。
逆に活気づくカラオケボックスに居酒屋、深夜営業のカフェ・ゲームセンター。

昼とはまた趣が異なる賑わい。
夜の街は不思議な熱気に満ちていて、そこを歩くだけで自分が大人になったような気になる。

「夏も終わって二学期かぁ・・・。なんか、訓練もいつも通りだし。希蝶も華蝶も気配がしないし。帽子君も見かけないし」
劇的であった夏から一転。
平穏だった頃の生活に戻り、和也もソロソロ平和ボケに飽きてきた模様。
平穏無事より刺激を求める子供は残念そうにこう付け加えた。

『ここを歩くだけでも収穫はありますよ』
コマが耳をヒクヒク動かす。
彼女の耳に飛び込む喧騒と、視覚的に捉えられる人の放つ様々な生(き)。
開放感があればあるほど人の生(き)は膨れ上がり低級の妖を生む。
「うん。影と無音がいるね・・・結界に阻まれて外に、だけど」
何度か瞬きを繰り返し、和也は何もない一角を見つめる。

 《グルギュ》

形容しがたい声(?)を発する、SFも真っ青ものの黒い不定形物体。
『影』が数匹、居酒屋の看板にへばり付いていた。

向かいの電灯。
柱に腕を回し高い位置から人間を見下ろすのは『無音』
中型犬ほどの大きさで小鬼のような外見を持つ。

『ええ。和也様が感知されたとおりです』
コマは尾を振り目を細めた。

不安定だった能力が安定した和也の感知能力は一気に上昇。
それまではコマに頼りきっていた感知能力を磨く訓練も始めた。
今回の散歩は感知能力を高める上でも重要で、師匠から言い渡された訓練の一つである。

『宜しいですか?微弱な結界は九月より常時横浜に張り巡らされています。持ち回りで妖撃者の方々が維持していますけれど』
事件のコトもあり横浜は重点警護都市認定。(妖撃者内で)

当面の間は何人かの妖撃者が持ち回りで警戒に当たるそうだ。

今晩の師匠役。コマが講釈を開始。
和也は余り興味がなさそうに、ぼんやり見える月を見上げる。
周囲の明かりが強すぎて星の瞬きも消える夜空。確認できるのは月くらいだ。

『だから低級や中級の妖は自然消滅することが多くなります。ケースバイケースですが、大量発生した時などは仕事と判断されるでしょう』
和也の隣を通り過ぎる若者の集団。
大きな声で笑いながら、お互いに肩をたたき合っている。
少女の興奮した甲高い声も混じり、ドッと沸く。

『ですが上級の妖は低級・中級の妖を使役しますので。レベルに関係なく、妖自体の特性を掴むことが大切なのです』
和也は残りのジュースを飲みきる。
空になったペットボトルを左右に振っていたが、途中で発見したゴミ箱に入れた。

「ふーん」
生返事を返し、和也は数メートル先を歩く若者グループを見る。
彼等の発するテンションの高い生(き)。
触発されてキバをむき出しにする無音と、結界を抜けようと体当たりを始める影。

無言のまま和也はポケットから呪符を取り出す。
和也自身作り上げることは未だ出来ないが、師匠が持たせてくれた雑魚封じのお札だ。

『こればかりは地道に訓練されて、経験を積むしかありませんけどね』
コマが締めくくったのと和也が呪符を投げたのは同時。

呪符は若者グループの頭上で弾け、通常の人には見えない粉を撒き散らし消えた。
とたんに大人しくなる無音と影。
電灯のてっぺんまで慌てて登る無音に看板の裏側に隠れる影。

犬である分。目線の低いコマには見ることの出来なかった一瞬の出来事。

「はいはい。一人前になるまで地味なのは、よーく分かってるって」
大きな欠伸と共に和也がおざなりに言葉を発した。
『少しは真剣に考えないといけませんよ』
立ち止まり、コマはガードレールの支柱の匂いを嗅ぐ。
和也もコマのしたいままに任せる。
目の前を歩いていた若者グループはすぐ前の角を曲がり、耳につく大声を残して消えた。

「う〜ん、それはね。実家に住める身分にもなった。僕が中学生になれば否応無しに一人前。仕事だって回ってくるし。見習いではいられないもんね」
己の柵(しがらみ)を知る以前は『力の反作用を起こす為』共に暮らせなかった家族。

現在は『本来の家族団欒と長の次男としての自覚』を促す為に勧められる家族との同居。

和也は結論を出していない。

「僕は僕らしく行きたいんだ。急ぐのもなんか、らしくないし。兄さんが星鏡を継ぐんだからさ。僕はもう少し、もー少しだけ楽させてもらいたいな」
『そう、ですか』
何処か安堵したようなコマの台詞。

コマ本来の役目は終了している。
和也は己の特異性を受け止め、自我を壊す事無く問題を乗り越えた。
見守り家族の情愛を与えるのがコマの役目。
いつ長の命によって任を解かれるか・・・コマにも分からない。

七年も共に暮らしてきたのだ。
和也に対しての思い入れは誰よりも強い。
コマには自負がある。

「実家には定期的に泊りに行くよ。あ、僕一人じゃ間が持たないからコマも一緒ね。コマは僕の家族なんだから」
しゃがみこみ、和也がコマの耳の付け根を撫でる。
コマは首をフルフル振って照れくさそうに鼻を動かした。
「無理しないで、今までの事を一つ一つ納得していこう。僕はそう思ってるから。コマは迷惑?」
まだ当分続くであろう同居の件を問いかける和也。
微かに瞳が揺れ、不安と緊張がない交ぜになる表情。
コマは黙って和也の頬をペロリと舐めた。
「サンキュ」
顔をくしゃくしゃにして和也が笑う。
歳相応の子供が見せる屈託のない笑み。
つい最近ようやく手に入れた和也の本当の笑顔。
『ふふふ。少しずつ解決していきましょうね』
母親代わりのコマは、いつもの調子で和也を甘やかす。
長の息子。しかも直系で次男坊、という地位にありながら和也がのほほん〜なのはコマの甘やかしの影響も大きかったりする。
「そーそー。僕まだ子供だしさぁ」
あはははは。
危機感や使命感は欠片もない。
能天気に笑う和也を微笑ましく見守るコマ。

迷コンビはやはり。何時でもお気楽なのだ。

「さて。散歩再開」
ポンポン。和也は己の膝を叩いて立ち上がる。
脇を通り過ぎる大人達。
生暖かい風と鼻をつく酒の匂い。
和也とコマはぼんやり大人達を見送る。
「お酒って美味しいのかな?師匠も先生にお酌してもらってるし」
大人集団の斜め後ろを歩く。
斜め前前方で炸裂するオヤジギャグに首をすくめ、和也はコマに尋ねた。
『どうなんでしょう?わたしは嗜みませんので』
コマも首をかしげ不思議そうに中年男性を見る。
少々酒の入ったらしい男性は赤ら顔で上機嫌そうだ。
中にはネクタイを鉢巻上に巻いて、完全に出来上がっている青年もいる。
「あんだけ楽しそうだとなんか腹立つ。こっちは宿題とか勉強とか。訓練とか毎日忙しいのに。大人って楽してるっぽい」
唇を突き出す和也。
大人から言わせれば『気楽なのは子供の方』と反論されるだろうが。
隣の芝は青く見えるのだ。

「はぁ〜。いいよね大人は。お金もあるし態度デカイし、師匠みたいにプーしてる人もいるし〜」

ブチブチ。

一人苦労している気分になって和也は愚痴モード。
似合わない大人びた態度で肩を竦めた。

『あまり大きな声で言わないで下さい〜』
焦ったコマは鼻の頭を和也の膝裏へ押し当てグリグリした。
幸い半酔っ払いと化した大人達が和也の暴言に気がつく気配はない。
コマは慌てて進路を変更。
横断歩道前で無理矢理和也を引きとめ、向かいの歩道へ移動する。

「だって、本当の事じゃん。やたら偉そうだし。子供の苦労なんかこれっぽちも分かってないし。
やたら勉強しろしっかりしろとか言ってさ。アンタ達がしっかりしろって感じじゃんか」
『和也様の言い分も分かりますが・・・』
大人の言い分もあるんですよ〜(焦)
内心冷や汗をかいてコマは和也を宥めに掛かる。
背伸びしたがる年頃の子供よろしく和也も背伸び。
テレビの受け売りだろうが、いっちょ前に大人気取りだ。
大人が子供のように騒ぐ夜の町。
同じ時間と空間を共有することによって和也自身も大人気分なのかもしれない。

『和也様も大人になれば味わえるじゃないですか』
ね?一縷の望みを託し、コマは和也の顔を見上げる。
和也は眉間に詩話を作って首を横に振る。
「大人になったら〜?二十歳になるまで九年だよ、後九年!僕は早く大人になりたいんだ!」
拳を握り締め和也は力説する。

癇癪を起こした和也に困りながら、コマは関内駅・・・自宅マンションへ向けて歩き出す。
夜の関内は和也ですら変えてしまう不思議な空気を持っていて。
これ以上和也を増長させるわけにはいかない。

コマは判断した。

『考えてみてください?人生七十年だとします。二十歳で大人と考えて、大人でいる期間は五十年。子供でいられる期間は二十年。圧倒的に子供でいられる時間が少ないのですよ?』
やたら具体的にコマが反論すれば、
「むー」
言い返せない和也がムスッとしたまま黙り込む。
視界の端を掠める無音に印を組まず呪文も唱えず攻撃。
完全に八つ当たりだが無音は和也の攻撃を避ける間もなく消失した。
『そういうトコだけ器用にならないで下さ〜い』
はうううう。
滝のような涙を流し打ちひしがれるコマ。
男の子なのだから、多少やんちゃでも元気が良くて子供らしいのだろうが。
和也は少々ひねくれたお子様。
柔和な物腰とは裏腹に頑固で意固地。

「いいじゃん。妖撃者としては好ましい器用さでしょ?」
悪気の『わ』の字もない様子の和也は、キョトンとした顔つきでコマを見下ろす。
あくまでマイペース・ゴーイングマイウェイを貫く和也に、頼もしい気持ち二割・心配する気持ち八割。複雑な心中にコマは悶える。
『良しとしましょう・・・』
和也に聞こえないよう小さく呟く。

コマの危惧を他所に。
和也は無事に毎日を過ごしているのだから。
師匠と新たな理解者に見守られ自分を育てているのだから。
存在してくれるだけで十分。
母親役を務めるコマの感慨もひとしおだ。

「夜食を買っていこうよ」
関内駅を通り過ぎ、夜道を歩く一人と一匹。
和也が明かりのついたコンビニを指し示す。
『初代様と奥方様にですか?』
「僕ら家族皆分」
『皆分・・・?』
「そう。僕とコマと師匠と先生。全員で四人」
にこりと笑って和也は指を四本立てた。
コマは全身の毛を繕うように身体を一振りした後、千切れんばかりに尾を振る。
「んじゃ、寄ってこーっと」
コマの了解を得たのでコンビニに入って夜食を購入。
「師匠と先生にアイス。僕はアイスとプリン〜♪コマにはゼリー」
何気に自分の分だけ一品増やし。
かごの中にお菓子をいれレジで精算。
店内は外の暑さとは別天地。
ガンガンに効いたクーラーによって冷やされた空気が心地よい。

店員の『ありがとうございましたー』という声に見送られ外へ。

むせ返る熱気とすぐに汗ばむ肌。

「ささ。早く帰らないとアイスが溶ける」
和也はビニール袋をガサガサいわせて走り出す。
「こーやって『家』に帰るのも。楽しいね」
暑さに顔を赤くする和也。無邪気に道草を楽しむ和也とコマは、夜の街を走った。





建てられた当時は最新鋭のセキュリティーが売りだった中古マンション。
入口前に二つの人影。

「大丈夫かしら」
肩まで届く髪を纏めて結んだニ十代前半の女性が傍らの少年を見下ろした。
右目を隠す長い髪を払いのけ少年は小さく笑う。

「大丈夫だって。ゲーセンやカラオケはさせるなって、コマに伝えてあるから。せいぜい寄ってもコンビに程度だろ」
少年にとっては三年の付き合いになる弟子。
行動パターンなど手に取るように分かる。
実際に呪符を飛ばし、今晩の弟子の動向もしっかり把握していたりする。

「やっと落ち着いたんだ。これくらいの小さな冒険くらい許してもな。バチは当らねーよ」
落ち着かない女性とは対照的に少年は落ち着き払っている。

暫く無言で冒険に出た子供を待つ二人。

タン・・・タンタン。

この暑い中覚めやらぬアスファルトを走り抜けるスニーカーの音。
併走する犬の爪が当たる小さな音。

安堵の息を吐き出す女性。
心配性の彼女に仕方無いと首を横に振る少年。
薄明りの中輪郭がぼやけた人影がマンション目指して近づいてくる。

「ただいま〜」
和也は空いている手を大きく上げて振った。

『ただいま戻りました』
和也の師匠と奥方を認めたコマも声を張り上げる。
息を弾ませ二人に走り寄る一人と一匹。

「「おかえり」」
出迎えるは和也の保護者。

「じゃーん。師匠と先生にお土産。暑い夏には冷たいアイス。定番だよね」
コンビニ袋を少年に差し出して和也は胸を張る。
「ありがとう、和也君」
女性はニコニコ微笑み和也の頭を撫でた。
「和也にしちゃー上出来」
和也の差し出したコンビニ袋を受け取り、少年はさっさとマンションエントランスへ。
熱帯夜の中、和也を待ち続けたため部屋に戻って涼みたいようだ。
「ちぇーっ。嫌味っぽいな」
言いながら、和也はコマの首輪からリードを外した。
「あの人なりに褒めてるわよ?コマさんの支度がすんだら、こっちにいらっしゃい。皆で食べましょう?」
女性は優しい言葉をかける。
「うん」
和也は大人しくうなずく。
「真夜中の散歩の感想も、先生に聞かせてね」
少年の後を追って女性もエントランス方向へ姿を消した。
「うん」
満足した顔で和也は口許を緩める。

「こーゆの。悪くないよね」
十二時を過ぎた大人の時間。
ちょっとだけ紛れ込んで散歩。
普段は見かけない不思議な空気。
未だ目線は子供だけど、いつか大人になったら体験するであろう夜遊びの雰囲気だけ味わって。

和也ご満悦。

『ええ、悪くないですねぇ』
首輪の部分を後ろ足で掻いてコマが応じた。

八月の猛暑も終わって、九月に入ったある日の真夜中。
プチ冒険をした和也のプチ大人気分な夜の出来事。


少々実体験に基づいて。大人の飲み会で遅くなったことがありました。場所は違うけど子供ながらにちょっぴり大人気分味わいましたよ(笑)このシリーズももう少しだけ続きます。どうぞ根気良くお付き合い下さい。ブラウザバックプリーズ。