第八話 『みぞ』



この世の者ではない異界の住人『妖』(あやかし)
人々の負の感情に寄生し、精神・生命を脅かす・・・。
『妖』から人々を守り、妖を封印・消滅する『妖撃者』(ようげきしゃ)
彼らは今日も闇に蠢く異界の住人と対峙するのだった。


地球は日本。
首都東京のお隣神奈川県。県庁所在地・横浜市。
場所は関内。より少し港より。
山下公園を全力疾走する子供が一人。

「し、死ぬ〜!!」
顔を真っ赤にし、息を弾ませ懸命に走る。
背後にはなんだか分からない有象無象の輩がひしめき合い子供を追いかけていた。
「だあぁぁぁぁ!記録更新を邪魔すんなっ」
前だけ見据え駆け足は維持。印を手早く組み術を発動。
丸い球体のエネルギー弾を後方へ発射。

どっすーん。

騒音と気配複数が消える。汗だくだくの身体。
額から零れた汗が目に入って不快だったし痛かった。

「・・・っで・・・僕が・・・こんな・・・」
息も切れ切れ。途切れ途切れに口から零れるのは愚痴ばかり。

艶のある黒髪。ショートボブに近い長さ。
切れ長の瞳に絶妙なバランスの二重。
長い睫毛と、どちらかと言えば甘いマスクに成長するであろう予感を抱かせる二枚目顔。

必死の形相で駆けている為魅力は半分以下。
乱れた髪も子供の追い詰められ振りを物語る。

一見すれば育ちの良さを感じさせる少年だ。
お馴染み妖撃者見習い星鏡 和也(ほしかがみ かずや)である。

「こんな所で倒れてる場合じゃないんだよ〜!!」
夏の日差し強まる七月。
子供は爽やかに(?)山下公園をみなとみらい方向に向け走っていた。
大口を開けて浅い呼吸のままやっとの思いでゴール地点へ到達。

「二分三十三秒。とな」
カチ。ストップウオッチを止め冷静に和也のタイムを計測する少年が一人。

長く伸びた前髪で右目を覆う中学生くらいの少年。
彼は水流 氷(みずながる こお)
外見は和也より少し年上程度だが実年齢は二十八。
一人前の妖撃者でその能力はトップクラス。
前世が妖撃者初代の長、という胡散臭い肩書きを持つ。
強すぎる潜在能力のお蔭で老け難いというオプション付きである。

「〜!!」
和也はぜいぜい荒い呼吸を繰り返し両膝に手を置いて下を向く。
文句を言いたくとも酸欠で言葉など出やしない。
体中に不足する酸素を取り入れるだけで精一杯だ。
「ご苦労さん。タイムはまずまずだな」
氷はノートに記録を書きとめ、和也にスポーツ飲料の入ったペットボトルを渡す。
当の本人和也は動けず下を向いたまま。
コンクリートに和也の顎を伝う汗が落ちた。
「後三本走ったら今日は終了。実家へお泊りイベントがあるんだろ?さっさと終わらせて早めに切り上げるぞ」
暑さに顔を赤くした氷が和也に告げる。
「悪いけど、これでも僕文系なんだよね?体育会系のノリって駄目なんだけど」
一気にペットボトルを飲み干してから。それから和也は氷へ怒った。
「仕事に必要なのは根性と体力だ。ぐだぐだ文句言うな」
氷は取り合わない。

なにも和也の飽きっぽさは今に始まった訳じゃない。
四年も師として和也をシゴイてきたのだ。
適当にあしらうのには慣れたものだ。

 んなことばっかり慣れても仕方ないんだけどな。

思うがまかり間違っても顔には出さない。
案外子供というのは大人の感情に聡いのである。

「ってゆーかさぁ!?普通の妖撃者見習いってこんな訓練しないでしょ!!」
真夏の山下公園で全力疾走なんて前代未聞だ。
そもそも山下公園は公園なんだから皆のもので。
個人が勝手に使用して良い場所じゃない。

「和也。お前が『道場の訓練道を使いたくない』って駄々こねたんだろーが!しかも『景色の綺麗なところ』なんてリクエストもしただろ」
本来ならこの訓練。

森の小道を走りタイムを競うものなのだ。
小道には妖撃者が放った罠や妖が潜んでおり、己の知恵と機転・術の相性を考慮し。
己の力のみで走破する実戦向きの訓練場。
以前合同訓練に参加した和也は色々問題を起こし。
己の醜態を晒した場所へ足を踏み入れたくない一心で『景色の綺麗なところで訓練したい』と駄々捏ねた。

氷は訝しく思ったが取り敢えずは弟子の希望を叶えて、山下公園で訓練を行うことにしたのだ。
弟子に逆切れされる筋合いは無い。

「うっ・・・。そりゃ妖撃者道場の訓練用小道には行きたくないんだけど。なにも山下公園に結界張って走らせること無いじゃん」
調子に乗って結界を張った結果。
缶詰のように強固な結界を張り、訓練用の森の小道は夜が明けるまで誰も入れなかった。
色々複雑に事情が絡み合った結果だが、和也がヘマしたのには変わりない。
大人の妖撃者の視線も痛かった。
合同訓練で一緒になった見習い達からは羨望の眼差しだったが褒められたものじゃない。

 華蝶がちょっかいだすからだ―――!!

声を大にして言いたい。言いたいが。
和也にもちょっとした理由(わけ)があり事実を公表する訳にはいかない。
夜明けまで沸いて出た妖を退治するのに華蝶の力を借りたのでお互い様。
うっかり口を滑らして喋ろうものなら謹慎処分。
間中はずっと勉強させられるのだ。
この際シゴキには耐えそれなりに外へ出られたほうがマシだというもの。

「妥当だろ。適度に広くて走れて罠が仕掛けられて。景色だって綺麗だ」
氷が片手で海側を示す。
だが罠を仕掛けているのは普通の妖撃者じゃない。
初代妖撃者生まれ変わりにして凄腕妖撃者の氷が作ったのだ。
罠と簡単に口にしているが、見習い妖撃者のかわせる範囲外の難易度が高い罠ばかりが張り巡らされている。

和也にしてみれば普通の罠で普通の訓練難易度に下げてほしいくらい。
口を滑らせれば氷のことだ。
難易度がアップするのは目に見えている。

「海見て走れれば誤魔化せるって思ってない?」
ジト目で和也が氷を睨む。

氷の張った結界によって灰色の景色となった山下公園。
人の目に付かない利点はあるが気象条件は山下公園と同じ。
ギラつく太陽の日差しや。生暖かい潮風や。真夏日に相応しい暑さでムンムン。

炎天下の中無理矢理走らされて和也はバテバテ。
いくら海傍だからといって涼しい訳ではない。
ンクリートの放射熱が厭でも空気を温める。

「あのなぁ。こっちは暑いのに来たくも無い場所に来て訓練してやってんだぞ?少しは感謝しろ」
ビシィ。氷の顔つきが険しくなった。
「感謝はしてるけどさぁ〜。オリンピック選手目指してる訳じゃないんだから、ちょととはお手柔らかにお願いしたいってだけ」
怒り顔の氷にビビリつつも和也はイマイチ訳の分からない釈明をした。
「普通オリンピック選手は術なんざ使わないだろ」
足元に集めた風の術で山下公園を疾走しているのだ。
通常の競技で競うオリンピックでそんなことやろうものならスポーツに対する冒涜も甚だしい。
和也が狙って発言しているのなら。
「喩だよ!た と え」
自棄気味に和也は怒鳴った。
「どういう喩だ」
なんとコメントしてよいのやら。
迷うところであるが今日のノルマは後三本。
きっちり走らせなければ。

「御託はいいから、とっとと走って来い」
氷は問答無用で和也をスタート地点まで強制送還した。
風の術に揉まれ和也が何事か文句を叫んでいたが聞く耳持たず。
サボる天才の和也ペースにのったら間違いなくカリキュラム消費に支障が出る。

 つーかな?俺が何が悲しくて休日まで弟子のお守りしなきゃならねーんだよ。
 新婚なんだぞ?

去年秋に結婚したばかりの氷。
家に帰れば妻が手料理と共に氷の帰りを待っているだろう。
腕時計を見る。時刻は十一時二十一分。
和也を急がせれば妻を待たせずに昼食へ突入できる。
「キリキリ走れー!!」
容赦ない師匠は、夏も迫った七月になっても弟子をキリキリしごいておりました。





翌日。
師匠の弟子想い(?)の有難い訓練に耐え。
実家へお泊り会をこなし。
ややヘロヘロになって電車に乗り込む和也の姿がありました。
「は―――」
ため息と鬱々とした気分半々。込めて和也は長々と息を吐き出した。
「どうしましたか?」
和也に同伴する女性。
年齢は二十四歳前後。百七十近くあるモデル並の長身。
肩までの黒髪をゴムで一つに結んでいる。
切れ長の黒い瞳。短めの睫毛。
顔立ちは純日本人。

「ん?ちょっとね。昨日の訓練が結構ハードだったからさ。あんなんで来年までに一人前になれるのかな?」
常々疑問に思っているので和也は女性に尋ねた。
「一見関係なさそうに見えますが、大切です。和也様は他の妖撃者と組んで仕事をする機会は早々ないでしょう。ですから即実戦で、しかも一人で戦えるように初代様が鍛えてくれているんですよ」
氷の訓練を好意的に解釈する女性。

彼女は小春=コマ。和也の遠縁。兼・優秀なハウスキーパー。兼・見習い妖撃者の相方である。
和也お仕え歴八年に突入した、筋金入りの和也命。な母親代わり。

「愛があるのかないのか。微妙なしごきなんだよ」
既に和也の頭に訓練=しごき。の構図が出来上がっている。
揺れの少ない電車の出入り口近くの手すり。
人も少なく凭れ掛かって和也は再度息を吐き出した。
「少なくとも初代様は真剣に考えてくださってますよ?和也様の自立」
「ははははは・・・。そっかな」
たまに殺されると思うくらい過酷さを増す訓練。
命からがら助かった例もなくもない。
和也は乾いた笑みを浮かべる。
「ええ!」
コマは真面目な顔で肯定する。
彼女にしてみれば裏表のある和也の数少ない理解者が氷だと思っている。
彼が見捨てずに和也の面倒を見てくれて本当に感謝している。
己は甘やかすばかりで鍛える事が出来なかったのだから。

『関内〜、関内〜』
電車のアナウンスが関内駅到着を伝える。

「無事到着」
フシュー。電動ドアが開き和也は乗客の流れに乗って駅のプラットホームへ降りる。
人が出口階段へ流れるのを避けて、プラットホームの壁側端に留まって人の流れを遣り過ごす。
コマも和也の隣に立って人が減るのを待った。
「さてさて。家路を辿って」
人の流れが一息ついたのを見計らい和也は歩き出した。

去年冬から始めた実家へお泊り。
和也の複雑な生い立ちが家族との同居を妨げていたが、夏の事件以来はそれもなく。
ようやく共に暮らせるようになった家族で和也も両親を嫌いではない。
ただ苦手なだけだ。
歳の離れた兄とも会話はできるし別段困ってもいない。

「長様は一段と楽しそうでしたね」

一人で泊まると会話が止まる。
両親の『これでもかっ』という気遣いがヒシヒシ伝わってきて。
却ってその気遣いが和也の居心地を悪くする。
和也苦肉の策として。お泊りの時は必ずコマについてきてもらっていた。

コマは昨晩の長の様子を和也に教える。

「うーん。息子の成長を喜んでくれてるみたいだから、親孝行にはなってるのかもね」
答えながら和也は関内駅の改札を抜け、ヨコハマスタジアム方面へ出る。
「あー疲れた。家族っていっても他人も同じだもんね。肩が凝った」
リュックサックを背負い直し和也は首を回す。
ボキボキ。子供の首には似つかわしくない間接が鳴る音。
「てゆーか。あの高級旅館みたいな雰囲気が駄目なのかもしれない」
純日本家屋を脳裏に描いて和也は感想を述べた。
コマは口許を緩ませ和也のリュックを持つ。
「いいよ!別にリュックを持ってもらいたい訳じゃないから」
和也が慌ててコマの手からリュックを取り戻す。
「すみません。つい」
はんなり笑うコマが何時に無く楽しそうで。和也は怪訝そうにコマを見た。
「まだ他人ですけど。これからは少しずつ色々と喋れます。力の反発だって予め知っていれば、お互いに気まずくなりませんからね。和也様が新しい人間関係を築いていく。それを傍で見守れることが嬉しいんです」
和也の頬を突いてコマは努めて明るく言った。

 うーん。コマがそういう風に思ってくれるのは嬉しいけど。
 僕もソロソロ将来の展望なんてのも考え出してるんだよね。
 フツーの小学生なら『サッカー選手』とか『公務員』とか『パイロット』とか?
 夢半分・願望半分の将来を思い描いたりするんだろーけどさ。

 実は妖撃者の他にやりたいコト見つけちゃったかな〜?
 とも思う今日この頃。まだ誰にも内緒だけどね。

「僕のペースで慣れてくよ。頑張るのってキャラじゃないから」
コマの不安を察して和也は無邪気にニコリと笑う。
「ええ。それがいいですね」
前向きな和也の言葉にコマも安堵する。

無意識に家族と壁を作る和也。
このままだと本当に馴染めるようになるまで何年もかかってしまう。
それでは長に申し訳ない。
和也の情緒面の教育役としても自分は選ばれたのだから。

「だからって同居するなんて一言も言ってないんだけどね」
コマに聞こえない程度に和也が嘯いていたのは誰も知らない。

 誰にも『みぞ』って存在するけど。ムキになって埋めなきゃいけないもんでもないし。
 僕は僕なりのやり方で自立ってコトでいいよね。

 今更学園に通うのに不便な場所に引っ越すのヤだし。

和也が家族との同居を嫌う一番の理由がこれだと誰も知らないのは。
とても幸いなのだろう。
双方にとって。

「明日は学校だし準備しなきゃね」
和也はコマを振り返ってそう言った。

 師匠とのみぞ。コマとのみぞ。
 どんなに親しくったって埋められないものがある。
 悲観的にいっているんじゃなくて。程よいお互いの距離。見えないみぞ。

 嫌いじゃないけどもう少し放蕩息子を温かい目で見守ってね。

昨晩台所で父親に告げた言葉。父親は苦笑しながら和也の髪をクシャクシャに乱した。

 うん。これはこれで収穫でしょ。

師匠似なのか?もともとの性格なのか?和也は着実に己の足場を作っていく。

「お昼は何が食べたいですか?」
「オムライス!!」
コマの問いかけに即答して和也は帰路についた。





同時刻。
和也が関内駅から自宅へ向け歩き出した頃。
和也の住むマンションのお隣さん。
師匠宅にて。
「もうすぐ和也君が帰ってくるわね」
居間にかかった時計を眺め奥方は氷へ言う。
「あー?そろそろ帰ってくるかな?」
ソファーに座り込み気だるげに応じ。氷は新聞を捲った。
素っ気無い氷の反応に微苦笑しつつ奥方は冷えた麦茶をテーブルに置く。
「少しは馴染めているのかしら?ご家族の方と」
思案顔で奥方は新聞を読む氷の顔を覗きこんだ。
「ぼちぼちか?それなりに家族はできるけど、和也は大人しく家族団欒を楽しむって性格してねぇからな」
何よりトラブルに頭からつっ込んでくタイプだしな?
新聞から顔を上げ氷は奥方を見た。
「難しいわね・・・。早く溝が埋まるといいんだけど」
頬に手を当て和也を憂う奥方様。

「俺と和也との溝は埋まりそうもねーな」
ジェネレーションギャップやら、倫理観やら諸々。
哀愁漂う師匠の背中があった事は、彼の奥方しか知らない。


人は人。和也は和也ってな自覚の始まり。和也がここで言う『みぞ』は相手との距離のようなものです。分かり難いですよね(はははは)夏に入っても頑張る和也の姿を書いてみました(少し違う感じにもなっちゃったような気がするけど)ブラウザバックプリーズ