この世の者ではない異界の住人『妖』(あやかし)
人々の負の感情に寄生し、精神・生命を脅かす……。
『妖』から人々を守り、妖を封印・消滅する『妖撃者』(ようげきしゃ)
彼らは今日も闇に蠢く異界の住人と対峙するのだった。


第六話 『へだてるモノ』


地球は日本。
首都東京のお隣神奈川県。
県庁所在地・横浜市。場所は関内。

『では参りましょうか』
ラブラドール。
黒のラブラドールが元気良く尾尻を振る。
六階建てのマンション。最新鋭のセキュリティーが売りだった中古マンション前。
ラブラドールと散歩に出かける様子の少年が一人。

「今年もきちんと報告に行かなきゃね」
手にした白い百合の花一輪。片手にはリード。
少年は五月の陽光に目を細める。
緑全開の木々の鮮やかさとは対照的なコンクリートジャングル。
寒暖のばらつく日々が続いていて。

五月半ばになった今日は『あの日』と対照的な晴れ空だった。

「あれから四年。色々あったもんね」
艶のある黒髪。ショートボブに近い長さ。
切れ長の瞳に絶妙なバランスの二重。長い睫毛と、どちらかと言えば甘いマスクに成長するであろう予感を抱かせる二枚目顔。

本人が醸しだす『ほや〜』とした雰囲気と相俟って、育ちの良さを感じさせる少年だ。

お馴染み妖撃者見習い星鏡 和也(ほしかがみ かずや)である。

学年が一つ上がり小六となった。
クラス替えもないので別段代わらぬ級友達とまったりゆったり勉強する日々が続く。
そろそろ卒業して中学なんて気分も。
エスカレーター式の気楽さからか。
受験と目の色かえる者もいない。
進学試験はあるので最低限の勉学は必要なのだが、概ね和也の生活は変わりなく。
平和である。

『ええ。色々ありましたね。特に今年は、報告しなければならない話が沢山ありますしね』
黒のラブラドールは和也に答えた。
無論。
ごくありきたりの犬は喋ったりしない。
そんな幻聴が聞こえた方は早めに休んで精神の疲れを取ることをお勧めする。

一見犬だが彼女の名は小春=コマ。
和也の遠縁。兼・優秀なハウスキーパー。兼・見習い妖撃者の相方である。
和也お仕え歴八年に突入した、筋金入りの和也命。な母親代わり。

霊犬という特殊な種族で人の姿をとることも出来る。

「僕が修行を投げ出したいって思ってた時だったし。約束交わした人だから。きちんと報告しないとね。この日があるって忘れちゃいけないよね」
背筋を伸ばし和也は五月の日差しの下歩き出した。
『そうですね』
和也の何度目かの転機。
今の和也を形成するにあたり影響ある事件。
コマは懐かしみ、しみじみとした気持ちで相槌を打った。





四年前。

「いい加減駄々こねんな! ガキじゃないんだろ?」
うずくまって立ち上がろうとしない子供を見下ろし。
少年はやや怒りを滲ませた口調で叱った。
右目を隠した長い前髪が特徴の少年。
名を水流 氷(みずながる こお)という。

外見はだいたいが中学生くらい。
幼い外見に似合わずしっかりした性格で、初対面の大人などは驚き舌を巻く。

「もう歩くの疲れたよ〜」
しゃがみ込んだまま子供は駄々こね真っ最中。
歩きつかれた不満を少年へ訴える。
「あ の な ! 今日は正式な依頼を受けた仕事なんだぞ。遅刻厳禁」
『そうですよ、和也様。もう少しですから頑張って歩きましょう』
子供の膨れた頬を舐め黒い毛並みのラブラドールが子供を宥めにかかった。
「コマ、後二分待つ。それで和也が動こうとしないなら見習い失格。妖撃者としての資格を剥奪する」
重く垂れ込める灰色の雲。
見上げて少年は淡々と通告を突きつける。
犬は驚きじっと少年の顔を見上げ。
凝視するが偽りない少年の真っ直ぐな瞳に尾尻を下へ向けた。
「……」
歩きつかれた和也は目尻に悔し涙を浮かべ俯く。
頑なになってしまうと『ごめんなさい』の一言がどうしても出てこない。
逆に意固地になってしまう。
『和也様。駄目でもいいですよ。無理に妖撃者を目指さなくても、大丈夫です』
「……行く」
この年頃は天邪鬼。
無理するなと言われれば。逆にムキになって無茶をする。
和也は立ち上がりよろめきながら歩き出した。
「……なんだかなぁ」
苦笑して頭をかく少年。

和也の師匠で水流 氷(みずながる こお)という。
前世が妖撃者の長。等と胡散臭い肩書きを持つ少年。
凄腕妖撃者で潜在能力の強大さから外見が老けにくいというオプションを持っている。
実年齢が二十八だが外見は中学生くらい。
幼い外見だが立派な一人前の妖撃者なのだ。

『参りましょう、初代様』
「そだな」
コマは前向き思考なので。単に和也が頑張る気になったことを氷へ暗に伝え。
自身も和也の後を追って歩き出す。
この迷コンビに一々つっ込むのも馬鹿らしい。
ため息一つついて氷もまた歩き出した。



山手の外れ。山手というと高級住宅街並ぶ観光名所。
だが、商店街もあるし普通にマンションや町並みだって広がっている。
どちらかと言えば普通の町並みが広がる山手の外れの土地が目的地。

依頼人は土地所有者。

代理の妖撃者が古びた門の前で氷を待っていた。

「それでは初代様。こちらが鍵です」
スーツ姿の妖撃者は氷へ門の鍵を渡す。
和也にも軽く会釈で挨拶し、乗ってきた車で早々に走り去ってしまった。
妖撃者は完全縦割り社会。
氷クラスが行う仕事に割り込むことは許されず、好奇に駆られて覗き見・・・なんて真似も許されてはいない。

「いいか? 依頼内容は『老朽化した洋館の妖しい現象の原因の追究・及び除去』だ。洋館……これ自体はとうの昔に取り壊されたもので。
俺達妖撃者や勘の強い奴にだけ見えるそうだ。
妖撃者は兎も角、勘の強い奴は憑依(と)り食われる可能性高し。それに新しい建物を建てても妖の影響で人に被害が出てるそうだ。お蔭で今じゃ更地だ」

門に鍵を差込み手短に氷が説明した。
錆の目立つ門はギシギシ不快音をたて左右に開く。

「アレが件(くだん)の洋館だな。……見た目からして相当古いな」

重く垂れ込めた灰色の雲が空を圧迫していた。
太陽が隠れ肌寒い。

和也は不気味な洋館の姿に少しだけ恐怖を感じる。

『初めてのサポートの仕事ですけど頑張りましょうね』
コマが励ませば和也はなんとも言えない表情で小さく笑った。
到達した洋館内部。朽ち果てているだけで特に怪しい気配はない。
氷は簡単に精神を集中させ内部に潜む妖の気配を探っていたが。
「手分けだ。気配を察知したら呪符使用!」
習うより慣れろ。主義の氷は和也を甘やかさず今日も鬼師匠振りを発揮。
崩れ落ちそうなボロボロの洋館。
一階部分の広間で、二階を和也。
一階を氷が見て回ると決定。
氷はそのまま一階奥の部屋へ歩いていった。

「……スパルタ反対」
文句は言うが逆らえはしない。
どうせ己は見習い風情。師匠の言葉は絶対だ。
和也は諦めて二階への階段を登り始める。

二階のなん部屋目か。

階段もそうだが埃臭い床。数歩歩けば舞い上がる埃。
黴臭さも手伝って和也は激しく咳き込んだ。

「〜!! ゲホゲホゲホ」
息苦しさに呼吸を荒くし、窓へ寄り全開に開ける。
す――っと部屋全体を吹き抜ける外気。
窓枠に手をかけ和也は顔を外へ突き出した。

『和也様?』
種族が違うので埃臭さは防げてしまうコマ。
ゼイゼイ喉のから回る、和也の呼吸を聞きつけ歩み寄る。
和也が少し涙目になった顔で振り替えった。
『気配がします!』
緊張したコマの声音。
和也はドキドキしながら呪符を取り出し、師に言われた通りに印を組んだ。
呪符はたちまち青い小鳥に姿を変え壁を通り抜けどこかへ消える。

 《いらっしゃい、わたしの家に》

くすくす。
鈴の転がるような愛くるしい少女の笑み。和也は目を見張る。

 《わたしの父様と母様は今は居ないけど。直ぐに帰ってくるわ。
  それまでわたしはお留守番。このお家を守るの。……アナタは何をしに来たの?》

一昔前。文明開化の頃か?
古めかしい白いレースのワンピース。
裾を少しつまんでお辞儀する少女。
和也の心の戸惑いは膨れ上がった。

「なにって……」
場違いも良い所。
こんな朽ち果ててボロボロになった洋館でお留守番?
和也は口篭りつつ小さく呟く。

 《迷子なの? それとも、父様と母様がわたしに寄越してくれた世話人?》

興味津々。少女は戸惑い顔の和也を眺めて問いを発する。
少し時代が違うようだが見た目は普通の少女。
『お嬢さん? 本当に貴女の父上と母上はいるんでしょうか?』
黙って少女を観察していたコマが落ち着いた口調で少女へ問いかけた。

 《……》

 少し怯えた顔で少女はコマを見る。
コマは耳を少し動かしてから、もう一度口を開く。
『本当は何を待っているんです?』

 《やめて。意地悪なワンちゃんは嫌いよ》

少女は頭(かぶり)を振った。

『そうやって……この洋館に迷い込んだ人の生(き)を吸ってきたんですね? 大層な演技力です』
コマは淡々とこう言った。

 《ククク……嫌なわんちゃんだねぇ?》

万華鏡のように。
若しくは走馬灯のように。

少女が過ごした洋館の景色が和也の前に再現されては消えていく。
裕福な家庭。
突如襲い掛かった病魔。
倒れた洋館の主。
次は主の妻・・・最後にこの少女。

 《ククク……この娘は願ったのさ。いや認めなかったのさ》

低い、老婆のようなしわがれた声。
充血した真っ赤な瞳をギラギラ輝かせ妖は得意げに語る。

 《鉄の乗り物に乗っても。病を治す白い建物があっても。旨い物を食っても。
 いつかは死ぬのさ。脆い生き物なんだよ、人は。
 だがどうだい? この娘は認めなかった。家族の死も己の死さえも。
 わしはただ娘の欲に呼ばれてココに居るに過ぎない。真に責めを負うのは娘ではないかえ?》

ニタァ。

不気味に微笑む少女。和也の背筋に悪寒が走った。

『和也様、耳を貸してはいけません。確かにそのお嬢さんは、最初はそう思ったのかもしれません。ですが今はあの妖に支配され束縛されています。自由にしてあげなければなりません』
毅然と言い切るコマ。
コマが正しいと分かっていても。
あの幻の……少女にとっては現実に合った家族とのひと時。
和也の判断で奪っていいものか。
躊躇う。

 《ケケケケ……。同情してくれるのかい?》

すうぅー。音もなく和也の目の前まで移動した少女が真っ白な手を和也へ伸ばした。
避ける間もなく和也は腕をつかまれる。

 冷たい。

少女の手の温度に驚いたのも束の間。
身体から自然と力が抜けて足がガクガク笑う。
全身を吹き抜ける奇妙な冷たい風に和也の身体は震えた。

 《ほう。素晴らしい生(き)だ。わしにも力が漲るようだよ……》

少女、いや妖は目をギョロつかせ、弾んだ顔で和也を見る。
和也は力を抜かれる初めての経験に脱力。
力なく座り込む。

『破っ』
コマがすかさず口から光弾を発し、和也を妖から引き離した。
「馬鹿! あれほど妖と接触はするなと教えただろうが!」
氷が怒り顔で部屋へ乱入。
手早く印を組み結界を形成し、内に和也とコマを引き入れる。
「師匠……」
のろのろと顔を上げ氷の引き締まった表情をぼんやり眺める。
「夢じゃねーぞ、このヒヨッコ。変にほだされて同情してんなよ? それとも心中願望とかあんのか」
氷に言われ己の腕を見る。

少女の手跡がクッキリ残り青紫色に変色していた。
あざのような跡だ。
和也は腕を擦り首を横に振る。

「じゃ頑張るんだな。術は使えるか?」
結界を維持しつつ氷が和也に尋ねた。
「うん」
和也はうなずいて立ち上がった。

目をぎらつかせて和也を見据える少女の瞳。
あれは妖のもの。少女本来の瞳ではない。
己がやらなければ他の妖撃者が、師匠が妖に攻撃を加えるのだろう。
だけれど。それではいけない。

妖撃者は仕事となればどのような事情であれ。
妖を消滅・封印どちらかの処置を施さなくてはならない。
これが最低限の妖撃者の資質。
非情にならなければ仕事はこなせない。
資質があってもこの条件をクリアできず、裏方に回っている人間も何人かいる。

強くなりたい。早く強くなって、それから。
己のうちに潜む『秘密』を探らなくてはいけない。
妖は卑怯にも少女の身体を乗っ取っている。

だから、救わなくてはいけないのだ。自分に言い聞かせる。

所詮妖撃者といっても人間。
弱気になる心は『大義名分』を振りかざし誤魔化すしかない。

和也は震える指先を宥め印を組んだ。

「清き衣纏いし……清涼たる水の乙女よ。我が契約に従い、我に玲瓏たる力与えん。……集え! 氷月斬(ひょうげつざん)」
和也の頭上に巨大な白い光が出現。
楕円形の光から少女へ向かい真っ直ぐに。
蒼き残像を残し刃が降り下ろされる。

 《ぎゃああああぁぁぁぁぁ》

耳を覆いたくなるような金切り声。
妖は口から悲鳴をほとばしらせ。
氷塊に胸を貫かれたまま消滅した。

天井もまばらに。そして洋館は影も形も無くなった。
雑草が方々に生える雑多な印象をうける更地。
和也と氷、コマは敷地の中央に立っていた。

 《ありがとう。
 いつか人は死ぬもの……自然の流れに逆らうことなんておこがましいのよね?
  生まれ変われるなら、また会いたい……会えるよね?》

古めかしい着物姿の黒髪美しい、真っ白な肌とパッチリ開いた目の。
可憐な美少女本来の姿に戻った彼女は穏やかな顔で和也に問いかけた。
「会えるよ! 僕、絶対に捜すから」
薄れゆく少女の残像に焦って言い返す。

 《本当? わたしを捜してくれるの? ……嬉しいなぁ。
  ……今まで誰もわたしを捜してはくれなかったのに》

「約束するから……だから……」
妖の憑依が解けた段階で人は本来の姿を取り戻す。
頭の中では『仕方ない』と理解しているが納得しているかと尋ねられれば。

 否。

和也は絶望で目の前を暗くしつつも一生懸命大気に溶け出す少女の姿を目に焼き付けた。

 《ああ……わたしは消えるけど。貴方達がわたしを『覚えて』いてくれる。
  単純なことなのに嬉しい……心が温まる……》

少女は己の身体を己の腕で抱き締め心底幸せそうに囁いた。

「僕……僕……」
言うべき言葉など。
どんなに綺麗な良い子ぶった言葉を並べても。
全部が嘘臭くてこれっぽちも本当に聞こえたりはしない。

和也はなんとか声をかけようと必死に頭で考えるが。
どれもこれも陳腐で。間違いで。
正しい、和也の気持ちを伝えたい言葉が見つからない。
焦れば焦るほど舌は縺れ意味不明な呼びかけばかりが口をつく。

 《 あ り が と う 》

笑顔を湛えたまま少女の身体は崩壊を始めた。
妖の束縛から解放され、同時に人の形を保てないまま崩れ落ちていく。

「なっ……」
言葉もない和也。
近づこうとする和也を氷が引き止めた。
「俺と。一番最初に会った時の事を覚えているか? 『妖撃者は万能じゃない。勘違いするな』と」
生暖かい風。
梅雨前に特有の少し肌寒い湿気を含んだ風が和也の身体をそっと撫でた。
前髪を伝う雫が目に入り少し痛かった。
「強ければいいってもんじゃない。出る杭は打たれるんだよ」
同じく霧雨に濡れる氷は静かに告げる。
怒っている風でもなく。
予めこの結末に落ち着くことを知っていて。
それでも和也の気持ちを優先してくれたのだ。
子供心に理解して和也は懸命に涙を堪えた。
「……はぁーあ。正義の味方も楽じゃないね」
涙を零しながら和也は笑う。
「そうだな」
氷が小さく返事を返した。

依頼。

老朽化した洋館の妖しい現象の原因の追究。
及び除去はこうして行われ。
ほろ苦い思い出として和也の心に刻み込まれた。





長い坂を上りきった場所にあった洋館。
妖の幻覚作用がなくなった現在では、新たな家が建ち和也の見知らぬ人が住み。
生活を営んでいる。
当時の洋館を知る人もいない。

和也とコマ。一握りの人だけが知る幻の洋館。

「今年も無事だったよ」
見知らぬ人の家先に手向けるわけにもいかない。
百合の花を歩道側。
歩道の端に設置されているガードレールの支柱に手向け和也は手を合わせる。
『お久しぶりです』
コマも大人しく座り頭を下げた。

照りつける日差しが益々勢いを増す五月。
微妙に多湿なのは梅雨が近いから。蒸し暑さを感じさせる一日。
たっぷり十分以上はかけて、和也は手を合わせ報告した。
すっきりした顔で立ち上がり犬を見下ろす。

「行こうか」
くぅーん。和也の呼びかけに呼応して犬が鳴く。
新たな自分。
彼女はもう過去の人だけど。いつか一人前になったら是非とも彼女を捜してみよう。

目の前に迫った一人立ちへの期待と不安。
胸に抱え和也は何事もなかった様に元来た道を戻り始めた。

そんな五月のある一コマ。



しっとり?シリアス?てゆーか和也君葛藤少ない(笑)大人の妖撃者ならそれなりに別の葛藤をします。彼は一応まだ子供なので。ひきずってるから毎年花を手向けに来るんですよ(笑)という事にしておいてください(懇願)ブラウザバックプリーズ