始まりの朝


フワフワと水に浸かっているような感触を持つ肢体。
意識の急速な浮上を感じながらナルトは瞼を開いた。

影分身が見張っていた全ての情報が視覚的に己の裡へ入ってくる。

「サクラちゃんの説得は失敗、か」
気絶したサクラが綱手の補佐をしている中忍。
コテツとイズモと接触を果たした時点で影分身は引き上げてきた。

今頃綱手は頭を押さえながら自分に対する呪詛を撒き散らしているに違いない。
どうしてサスケの里抜けを阻止しなかったのかと。

 そこまで欲した力で何処まで伸びるか見物だ。
 サスケ、俺の期待を裏切るなよ。

綱手が聞いたらその怪力で間違いなく火影執務室を壊すだろう台詞。
さらっと胸中でサスケに送りナルトは布団の中で一回だけ深呼吸をした。

 さてあともう一仕事……ああ、シノの見送りに行かなきゃいけないから。
 二つ、か。
 全てにとって『始まりの朝』皆を信じるから俺が俺としてある。
 それを宣言する日。

天鳴の家の静寂を数秒だけ。
深く味わってからナルトは勢い良く飛び起き、影分身をサスケ追跡へ一つ。
もう一つを『うずまき ナルト』の家へ送り出し自分は天鳴 ナルの姿で身支度を整え始めた。





「昨夜遅くに……といっても今朝に近いが。うちはサスケが里を抜けた。で、ほぼ間違いなく音の里へ向かっている」
演技はキッチリ抜かりなし。
綱手は火影として初めて対面した、シカマルに呼び出した理由を説明し始める。
付近に居るだろうコテツ&イズモに悟られてはいけない。
三代目火影の遺産ともいえる懐刀の一人であるシカマルを前に堂々と接する。

「抜けた!? ……どうして?」
裏の暗躍を重ねたシカマルも流石に驚いた。

話が見えない。
眉間に深々と皺を刻みつつシカマルは腹に溜まる重い嫌な気分を払拭するよう軽く頭を振ったのだった。

今朝。
シカマルは通常通りの朝を向かえ、ぼんやりしながらよくある食卓風景を堪能する。
予定であった。
朝の修行を終え欠伸交じりにしていれば。
お約束通りの母のお小言が飛んでくる。
「ハイハイ」なんておざなりに返事を返し更に怒られ。
父・シカクとまた女性について話した。

テーマはズバリ気の強い女。

ナルトもある意味気が強いというか怖い部類に入るので、参考になるようでならない話だった。

チャイムが鳴って母親が応対に出てそして呼び出されたのだ。
五代目火影様に、中忍『奈良 シカマル』として。
こうして綱手と対面しているシカマルだったが、周囲に居るイズモとコテツの存在に気付いていて綱手に調子を合わせる。

「あの大蛇丸に誘われちゃってるからだよ」
難しい顔をした綱手が事実をそのままにシカマルへ伝えた。

気絶していたサクラ。
サクラから直接話を聞いたイズモ・コテツ。
人の口に戸は立てられない。
遅かれ早かれサスケの里抜けは里中の噂になるだろう。
里抜けの原因も。
情報をある程度オープンにしておけばナルト達と里の忍達が持つ情報の温度差も多少は埋められるだろう。
綱手とて考えなしに火影の椅子を受けた訳じゃないのだ。

「ちょっと待ってくださいよ! 何であんなヤバイ奴に、サスケが誘われなきゃならないんスか!?」
(というかナルトは何を考えてんですか? アイツなら事前にサスケを)
声に出して喋っているのと実際に綱手に訴えるのは違う言葉。
使い分けてシカマルは表立っては驚愕の表情を浮かべる。

サスケが大蛇丸に目をつけられている。
これは知っていた。
中忍試験の最中に大蛇丸はサスケを奪おうと画策したのだから。
ご丁寧に呪印まで付けて。
解せないのはナルト。
ナルトが考えなしにサスケを音に差し出すものなのか? 大蛇丸は三代目を死に追いやった張本人だ。
ナルトが大蛇丸に良い感情を持っているとは到底考えられない。

「そんな理由はどうでも良い。とにかく時間が惜しい。とりあえずシカマル、だったか? これから初任務をやってもらう」
(ナルの思惑通りだからこうなったんだろう。私だって驚いてるさ)
綱手も真正面に居るシカマルだけに理解できるよう唇を動かし、音と動作を使い分けて返事を返す。

綱手だってナルトの無干渉には十二分に驚いている。

自分を火影にして仲間を治療して貰う。
半分ナルトにとってはオマケみたいな大義名分だっただろうが。
それでもナルトはちゃんと治療を頼んだ。
カカシとサスケの治療を、己に。
仲間として認める認めないは別として。

ナルトが相手を少なからず懐に入れている証でもあった。

己に治療を頼んだという事実は。

なのに今度は手のひらを返したようにサスケの心を、身柄を放置する。
一体何を考えているのか。
時間が許すなら綱手だって質したい、ナルトの本心を。

「サスケを連れ戻すだけっすか?」
(だったら! 余計こんなまどろっこしい真似をして、表の俺を呼び出さなくても)
綱手との会話はまだ続けなければならない。
あっさり納得するのも変だし、中忍になって初めての呼び出しだ。

ある程度の動揺と初々しさは必要だろう。
シカマルが続けて云えば微妙に綱手が口元を歪める。
笑いを堪えるように。

「ああ。ただしこの任務は急を要する上、厄介な事になる可能性が高い」
(……里一の頭のキレだと思っていたけど。そりゃ無理だろう。火影として認められないね。今このタイミングでお前達の能力を変態に明かすってのは)
綱手も簡単に事情を説明しておきたいのか。
シカマルの演技にあわせて諭す風に語りながら、真実にぶつける言葉は容赦ない。

裏の三人を使えば音の勧誘者だって容易く撃退できるだろう。
けれどこの時期にナルト達の実力を明かす愚行は犯せない。
里が復興しても居ないこの状態で。

背筋を伸ばして火影としての威厳を漂わせる綱手。

シカマルも綱手の反論が正当なので薄く口を開くもまた閉じる。
逡巡してから任務に必要だとシカマルが判断する忍のランクを口に出すも、あっさり綱手に却下された。

「分っているだろう? アスマにカカシ、お前の親父もそうだが。今殆どの上忍達は必要最低限の人数だけ残して、皆任務で里外へ出ている」
(懐刀であるアンタ達をそうそう簡単に曝すわけにはいかない。だからといって大蛇丸の暴挙を見過ごすのもアレだからね)
綱手は里の事情が許さない。
貴重なうちはの血統を見捨てる事になったとしても。
それでも里の復興が最優先だと。
中忍、のシカマルへ噛み砕き喋った。

最悪うちはを捨てたとしても時間は稼げるかもしれない。
大蛇丸の腕は明らかに疾患が見られたし、その原因が三代目の禁術だと知れば尚。
大蛇丸は『新しい器』を必要としている事実を読み取れる。
焦りはサスケを勧誘しに木の葉へ誰かを差し向けた、この点でも立証されている。
焦燥する相手に新たな器候補『ナルト・シノ・シカマル』を紹介しては元の木阿弥だ。
非情だと云われようが護るべきモノは里の人間(忍)であってうちはではない。

「……」
(はぁ……その為の『中忍・奈良 シカマル』ね)
グッと中忍のベストが重く感じる。
苦々しい気持ちがせり上がってくる感触に眉を顰めシカマルは下唇を噛み締めた。

暗躍すれば他里や音に存在を気取られる。
影はあくまでも影。
闇に潜み影に徹してこそ価値があるのだ。
里が危機だからこそ動かない。
自分達の立場に歯痒い気持ちを覚えつつ。
サスケの本心も知りたいので綱手に対する言及を止める。

「これより三十分以内に、お前が優秀だと思える下忍を集めるだけ集めて里を出ろ!」
(私は間違った判断をしていないつもりだ。シカマル、お前ならやるだろう? 任務完遂が全てじゃない。音の手の内を探れ。まずそれが最優先任務だ)
綱手が火影の顔でシカマルへ指示を下した。
下忍だけを追忍とする理由。
察して眉間の皺を深めたシカマルに口角を持ち上げながら。
自来也が言っていた奈良の倅、どこまでナルトに触発されて伸びたのか。
綱手としても見極めさせてもらうにはちょうど良い試金石となる。
サスケを追う任務は。

「めんどくせーけど……知ってる奴のことだけに。放っとけねーしな。ま、なるよーになるっスよ」
(? サスケの身柄はどうするんスか?)
最後にシカマルは確かめておきたい事柄を綱手に投げつけた。
「一人、私の推薦したい奴が居るんだが」
(ナルに聞きな)
その為の道筋はつけてやる。
暗に含ませて綱手は返す。

だがそれはシカマルの期待した答ではなかった。



初任務に対する緊張と逼迫した事態に対する顔。
要はガチタチに強張った風の演技をしながら退出するシカマルの背中を見送り。
イズモとコテツに少し時間のかかる用事を頼んで綱手は漸く一息ついた。

「……」
 綱手は周囲に他の忍が居ないのも確かめてから肩の力を抜く。
周囲に散乱した書類に埋もれながら背後に現れた気配に対して牽制のチャクラも放つ。
「……まったく」
両脇の書類を床へ落とさぬよう腕を左右に投げ捨てて。
綱手は愚痴交じりにぼやく。

「本当にアレでよかったのか?」
分らない。
理解できない。
付き合いの浅いナルトの全てを理解しているとは言わない。
けれど幾らなんでも唐突過ぎる。

三代目の懐刀として動いてきた優秀な忍(ナルト)だ。
里に対する不利益を齎すとも思えない。
綱手は深夜に連絡を取ってきたナルトの保護者へ確認の意味合いが強い問いを発した。

「お叱りなら後ほど幾らでも」
暗部の格好で現れたナルトの保護者・紅。
腰をおって頭(こうべ)を垂れつつ否定せず自らの非を詫びる。

綱手はきっと心底から納得はしていないだろう。
けれどナルトがサスケを放置した『理由』を聞いたなら納得せざる得ないのだ。
全ては過去の因果が手繰り寄せている一種の『喜劇』なのだから。

「仕方ないのォ。ナルの奴、本気だったから……な」
ナルトから鋭く非難された第一号。
自来也も紅の隣を陣取り渋い顔をする。

駄目な大人の代表としてナルトに嫌味とも呆れともとれる言葉の数々を受け取った身だ。
これでナルトの邪魔を使用ものなら木の葉が余計不安定になる。
分っているだけに言葉を濁す。

「やれやれ。火影になった早々こう気苦労が多くちゃ堪らないよ」
綱手が机の木の部分に頬を押し当て口をへの字に曲げた。
騙された事に蟠りはない。
けれどあの子供達は勝手に動きすぎである。
これが三代目だったらどう対処していたのだろう? 思いを馳せるも答えは返らない。
手探りで自分で見つけていくしかないのだ。

あの子供達と自分との折り合いを。

「申し訳ありません、火影様」
紅はもう一度。
感情全てを殺して綱手へ一介の部下として再び詫びる。

「最悪責任は取ると。ナルト本人が言ってるんだ。黙ってみてるしかないのォ」
自来也は綱手のこれ以上の追求を封じるべく。
黙っていろと含ませ綱手の肩を叩いた。

「早めにナルトを育てて隠居したいもんだよ」
三代目もきっと望むだろう。
それから、火影としては先輩にあたる四代目も。
表のナルトが『火影になる』とも言っているし。
当人に心算(つもり)はなくとも据える事は出来る。

綱手は考え、ギャンブル三昧で笑いが止まらない自分の老後を思い描いてみたりした。

「無理だと思うぞ」
綱手にさり気なく手を払われつつ。
自来也は独語のように小声で応じる。

「……駄目な大人は責任を取ったら早々に舞台から降りる。これが筋ってもんだろう? 私も自来也もアイツも。伝説になり過ぎたんだよ」
自分に言い聞かせるように綱手が言えば、背後の二人は黙ってしまう。

ある意味、伝説から新たな伝説が生まれるかもしれない。
そんな始まりの朝。

元伝説の一翼を担っている綱手と自来也は、新たな伝説の糸を握る子供の暴走? に頭を悩ませていたのだった。


という訳で本格スタートサスケ氏里抜け編〜!!
ブラウザバックプリーズ