家族の言葉


表札を見る。
古ぼけた字で『天鳴(あまなり)』と記されている。

「数年間も見ていなかった気がする」
呟き、いとおしむ手つきで天鳴の文字を人差し指でなぞった。

木のザラザラした感触を感じながら、なんだか気恥ずかしい気持ちになる。
一人頬を赤くして照れてから、勢い良く頭を左右に振った。

今頃綱手達はカカシやリーを治療しているだろう。
家に帰るならこのタイミングを逃してはいけない。

 リン。

結界が張ってある玄関を開くと小さな鈴の音。
この音を聞くのも久しぶりだ。
感慨深げにナルトは本当の自宅へ帰還を果たした。


「あらお帰り、ナルト」
居間でのんびりテレビを見ていた紅が気配を察してナルトを見る。

何時ものような大層な抱擁はない。
ただ遊びに行って帰って来た子供を迎えるような、そんな口調と雰囲気。
ナルトは思わず目を丸くして、耳を赤く染めて。

「ただいま」
小さな小さな声で紅に返事を返す。

素直なナルトの返事に紅は微笑を湛えるだけ。

「里が落ち着くまで暫定保護者はまだわたし。それより、疲れたでしょう。ご飯は食べてきた?」
立ち上がりナルトの頭を軽く撫でて問いかける。
以前のように深くは追求しない。

紅が決めて実行に移した見えない約束。

自分を信じて託してくれた人との約束。

何よりこれからナルトと、本当に家族として生活する上で必要な最低限のルールだ。

ナルトは耳を赤くしたまま首を横に振る。
「そうなの。てっきりイルカさんの所に行ってきたんだと思ったわ」
うずまき仕様の姿でいるナルトに首をかしげて紅は云った。

演技を続けていただろうナルトなら、きっとイルカの所へ行くと考えた。
報告を兼ねて一楽で奢って貰う。
うずまき ナルトらしい行動だと思ったのだが。

「イルカ先生?」
そこで初めて彼の人物を思い出したようで。
蒼い丸い目を更に丸くしてナルトは紅の言葉を反芻した。

「それとも綱手様の豪快さに当てられちゃった? 疲れてるでしょうけど、まずはお風呂よ。それから昼ごはんにしましょう。シノと奈良になら伝えておくから」
だから変化を解きなさい。
続けて紅が言えばナルトは大人しく変化を解く。
ナルトが背負っていたリュックを受け取り、逆に着替えとバスタオル等一式を手渡す。

「少し熱めのお風呂だから気をつけてね」
ぼんやりした顔のナルトに注意して、風呂場へ早々に押し込む。

表向きのナルトの服を洗濯機へ放り込み、紅は密かに大層満足してニンマリと笑った。

 そうね。
 ナルトにだって帰巣本能くらいあったって。
 バチは当たらないし、それに。
 血は繋がってなくても家族だものね。
 綱手様には申請しないと。

ナルトが捻ったシャワーの音を背後に、紅は思ったよりも元気そうなナルトの姿に胸を撫で下ろしていたのだった。





当のナルトといえば、紅に言われた通り大人しく風呂に浸かって疲れていた体の筋肉をほぐす。
なんだかんだいって自来也と旅した間は気が張り詰めていた。
疲れは想像以上に溜まっているらしい。

 久しぶりに風呂で寝そう。

湯船にゆっくり浸かって改めて自分が疲れていたことに自分が気づく。
無意識に本来の家にうずまき状態で戻ってきたのが何よりの証拠である。
ナルトは身体を芯から温めて着替えて居間へ戻った。

すると紅が台所で忙しく動き回っている。

「自来也様の監視も今日はないだろうから、こっちに泊まって行きなさい。布団も干してあるわ。
久しぶりにわたしも泊まっていくからv任務無しにして貰ったのよね」
台所から顔だけ出してナルトを見る紅。
口調から察するにご意見番を脅したらしい。
ナルトは曖昧に笑って紅にうなずき返した。

「そうそうvお昼作ったんだけど食べる?」
次に紅から放たれる爆弾。
何事が合っても動揺することが稀有なナルトでさえ、恐怖と驚きに身体を竦ませた。

 先生……じゃなかった、お姉様の料理!?

ナルトの脳裏に鮮明に蘇る自来也の倒れる姿。
別に紅の料理が不味いという訳ではなく。
常人の常識を遥かに超えた辛さなのだ。
紅の作る料理は。

紅曰く『大人の味よv』らしい。

 死ぬ、確実に死ねる。
 でも今晩は綱手姫のトコに挨拶にも行かなきゃ行けないし。

内心冷や汗ダラダラかいてナルトは紅の得意げな顔を見上げる。

「大丈夫。お子様の味付けにしなさいって、自来也様に言われてるから」
お子様の味付け=甘口。
紅の台詞を理解した瞬間。
出会ってから初めて、ナルトは自来也の手腕に感謝した。
ささやかに。

「少しだけ食べる」
全部、と言うには勇気がいる。
ナルトが言った台詞に紅は破顔した。

ナルトを席に座らせてテキパキ皿をテーブルに運ぶ。
つい数週間前まではナルトが紅に、皆にしていた行為。
するのとされるのでは、大きな違い。

「この煮つけ、ゲンマやアスマと一緒に行った店の味付け真似てみたの。口に合う?」
新しい小鉢に盛り付けられた竹の子と蒟蒻、人参の煮付け。
差し出す紅の口元を見てナルトは困惑していた。

 なんで?
 なんでナニも聞いてこないの?
 ……調子、狂う。

根掘り葉掘り聞いて欲しいわけじゃないけれど。
何時もの紅なら真っ先に旅先でのナルトの話を聞きたがる。

これまでなら絶対にそうだった。
ナルトが眠くても疲れていても話を聞きだしていた。
誰よりナルトを心配していたから。

「不思議?」
ぼんやり紅の顔を眺めたまま箸が止まったナルト。
頬杖をつき紅は愉快そうに指摘した。

「や、そういう訳じゃないけど」
戸惑った顔で紅の顔に焦点を合わせる。

「暫定保護者としては、そうねぇ。信頼するからナル離れを敢行しようと考えてるの。でも危ないって判断したら容赦なく介入するからね」
耳近くにかかる伸びきった前髪。
紅はナルトの髪を払って悪戯っぽく笑って見せた。

「あ……うん」
紅の言葉の意味は理解しているのに、飲み込めない意味。

頭の中から紅の放った言葉が形になって飛び出しそうだ。
実際には空気に溶けて消えただけなのに。
歯切れが悪くナルトが返事をしても紅は気分を害した様子はない。
笑みを深くしただけだった。

「家族だから、家族の会話をしたいの。忍であることと家族であることは別でしょう?
仕事の話をしたいならしても構わないわ。ただ強要したくないの」
言い切る紅の姿が少し注連縄とダブってナルトは慌てて目を擦った。
ナルトの珍しい幼い仕草に噴き出しながら紅は首を横に振る。

「家族になったから、上辺だけの家族ごっこをするんじゃない。したいんじゃない。段々、少しずつ家族になればいい。
無理してもらっても困るからね? 厭だったらきっちり言って。尤も当分は仕事で顔をあわせることも少ないでしょうけど」

 わたしも甘えていた。
 あの方の存在に。
 シノと奈良が甘やかしてもらっていたように。
 けれどこれからは違う。
 わたしはわたしの意志でナルと家族になる。
 三代目の遺言も四代目のお願いも関係なし。
 わたし自身の意思で。

 家族として接していく。
 この子達が道を選ぶようにわたしも選んだんだ。
 せいぜい虫除け位にはならないと、ね。

「はぁ……そりゃ、実力じゃナルには及ばないけど。人生経験値はわたしの方が断然上なのよ。そこら辺は信用して欲しいね。
大丈夫! 心許ないって思う部分はちゃーんとナルに補って貰うから」
穏やかな顔つきでも語る口調は真剣で。
紅の言葉にナルトは背筋を伸ばした。

 嘘はつきたくない。
 家族だから。
 仕事上の嘘は仕方ないけど、自分の考えを家族に伝えるのに嘘は要らない。
 優しい嘘でも却ってナルを傷つけるだけ。

真顔になっていくナルトの顔を真っ直ぐ見据え紅は正直に言う。


「うん」
なんだか今日の自分は照れてばかりで。
何時もの自分じゃない気がする。
はにかんで答えるナルトの姿は愛らしく。

紅としては抱き締めて『可愛いっ!』と叫びたい気持ちだったが、ここは大人、ぐっと堪える。

「ナルが抱える気持ちとして言える、言ってもいいって判断したことだけ話していけばいい。
実際にあった事は嫌でもわたしの耳に入ってくるから、それは仕方ないと思ってね? わたしも実際のナルの行動を知らないとフォロー出来ないから。
お互いの距離はお互いにしかわからないもの。そうでしょう?」

口先だけは理論的。
その実紅が考えていることは『ナルの髪も伸びたしそろそろ切りそろえないとねぇ』だったりする。

付け焼刃のお姉さん。
ナルトも人の感情には聡いので紅が再度弄り出した己の髪を視界に納め取りあえずうなずく。

 まぁ保護者としては申し分なし。
 ジジイみたいに干渉しないみたいだし。
 信用してもらってるっぽいしな。

紅なりに出した結論が今の紅の行動なら。
多少は甘えてもいいという事。

「まだぎこちないし、俺は結構人見知りするし。信用してないわけじゃないけど、でも全部は話せない」
ナルトが言えば黙って紅がうなずく。
「先生が嫌っていうんじゃない。自分の中でちゃんと考えて納得して。結論を話すから信じて待ってて欲しい」
ナルトの裡だけに秘めたナルトの『考え』自分のこれから。
里の未来。
忍び寄る影。
全て全て。
天鳴に関わる事も、うずまきに関わる事に対するナルトの気持ち少しずつ伝えるから。
直ぐには出来ないけれど。

「ええ、信じるわ」
ナルトの髪を弄ったまま答える紅の姿には、これっぽっちの説得力も感じなかったが。
なんとなくナルトはこれでいいやと思った。

自分という影を隠す為に紅の記憶を封印するのも本当なら簡単で。
してもいい事だ。
だけど紅はゆっくり待ってくれるという。
ナルトの気持ちを無理に暴かないと言った。

 新しい火影にばかり負担を貸しを作る生活はお断りである。

三代目なら兎も角、新しい火影は彼女だ。
厄介になろうものなら倍返しを要求されそうで正直怖い。
里人とは違った意味で『怖い大人』なのだ。

「さあ、どんどん食べちゃって頂戴」
気をよくした紅に食事を勧められ、ナルトも腹八分目程度に抑えて食事を続行。
今晩の謁見が終わるまでは気の抜けない忍体質。
紅も理解しているのでナルトが食べられる分だけを見極めて皿を下げていった。

「ごちそうさま……でした」
箸を置いてナルトが紅に告げる。
たいした会話もなく黙々と食べるナルトを見るだけの紅。
紅も極力ナルトの邪魔をしないよう気配を半分消していた。
「お粗末さまでした」
ニッコリ笑って紅もナルトの言葉に応じる。
「それから、美味しかった。ありがとう」
ナルトは早口で付け加え眠気に任せてそのまま居間で丸くなって眠る体勢。
紅は黙ってタオルケットをナルトの上にかけて優しく背中を叩いた。





数時間後。
天鳴家前。

「なぁ、シノ。この張り紙、どうよ?」

『昼寝中につき進入禁止:紅』

天鳴の玄関前に張り出された紙切れを眺めシカマル呆然。
呼びつけられておいて、来て見れば入ってくるなという。

「出直すしかあるまい」
苦笑気味にシノが唇の端を持ち上げる。
「はぁ!? いいのかよ? お前、やけにあっさりだな」
中忍装束のまま驚いて仰け反るシカマルに、シノは大人びた動作で肩を竦めた。
「嫌でも今晩五代目への挨拶時に会うだろう。俺は一旦帰らせて貰う」
好きにしろ。
言外にニュアンスを含ませシカマルに言い放ち、シノは踵を返す。
常のシノならば庭先で待っていたりするだろうにこの変わり様。

 ……シノも、シノなりに結論だしたんだろうな。

約一年と少し。
見てきたから共に歩んできたから分るライバルの精神的成長。

「俺も着替えてくるかな」
まだ馴染まない己のベストを指先で摘んでシカマルは肩を落とす。
「この家の心配なんざ、阿呆らしい」
紅の几帳面な文字を一瞥して。
シカマルも無意識に苦笑を浮かべて天鳴家前を後にした。

シカマルが去った後、風もないのに紅の書いた紙が揺れる。
顔馴染みの帰還と、彼女を取り巻く人々の集合を密かに喜ぶように。


うーん紅さんメイン話ですね。ほのぼの感が出ていたら嬉しいです。
ブラウザバックプリーズ