天水(なみだ)


しとしとしと。
木の葉の里に雨が降る。
 特別な雨だ。

なんと言っても三代目火影の葬儀の日。
忍は誰もが黒い衣装に身を包み、火影岩の前のテラスに集結する。
雨に打たれつつ子供は改めて思った。

 特別な雨だ、と。

遺影の三代目火影の顔は穏やかで。
今際(いまわ)の際(きわ)の顔同様、飄々とした今にも喋り出しそうな顔だ。
子供の隣で泣きじゃくる唯一の肉親である幼子は。
溢れる涙を拭き取りもせず身体をしゃくりあげている。
「……うっ…うっ……」
幼子の嗚咽が漏れる。
幼子の俯く顔を横目に子供は目を細めた。

 結局のところ。

自嘲気味に子供は考える。

 力をもってしても己は何も出来なかった。
 血継限界の力を持ってしても。
 恐らく己は何も成しえなかっただろう。
 あの古狸のように全てを賭して里を守りきるなど……傲慢も甚だしい。

改めて思い知らされた。

 優秀な血筋であろうと。一人で達成できる事等たかだか知れている。
 一人。一人じゃない。

せめぎ合う矛盾に首を振り子供は真正面を見た。

『木の葉丸君、早く元気になるといいね』
ポフポフ。
怪しげな術を使いナルトの横に立つスケスケ青年。金髪・碧眼。
一見好青年風。
青年はナルトの頭を優しく撫でた。
(ああ。早く元気になるといいな)
身内を。たった一人の肉親を失った悲しみは幼い子供の身に余る。
容易く想像できてナルトは真摯に答えた。
『凄い涙雨だねぇ。ナルちゃん』
しんみり青年が空を見上げる。

身体全身にあたる雨。
打たれ黙って遺影に手を合わせる忍達。
滑り込むように気配を見せる七班の担任。
苦笑するスケスケ青年とナルトは黙認することにした。
雨に打たれながらの葬儀。
里人からも慕われ忍らしい最後を遂げた三代目らしい涙雨の葬儀であった。





真夜中に目が覚める。

少女は目を見開きすっかり覚醒した頭で、右横を見た。
薄明りの中眠る少年の姿。
少年の胸が規則正しく上下する。
確認して少女は左横を見た。
左隣には……布団に包まって寝言を吐くスケスケ青年。
幽体であるにも関らず最近は布団で眠るようになった少女のストーカー背後霊だ。

寝返りを打つ。
落ち着かない。
丸くなって胎児のようにうずくまってみるが、いつもの眠りの波は訪れない。
彼女の本能が彼女を覚醒させたのではなく。
不思議に気持ちがざわめいて落ち着かないのだ。
二度。
三度。

昔はこんな風に突然眠れなくなって一人で夜を明かしたものだ。
今はこうして隣に居てくれる人がいる。
時は移ろい環境は変わる。
不思議なものだ、一人心地に少女は思う。

暫く布団の中でゴロゴロしていた少女だったが、思い立ち。
両隣の夢の国の住人を起こさぬよう布団から抜け出した。

夜風を切って。誰にも気がつかれずに一人。
夜の里を闊歩するのは随分久しぶりだ。

家の人間+人外を起こせばともに歩いてくれただろう。

だけれど、今晩だけは一人で歩きたかった。
原因は分からないのだけれど。
真夜中の木の葉の里。
三代目逝去直後とあって暗部や小隊(フォーマンセル)を組んだ警護忍達が里を行き交っている。
彼等の監視の目をかいくぐり夜の里を歩く。
気まぐれに屋根に乗ってみたり、塀を歩いたり、地面を普通に歩いたり。
果ては電線の上で立ち止まって空を眺めて見たり。
目に入るもので『これは』と感じたもの上に手当たり次第乗っかって見る。

 子供みたい。……でも子供かな。実際まだ十三だし。

胸に芽生えた子供じみた衝動に自分で苦笑して少女は結論を下した。

「なーにやってんだよ」
聞き覚えのある声。
全く気づけなかった気配。
驚き、少女は弾かれたように振り返った。
寝巻き姿の少女に呆れているのか。
両腰に手を当てた格好で少年は少女を見ていた。
「散歩」
人間正直が一番なので素直に目的を告白する。
少年は瞠目したが左右に軽く頭を振ってハァと息を吐き出す。
それから上着を脱ぎ少女の肩にかけた。
「ナルト一人か?」
思わず周囲の気配を探り少年は尋ねていた。

いつもならば。彼女の周りでピンクの怪しいチャクラを放っている幽霊だとか。
彼女に近寄ろうものなら容赦なく襲い掛かる蟲オプションつきの無口なライバルだとか。
どちらか一方が。
……若しくはつい最近記憶を取り戻した豪快姐御かが。
彼女に付き纏っているはずで。
一人で散歩だなんて珍しい。

「? ……一人だけど? どうして?」
少女は……ナルトのもう一つの姿であり本来の姿である少女=ナルトは小首を僅かに傾ける。
眉を潜め少年の真剣な面持ちを眺めた。
「いや、別に」
薮蛇にだ。
『ナルトを心底大切にしてマス』連中がナルトの周囲に存在する等とは。
親切心で教えてやるまでもない。
スケスケ悪質ストーカー幽霊に代表されるように、性質の悪いライバルは早くに潰すに限る。

 記憶を封じられてるから覚えてねーだろうけど。
 サスケの奴だって完全に惚れたっぽかったしな。
 あそこにキバや日向の分家やら色々居てみろ。
 それこそ無限増殖するみてーに増えるだけじゃないか。
 ナルトを狙う奴等ってのは。

 ああ、めんどくせーな。

ナルトの評価が上がるのは嬉しいが弊害もある。
ここまで一気に考え、少年・シカマルは難しい顔をして唸った。

「変なシカマル!」
そこで初めてナルトは声を立てて普通に笑う。
クスクス年相応の少女のように。
「フン。寝間着でフラフラ出歩くお前ほどじゃねーよ」
軽くナルトの頭を小突けば更に可愛らしく笑うナルト。

 ラッキーかもな。

見張りの蝶も今宵は居ない。
シカマルは心の中で一人幸せに浸る。

「少し歩かねーか? どーせ、眠れなかったんだろ?」
そっと。
自然な仕草でシカマルは右手を差し出した。
ナルトは少し考え込むように下唇を噛む。
一人で散歩したい気持ちもあるが、シカマルと散歩したら眠気がくるかもしれない。
という気持ちもある。

 少し一緒に歩いて途中で別れればいっか。

深く考えずにナルトはシカマルの手を取った。
シカマルは小さく笑い、ナルトの右手を握り歩き出す。

「派手に壊れたもんだ」
瓦礫の一部が道路を半分塞いでいる。
ゆっくりと脇を通り過ぎシカマルはごく普通にナルトへ言葉をかけた。
自身の生まれた故郷が崩されたのに感慨がない。
まるでどうでも良い様な言い草である。
「結構簡単に言うけど? シカマルの思い出とかお気に入りの場所とか、そういうの、あるんでしょう?」
ナルトは不思議そうにシカマルの横顔を見た。
「ああ。あったな。今回の襲撃事件でだいぶ壊れちまったけど」
シカマルは過去形で語る。
あっさりとしたシカマルの口ぶりは無理をしているのではなく本心からの言葉。
面倒臭がりな少年であるが『仲間』に嘘をつく面倒臭さは持ち合わせていない。
ナルトはふぅんと。気のない素振りで相槌を打った。

 悲しくないの? 寂しくないの?

尋ねればシカマルはきっと答えてくれただろう。
いや、確実に答えてくれる。
教えてくれる、シカマルが何を考えているのか。
でも今は聞きたくなかった。なんとなく。

「折角だし、一寸寄ってこうぜ」
倒れた電柱をまたぎ、シカマルは夜道をある方角へ向けて歩き出す。
「どこへ?」
「梅」
質問したナルトへ答えだけ返して寄越し、シカマルはある方角へ歩を進めた。
梅と聞いて押し黙るナルトの手を握り締め、シカマルは目的の梅の木を目指す。
火影岩の近くにポツンと生えている梅には白い花がまばらに花開いていた。

「祭りで掬った金魚を飼っててよ。ある日寿命だったのか、俺の世話が悪かったのか死んでいた。めんどくせーけど墓は必要だろ?
丁度アカデミーへ通い出した頃で、課外授業でココへ来た時にココにしようって、な。短絡的に決めた」
「桜じゃなくて?」
シカマルの顔色を窺うようにナルトが言う。
唇の端を持ち上げシカマルは笑った。
「ハハ。時期的に桜じゃなくてな。梅しか花が咲いてなかったんだよ」
ものぐさだったがせめて墓は人通りの多い賑やかな場所にしよう。
寂しくないように。と。
足りない頭と動かすのも億劫な身体を使ってココへ埋葬したのだ。
小さな命の残骸を。

シカマルが無言で近くの岩に座り、隣の部分を手で叩く。
ナルトはシカマルに引っ張ってもらい岩の上に上がった。

照明も壊れて灯り一つない火影岩。
気配を消して大人しくしていれば警備の忍は気づかない。
ナルトとシカマルはそうやって暫くの間小さな梅の花を眺めていた。

薄闇に白くぼんやり浮かぶ梅の花。

眺めたままでナルトは口を開いた。

「……梅酒、好きだったんだよね」
誰が。とは言わずに。
胸の中の大切な思い出を取り出すように。ナルトは小さく言った。
「ジジイの庭にも梅の木があるんだ。時期になると梅の花を見て……それから去年の梅の実で漬けた梅酒を飲むんだ。
シノってさ? ああ見えてお酒弱いの。俺とジジイは結構いける口で普通に飲んで。シノは倒れて次の日二日酔い……いつもシノを介抱して薬を作るのはジジイの役。
普通に花見は出来なかったけど、あれはあれで楽しかった」

ハラハラ。

落ちる涙と散る花びら。

ナルトは頬を伝う涙に気づかずにポツポツ語り始めた。
シカマルはナルトの肩をそっと抱き寄せた。

天から降る恵みの雨のように。
美しい彼女の涙はさながら天水(あまみず)であり純粋な水分である。

シカマルは思う。

「花見が終わって梅も散って。そしたら梅の実。お裾分けで貰ったのは梅干にして、ジジイに少しあげるんだ。梅酒用のは準備してシノとジジイと三人で一瓶分だけ作るの。
多く作っても飲むのは三人だけだから。来年の分だけ作って……来年も笑って梅を眺めて梅酒を飲んで……それで……」
一人心地に言ってナルトは不意に言葉に詰まった。


瞼に浮かぶ鮮やかな在りし日の火影屋敷。
仏頂面で結構負けず嫌いのシノが限界量を超えて梅酒のグラスを口に運ぶ。
そんなシノの姿に喉奥で笑うナルト。
飲酒は本来禁止だがこの日ばかりは無礼講。
黙認しつつ己のグラスを空ける三代目。

見守るように咲く梅は。
枝を高く伸ばしたわわに花を咲かせて、派手さはないが芯の強い美しさを見せ付ける。
どこから飛来したのか鶯一羽。
春へ向けて『ホーホケキョ』。拙い鳴き声を響かせ花見の席を盛り上げる。


「なーんだ」
独り言のようにナルトは言った。
「なーんだ、そっか」
もう一度。
確かめるように、自身に言い聞かせるように。
身体から力を抜いてナルトはシカマルの胸に頭を凭れ掛けさせた。
「置いて逝かれるのって結構痛いんだね」
左胸をそっと押さえナルトは涙する。
「痛いや」
奮える声音で囁き、ナルトは唇の両端を持ち上げて笑う。
透明な涙を零し泣きながら、左胸を服の上から強く握り締めた。
「俺は火影になんてなれない。あんな風に全てを守ることも出来ない。ずっと嘘の俺で居て『火影になる』って。皆を騙してたけど。だけど……寂しいって思っても」
「良いに決まってんだろ。相変わらず頭悪いな、ナルト」
シカマルは腕の中にナルトを抱きしめてギュウギュウ力を込めた。
悲鳴のような嗚咽が上がりナルトが本格的に泣き出す。
「バーカ。悲しい時はきちんと泣いとけ。ジジイへの手向け、になるだろ?」
小刻みに揺れる身体をそのままに、シカマルの腕の中のナルトはコクリとうなずく。
「その代わり、俺と一緒だったっておっさんには言うなよ?」

 あのおっさん(スケスケ青年)に知れたら、俺だってただじゃ済まねーしな。
 自慢したいのは山々だけどおっさんの呪いは一害あって百利無しだからよ。
 ナルトの選んだ道を見届けると決めた以上、変なトコでおめおめ死んでられっか。

ナルトは不思議そうに真っ赤に充血した蒼い瞳をシカマルへ向ける。

「この通り。二人だけの秘密ってほうが俺的には楽しいんだよ」
「……シカマルがそう言うなら?」
嬉しそうにナルトの濡れた頬に頬をつけるシカマル。
スキンシップを楽しむ少年の恋心を知らないナルトは、この行動が少年の気遣いで思いやり(半分当たってはいるが)だと。
理解して首に腕を回ししっかり抱きついて心行くまで泣きました。


 その反動で腫れあがった瞼を冷やすのに大層苦労したのは、まったくの蛇足である。

お爺様〜!!!何で死んだのさ〜。という気持ちで書き書き。三代目。しっとりした話を目指し何時もの如く挫折(笑)ブラウザバックプリーズ