夜に浮かぶ涙


真夜中。

満月に少し欠ける月に薄雲。

闇夜でも目立つ金髪の髪の子供が、トボトボ夜道を歩く。
トレードマークのゴーグルはひび割れ。
金色の髪も汚れていて、服も……目立つオレンジ色の服はあちこち綻んでいた。
こめかみの傷から流れる一筋の血と、大きく腫れ上がる左目の瞼。
両腕と両足の数え切れない細かい切り傷。
子供は長い睫毛に瞳を隠し、ただ歩く。

 家に帰りたくない。

虚ろな瞳で空を見上げる。

柔らかな月の光は雲に阻まれ、少し濁った色合いで夜の里を照らす。
子供は自嘲的な笑みを唇で形作り、道の近くにあった電柱のてっぺんに登った。
闇に溶け込み気配を消し。
空気と化して空を見る。

 後一時間も待てば傷は癒えるはず。
 傷が癒えてから家へ帰ろう。

フワリ。

気配がして首を傾げれば濃紺色の蝶。
当然のように子供の頭にとまった。
「……ダイジョウブ」
感情を飲み込んで。
子供は小さく呟いた。

「ダイジョウブってな……」
呆れた口調が返されて、そちらを見れば見知った顔。
ニヘラと哂う子供に、少年は腰に手を当てて長々息を吐き出した。
「ナルト」
少年が声をかける。
「ダイジョウブ、シカマル」
子供は……ナルトは壊れた機械のように再度同じ言葉を繰り返した。
「分かった、分かった」
少年、シカマルは手をヒラヒラ左右に振りナルトの手を取る。
ポンポンと背中を数回たたきそれから飛んだ。
「ダイジョウブ」
「わーったから、黙れ」
ナルトを背中におぶって宙を舞う。

シカマルは忍術アカデミー近くの『うずまき家』へナルトを送り届けた。
慣れた手つきで玄関を開け(元々鍵はかかっていない)、豆電球だけの明かりを灯しナルトをそっと床に下ろす。
ボケーっとした表情のまま動かないナルトを一瞥し、台所でタオルを濡らして戻ってきた。

「ほら、傷口くらい拭いておけよ」
言いながらナルトにタオルを持たせ、シカマルは次に冷蔵庫から牛乳を取り出す。
食器棚からマグカップを出し注いでレンジにかける。
仕上げに角砂糖を二個落とせば出来上がり。
湯気を立てるマグカップを手に、動かないナルトの元へ戻った。

薄汚れた金色の髪。

生気を失った艶のない肌。

生ける屍のようなチャクラ。

浅い呼吸だけを繰り返す、薄く開いた唇。


不本意だが。

シカマルとしては本当に不本意ではあるが、シノから聞いたナルトの発作。

逃げられるはずの虐待を、素直に受けてしまう日が数ヶ月に何度かあるそうだ。
歳を重ねるごとに減ってはいるものの、油断をするとナルトは酷い怪我を負っている。
幻術で誤魔化せばいいのに彼女は贖う様に大人達の暴力を受け入れる。

贖罪を求めるように。

案の定、ナルトはタオルを手にした姿のまま固まっていて動いた形跡はない。
シカマルはタオルを取り上げ、代わりにマグカップを持たせた。

「イタイ」
シカマルが見える範囲の傷口を拭けば、ナルトが抗議の言葉を口にする。
形だけだが、シカマルの行動に反応を示している証拠。
「へぇ、へぇ。俺もシノも怒ってないし。へーきだから、感情殺すのだけはヤメロ」
シカマルの言葉に呼応し、蝶もナルトの手元に舞い降りる。
「うん」
小さくうなずき、ナルトは手にしたマグカップを口許に運ぶ。
疲労が……精神的疲労がピークに達する時は甘いものが効果的。
牛乳には精神を落ち着かせる効能もある。
甘い牛乳がナルトの胃袋を暖めた。

「人は皆矛盾だらけだ」
ほんのちょっぴり。シカマルは何かを悟ったようにナルトに言う。

「対象物を憎めば安定する。所詮、自分一番主義なんだよ」
シカマルはシニカルに笑った。

自分可愛さにナルトを疎む里の大人。
拭えない慟哭を紛らわす為の生贄。

ナルトは両手でマグカップを包み込み、小さな笑みを零す。

「めんどくせー人生論なんて、どうでもいいじゃねぇか。俺達は今生きている。過去の亡霊の為に生きてるんじゃねーよ」
軽くナルトにデコピンをかませば、ナルトはクスクス笑う。
笑い声は漏れるものの、見事な無表情。
なにを根拠に笑っているか心中を推し量れない。
「里へ義理だてなんかすんじゃねーぞ」
お節介ついでに続けて言葉を紡げば、ナルトは眠たそうに目を擦り出す。

「……殺気出すくらいならお前も早く来いよ」
月光を浴び、突き刺さる殺気を放つ長身の少年にシカマルは嘆息。
船を漕ぎ出したナルトから空のマグカップを奪い、シンクの中へ落としておく。

「じゃーな」
半一人暮らしの少年と違い、シカマルは実家で暮らしている。
家族が寝静まった後抜け出てきたので、早く帰宅しなくてはいけない。

 クソッ。こーゆーのも不利だぜ。
 今日は付き合いの長いお前に譲ってやるよ。

シカマルが目線で伝えれば少年は無言で頭を下げた。
おおよそ普段の彼らしくない愁傷な態度。
長身の少年にナルトを預け、シカマルは帰宅した。


「今日は……ね。四人がかりだった」
シカマルの気配が完全に遠のいてから、ナルトは長身の少年に囁いた。
本当に眠いのか、少々舌っ足らずな口調で。

「ああ」
長身の少年は丸眼鏡の奥の瞳を曇らせる。
「里の厄介者だって」
焦点の合わないナルトの瞳はガラス玉。
本来宿る生気が感じられない分、酷く無機質な印象を受ける。

「ああ」
少年は相槌を打ち、ナルトの髪をすく。
「俺なんかイラナイって」
少年の長い指がナルトの金色を緩やかに乱す。
ナルトは乾いた唇を小さな舌で舐めた。

「ああ」
ナルトの耳元で囁いて唇を寄せる。

雲に囲まれたお月様。
美しい金色の姿もどこかぼやけて、目の前の愛しい子と重なるのは何故だろう。

「でも。俺は泣けない、泣けないんだ。シノ」
ナルトが少年の冷たくなった指先に、自分の指を絡めた。
互いの鼓動がリズムとなって相手に伝わる。

生きている証。

「現実を拒否した輩の為に流す涙は必要ない」
眼鏡を外し、シノはナルトの目の縁に口付けを一つ。

「俺の為に涙しろ」
腫れもだいぶ引いてきた左瞼にも一つ。

「……なにそれ?」
悪態をつく小さな唇を塞ぐ。ただ唇を合わせるだけ。
兄弟のように自分を慕う少女を落ち着かせる為の、儀式。

「シノ……眠い」
唇が離れればつれない返事が返ってきた。
「風呂は?」
「……頑張る」

泥まみれ血塗れ汗まみれ。
小汚い身体を思い出し、ナルトは大きな口をあけて欠伸を漏らす。
ナルトの目尻にじわじわ溜まる生理的な涙。

シノは指先でナルトの涙を拭い、頭を軽く叩く。

 がんばっておいで。

ナルトの気持ちを落ち着かせバスタオルを渡す。
シャワーの給等電源を入れ使えるようにした。


ナルトは時々、発作を起こす。
ナルトの強い精神が弱い里人の心を受け入れ、見透かしてしまう。

だから彼女は無抵抗のまま暴力を受ける。
彼等の憎しみが『分かる』から。

ナルトはフラフラした足取りでバスルームへ向かう。
小さな後姿を見守り、シノは無意識に手をきつく握り締めていた。

持て余す自虐的感情を、里の大人に痛めつけられることで癒す。
許されない我が身を。
里の罪を。

ナルトの葛藤を知っているからこそシノは見守る。
仕返しするのは容易いが、ナルトが望まぬため、シノが動くつもりはない。
わざわざ相手の醜い感情を指摘するまでもない。

シャワーの音と、ナルトが動く気配。
ブラインドの隙間から見える夜空。


月は相変わらず薄雲の膜に包まれ。
ぼんやり滲んだ黄色い光が。
まるで。

 夜に浮かぶ涙のようだ。

シノは柄にもなく考えた。

シノの考えに同意してか、本棚の端にとまった濃紺色の蝶は一度だけ羽を動かす。
満月に近い夜の一コマ。


少しはクラシカル(えっ?)にまとまったでしょうか(汗)ブラウザバックプリーズ。