お帰りなさいを言う前に


ナルトは気取られぬように極力気配を消してボロアパートへ戻る。

厳重に結界が張り巡らされたナルトの自宅。
本来のナルトの家に入れるのは限られた人物だけ。

綱手姫を五代目火影に据えることに成功したナルト、疲れた身体を引き摺って帰宅。

「……はぁ」
らしくもなく、ため息をつきドアを開ける。
「お帰り〜、ナルト」
本来のナルトの部屋。
簡素すぎる素っ気無い部屋でタオルを畳んでいたイノは笑顔でナルトを迎えた。
胃が一気に重くなる。
らしくもなく落ち込んでいてナルトは片手を上げてイノへ応じた。

「任務お疲れ様でした」
座りなおして正座したイノが三つ指ついてナルトに口を開く。
「ん」
ナルトは気まずさを払拭するように短く返事を返した。

最初は待ち構えるイノが嫌で仕方なかった。
三つ指つかれて逃げ出したこともあった。

 いつから……だったけ、俺がイノの存在を疎ましく思わなくなったのって。

自分の存在意義は九尾の器で、それ以上でもそれ以下でもなく。
里の憎しみを一身に背負って生きていくのだと漠然と悟っていた幼少期。
屈折した精神のまま素質だけはあったので、忍として修行を積み。
実際問題の生活もあったので忍として、裏方に影に徹すると決めた。
別に誰に認めてもらわなくても、知られなくてもよかった。

 一人で生きて一人で死ぬ。
 俺の人生はそれだけだと思ってたな。

イタチがナルトの気を引こうと奮闘していたが、あまり効果もなく。
イノもイタチと似た様な勢いでナルトに懐いていたが。
当初は鬱陶しくて仕方がなかったのである。

「ナルトが無事でよかった。怪我はない? 疲れてない?」
ナルトに怪我がないのを確かめてイノは無邪気に微笑む。

出来る女を自負するイノはナルトの請け負った任務について、余程のことがなければとやかく言わない。
追求もせずナルトの労を労うだけ。

 コレも最初は苦手だった。
 九尾を宿した俺の身体は怪我知らず。
 だから心配するなって言ったら張り倒されたっけ、俺。

『身体の怪我は癒えても、その時受けた傷の痛みまでは簡単に忘れられないでしょう? ナルトを心配しているの、分る?』

涙目になって怒ったイノの顔は、未だに忘れられない鮮やかな風景となってナルトの脳に焼き付いている。
怒りながら必要のない手当てをナルトに施したイノ。
なんとなくそれも昔は一寸鬱陶しいと感じた事がある。

ナルトは「ん」と短く相槌を返しぼんやり天井を見上げた。
一体何時から、自分はイノの行動を素直に受け止められるようになったのだろうと考えながら。

「………」
常と違う相槌。
上の空のナルトを横目にイノは小さくため息を吐き出し、深く咎めず黙ってタオルたたみを再開する。
そのまま穏やかに時が過ぎるかと思われた。


「ナルト? 考え込むのも構わないし、ぼんやりしてくれても気にならないわ。でもね?
遠い場所へ任務に行ったなら言ってくれるって約束したでしょ?」
たっぷり三十分。
呆け続けるらしくないナルトに猶予を与えたイノは遠まわしに用件を切り出す。
普段の察しの良いナルトなら直ぐに理解できる筈だ。

「は?」
自分の考えに耽っていたナルトは咄嗟に反応できず間抜けた返事を返す。

「遠い場所へ任務に行って帰ってきたら、言ってくれるって約束でしょう?
その代りわたしはナルトの部屋でちゃーんと待ってるからって。指きりげんまんしたじゃない」
口先を尖らせたイノが珍しくキレる事無く忍耐強く。
幼子に諭すようもう一度先程と同じ内容を繰り返した。

ナルトは蒼い瞳を丸く見開き何度も瞬きを繰り返す。
これまた珍しい頭の冴えないナルトと静かに怒るイノ。
互いに見詰め合う事六分間、ナルトが突如表情を崩してその場に胡坐をかいて座り込んだ。

「そっか……そーだったっけ……」
クツクツ喉奥で笑い出すナルトと、ナルトの奇行に肝を抜かれ今度はイノが目を丸くする。

五代目火影の説得の顛末は聞いているけれどそんなに苦痛だったのか?
それとも精神的疲労が溜まりすぎて螺子が少々撓んだのか?

考えれば考えるほどイノは訳がわからなくなって一人妙に納得するナルトを眺める。

そのナルトといえば奥歯に挟まっていた異物が抜けた感覚に胸を撫で下ろし一人哂う。

 そうだった、これが俺にとっての原点だったんだ。

ナルトは疎まれる表の自分を斬り捨てる様に、幼い頃から暗部の仕事を引き受けた。
傷つけられた憂さを晴らすように危険な任務ばかりを引き受けた。
どれだけ怪我をしようが迷惑にならない。
当時の三代目は良い顔をしなかったがナルトは漸く自由に動ける場を得た。
そんな時、幼いイノが火影屋敷にあったナルトの部屋に押しかけてきて。

そして言う。

『ただいま、は?』

イノが開口一番放った台詞は当時のナルトには理解不能。
無視したナルトにイノは懲りずに両腕を広げ退路を絶って仁王立ち。
ナルトを睨みイノは眉間に皺を寄せる。

『確かにわたしが言えた義理じゃないけど、誰かがナルトの帰りを待っててくれてたらその人に"ただいま"位は言いなさいよ。
愛想は大事なんだから。わたしは"お帰りなさい"って言うから』

イノの主張は滅茶苦茶で無茶苦茶である。

土台ナルトの裏の遊びを知っていて、ナルトが優秀だと知っている里人は少ない。
ナルトの帰りを誰かが待っている等ありえないのだ。

闇討ちしようとナルトを待ち構える輩なら居るかもしれないが。

しかも愛想なんてモノは今のナルトには微塵も必要ない所作である。
ナルトは軽い眩暈を感じながら反論しかけ、でもイノを態良く追払うために深く考えず言った。
『ただいま』と。

その瞬間、イノは無邪気な満面の笑みを浮かべそのままナルトに抱きつき応じる。
『お帰りなさい』と。

人との接触に不慣れなナルトは激しく動揺する自身の心を持て余しつつも、イノの顔をそっと盗み見る。

『お帰りなさい、ナルト』
もう一度付け加えたイノの笑顔に打算だとか裏だとかはなく。
ただただ自分の帰りを当たり前の言葉で迎えてくれる好意だけがそこにあった。

『ただいま』と『お帰りなさい』

誰も与えてくれなかった『当たり前』の言葉達。

いつもイノがナルトに与えてくれる。
だからナルトはイノに惹かれた……ナルトを九尾として見ず、天才的な才能を持つ忍としても見ず。
ただのナルトとして接してきたイノだからナルトは人になった。
生きる人型の子供から人になれた。

すっかり忘れていた一連を思い出しナルトは大きく息を吐き出し、身体に溜まった奇妙な緊張を抜き飛び切りの笑顔を浮かべる。

「ただいま、イノ」
「……お帰りなさい、ナルト」
抱擁よりも愛の言葉よりもキスよりも大事な大事な二人の儀式。
済ませたイノは心底幸せそうに微笑むのだった。



 当サイトのイノちゃんは比較的家庭的なのかもしれません(笑)
 ナルトと身内限定で。ブラウザバックプリーズ