優秀な耳


母親から望まぬ子として。
里からは実験体として生みだされた風影の息子・我愛羅。

中忍試験を受けにやって来た砂の三姉弟を眺めイノは形の良い爪先でナルトの眉間の皺をグイっと押し当てた。

無言で痛みに堪えるナルトは無表情を装いながらも、己の思考回路が読まれた事実に内心冷や汗を流している事だろう。
静かに焦っているナルトを無視してイノは潤いを与えるリップを塗った唇を歪める。

 あれが自分だったらとか考えて……生死に対して無頓着になるつもりね。
 早々簡単にわたしがナルトの思考を読み間違うわけないでしょう。

 我愛羅とナルト。

 とても似ていてとても遠い位置に立っている二人の忍。
 ナルトが無自覚なだけに一寸ムカッときちゃう。

 ナルトには……。ナルトにはわたしが居るでしょう?

物珍しげに木の葉の里の大通りを歩く三姉弟達。
三人の間を漂う緊張感の発生源は我愛羅だ。

イノとナルトはデートの合間。それぞれ実年齢を引き上げた変化後の姿で大通りを歩いていて彼等とすれ違う。
そこで眉を顰めたナルトの眉間にイノが可愛らしい攻撃を加えたのだ。
手入れを怠らないイノの爪で。

「もぅ」
これみよがしに頬を膨らませて剥れて。
呆れた顔でナルトの横顔を睨み息を吐き出す。
「……」

イノが腹を立てているのは分る。
だからこそナルトはどうしたら良いのか分らなくなってしまう。

自分が少しでも落ち込むとこの愛しい存在は目敏くそれを察して怒るのだ。
ナルト自身を粗末にするなと。

嬉しい反面なんだか体の奥底全体が甘痒くて仕方がなくて。
ついつい普段通りの無関心を装ってしまう。

他のニンゲンになら感じない甘さを与えてくれるのはイノだけ。
他のニンゲンからは貰っても嬉しくない笑顔を特別な眩しさに変えてくれたのはイノだけ。

その彼女の不興を買うのはナルトの本意ではない。

「分ってるから今更だけど。ずるいよ」
ナルトと腕を組んでショウウィンドウに飾られた小物を眺めてイノが囁く。

ショウウィンドウの向こう。
硝子細工の小型犬の透明な瞳がイノの苛立ちを窘める様に見据えていた。

「これだけわたしの事を大事にしてくれてるのに。今更死に急がれても困る。わたしの気持ちを見捨てて何処か遠くに行くなんて卑怯。そうでしょう?」
剥きになって言い募るイノの表情。
イノには言えないがナルトはこの表情を気に入っている。
つい緩んでしまいそうになる表情を引き締めナルトはイノの文句を受け止めた。

「一つの可能性かと考えると気分が悪い、多少な」
砂の三姉弟達が後方へ去っていく気配を追いながら。
ナルトは小声で決まり悪そうに漸くイノへ返事を返す。

「別にナルトを追い詰めたいわけじゃないもん」
ナルトの答えに更に怒るかと思われたイノはあっさり引いた。

「加えるならナルトの考えは否定はしないわ。長男のカンクロウだっけ? 我愛羅に対して抱いているのは恐怖だけ。あの力が自分に牙を剥かないか怯えてるだけ……」
断言口調で語るイノの顔には自身が満ち溢れる。
手に取るようにあの姉弟達の気持ちが分ると言いたげでもあった。

「イノ?」
何度か瞬きをしてから精悍な顔つきを崩し。
イノにしか拝ませない幼い表情でナルトは思わず自分と腕を組む恋人の名を呼ぶ。

ナルトが唯一認める少女は優しく芯がしっかりしているだけではない。
将来を渇望される優秀なくの一でもある。

砂の姉弟達のパワーバランスとその優位性を見抜いても不思議ではない。
しかし緻密な心情までを読み取るほど心理面の把握に長けているわけでもない。

そのイノが誇らしげに彼等の関係を読み解いている姿は珍しかった。
ナルトと自分の将来を護る為に慎重さを何より重視する彼女にしては珍しい言動である。

「お姉さんはまだましかもしれないわね。一応は我愛羅を弟として考えていて、その身を案じている風だし」
硝子細工の犬に微笑み返しイノはショウウィンドウから顔を外す。
「?」
ナルトは益々訳が分らず困惑するばかりだ。
「声が聞えるの」
常ならば自分が困惑しナルトが飄々としているのに今日に限って立場は逆。
可笑しくなってクスクス笑いイノは自分の右耳を抓んで引っ張った。
「声?」
ナルトがイノの言葉を復唱する。
「声に出せない秘密の声が聞えるの。一番良く聞えるのはナルトなんだけど。我愛羅もナルトとちょっぴり境遇が似てるから聞えてくるの」
心持ち胸を張って。
イノが極上の笑みを湛えてナルトに告げた。

本当は明確な声としてイノの耳へと届いているのではない。
ナルトの行動や顔や体が。
ナルトが無意識に意識の底へ沈める苦しさをイノへ伝えてきたのだ。
幼かったあの日火影邸で偶然出会ったあの日から。
ずっと。

「寂しいって、独りぼっちにしないでくれって」
笑みを崩さずイノが言う。

「……っ」
心臓を鷲掴みにされる苦しさ。
息苦しさを感じてナルトは天下の往来で人目を憚る事無くイノを抱き締めた。
陸にあげられ酸素を得る事が出来ず喘ぎ救いを求める魚のように。
酸素を求めてイノへ抱きつく、抱き締める。
「?? どうしたの!?」
ナルトの気弱な行動に流石にイノも驚いて。
少し上擦った声でナルトへ問う。

「行くな」
イノは真っ直ぐ自分を見詰めながらきちんと周囲も見ている。
イノしか見れない自分と違って。
「どこにも行くな」
だからある日突然羽が生えたように。
広い世界へ飛び立ってしまうかもしれない。
漠然とした不安に襲われてナルトはイノを外界から遮断するように抱き込む。

我愛羅という自分の別の可能性を目撃してから胸の苛立ちが募って限界に達したナルト。
イノの言葉に不安を感じ取りらしくない行動をとる。

「わたしに何処に行けって? ナルトって変なところに焼餅ち焼くよね。それに何処にも行くなっていうのはわたしの台詞!」
ナルトの体から発せられる言葉は『寂しい』
優秀な耳を持つイノには筒抜けで苦笑交じりに否定の言葉をナルトへ返す。
「大丈夫。優秀な耳はナルトにだけしか傾けてないから」
心でナルトが泣いている。
物理的には涙を零さないナルトの目尻に口付けてイノはナルトの頬に手をあてた。

「ただほら、縺れた糸は修正できるってナルトに見せたいだけなのかも」

恐怖と嫌悪の対象の我愛羅。
それは我愛羅だって望んだ立場じゃない筈。
力だって一種の能力でしかなく。
コントロールさえ出来れば恐るるに足りない。

ナルトはナルトの儘で良いのだと、イノが証明したいだけ。
ナルトの為だけに。

「姉弟が和解する風には……」
「わたしを誰だと思ってるの?」
イノの考えを薄々察したナルトが否定的に言い出せば、途中でイノに遮られる。
「未来の火影の奥方」
気圧されたナルトが搾り出すように答えればイノは満足して相好を崩し、愛しい許婚の頬に唇を押し当てたのだった。



 あ、甘い(怯)久しぶりにナルイノ書いたら甘っー!!!
 本誌での動向に啓発されて出来上がった二人の話。
 ナルトは相変わらずイノしか見てないし、イノも……。
 本誌の大人版イノちゃんが見たいです。ブラウザバックプリーズ