彼女の為なら?
「この通りだ」
短冊街宿屋にて、土下座したナルトに自来也は危うく失神するところだった。
寸でのところで、三忍の意地にかけて意識をこちら側に保ってナルトを見下ろす。
「断る……と言ったら?」
対する相手はナルトに負けず劣らず強情で。
強いのに繊細な心を持ち合わせるかつての同僚・綱手姫だ。
ハブとマングースかのぉ……。
いや、竜と虎か??
潔く土下座をしている割には綱手が気に入らないナルト。
隠しもせず、殺気だった鳥肌モンのチャクラを綱手だけに浴びせている。
案外冷静にナルトを観察しながら自来也は心の中だけで結論を下す。
「……俺は世界で『ただひとり』と決めた女と約束をした。傷ついた仲間を助けるべく、アンタを捜して連れて帰ると。約束を違(たが)えるなら俺は死を選ぶ」
淡々と語るナルトは、恐ろしいくらいに冷静である。
イノの居ない旅を経てやや疲れ気味もあるだろうが。
最愛の彼女(イノ)との約束を果たせないなら、死んで詫びると綱手に説明しているのだ。
わし……旅のお供を間違えたかのォ。
自来也、事態の急変に遠い目をして考える。
若し、だ。
ナルトがこの場で死ぬ、自らの手で果てるような事態があったなら、自来也自身の命が危ない。
ナルトの許婚なら絶対に自分に報復行動を取ってくるだろう。
下手したらナルトを気に入っているイタチも木の葉で暴れるだろうし、カカシの坊主も然り。
更に……。
ストーカーの大蛇丸。
あ奴の行動も気味が悪いしなぁ……。
わし、弟子運ナシか!?
背中を丸めて座りながら、自来也はハァとため息をついた。
「女?」
綱手が眉を顰める。
出会って数時間のこの少年。
普段は三代目の遺言でドベの演技をしているらしいが、今は急を要するらしい。
己の前で演技をかなぐり捨てて実力を誇示して見せた。
三忍の……五代目火影候補たる己を連れ戻す為に。
その理由が『木の葉存続』ではなく。
『世界でただひとりと決めた女との約束』に由来するモノらしい。
自来也を凌ぐ実力を持つ早熟なこの子供の弁を信じるならば。
「俺が唯一木の葉に拘る理由。俺の存在理由そのものだ」
無表情は変わらない。
元々イノが傍らに居なければナルトの表情筋はさほど動かない。
だが瞳の強さだけは一層増して綱手を射るように見据える。
心持ち口調も誇らしげで、木の葉の里でナルトの帰りを待つイノを自慢しているようにも聞こえた。
この期に及んで惚気るのか、コイツは。
イノとその他大勢としか人間認識がないナルトである。
彼に人間味のある対応を、と望む方が間違いなのかもしれない。
ナルトのコメントに一人突っ込み(心の中だけで)を入れて自来也は綱手の顔色を窺った。
「死ぬだって!? そんな事を簡単に抜かすんじゃないっ! 最愛の女を置いてどうして死ぬんだ?」
事情を知らないのは綱手にとって幸せなのかもしれない。
自身の過去を顧みて瞬間的に頭が沸騰。
眦を吊り上げ怒りを顕に綱手はナルトを見据える。
「アイツは俺ナシでも生きていける。悲しむだろうし、泣くだろう。俺の後を追うかもしれない。けれどアイツは多少の時間は正気でいられる。……俺が死んでも。
だが、俺は違う。アイツが俺より先に逝ったなら正気を失う。木の葉は、復活した九尾に教われて今度こそ本当に滅びるだろう」
事実をありのままに。
訥々と語るナルトからは人間らしい雰囲気が微塵も感じられない。
寧ろ作りこまれた人形のような冷たさすら漂う。
「……」
綱手の瞳が揺らぐ。
ナルトの主張は嘘ではない。
ましてナルトが言う、世界でただ一人の存在がどれだけ大きなものか知っているからこそ。
揺らぎ迷い戸惑う。
「俺には火影になる実力ならある。だが今俺が火影になっても里は安定しない。益々不安定になってアイツが狙われるか。俺が狙われるか、どちらかだろう。
それに……悔しいが、俺はまだ歳若い。限界がある」
己をとことん客観視して、挙句、己の価値にとことん無頓着な忍。
それが本来のうずまき ナルトである。
「それで?」
綱手はナルトの希薄な自己認知に驚きながらも言葉の先を促した。
「約束したんだ」
数ミリばかり表情筋を和らげてナルトは呟く。
「……火影になって、里を繁栄させて。アイツが自慢できるような愛しいと思える里にすると。
そして役目が終わったなら二人のんびり花屋を営むと。年寄りになった俺達が縁側でのんびり茶を啜る老後を送るんだと……俺が良いとアイツは言うんだ。
言葉で、身体で、全てを使って」
伏目がちに喋ったナルト。
綱手は咄嗟に二の句が継げなかった。
深い深い想い。
壊れる絆ではないからこそ、遠い地で見ず知らずの己に容易く頭を下げてきた、至高の忍。
三代目が遺した最強の手駒。
手駒かと思った少年は誰よりも深く一人を想い続け、その存在の為だけに在ると豪語する。
「……分かったよ。ナルト、お前の考えと気持ちは」
敵わない。
心の底から綱手は思う。
「だが、はいそうですかと。火影の椅子を引き受けられるほど、わたしも気構えがあるわけじゃないんだよ。それに、もう一つから誘いを受けている」
綱手の説明にナルトは首を縦に振った。
「一週間後。もう一つの誘いが答を聞きにやってくる。そいつらと話してみないか? それから結論を出したい」
もう。
内心では結論は出てしまっている。
八割方ほど。
けれどもう一つの誘いの勢力と対峙した時、この少年がどれほどの情を見せてくれるのか。
綱手は確かめたかった。
木の葉で留守番している『ただひとりの女』の為に。
お前がどれだけ『良い男』で居られるのか、確かめさせてもらおうじゃないか。
ナルト。
黙ってもう一度首を縦に振るナルトに、綱手は笑みを深くした。
実は、もう一つの誘いの正体が大蛇丸で。
その大蛇丸は執拗にナルトを欲しがっていて。
大蛇丸の執着にすら無頓着で無関心なナルトを見遣り、綱手が呆然とするのも時間の問題である。
「……あそこまで純愛だとこっちが心配になってくるよ。許婚の為に、里くらいは簡単に売っちまいそうだねぇ。ナルトは」
とかなんとか。
ナルトが自分で自分を説明した言葉は全て本当だった。
納得した綱手は里の為に、里人の為に火影就任を決意する。
なにより、在りし日の己の想いの果てを引き継いだナルトと許婚に興味を抱いたから、でもあるが。
「彼女の為なら、土下座も命も……か」
意気揚々と里への家路を急ぐナルトの。
微かに浮かれた背中を見詰め、綱手はひとりごちたのだった。
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