CDを買いました


 マイルス・デイビィスのCDで「TUTU」というアルバムです
 以前 今と同じ職場に片道一時間近くを通っていた時 往復の車の中で毎日の様に聴いていました。私がマイルスデイビィスのファンだと知った知人が私のためにCDをテープにダビングしてプレゼントしてくれたものです。

 マイルスデイビィスというのは、とても有名なジャズミュージシャンで1960年代から70年代にかけて圧倒的な人気を誇っていたアフリカ系アメリカ人です。
 私は中学生の頃、初めてマイルスデイビィスのESPというアルバム(むろんLPレコードです。)を聴きました。文脈ではここで衝撃を受けたなどと表現するのでしょうが 当時の記憶としては特別そのような印象はありません。ただ、このLPを何度も聴きそして今も時々 マイルスを聴いていることは確かです。
 当時はモダンジャズの時代です。しゃれた小粋なジャズではなく、なんだか不協和音ばかりの騒々しいジャズの時代です。最近のジャズの方がずっとジャズらしく思えます。
 そういえばビートルズが新しい曲を発表するたびにヒットチャートを騒がした様に マイルスも当時の音楽雑誌(スイングジャーナル誌)を賑わしたように記憶しています。つまり、同じ様な時代だったということですね。

 それでこのCD「TUTU」がどうしたかというと、一昨年 テレビで マイルスデイビィスの伝記ドキュメンタリーを見たのですが、当時、マイルスがおかれていた アメリカでの黒人の人種差別とこのアルバムが深い関係を持っているのですね。
 マイルスは天才ジャズトランペッターとして他の追随を許さないアーティストとしての地位を築いていたのですが、街にでるとただ一人の黒人として扱われ 差別を受けるという不遇な境遇にあったのです。一時期 彼はヨーロッパに渡って(1950年前後)いくつもの名演奏を残しているのですが それもアメリカでの人種差別から逃れていたのです。やがて、アメリカでは人種差別撤廃運動が始まります。
 母国アメリカに戻った彼は 連続して 素晴らしい演奏を残しています。まさにこの時代こそが私がマイルスの音楽と出会った時代です。というよりもマイルスの音楽を初めビートルズも含めて海外の音楽がちゃんと日本に輸入されるようになったのでしょう。
 マイルスディビスの「キリマンジャロの娘(FILLES DE KIILIMANNJARO)」というアルバムがありますが これが1968年ですから私が高校1年生の頃でしたが それまでジャズ喫茶で聴いていたジャズと随分と印象が違うので戸惑ったのを覚えています。私はこのアルバムを手に入れようかと思ったのですが 断念したのを覚えています(その後、ちゃんと手に入れているのですが なかなか聴き応えのあるアルバムですね)。当時の私は もっとジャズらしいジャズや なんだかしかつめらしいジャズの方が気に入っていたようで いまだに 誰も振り向かないような騒音としか思えないジャズのレコードが残っています。
 マイルスデイビィスは1975年に日本に来ています。大阪フェスティバルホールでの演奏が「アガルタ」というLPになっています。そしてその後、彼は私の前から姿を消してしまうのです。
 やがて20年の時を経て彼は私の前に再び姿を現しました。それがこのCD「TUTU」なのです。このCDは1986年に収録されているのですが、彼の伝記に寄れば その間、彼はドラッグのために演奏ができない状態になっていたとのことです。紆余曲折があったようで私の記憶だけの年代記にはきっと間違いがあるのでしょうが 正確な時期は別にしてそのような状況を経過しているのは確かです。
 TUTUというのは 反アパルトヘイト運動でノーベル賞を受けたツツ司教の名前にちなんでいるのです。マイルスがドラッグに浸ったのも単にアーティストとしてありがちな苦悩だけではなく 人種差別という別の苦悩があったのでしょう。

 彼はTUTUでジャズの世界に戻ってきました そして私の前に再び現れたのはその後10年を経てからということで20年ぶりの新しいアルバムと言うことになるのです。
 今「キリマンジャロの娘」と「TUTU」を聴き比べてみると雰囲気の違いが分かります。前の演奏はマイルスの圧倒的なリーダーシップにバックのドラムやベースが必死で着いていっているという感じがあります 実にマイルスデイビィス42歳の作品です。
 さらに「TUTU」に至ると激しいリズムではありながら協調した印象があります。そして彼が60歳の作品です。彼が大阪に来たのは49歳ですから、「キリマンジャロの娘」、「アガルタ」、「TUTU」、更に彼の名演と名高い「カインド オブ ブルー」と続ければ30歳、40歳、49歳、60歳とほぼ10年区切りで彼の演奏を楽しむことが可能となる。そして彼が他の追随を許さなかった40代後半から50代にかけてがドラッグに浸っていた時代と言うことになります。

 とここまで書いてもう一度 マイルスデイビィスの伝記をチェックしないととんでもない勘違いをしているかもしれないという不安に駆られてきました。彼は1972年に「オン ザ コーナー」という評判のいいアルバムを発表していますが このどれもがドラッグに浸っている時代の演奏ということになると アーティストとドラッグが当たり前のようになってしまう 確かに このような例は多いが 決してドラッグを肯定するものではない。ただ、マイルスの場合もう少し 年代が 前にずれるように思うのだ。肝心なところを忘れたが 彼はドラッグ浸けから 立ち直っています。そして1991年に死んでいるのです。 

 もう一度 彼の伝記を調べてみようとは思いますが 概ね 私の記憶が正しいと信じています
 いずれにせよ 彼は また 私の前に現れたのですが 何よりも その一番大きな原因というか きっかけは この「TUTU」というCDが 1900円と格安だったことにあります
 機会がありましたら 皆さんも もう一度 マイルスを聴いてみられたら いかがでしょうか