異世界 映画の冒頭で、千尋は家族の引っ越し、転校という境遇にある。その引っ越しの当日に、ふとしたことから異世界に引き込まれてしまうのである。しかし、考えてみれば千尋にとっては、湯婆婆たちの世界と千尋がこれから経験するであろう引っ越し後の世界は、同じように異世界なのではあるまいか。引っ越しの当日に異世界に迷い込むことは、何かシンクロしている。いや、作者はシンクロさせているのにちがいない。 大げさな表現だろうが、千尋が家族の事情とはいえ、引っ越しすることに大きな不安があるのだろう。象徴的に観れば、この後の展開はすべて引っ越し先で起こることを示唆しているのかもしれない。この展開に非日常という言葉を使えば、「千と千尋の…」はカフカあるいは安部公房の世界に通じている。 千尋が日常から放り出されて異世界、つまり非日常に引き込まれるのと対照的な人物がいる。湯婆婆の息子の「坊」である。彼は、湯婆婆の庇護のもと、「おんもには、悪い病気がいっぱいあるから外にでない」と主張する。つまり、彼にとっては、機械仕掛けで昼夜が現れるクッションと玩具だらけの小さな空間がすべての世界なのだ。異世界の中であっても、千尋の世界にあっても、この状況が異常な世界であることは言うまでもない。 紛れ込んだ千尋に「お遊びしないと泣いちゃうぞ」と脅迫するのであるが、まさにこの取り引きこそが坊の最大で唯一の武器だというのだ。 その後、坊は小さな太ったネズミに変身させられ、千尋とともに外の世界を体験する。初めて乗った電車では、窓際に額を寄せて外の世界を眺めていた。「沼の底駅」についてからも、千尋が肩の乗ってもよいというのを断り、文字通り自分の足で歩いている。 銭婆の家で元に戻ることを勧められて断った後、銭婆の糸車を回し、労働に参加する。その後の展開で、湯婆婆と再会した坊は一挙に大人びて「バーバのケチ。もうやめなよ」と湯婆婆をたしなめる。 閉じ込められていた坊は、施設に閉じ込められた子どもたち。異世界に紛れ込んだ千尋は、そこに紛れ込んだ侵入者というわけなのだ。 |