最近、読んだ本
「ドキュメント戦後世界史」

ドキュメント戦後世界史

 かって、私は児童福祉施設内での暴力による罰、つまり体罰は、罰を受ける側よりも罰を加える側に効果があると書いたことがある。暴力的な罰は、程度の標準化が極めて困難であることから、受けての心情によって効果が違ってくるのである。「身体のどの部分をどのようなエネルギーでどのような角度で罰を加えることによって、このような効果が期待できる」というな研究は聴いたことも見たこともない。
 それでも体罰が無くならないのであるが、10年程度以前に比べたら減じていると思える。しかし、潜在的には体罰は繰り返されているだろうし、体罰が効果的であるという信念を持ち続けている施設職員は多数存在すると考えている。
 「体罰が受ける側よりも加える側に効果的である」というのは、体罰を奪われた体罰必要論者の心情にみることができる。彼(彼女かも知れないが)は、「ここで体罰が必要である」と感じたにも関わらず、その方法を奪われているのだから、当然のように隔靴掻痒(「かっかそうよう」靴の上から水虫を掻くというイライラした様子)となるのであるが、そこで体罰が解禁されたと聴けば、我が意を得たりと体罰を対象にくだすのであろう。
 このときの心情こそが体罰の加える側への効果である。ひとつは「罰を与えた」という実感。もうひとつは対象の罪に対する焦燥の解消であろう。「暴力は麻薬のように、やがてより強い刺激でなければ満足できなくなる。」というのはこの二番目の効果なのである。この加える側の焦燥の解消が円滑になされなければ、体罰は継続するのであろう。

 これは、加える側に個人差がある以上、体罰の継続も人によって違ってくる。正確には、第一撃の後、第二波を加えるかどうかということに影響を与えるのであるから攻撃が継続するかどうかだけではなく、第一撃から個人差があると考えるべきである。
 勿論、体罰は受ける側の個人差もあるのだから、体罰というのは個人と個人の関係で怒ると言うことなのだから、当然、標準化が難しいのである。

 ドキュメント戦後世界史はまさに戦争と殺戮の歴史物語である。第一次世界大戦終了後の世界が決して平和ではなく世界各地で戦争や紛争が起きている。
 例えば無作為に開いたページには、中華人民共和国の毛沢東が行った「大躍進政策」に関連して「1958年から61年にかけての大飢饉で亡くなった人は2000万人とも3000万人とも言われている 。」という記述があり、「これは人災だ。秦の始皇帝は万里の長城建設で、隋の煬帝(ようだい)は運河建設や宮殿づくりで人々を苦しめ、数百万人を死に追いやったが、それでも我が共産党支配下での死者に及ばない。」という劉少奇の言葉を続けている。

 この本に希望に満ちた話題はない。どのページも殺す側と殺される側のことしか綴られていない。しかも殺す側のことは詳しく、殺される側は何万人あるいは何百万人と簡潔に綴られている。
 一方、殺す側にもたとえ理不尽なことであっても理由はある。スターリンの粛正、ベトナムでのアメリカの北爆、文化大革命等々である。そしてどの時代も極めて理不尽な理由で多数の人々が殺されているのであろう。死者が語らないのは為政者にとって大変好都合であるが、戦後世界史は死者の歴史であるといえよう。
 この殺す側と殺される側の関係は、体罰を説明する論理に等しい。

 「ドキュメント戦後世界史」を外交の歴史としての読み方もあろう。戦争の歴史として読むという方法もある。同じようにアメリカの国家的犯罪の歴史として読みとろうとすることもできる。単に著者がアメリカに批判的なだけというのではなく、イラン・コントラ事件(アメリカのCIAがイランに武器を売りつけ、その一部をニカラグアの反革命親米勢力に援助していた事件。1983年)に代表されるアメリカの国策としての暗躍、裏工作の歴史でもある。
 アメリカの外交政策を変えたのがキッシンジャーであるのは間違いない。単なるイデオロギーではなくアメリカの国益という基準に従って、駆け引きをするというのだ。

 この文章を書いている2003年3月2日時点でアメリカは再び湾岸で戦争を起こそうとしている。イラクのフセインを殺すのなら1990年の湾岸戦争の時になしえたはずなのに今になってフセインを打倒しようというのは、当時の国益と現在の国益とが違っているのだろう。しかも、アフガニスタンを比較的短期間で処理できた実績、つまりアメリカ製のハイテク武器の試験を終え、湾岸でも充分勝利の見込みがあると踏んだのである。
 アメリカの国益を基準にするのならば戦争という大量消費を通じて、国防費の水準を維持し、軍産複合体への利益を確保するという国益があるのではないだろうか。
 そのように考えれば、9.11同時多発テロは、ブッシュ大統領にとって絶好の大儀となる。
 過去のアメリカの暗躍、裏工作の実績を踏まえれば、大統領あるいはその側近たちの一部は、事前に9.11テロの発生や計画を察知していたのではないかと疑ってみたくなる。
 2003年3月2日