サウナに行こう

数年前から、時々温泉に行くようになった。温泉といっても車で20分ほどのところにある町立の温泉施設だ。しかも、最近は温泉に入っているよりも附属のサウナに入っている時間の方が圧倒的に長い。例えば、10時開館に合わせて行って1時間半程度はそこで過ごしている。その間で湯船に入っているのは最初と最後の10分程度でその他はサウナを使っているのだ。引き算すると1時間20分もサウナに入っているのかというと、いくら我慢強い私でも、そこまでサウナを気に入っている訳ではない。出たり入ったり出たり入ったりを繰り返しているのだ。

 

面白サウナ
 サウナに入っているといろいろ面白いことがある。混浴ではないから中年のおっさんばかりが数名狭い箱の中に閉じこもっており、しかも皆が全裸なのだからこれだけでも面白いというか異様な風景であることも間違いない。この状況で私を含むおじさんたちは、いろいろと妙なことをしてくれるのだ。

いつも不思議に思うのは、サウナの中で暑い暑いを連発する人だ。勿論、独り言だが「アッツー!、アツッアツッ! アッツッツー」というような調子だ。そんなに暑いのなら、サウナに入らなきゃいいのにと思うのだけど、汗をかきながらじっと我慢している姿は、ほほえましいというよりも悲惨さが漂ってくる。そんなとき私は、きっと彼は何か悪いことをして、反省の意味でサウナに入り、自分の身体を暑さにさらして修行しているだろうと思う。だが、そういう人がやがて悟りを得たのを見たことはない。

汗がタラーッと流れてくると一瞬、独特のかゆみが走る。それをボリボリと掻いているのもみじめだ。だまって掻けばいいのだがウーッとかアーッとかいいながら掻き続ける風情はなんともいえず哀愁のあるものだ。

身体を掻く方はまだしも、汗だくの身体を撫でさする人もいる。ピチャッ、ペチャッ、ブチャッ、ブチュッ!というのは、自分の身体から発する音ならまだしも、他人のしかもむさ苦しいおじさんの身体から奏でられるとなんともいえない抵抗感がわき上がってくる。更に、この四つのことを同時にこなしてしまう人もいる。暑い暑いを連発しながら、時には身体を掻き時々撫でさすり、意味不明の言葉を発する。つまり「アッツー!ボリボリ、ウーッ、ベチャッ、ビチャッ、アッツッツー、ボリッ、アーッ!」というような調子だ。幸い、何人ものこういう人物と一緒になったことがない。もしも、私の周りがこういう人ばかりだったら、さぞや賑やかなことだと思う。

 汗を搾る

 サウナの中でタオルを搾る人もいる。身体の汗をふき取って、威勢良くタオルを搾るのだが、その汗はというと当然、床にしたたり落ちる。床は簀の子になっているから、汗が水たまりのようになることは少ないが、量が多ければ似たような状況になる。

タオルに染みこんだ汗を搾るのは、本人にとってはすこぶる爽快な気分だ。なにしろ、汗をかくためにサウナに入ってその汗が目に見えるのだから。搾った本人は、汗が水たまりにならないように簀の子の隙間を狙って、タオルを搾っているのだがそれ程、命中率は高くない、何しろ、サウナの中なのだから暑さで集中力も低下しているのだろう。

それでも、したたり落ちる汗に特別の愛着があるのか。命中せずに簀の子の上に溜まった汗を足でなでさすり、簀の子の下に隠してしまおうという努力もけなげなものだ。

うまく、隠れるとほっとしたように両肩が下がり、これで作業は終了する。

先と同じように自分の汗だから爽快で愛着が生まれるのだが、赤の他人の汗がしたたり落ちるのは、それ程爽快な気分を与えてくれるものではない。まして、愛着が生まれるわけもない。

やがて、タオル搾りの彼の去った後には、まるでお漏らしをしたように光を放つ湿り気が残るのである。当然、その後にサウナに入ってきた人物は、その光を避けて場所をとる。やがて、タオル搾りの張本人はインターバルを終えて戻ってくるのだが、必ずのように同じ場所に陣取って、再びタオル搾りを続けるのである。従って、彼のいる間は常に簀の子が輝きを失わないという事態に陥るのである。

 

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 サウナを出てから、のぼせの為にぐったりしている人を見かけることがある。露天風呂にしつらえられたベンチの上などで伸びているのだ。湯船を横目にタイルの上に長々と伸びている。勿論、全裸である。なんともかっこうの悪いものであるが、考えてみれば、ぐったりするまでサウナに入っていなければならないというのはよっぽどの事情があるに違いないと思ってしまう。例えば、「あなたは20分以上サウナに入らないと生命の危険がある。」などということを医者に言われているのだろうか。彼は生き延びるために辛い灼熱の世界に身を投げ出して苦行に耐えているのだ。

しかし、そういうことはありそうにない。単に度が過ぎただけのことだろう。命がけでなければ、サウナを出てからぐったりするほどサウナに入っていなくちゃならないというも面白い。つまりは、「そこまでやらなくていいのに」という程度のことだ。

おそらく、彼はサウナに5分はいるよりも10分、10分よりも20分入った方がより高い効果が得られると思っているのだろう。

確かにサウナで汗をかき始めたら、汗はどんどん出てくる。そこで一旦、休憩を入れると同じ程度に汗をかこうと思うとある程度時間がかかってしまう。この時間が無駄と言うことなのだろう。数回に分けて搾るより、一気に搾ってしまおうというのだろう。

そして、一気にのぼせてしまって、タイルにぐんにゃりということに陥るのである。

ただ、よく考えてみれば、修行や苦行の為にサウナを利用するという人はありそうにない。ボクサーが減量のためにサウナに入るのは、減量という目的のためであって、精神の修行でも悟りの為の苦行でもなんでもない。やはり、彼らもやせたいのだと思う。ただ、私自身、サウナに通い始めて見知った顔もあるが、以前太っていた人はやっぱり今も太っている。私も含めて…。

 

サウナで読書
 サウナの中で本を読む人もいる。勿論、サウナの中には可燃物は持ち込みを遠慮してくださいと注意書きがある。それでも、サウナの中でぼんやりとしているのが辛いのか、文庫本や新書サイズの書籍、時には新聞を持ち込む人もいる。それはそれで火事さえおこさなければ構わないということにしよう。ただ、全裸であるから、ちょいと色っぽい場面などになるとどうするのだろうかと余計な心配をしている。まあ、常識的にはそういう類の本は持ち込まないのが普通だとは思うのだが。

サウナでの読書に関連して、ひとつのアイディアがある。可燃物の持ち込みが良くないのは理解できる。一方で、本を読みたいとか、サウナの中でぼーっとしていることに耐えられないという人たちのために不燃性の書籍を開発してみてはどうか。

近年、お風呂で読める書籍が見受けられるのだから、サウナで読める本というのがあっても当然だと思う。個人が持ち込んでいいのだがサウナの方で用意しておけばそこそこに引き合いはあると思うのだが、そこまでして時間を有効に使いたいのなら、むしろサウナになんかこない方がいいのじゃないかなぁと思ってしまう。

時間を有効に使うと言えば、風呂場に携帯電話を持ち込んでいる人がいた。湯船で電話を使っているのではなく、湯気のあまり届かないところにおいて時々チェックしている。電車やバスの中で携帯電話を使わないのは、常識になりつつあるが、やがて温泉場でも、「他のお客様の迷惑になりますから…」というようなアナウンスが聞かれるようになるかもしれない。それよりも先にそこまでして温泉に入りたかったのだから、よっぽどの事情があるのだろう。かみさんが産気ついていて、身体を清めておこうとか、仕事をさぼって温泉に来ているから常に連絡がとれる状態でなくてはならないとか。そこまでして、温泉に入りたかったのだろう。
 余計な心配だがもしも着信があったときにシャンプーをしていたらどうするのだろうか。シャンプー中でなくても、全裸でケータイを使っている風景は想像をしても、おもしろおかしい。私なら見られたくないし、見せたくもない。ページのトップへ


サウナに行こう (その2)


タオル

 サ ウナの中に手ぶらで入ってくる人はいない。
 勿論、手ぶらでもかまわないがそういう人に出会ったことがない。ほとんどの人は、タオルを一本持っている。以前、タオルの代わりにTシャツを持って来ていた青年にであった。何か特別な事情でもあったのだろうが、目立たないよう懸命に努力をしていたようだが、むないしい努力だったようだ。

 サウナの中でタオルはどのような役目を担っているのかというと、ひとつは本来のタオルの機能である汗を拭き取るということにある。もう一つは、隠すということだろう。
 従って、サウナの中でタオルは、多少の個人差があっても、腰のあたりに位置する。それ以外の位置にタオルを置いているのは、「変わった人」「へんな人」ということになる。

 たまにはちまきをしている人に出会うが、これもやはり「変わった人」の部類に入るのだろうか。裸にはちまきといえば、締め込み(ふんどし)にねじり鉢巻きという勢いのよいファッションであろう。裸祭りなどで男衆の威勢のよい掛け声、熱気のために立ち上がる湯気とともに想像される。サウナであるから、熱気と湯気は勿論ある。しかし、掛け声とふんどしはない。

 これは、やはり額や頭から流れ落ちる汗が顔にかかり、目に入ることを防ぐためなのだろう。一般的に夏場の屋外での作業で鉢巻きをするのはそういう目的がある。まさにバンダナなどは他になんの目的もない。テニスの選手などが契約しているスポーツ用品メーカーのロゴの入ったバンダナをするというのも広告という立派な目的がある。
 まさに額に必勝などと書いた鉢巻きなども、広告と同じよう自分に気合を入れるための効果を期待している。かといって、サウナの中で、入浴関連商品の広告をしているふうでもない。まして、必勝などという気合を入れてサウナに臨んでいるということもなかろう。

 サウナであるから、すでに顔も身体も汗だらけなのである。汗の流れを防ぐというのは、大して効果は期待でないのではなかろうか。きっと、彼には彼なりの主義があって、暑い→汗→タオルで鉢巻きという図式が出来上がっているのだろう。
 そのため、裸に鉢巻きという考えてみれば極めて妙なスタイルに落ち着いてしまうのだ。
 しかし、もうひとつの役割である、隠すということに着目したとき、もしかしたら彼は頭や額を隠したいのかもしれないと考えることも可能である。

 隠すといえば、タオルを頭にかぶっている人にも出会った。つまり、減量している力石徹や矢吹ジョーのようにタオルで頭を隠しているのである。
 ただ、この場合はその人に特殊な事情があるようで、つまりこういう人は禿頭が多いのではないかということである。きっと、熱気がダイレクトに頭皮を刺激することから頭全体を隠そうとしているのだ。
 この気持ちは解かる。きっと暑いのだろう。特に頭が…

 力石徹も矢吹ジョーもサウナではトランクスを身に着けていた。こちらは文字通り「頭隠して尻隠さず」というところだ。

 別にサウナの中で鉢巻きをしようが、力石徹になろうが、こちらには無関係なことなので特に問題があるわけではない。むしろ、汗→鉢巻きの方が、鉢巻き→どじょうすくいの図式に発展しないことを期待する。
 また つづく   
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