最近あったちょっと面白い話
リサイクルショップに行った リサイクルショップに行った。リサイクルだから、商品の殆どが中古品なのは当たり前だ。並んでいる品物には、とても立派なものもあるし、なんだろうこれはというのがある。今日行ったリサイクルショップには、カエルの大きな置物があった。鮮やかな緑色のカエルが立ち上がって棒に寄りかかっている。高さは130センチくらいだろうか。玄関にでも飾れば面白いカエルだ。 面白いからと言っても、欲しいとは思わない。そのうち誰かが買うのだろうが、どんな人が手に入れるのだろう。リサイクルとは言ってもそれほど安くない。値段は覚えていないが、ポケットマネーで手に入れるには、ちょっと勇気の必要な品物だ。 そのうち買って行くのであろう人がどんな人かというよりも、ここがリサイクルの店であるから誰かがこれを新品の時に手に入れて、どこかに飾っていたのだ。そして、ある時にこのリサイクルショップに持ち込んだのだろう。 オーディオやパソコン、楽器のリサイクルショップもあるが、今日の店はタンスやテーブル、椅子といった家具から、高級ブランドの時計やバッグのある店だった。 何に使うのか解らない机に「折り畳みが出来て収納に場所をとらない」とメモが付けられていたのですが、広げたときに明らかに使いにくいというのが解るような机があって、この机を手放した人はきっと使いにくいっていう理由で手放したのだろうと思うと、決して折り畳みが出来て便利とは思えない。だって、机は畳んであるときに便利なものより、広げてあるときに便利な方がいいに決まっているから…。 などと思いながら高級ブランド時計のコーナーでは新品同様、スイスの一流時計職員の手作り、超お買い得73万円っていう時計もある。これが超お買い得な値段なら普通にお買い得とかお買い得でない値段を想像すると「やはりこの時計もいろいろな事情でこの店に流れてきたのだろう」、「こんどこの時計を手に入れる人が大事に使って手放すようなことの無ければいいのだが…」としばし感慨にむせんでしまう。 遙かスイスの職人も、この時計が片田舎のリサイクルショップで「超お買い得」になっているなどとは思っていないだろう。 この時計を最初に手にした人とこの店に持ち込んだ人が同じとは限らない。バブルの時代に衝動買いをしたのか、それともバブル以降に食べるものも切りつめて手に入れたのか、はたまた、高級時計を手に入れては手放すという主義の人がいるのだろうか。 実は、私もこの時計が気に入った。73万円は確かに高いが今乗っている車の買い換えを延期すれば買えない額ではない。一瞬、衝動が働いたが近頃は老眼が進んで文字盤が読めないので衝動はすぐに萎えてしまった。…ということにしておこう。 その点、ブランドもののバッグの類は気軽だ。高くても10万円以下だからそれほど切実な流転を感じさせないし、元々の華やかさもあるが私自身がそれほど興味を持たないからだ。勿論、あげるよって言われたらもらうけど、実際には自分で使うことはないだろう。 私の推理ではバッグの類は、プレゼントされた物を転売しているのだと考えている。女性が自分の好みで手に入れたバッグをそう簡単に手放すとは思えない。並んでいる品物の殆どが使い込んだ形跡がないのだ。 どのような事情であれ、恐らくプレゼントされたのだろうが気に入らないので使わないでしまってあったのをやがて手放しているのだろう。 これはこれで流転といえば流転なのだろうけど十数万円もするバッグをプレゼントされてしまう女性というはどういう人たちなのだろうか。 |
温泉に行った 温泉に行った。「温泉に浸かってのんびりする」というのが嫌いな人はすくないだろう。 私も温泉に行ってのんびりしてきた。湯船に浸かってぼんやりとしていると1人の青年が今まさに頭を洗おうとしているのが目に入った。若さが羨ましいような美しい青年だった。まず、彼は鏡に向かって自分の顔を確かめている。その後、湯おけに湯を入れるためカランのボタンを押した。ここの温泉の洗い場は、ボタンを押すと一定量の湯が蛇口から出てくるようになっている。さして珍しい物でもない。彼はボタンと押したが思ったように湯が出てこない。節約のためか蛇口に勢いがない。これは私も感じていたことで、ほとんどの客が初めて押したときに、押し方が十分でなかったのかと勘違いしてもう一度ボタンを押している。その後、二度か三度押したら「ああそうか」というようにあきらめてしまう。とにかく蛇口に勢いがないのだ。 青年も同じように二度三度と押している。しかし、どうもあきらめがつかないようだ。なんども押し続けるが、お湯の量は変わらず蛇口からはチョロチョロとしか出てこない。蛇口が彼をおちょくっているようにも見える。 そもそも、何度もボタンを押せばお湯が勢いよく出て来るという構造になっていないのであるから彼の行為そのものは無駄なのである。 湯おけがいっぱいになった頃、彼は次の課題に苦しむことになる。ここのカランはシャワーも同じように勢いがない。そして、彼はシャワーを右手にとると左手でボタンを押した。 やはり、勢いがない。彼はさほど驚かなかったが、不思議な行動をとった。シャワーの勢いに満足できない彼は、ボタンを連打し始めたのである。まるで「トリビアの泉」で20へぇーを目指すように連打し始めたのである。右手でシャワーを持ち頭にかける、左手で連打。ときおり、タイミングを計って左手を髪に添えて整える。 その後、彼はシャンプーを流すときとリンスを流すとき全身を洗い流すときと連打を続け、絶妙のタイミングで連打し続けたのであった。 しかし、湯の量のは一定していたのだ。 かくして彼は「温泉でのんびり」ではなく「温泉で連打」して一時を終わった。むしろ、温泉でのんびりしていたのは彼ではなく、蛇口の勢いだったのだ。 ちなみに彼の連打は7回をワンセットとしていたことを伝えておく。 |
街角の妖怪 街に出かけたらエステティックサロンの巨大な看板を見た。この建物でどのようなことが行われているのか、私はよく知らない。しかし、この看板は一目でそれを教えてくれた。 大きな看板なのだが美しい女性がタンクトップを着て右手を高く掲げて微笑んでいる。しかも、その脇の下から光線が発しているのだ。 その光線は看板を見ている私の方に向かって来ている。つまり、こういうことをしているのだ。 私は思いだした。西遊記に多目怪(たもくかい)というムカデが化けた妖怪が出てくる。主人公孫悟空と戦って形勢不利と見るや衣を脱ぎ捨て両脇の下にある一千個の目玉から怪光線を発するのだ。不死身の孫悟空もこの怪光線で力は抜ける、筋肉はしびれる、全身は痛い、ばったりと倒れてしまうほどの強烈な光線なのだ。 看板の作者も店のオーナーも多目怪のことなど知らないのだろうが、脇の下を整えてそこから光線を発して、誰かをばったりと倒すなどということをこの店はしているのだ。 |
これで美味しいものでも… 年末のことだったが、職場の仲間がお年玉のことを話題にしていた。30歳近い青年が親からお年玉をもらうよりも、親にお年玉をあげるべきなのだという話になった。青年は「じゃあ これで美味しいものでも食べなよって言ってお年玉を渡すのか?」という。 「美味しいものでも食べなよ」って言って渡すなら、お箸でも渡しておけばと答えておいた。その場は大うけだった。何人かはその後実際にやってみたとのことであった。反応を詳しくは聞いていないがあまりお勧めできることじゃない。 |
サンタクロース サンタクロースに扮してプレゼントを渡した。相手が小さい子だったので髭を付けると怖がるからということでお面や髭は付けさせてもらえなかった。 髭を付けなかったのには、もうひとつ理由がある。 私はサンタクロースの衣装を身につけて髭を付けると「泣ぐ子はいねっがっ!!」といってしまいそうになったからだ。 2004年2月15日 この項終わり |