パン屋になる
2〜3週間前の土曜日にふと見たテレビで東京から宮崎県の山奥の町に移り住んで、パン屋になったという人物が登場していた。
いわゆる脱サラらしい。
東京に住んでいた頃は、ちゃんとした職業があって仕事柄、ヨーロッパに出張することが多く、当地で食べた美味しいパンに魅せられてパン屋になりたくなったそうだ。
パン屋になりたくなる人はたくさんいても、実際にパン屋になる人は限られているのだろう。
子どもの頃、新幹線の運転手になりたいと憧れて、そのまま新幹線の運転手になるという人が少ないようなものだ。
子どもは成長とともに自分と周囲が見えてきて、憧れを失っていく。つまり、「どうせ、自分にはなれないのだ。」と悟ってしまう。ある人はこれを「あらかじめ失われた欲望」と名付けている。
子どもの頃に憧れた職業に成人してからも、夢を失わないで現実にしてしまう人は極一部の例外ということになってしまう。世間のどの人もが新幹線の運転手になってしまうのは困ることなのだが、実際にそういうことはない。
星飛雄馬(ほしひゆうま)と星一徹(ほしいってつ)のような親子(漫画「巨人の星」に登場する野球おばかの親子)がいて、子どもの頃からひとつしか目標のない人生を歩もうとするのもそれはそれで立派なことなのだろう。
私の場合は別に今の職業に憧れたわけでもなく、目標としてきたことでもない。なりゆきでこうなったのだけど人生というのは不思議なもので、自分の人生に慣れてくるとなんとなく、こうなるように出来ているのだと妙に納得してしまうものなのだ。
無神論的実存主義者としては運命などというものを仮説としてはいけないのだが、こうなってしまったものは仕方ないのだとあきらめるというか納得せざるを得ない。
ところがこういう納得にも飽きてくると、どうしても違った展開を求めるというのも当然のことなのだろう。
そこでパン屋の話に戻るが先のテレビを見て「パン屋になりたい」と思いついた。
思い付きなのだから具体的な計画があるわけでもなく、別にパンが好きだとかパンを焼くことに興味を持った訳でもない。何かあるとすれば近所にパン屋がないことが思い付きの根拠とも考えられる。
内省としては、やはり現状から脱出したいのだろうとは思うがその理由はここでは伏せておくことにする。
いずれにせよ。おいらはパン屋になりたくなったのだ。
かといって具体的に何をするかというと、そりゃまずパンを焼けるようにならなくちゃということだ。ネットで調べてみるとパン屋の学校というかパンつくりを教えてくれる学校があるようだが、私の住んでいる近辺にはない。独力でパン作りを身につけるしかないのだが、どのような道具が必要なのかさえわからない。
ということでネットで調べたり、本屋に出かけたりしているのだが、「パン作りの疑問に答える パン「こつ」の科学」(柴田書店)という本を手に入れた。
「テーブルロールを焼いたら、パンのそこが持ち上がり真決めが裂けてしまったのはなぜでしょう?」などという具体的な事例から、「低温長時間発酵法」などとパンの本にしては難しい言葉がならんだ書物である。しかも、「これは専門書ではない」と記載されている。
この本によると一口にパンといっても、その製法には何種類かあって、直ごね法、中種法、発酵種法、短時間発酵法などと出来上がりの違いでその製法を選ぶというのだ。
詳しくはこの本を読めばいいのだから、ここでは各々の製法の違いは説明しないが、とにかくパンといえどもなかなか侮れないというのが感想である。
一方、今までの自分の仕事から考えれば、パン作りというのは結果が明白ということでは、解りやすいのではないかとも思う。
熟練してくれば、また別の難しさがあるのだろうが、ビギナーとしての私にとってパン作りは、それほど多様な選択を持っているとは思えない。つまり、この本であれ別の本であれ、テキストに書かれているようにするしか方法を持っていないのだ。
ましてや、今の段階で「直ごね法」と「中種法」と比べて迷うほど知識は蓄えられていない。
というような訳で当面はパン作りに挑戦するための助走をつけているということである。
はてさて、どのようになるか。私自身としても展開に強い興味を持っているのだ。
果たして、50過ぎのおっさんはパン屋になれるのでしょうか。
2003年10月20日