チベット仏教 マンダラ


ブータンに行きたいなぁ


 パン屋になりたいと思い付いたように 突然 ブータンに行きたいと思い付いた。
 3年前にインドを訪れるチャンスを得たが なんとなく期待したインドと違っていた。期待するのは私の勝手でインドがどうということはない。経済成長著しいインドが東京や大阪と同じような臭いと風景になっているのだ。わざわざ、インドまで行かなくても、インド的なものは東京にも大阪にもある。

 20年近く以前に訪れたインドは、喧噪の中にもポカリと穴の空いた真空のような空間があって、街を歩いていても そこだけの時間が止まっているように見えたのだ。
 それが修行僧の姿であったり、乞食の姿であったりしたのかもしれない。じっとして動かない人々の視線や女性や子ども達の姿がぽっかりと空いた空間の中に取り残されるように風景の中で際だっていたのが思い出される。
 インドが変わったのではなく、私の方が変わったのかも知れない。
 そこで思い付いたのがやはり20年前に訪れたカトマンズの風景だ。初めての外国旅行で埃と汗の臭い、そこに生活する人々の風景を思い出した。
 泊まったホテルも憶えている。シャンカールってホテルだった。インドのマッチが紙製のブックマッチだったころ、カトマンズのホテルのマッチは木製の箱にラベルを貼ったもので火をつけると線香花火のように火を放ったのを憶えている。そのマッチはまだ 私の机のどこかにしまってあるはずだ。

 そうだ、インドではなくネパールカトマンズに行こうと思い付いた。そこでネットでネパール旅行をいろいろと探しているとブータンにも行けるのだということを知った。
 ブータンにはツアーも含めてたくさんの日本人が訪れているようだ。それじゃ、私だってブータンに行ってもいいじゃないかと思い付いたのだ。

 ネパールだったのになぜブータンなのかというといろいろと理由がある。なによりも、「行ったことがないから」というのが最大の理由だ。インドにも行ったネパールにも行ったから、インドもネパールも、もういいやということではなく、ブータンには1000年を超えるチベット仏教の歴史があるということかもしれない。ネパールよりも圧縮されたチベット仏教が存在するのではないかと期待している。
 なぜ違うのかというとやはり民族の違いであろう。ブータンは、チベットの人々に似ている(つまり、モンゴル系)し、ネパールはインドの人々(つまりアーリア系)に似ている。だから、ネパールはよりインドの影響を受け、西欧化も含めいろいろな刺激を受け、特にヒンズー教の影響を隠せない。それに引き替えブータンはつい20世紀末まで鎖国政策をとってきたことからも解るように、チベット仏教がより純粋化されているのだと思う。

 チベット仏教といえば藤原新也の名著「全東洋街道」で著者がチベット寺院に宿泊したことが記されている。9歳の時、チベット寺院に入り40歳を過ぎて寺院を逃げ出す僧の話が大変面白いので一読をお勧めする。 

 さて、ブータンであるがブータンに行って何をするかというと別に美味しい食べ物が有るわけでなく、特別な買い物が出来るわけでもない。風光明媚といえばヒマラヤ山脈の国であるから平地で高度2000メートル、遙かに7000メートル級の山々が見えるはずである。その他には世界遺産のチベット寺院がある。トレッキングというのもあるそうだが、抵抗もないが興味もない。本を読んだり、ネットで調べてみたりすると風俗習慣というのも、なんとなく解ってしまうので大して興味も湧かない。それでもブータンに行きたくなったのだ。
 こういうところが思い付きであるところのブータンなのであるから、なにはともあれ、仏教美術中心に文化人類学的な興味を持ってブータンに行きたいということにしておこう。
 更に考えてみれば、思い付きでパン屋になりたいと言えばパン屋に叱られるかもしれないけど、パン屋と違ってそれほど修行がいらないから、思い付きでブータンに行きたいと考えても ブータンの人たちに叱られるようなことはないだろう。

 このような訳でいまのところブータンに行くことを目標としてとりあえず明日から、体調を整えるべく医者に通うことにした。
 ただし、こういいながら最初の予定通り、カトマンズに行くのかも知れないのが思い付きの思い付きである所以である。

2004年6月20日

ブータン情報

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ブータン公式ホームページ


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