清河八郎とパン屋 |
清河八郎という人物がいる。1830年生まれ1863年没というのだから今から173年前に生まれて33歳で死んだというか暗殺された人物である。 私の知っている清河八郎というのは、「西遊草(清河八郎旅中記)」(平凡社 東洋文庫)と映画「暗殺」(公開:1964年、監督:篠田正浩、主演:丹波哲郎)である。 清河は清川とも記すようだ。 最初に出会ったのは「西遊草」であるが、清河八郎という人物の存在を何かで知って、その人物が書いたというので手に入れた。 奥付に昭和46年とあるから高校生のころか大学生の頃だと思う。東洋文庫であるからそれほど安い買い物ではなかったようで700円という値段がついている。 これがまた 面白くない読み物だった。清河八郎という人物が母親を連れて西国に旅した紀行という旅日記なのだが、彼の人生とはまったく違った平穏で退屈な旅日記だ。 私は、「西遊草」に出会う前に幕末のハチャメチャな人物として清河八郎をイメージしていたので、この旅日記の退屈さにはついていけず途中で投げ出したまま最後まで読み切っていない。 その後、十年以上が経過して映画「暗殺」を観た。 こっちの方は、面白かった。 清河八郎は、幕末の江戸で浪人ややくざ者を集めて浪士隊なるものを編成する。その中に後の新撰組となった近藤勇や土方歳三(ひじかたとしぞう)もいた。近藤や土方(ひじかた)が百姓出身であるように清河も百姓の出身だ。 経過は差し置いて、清河八郎は幕府の命を受けて京都の治安維持のために浪士隊を編成して京に上る。 浪士隊とは言っても、チャンスがあったら侍になろうという百姓ややくざ者が集まっている。映画では京に上る経過で隊士たちが清河八郎を疑い出す場面があった。 「本当にこいつに着いていって侍になれるのだろうか」という疑問だ。清河は「俺についてこい。京に着いて手柄を挙げたら幕臣(幕府に雇われるってこと)になれるのだ」と隊士たちを励ますのだ。 京について彼らは本願寺に宿をとる。そこで清河八郎は、隊士を集めて「浪士隊は、幕府に味方しないで今日からは討幕派(幕府をやっつける側)に替わる」と宣言する。そして「まもなく朝廷から使者が来る。」と続ける。幕臣になることを期待してやってきた近藤勇や土方歳三(ひじかたとしぞう)たちは、清河八郎をなじるが夜明けとともに朝廷から使者が来て清河八郎たちは討幕派となる。そこで袂を分かった近藤勇みたちはやがて新撰組となっていくのだ。 詳しいことは、西遊草を読むよりも映画「暗殺」を観た方が分かりやすい。 つまりは、この人(清河八郎)を信じて着いていったら最後で裏切られたってことなんだ。その数年後に清河八郎は暗殺されるのだが、裏切りが大きく影響しているのは間違いない。 私の考えでは、清河八郎も近藤勇も、土方歳三(ひじかたとしぞう)にしても所詮、幕府の側でも朝廷の側でもどちらでも良かったのじゃないかと思う。近藤勇などはチャンバラが強くて力の発揮の出しどころがなかったのだ。たまたま、近藤勇は幕府側に、清河八郎は朝廷側に着いたというだけで、どちらも機を見て風を読んだという結果が違っていたということなのだろう。 近藤勇と土方歳三(ひじかたとしぞう)では、近藤の方が兄貴分のようだからこのときに清河八郎とともに近藤勇が行動していたら当然、土方歳三(ひじかたとしぞう)もくっついていったのだろうから、日本の歴史も変わっていたのかもしれない。 最後には皆が結論のないまま死んでしまうのだが、この時代で結論を出したのは伊藤博文くらいだからやっぱり百姓出身では大成しなかったのかもしれない。 なぜ、清河八郎なのかというと、私は裏切りのことを考えている。 私はパン屋になると言い出したら、数人の知人がまったく本気にしてくれなかった。そして冗談交じりに試食はしてあげると申し出てくれるだけである。 もしかして、パン屋になる私は清河八郎のような人物になるかもしれない。つまり、自分の仕事を好きにやってきたら、いろいろと評価してくださる方もあり、次の時代の児童福祉を担う人だなどと祭り上げてくれる。実際、自分でもそういう気分になったこともあった。ところがそういう気分って言うのはほとんどの場合勘違いで1人で時代の(例えば)児童福祉を担っているように思っていても、代わりの人物っていうのはそこらへんに転がっているものなのだ。私にしかできない仕事って思っている仕事は、ほとんどの場合他の誰かでも出来る仕事なのだ。 私の場合は、そういうことに気が付いてしまっているのだけど、周囲の人は自分の都合で私が児童福祉を担っていくのだと勘違いしているというところもある。 これは私にとっては迷惑なことで、私の考えに賛成して応援しているのだったら、応援だけでなく自分でやればいいのだから、無理に私に責任を押しつけていただかなくていいのだ。 このあたりが清河八郎に似ているっていうところで江戸を出たときは、幕臣を夢見て、京に上って手柄を挙げてなんて思っていたのだけど、情勢は討幕派が優勢ってな訳で鞍替えをするわけだ。 清河八郎を信じて着いてきた連中はたまったものじゃない。歴史は清河八郎の機を見て風を読んだ結果が正しかったことを証明しているが見えない読めない連中(例えば近藤勇など)は放り出されたようなものでどうしていいのか分からない。とりあえず最初の方針を貫くってことで幕府の側についたのだが最後には御存じのとおりの結末を迎えている。 ってなわけで、私を信用して児童福祉の仕事をしてきた人にとって、パン屋になりたいっていうのは、清河八郎が浪士隊を裏切ったごとく、暗殺されても仕方ないほどの重大事なのかもしれない。 もっとも、今すぐ逃げ出しても児童福祉の連中は2週間も経てばあっさりと私のことを忘れてしまうだろうとは思っている。 むしろ、そういうことで私のパンの売り上げに影響するのなら儲かる方に影響を誘導したいものだ。 2003年11月2日 (この項終わり) 清河八郎のHP 近藤勇のHP 土方歳三(ひじかたとしぞう)のHP |