ペットロスの話T〜ゴンちゃんの一周忌によせて〜


冒頭で少し紹介したゴンちゃんの、一周忌を先月末に迎えました。
やっと自分の中で、ゴンちゃんの事を文章にできそうな気がします。
ゴンちゃんのことをできるだけ多くの人に覚えていてもらいたいので、ここに記しておきたいと思います。



ゴンちゃんは18年前、長姉がブリーダーさんのところで一目ぼれして無理に譲ってもらったシーズー犬でした。父方も母方も血統が良く、毛並みもきれいだったから、ブリーダーさんは交配犬として残すつもりだったそうです。

ゴンちゃんは家族のアイドルでした。
その頃まだ学校に通っていたチョコママは、ゴンちゃんとは姉弟のような関係でした。
でもゴンちゃんは、生後4ヶ月のころパルボ腸炎にかかってしまいました。
後に姉から聞いたのですが、ブリーダーさんのところで、すでに感染していた疑いが高かったそうです。

ある日突然、ゴンちゃんは入院しました。
いつもゴンちゃんが寝ていた場所がからっぽなのが、寂しくて悲しくて、ゴンちゃんが早く治って帰ってきたらいいのに…と毎日思いました。
生存率2%以下の恐ろしい病気にかかったことを、そのときだれも教えてくれなかったのです。
入院して数日後、姉と一緒に病院に行きました。
丸々してかわいかったゴンちゃんが、ガリガリに痩せて、水のようなウンチでお尻がただれていました。
そんな姿でも足に点滴の管をつけたまま、姉とわたしを見つけると弱々しく尻尾を振って、起き上がろうとしたのです。
そのときの気持ちをわたしは一生忘れないでしょう…。言葉では説明できません。

帰りの車の中で、「ゴンちゃんが死んでしまう」と言いながら、泣きじゃくりました。
まだ子供だったわたしには、かわいかったゴンちゃんの変わり果てた姿が信じられなくて、とてもショックでした。
みなさんは生後4ヶ月の仔犬が病気で死にかけている姿をご覧になったことがありますか?
病気って本当に残酷です。
でもゴンちゃんはそのとき、病気と必死に闘っていたんです。

(助からないのなら、もう家に連れて帰ってあげたい)
家族全員がそう思いながら、それでも治療を続けてもらうことを選択しました。
今から18年も前です。今より医療も遅れています。
でも先生はできるだけのことをしてくれました。
これでだめなら助からないというギリギリの薬で治療を続けてもらいました。

ゴンちゃんは、入院して1ヶ月半たって、退院することができました。

帰ってきたとき、あまりに痩せこけていたので、本当に生きていけるのかなと不安に思うほどでした。
でも元気いっぱいにエサを催促する姿を見て、家族みんなで久しぶりに大笑いしました。
あのとき治療をあきらめないでよかった…と思いました。



ゴンちゃんは日増しに元気になり、丸々太ってきてかわいくなりました。
しつけの大切な時期に病気で何もできなかったのに、ゴンちゃんはとても賢いワンコでした。
全然無駄吠えしないし、人にも犬にも臆病ではありませんでした。
それに、穏やかな性格でした。
ほんとうに、ほんとうに、すばらしいワンコだったのです(^^)

ゴンちゃんはパルボの治療薬の副作用で、内腿に膿がたまり腫れてしまう持病がありました。
ほっとくと皮が破れて破裂する上、再発するので、1年のうちに何回も切開手術しなければならなかったのです。
何回もする手術なので、体に危険だということで、麻酔も無しに…
おびえ痛がるゴンちゃんを見るたびに、胸がつぶれそうでした。
縫合の後も痛々しく、手術の度に行う点滴で、数年間のうちに後ろ足の血管はつぶれてしまいました。
ゴンちゃんの晩年は、寒くなると血管がつぶれた方の足が痛むのか、びっこをひいていました。

そんな大変な手術も、我慢強いゴンちゃんはよく耐えてくれました。
4年間、それが続きました。
今思えば、父母の経済的な負担も相当なものだったろうと思います。
ゴンちゃんは幸せだったのかも知れません。ブリーダーさんのところで発病していれば、交配犬としての価値がなくなったゴンちゃんはたぶん安楽死させられていたでしょうから…。



ゴンちゃんはチョコママに、生命力の強さを教えてくれたワンコです。
そして、かけがえのない親友でした。
チョコママの少女時代のたわいない恋愛、社会に出て初めて知った仕事の厳しさ、震災で早世してしまった友人への深い喪失感、チョコパパと出会ってから知った新しい幸せ、そして結婚して家を離れるまで…
ずっとゴンちゃんは、そばにいて見守ってくれました。

ゴンちゃんは天寿をまっとうして、チョコママが海外挙式に出発する1週間前に17年の生涯を終えました。

                            〜ペットロスの話Uへ続く〜