2004年8月23日(比叡山・鏡宿・平宗盛終焉地)/10月15日(園城寺・義仲寺)

 金売り吉次の手引きで奥州へと向かう牛若少年は、京の都を出てまもない近江国鏡宿にてみずから元服を行います。見守る家族も烏帽子親もないたったひとりの元服式…。貴種でありながらあまりにアウトロー的な彼の人生を暗示する印象的なエピソードといえましょう。
 ところでその鏡宿に近い琵琶湖西岸には、三井寺(園城寺)・比叡山(延暦寺)という名刹があります。これらの寺院は当時たいへんな勢力を誇っており、三井寺は寺門、比叡山は山門と呼ばれていました。ふたつの寺は仲が悪く、何かにつけては抗争を繰り返しておりました。そんな時に活躍(?)するのは…もちろん叡山一の暴れん坊主、われらが弁慶です。
 今回はこの比叡山・三井寺・鏡宿(竜王町)をメインに、琵琶湖周辺の源平史跡を紹介いたします。

比叡山遠景
 名神高速道路・大津ICサービスエリアのレストランからの眺め。…すいません雲でかくれて何がなんだかさっぱり状態。この日は雨がふったりやんだりのけったいな天気だったんで勘弁してください。雲で覆われた山頂部分が比叡山、手前の山すそのあたりはおそらく三井寺周辺と思われます。


比叡山延暦寺(世界文化遺産)
 比叡山延暦寺は京都の鬼門(東北)の守りとして伝教大師最澄が開いた天台宗の総本山。広大な山上は東塔・西塔・横川のみっつのエリアにわけられ、東塔には延暦寺の総本堂・国宝根本中堂があり、開山当時から受け継がれた「不滅の法灯」がいまも守られ燃え続けています。また西塔は比叡山最古のお堂・釈迦堂があり、弁慶が幼少〜青年期をすごした場所でもあります。
 比叡山は権力に屈せぬ独自の気概を持ち、その地位は時の為政者をもおびやかすほどのものでした。鎌倉に追われる立場となった義経はそんな叡山気質を頼ってここに潜伏し、何かと力を貸してもらっていたようです。
 写真は西塔の釈迦堂にいたる石段。霧に包まれた杉木立が神秘的です。
拝観料\500・諸堂巡拝料と国宝殿拝観料のセット料金は\850)/無休
拝観時間8:30〜16:30(冬季9:00〜16:00)※西塔・横川は30分早く閉まります

比叡山西塔・弁慶のにない堂
 弁慶はたいへんな乱暴者で親にもてあまされ、幼少の身を比叡山に預けられました。写真はその弁慶が居住したといわれる西塔にある「弁慶のにない堂」。ふたつの同じつくりのお堂(常行堂・法華堂)が渡り廊下で結ばれたバーベルのような外観ゆえ「にない(担ぐ)堂」との別名で呼ばれているのです。いくら弁慶でもこれはさすがに持ち上げられまい。いや、彼ならあるいは…。

比叡山・弁慶水
東塔駐車場からほど近い場所には「弁慶水」という自然の湧き水があります。道路わきによく目立つ案内板が立っています。

園城寺(三井寺)・仁王門
 園城寺は大津市の南西に位置する天台寺門宗の総本山。天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があることから「三井(御井)寺」の呼び名で親しまれています。総本堂の金堂(この前の台風23号で屋根損傷…)や「三井の晩鐘」で知られる鐘楼など、広大な境内に数多くの国宝・重要文化財を有しています。源平争乱のころは比叡山に負けず劣らず絶大な勢力を保ち、多くの屈強な僧兵を抱えていました。九郎義経の郎党となった常陸坊海尊もそのうちの一人と思われます。
拝観料\500/時間8:00〜17:00/無休

三井寺・弁慶の引きづり鐘(霊鐘堂)
 三井寺の見どころはいろいろありますが人気はなんといってもこの「弁慶の引きづり鐘」。大きい!人がすっぽり入れます。イヤ、入っちゃだめですが。伝説によるとこれは俵藤太秀郷が三上山(近江富士)の大ムカデを退治したお礼に龍神からもらい受け三井寺に寄進した梵鐘。のち比叡山との抗争の際、弁慶がこの鐘を強奪し引きずって持ち帰ってしまいます。ところが鐘を撞いたところ「イノー、イノー(関西弁で「帰ろう」の意)」と鳴るものですから弁慶は「じゃあ帰ってしまえ!」とキレて谷底に投げ捨ててしまいましたとさ。ほとんど痴話ゲンカのノリ。でも鐘の表面にはたしかに引き摺られたようないくつもの傷跡が…!

三井寺・弁慶の汁鍋(霊鐘堂)
 引きづり鐘のすぐうしろには僧兵らが煮炊きに使っていた大鍋が「弁慶の汁鍋」として展示されています。これもまた大きい!人の2、3人くらいゆうに放り込めます。イヤ放り込んじゃいけませんってば。この大鍋に群がってむくつけき僧兵どもがドヤドヤにぎやかに飯をかっ食らっている光景を思い浮かべると何だかほほえましい。

義仲寺(ぎちゅうじ)
 大津市馬場一丁目には義仲の墓所があります。巴御前がこの地で討たれた義仲を悼み、草庵を結んで供養したと伝えられています。後年、義仲ファンの松尾芭蕉がこの寺を足しげく訪れ、大阪で客死した際には「木曽塚に葬ってくれ」と遺言し、仲良く義仲と並んで墓が立てられました。敷地内には義仲の愛妾・巴と山吹の塚もあります。これなら義仲もさびしくないですね。三角関係のもつれが危ぶまれるが。
 路地の狭間の小さなお寺ながら平日でも大勢の観光客でにぎわってました。特に若い女性客多し。義仲、死後もモテモテです。この色男!

拝観料\200/時間9:00〜17:00(冬季は〜16:00)
定休月曜日(祝日の場合は翌火曜日)

道の駅・竜王かがみの里
 竜王町は古来より街道東山道の宿場として栄えた「鏡宿」に位置します。京の都を抜け出したばかりの牛若少年が元服をおこなった地としてさまざまな史跡が今に伝えられています。
 国道8号線沿いにある「道の駅・竜王かがみの里」は地元の特産品やオミヤゲ物を扱うショッピングコーナー・レストランがあり、またフロアには義経元服ゆかりの年表や史跡マップが大きなパネルで展示されています。義経関連の史跡はここから歩いていける距離に点在しているので、史跡めぐりの拠点としては申し分ない施設。写真は同施設の駐車場にはためく「義経元服の地」の幟。史跡のそばなど町内のいたるところに立てられています。
営業時間9:30〜18:00/定休火曜日(祝日の場合は翌水曜日)

源義経元服池
 道の駅の真正面、国道8号線を渡ってすぐのところに「源義経元服池」があります。湧き水がしみ出してできた小さな池でその水は清らかに澄んでいます。古来より旅人の喉を潤してきたといわれ、近年まで飲料水として使われていたそう。牛若少年はこの池の水を使って元服し、またこの池の水面に元服姿を映したといわれています。小さな泉を鏡におのが未来と向き合う少年、そのつつましくも凛々しい姿は、大勢の一族郎党にチヤホヤされる豪華な元服式などではとうてい得られぬ至高の気高さ美しさに満ちています。誰から与えられるでもなくみずからに「義経」と名づけた少年は、これから過酷な運命をひとりで切り拓いていくのです。


鏡神社・烏帽子掛松
 元服池から東へ130mのところには「鏡神社」があります。近江源氏佐々木氏の一族・鏡氏が護持する由緒正しき神社(主祭神・天日槍)で、入り口の左脇には「烏帽子掛松」があります。謡曲「烏帽子折」において義経が元服する時に用いた松といわれ、明治時代に台風で倒れてしまったため現在はごらんのように切り株が保存されています。


鏡宿・宿所跡
 鏡神社からさらに東へ進むと道沿いの空き地に「本陣跡」「升屋跡」といったかつて貴人の宿泊に使われた旅籠跡を標す案内板・石碑が建っています。この一角にある「白木屋」に義経が宿泊したといわれています。また白木屋には「義経元服の盥(たらい)」の底板が代々伝えられており、戦時中は義経の武運にあやかって出征する人々が盥のカケラをお守りとして削って持っていったそうです(なのでだいぶん欠けている)。この底板は現在保存会が保管されています。
 この宿場に、吉次の荷を狙った盗賊が襲いかかります。すみやかにトンズラする吉次をよそ目に、牛若あらため義経はクセ者どもに立ち向かいこれらをみごと討ち取ります。「義経」の初仕事は、胸のすくような劇的盗賊退治で幕をあげるのでした。

平宗盛終焉地(野洲町)
 竜王町の西隣にある野洲町・大篠原には、壇ノ浦合戦にて捕虜となり鎌倉から戻る途中この地で処刑された平宗盛親子を供養する石碑があります。京に入るまでに宗盛の首を取らねばならなかった義経は、せめてもの償いにここに父子の胴をともに埋葬しました。宗盛父子は処刑されるまで互いのことをずっと案じ合っていたといいます。鎌倉にて兄・頼朝に冷たく追い返された義経は、人一倍家族思いのこの宗盛にいったいどんな思いを抱いたのでしょう…。
 またこの近くにある池は「宗盛首洗池」、また蛙があわれに思って鳴かなくなったことから「蛙なかず(入らず)の池」とも呼ばれています。
 また同町は平清盛に寵愛された美人白拍子姉妹・祇王祇女の出身地でもあり、町内には「祇王寺」というゆかりのお寺があります。

オマケ情報
熱田神宮(愛知県)
 義経のもうひとつの「元服の地」。『義経記』によると牛若は東下りの途中にこの熱田神宮に立ち寄り宮司を烏帽子親として元服をおこなったとされています。源氏の御曹司・義経が宿場でたったひとりの元服とはあまりにみじめ、との思いからこのような逸話が生まれたのでしょうか。ちなみに熱田神宮は頼朝の母の実家でもあります。でも境内にはとくにそれらにちなんだ史跡等は現在のところありません…。

オミヤゲ情報

弁慶の引づり鐘
大弁慶うどん(比叡山東塔売店)
比叡山で弁慶の名が冠せられたオミヤゲは現時点でこれしかありませんでした…\770。
弁慶の引づり鐘(三井寺レストラン売店・風月)
10個入りで\800。いろんなサイズがあります。包装紙には引づり鐘の由来が京ことばのとぼけた調子で記されているので必見。
大弁慶うどん
鏡まんじゅう(道の駅・竜王かがみの里)
竜王町道の駅にて販売中の義経元服地ゆかりのまんじゅう…が、なんと売り切れ!なので、広告だけ撮らせてもらいました…
義経元服もち(道の駅・竜王かがみの里)
同じく竜王町道の駅で販売されている、義経元服の烏帽子を模したモナカ。写真は5個入りで\630。ほかにもいろんなサイズがあります。
鏡まんじゅう 義経元服もち
義経とがらい土鈴(道の駅・竜王かがみの里)
道の駅で販売している土鈴。\1575。「とがらい」とは「泊まらい」の意、宿場の客引き言葉です。烏帽子型の土鈴に源氏の家紋・笹竜胆が描かれています。義経元服ゆかりの鏡神社でご祈祷済みというありがたいオミヤゲ。
義経とがらい土鈴
MAP LINK
自作マップ(竜王町周辺)

三井寺・比叡山    竜王町周辺
     
比叡山延暦寺
三井寺(園城寺)
道の駅・竜王かがみの里
野洲町観光物産協会

 比叡山は写真でもおわかりのように霧でけぶっておりました。下界は晴れでも比叡の山中だけは霧でしっとり、ということも多々あるようです。撮れた写真はどれもこれもただただ「白い…」。そのぶんマイナスイオンとフィトンチッドの濃さはハンパじゃありません。濃い霧と深い緑に包まれて、身も心もリフレッシュできます(何やら別荘地のセールスコピーのよう)。
 平宗盛終焉地のある野洲町では武士・俵藤太秀郷のムカデ退治で有名な近江富士(三上山)の秀麗な姿もおがめます。観光バスで名神高速道路を通ると必ずここでガイドさんが三上山を指し示し「あの山に七回り半ぐるりと巻きついた大ムカデが…」と説明してくれます。そんな怪獣ムカデをこともなげに矢で射殺した俵藤太もまたバケモノ級。そういうやたらでっかい話がまかりとおる神話的大らかさもこの地の魅力でしょう。せかせか忙しい日常からたまには抜け出して、悠久の歴史をゆったりたどる湖国の旅、楽しみたいものです。