2005年4月2日〜3日

 福島県は義経の忠臣として誉れ高い佐藤継信忠信兄弟のふるさとです。代々奥州の入り口・白河の関を守ってきた佐藤一族の本拠は福島市飯坂(いいざか)一帯にあり、居城跡や一族の菩提寺である医王寺などゆかりの史跡が大切に保存されており、いまでも彼らの時代をしのぶことができます。この地を発祥とする「佐藤」さんは各地に広がり今や日本でいちばん多い名字。日本全国の佐藤さんがごっそり義経ファンになってくれればこんなに心強いことはありません。どうぞよろしく!(無茶をいうな)
 ともあれ今年2005年は大河「義経」放送ということで義経や佐藤兄弟にまつわるさまざまなキャンペーンが実施され、ありがたいことに当サイトの切り絵キャラを観光PR用に使っていただいております。福島市内の電車やのぼり旗にわがキャラクターの姿が描かれているのを目にして、もううれしいやら恥ずかしいやらで終始ソワソワしながら観光させていただきました。

4月2日は福島の春を告げるイベント「開花来馬」が絶好の晴天のもと催されました。市内の温泉PRや大河「義経」で佐藤兄弟を演じる宮内敦士さん・海東健さんらによるパレードのテープカット、また駅ビルでは「義経フォーラムU」のトークショーが行われました。

飯坂電車(佐藤兄弟切り絵)
JR福島駅から飯坂温泉を結ぶ飯坂線(福島交通飯坂線)には今年限定の義経装飾電車が走ってます。当サイトの佐藤継信・忠信・義経&静・弁慶のキャラクターを使っていただいてます。

飯坂温泉駅構内・佐藤兄弟顔出しパネル
 飯坂温泉駅構内の改札口付近には佐藤兄弟イラストのパネルが設置されています。顔の部分をパカッと外すと記念撮影用の顔出しパネルに!
 「キツネとタヌキの意味はなに?」とよく聞かれるのであらためて説明しますと、忠信のキツネは歌舞伎「義経千本桜」に出てくる「忠信狐」、継信のタヌキは屋島の地のヌシであり源平合戦の一部始終を見ていたという伝説の狸「屋島太三郎禿狸」です。忠信のほうはともかく継信のタヌキはややコジツケ…。

飯坂温泉駅・広告塔
 飯坂温泉駅前には写真のような広告塔がそびえ、そばには松尾芭蕉の銅像や記念碑が建っています。飯坂温泉ははるか2000年前に日本武尊が傷を癒すため立ち寄ったといわれ、また元禄二年(1689年)には松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の途中に訪れたという歴史ある名湯です。旅館でゆったりくつろぐもよし、9つある共同浴場のはしご湯を楽しむもよし。共同浴場のなかでは飯坂温泉発祥の地「鯖湖湯(さばこゆ)」がとりわけ有名です。
 今回は旅館「祭屋湯左衛門(まつりやゆざえもん)」さんにお世話になりました。広々とした気持のいい露天風呂、祭り情緒と遊び心いっぱいの館内装飾…。くつろぎつつも華やいだ気持ちになれる、とても素敵なお宿でした。

大鳥城(おおとりじょう)跡
 飯坂温泉からほど近い小高い山には、かつて佐藤一族の居住していた「大鳥城」がありました。今は「舘の山公園」として頂上に居城跡を標す碑や祠が建てられています。ここから彼らの治めていた信夫の地を眼下に眺めることができます。築城の際、この地に白鳥を埋めて守護神としたことから「大鳥城」という名がついたといわれています。
 白鳥といえば福島市内を流れる阿武隈川の親水公園は白鳥飛来地としても有名で、私も北に帰りそびれている白鳥(&鴨)たちに食パンをやって指を噛まれながらひとしきり遊びました。
舘の山公園アクセス…飯坂温泉駅から車で5分

医王寺(いおうじ)・本堂
 医王寺は天長三年(826年)空海創建の真言宗豊山派の寺院。信夫庄司・佐藤一族の菩提寺とされ、一族にまつわるさまざまな史跡・宝物を有しています。
 兄頼朝に追われて奥州に逃れてきた義経は忠誠を尽くしてくれた誇り高き奥州武者・佐藤兄弟を弔うためここ医王寺を訪れ、遺髪を葬り厚く供養したと伝えられています。
 のちには松尾芭蕉が「奥の細道」の旅でこの地を訪れ、大鳥城・医王寺で佐藤一族をしのびました。義経の忠臣として名高い佐藤兄弟を芭蕉はとりわけお気に入りだったようで、兄弟の母と妻たちの心優しいエピソードに涙を流し、また弁慶の笈や義経の太刀などゆかりの品々を目にして、有名な一句を詠んでいます。
 
笈も太刀も五月にかざれ紙幟 (おいもたちも さつきにかざれ かみのぼり)
 本堂脇には句碑も残されています。
拝観時間8:30〜17:00(冬期は〜16:00)/拝観料大人¥300・子供¥200
アクセス…飯坂電車・医王寺前駅から徒歩15分

医王寺・杉の古木
 医王寺の山門をくぐると参道沿いにみごとな杉並木が続いています。そのなかでひときわ目を引くのがこの古木。樹齢800年といわれており、この地で繰り広げられた義経と佐藤兄弟のさまざまなドラマを静かに見守ってきたことと思われます。そんな名木も寄る年波には勝てず今は切り株だけになっていますが、その根元からはすでに新しい若い芽が伸びてきています。義経ファンもかくありたいものです。

医王寺・虎の尾松(パンフレットより転載)
 本堂の裏手には市指定天然記念物のハリモミ(別名バラモミ)が高々とそびえています。寛永年間の医王寺再興の際に植栽されたものとみられ樹齢は推定300年。言い伝えでは義経手植えの松とされ、ふさふさしたみごとな枝ぶりを虎の尾に見立てて「虎の尾松」と呼ばれています。虎の尾を踏むようなスリルと苦難の道を歩んでいった義経の人生がしのばれる古木です。

医王寺・若桜と楓の像(パンフレットより転載)
 本堂には佐藤兄弟の妻たち・若桜と楓の像が安置されています。息子を失い嘆き悲しむ兄弟の母・乙和のため、妻たちは武装して兄弟の凱旋を演じてみせ、義母をなぐさめたとといわれています。ふたりともとびきりのべっぴんさん!凛としつつもその面差しには柔和な優しさがにじみ出ています。

医王寺・(左)佐藤継信忠信の墓/(右)佐藤基治・妻乙和の墓
 寺の境内の最奥、鯖野薬師堂の裏手には佐藤一族の墓が静かに仲良く並んでいます。この石塔を削って飲むと熱病が治るという言い伝えがあり、江戸時代から明治以降まで出征時や海外移住の折に削り取って持参する人が多く、そのため石碑の表層はかなり摩滅しています。佐藤兄弟の武勇と健全な心にあやかりたいという地元の人々の思いがこんなところからも伝わってきます。

医王寺・乙和の椿
 一族の墓碑のそばには「乙和の椿」と呼ばれる木があります。写真ではわかりにくいですが、隣の木がたくさん花を咲かせているのに対しこちらはひとつも咲いていません。 この木だけつぼみが花開かぬまま皆落ちてしまうのだそう。このふしぎな現象は、継信・忠信ふたりの愛息を失った母乙和の悲しみが乗り移ったためといわれています。

医王寺・瑠璃光殿の宝物(パンフレットより転載)
(左)弁慶の笈/(右)袍衣端(ヒダレのハシキレ)

 瑠璃光殿(宝物殿)には佐藤兄弟や義経にまつわる貴重な宝物が多数展示されています。「弁慶の笈」(県指定重要文化財)は精巧な装飾が施された儀式用の華麗な笈で、義経とともに逃れてきた弁慶が奉納したと伝えられています。また「袍衣端」は源氏旗揚げの際に奥州を離れる義経が形見として佐藤基治に贈った直垂で、基治はこれを部下たちに切り分けて与えたということです。
 ほかにも継信を射抜いた能登守教経の「恨みの矢の根」、佐藤兄弟所有の矢の根、鐙、鞍、旗竿に用いた竹竿、義経の含状など興味深い宝物がたくさん見られます。

国見町・観月台文化センター・義経像
 福島市からさらに北、伊達郡国見町にも義経ゆかりの史跡が点在しています。ただし案内表示が少ないのでまずはJR藤田駅近くの「観月台文化センター」で地図をもらって説明を受けるのがカシコイ方法。下で紹介する「阿津賀志山(あつかしやま)防塁跡」のいちばん見ごたえのある場所などをたいへん丁寧に説明していただけました。
 センターの一角では写真のような義経像と出会えます。鎧兜姿の像はよく目にしますが、こちらはとても珍しい直垂姿の御曹司義経。はるかな未来をながめているような凛々しくもちょっと憂いを帯びたたたずまい。その初々しい姿に、今更ながら義経への愛しさがつのります。
アクセス…JR藤田駅下車徒歩5分

国見町・義経腰掛松(よしつねこしかけまつ)
 国道4号線から少し西に入ったところ、国見神社のそばには「義経腰掛松」があります。少年義経が京から奥州に向かう際、休息をとるためこの松の木に腰をかけたといわれています。現在の木は二代目ですがそれでも樹齢200年という立派な赤松の老木。しかし松くい虫に食われたり蜂の巣駆除でウッカリ燃やされたりと数多の苦難がおそいかかり、三つ又の巨木だったのが今は一本だけ、しかもこのようにぐったりとくたびれておいでです。まさに義経の人生そのものの試練の道をこの松も歩んでいます。…がんばれ!

国見町・弁慶硯石(べんけいすずりいし)
 義経腰掛松からほど近い場所、果樹園のなかの小高い丘の上(細い農道を車でモコモコ乗り込んできたのに親切に場所を教えてくださった農家の方ありがとうございます)には、「弁慶硯石」と呼ばれる巨大ドーナツのようなかたちをした石があります。源氏挙兵の報を受け兄頼朝のもとに向かう義経がこの地を通過した際、弁慶がこの石で墨をすり同行した者たちの名を記したといわれています。

国見町・阿津賀志山(あつかしやま)防塁跡
 国見町の北に位置する阿津賀志山(あつかしやま)周辺は、奥州討伐のため侵攻してきた鎌倉軍と藤原国衡率いる奥州軍とがぶつかりあい大規模な合戦が行われた場所です。戦に際して奥州軍が築いた約3.2キロメートルにも及ぶ防塁が今なおその名残をとどめています。薬研掘状の防塁で、地元では二重堀と呼ばれています。写真は防塁のいちばん東(南)端、その姿をとりわけよくとどめている場所です。
 この防塁跡は義経が没した年の1189年のもの、上記の弁慶硯石は源氏挙兵の1180年、さらに義経腰掛松は彼が奥州に初めて赴いた1174〜75年頃?と、みっつの時代をしのぶ史跡がひとつの町に点在しているという事実に何だかしみじみとした感慨がこみあげてきます。


宮城県白石町・甲冑堂(かっちゅうどう)
 国道4号線をどんどん北に向かい宮城県は白石市に入ると、国道から少しそれた小道の先に田村神社甲冑堂があります。ここも佐藤兄弟の妻・若桜と楓のエピソードに由来する、武装した彼女らの像が安置されています。…閉まっていて見られませんでしたが。
 このように佐藤兄弟とその家族にまつわる史跡が各地に点在しているところをみると、いかに彼らが古来より愛されてきたのかがよくわかります。佐藤兄弟の直き正しき魂とその家族のけなげで美しい心根は、ご当地のみならず、より多くの日本人に知ってほしい。家族の関係が希薄になった現代人にこそ彼らの物語は訴えかけるものがあると思います。家族愛にめぐまれなかった義経も彼ら一族の優しさに触れてあたたかい気持になる一方、みずからの境遇をかえりみてどんなにせつなくむなしい気持になったことでしょう…。

オミヤゲ情報
忠信栗パイ/継信焼 忠信最中
忠信栗パイ・継信焼(澤田屋)
忠信最中(吉兆松屋)
乙和の椿(紅屋本店)
手作りリンゴジャム(飯坂温泉オリジナル)

福島市内で販売中の佐藤兄弟にちなんだお菓子です。
「忠信栗パイ」は大きな栗を包んだ香ばしいパイ、
「継信焼」はまろやかな黄身餡がおいしいお饅頭。
「忠信最中」は佐藤家の家紋「源氏車」を模した大きな最中。
「乙和の椿」は椿の花をかたどった可憐で上品な和菓子。
そしてリンゴジャムは飯坂温泉宿泊プランでもらえるレア物です。
乙和の椿 リンゴジャム

武蔵坊まんじゅう
武蔵坊まんじゅう(松栄堂)
仙台空港のお土産物売り場では伊達政宗さん関連にまじって「義経」モノもがんばってました。その中で選んだのがコレ。真っ黒なカステラ生地のなかに白あんが入っています。怪異な容貌に包まれた純白の心…まさしく弁慶さんのキャラクターそのもの。

MAP LINK
福島市飯坂温泉周辺


福島県伊達郡国見町周辺

福島市観光情報ホームページ

飯坂温泉オフィシャルホームページ

福島県国見町ホームページ

宮城県白石市・おもしろいしネット

                           
              阿武隈川・親水公園の白鳥         花ざかりの花見山(パンフレットより転載)
 
 今回は福島県北部をメインに回りましたが、県南部には奥州の入り口・白河関の跡や、義経に従う継信忠信を父基治が見送った「庄司戻しの桜」などの史跡があります。また県中部の郡山市周辺は静御前鬼一法眼の娘・皆鶴姫など義経を慕った女性たちの最期の地とされており、さまざまなエピソードや史跡が伝わっています。
 私が訪れたのは4月はじめで花の季節にはまだ早かったのですが、これから福島は一気に花で包まれます。桜のみならず花桃、レンギョウ、ロウバイ、マンサクにヒメミズキ…そしてさまざまなフルーツの花々が競い合うように咲き誇るさまはまさに「桃源郷」のおもむき。残雪の美しい磐梯吾妻連山をはるかに臨みつつ百花繚乱を満喫…こんな贅沢な春があるでしょうか。ぜひ花の盛りの頃にふたたび訪れたいものです。
 今回は私にとって初の「みちのくの旅」となりました。東北旅の皮切りが「陸奥の入り口」白河関の福島県というのも何だかキッチリしていてうれしい。そしてご親切なご案内をくださった福島市・飯坂温泉の皆さん、国見町文化センターの学芸員さん、そして道を親切に教えてくださった地元の方々など、この度は東北の人々の優しさ、あたたかさにふれる旅でもありました。お世話になった皆様、本当にありがとうございました!