「架空の伝説のための前奏曲」について

ここでは以下の項目に分けて説明したいと思います。

作曲の経緯
曲名について
曲のイメージについて
曲の作曲学的分析
演奏に当たって

作曲の経緯

 2005年の2月から4月の頭にかけて作曲しました。

 この曲は、私にとって初めての吹奏楽オリジナル作品です。この曲以前に「第3回響宴」のCDに収録されている「吹奏楽のためのシンフォニア」という作品が有りますが、この曲は1996年に作曲した「管弦楽のためのシンフォニア」の第3楽章を吹奏楽用に編曲したもので、純粋な吹奏楽オリジナル曲では有りません。

 私は中学から高校の6年間吹奏楽部に所属しており、その頃すでに作曲に関心がありましたので、将来ぜひとも吹奏楽曲、特に課題曲を作曲してみたいと思っていました。
 しかし、その後ずっと吹奏楽曲作曲に縁がなかったのは、芸大に入学してみると回りには吹奏楽曲を書く人はほとんどおらず、私自身の興味も現代音楽スタイルの管弦楽曲作曲に移ったためでした。また、関心は有りながらも書く機会が無かったため、吹奏楽を作曲すること自体に苦手意識も出てきました。
 実際、2002年の朝日作曲賞ではマーチを作曲して応募したのですが、見事に第一次予選で落ちてしまい、自分には吹奏楽の作曲は向いていないのではと思ったほどで、ますます吹奏楽曲作曲の意欲も薄らいできました。

 それが一転、急に吹奏楽曲を作曲したくなったのは、日本テレビの「笑ってコラえて」という番組の、「吹奏楽の旅」のコーナーを見て、吹奏楽に一生懸命に取り組む高校生のひたむきな姿に感動し、自分も吹奏楽少年だった昔のことを思い出し、同時に作曲を志す者として課題曲を作曲することに憧れていた気持ちも思い出したからです。作曲のきっかけは意外と身近な所にもあるものですね。

 さて、そのような訳で、2005年の課題曲公募に応募してみようと思い立ったのは2004年の終わりごろ。ところがその頃は既に合唱曲の朝日作曲賞出品を決めて作曲に入っていました。合唱の締め切りは3月10日なので、ぎりぎりまで合唱曲の作曲にかかっていると、4月5日の課題曲公募締め切りまで1ヶ月も無いわけで、合唱作曲終了後に続けて作曲を始めても間に合わないのではと思いました。

 今回の場合、合唱曲の作曲の方が思い入れが強く、吹奏楽曲作曲を優先しようとは思いませんでした。というのも、合唱組曲公募では数年前に一度佳作を受賞しており、今度こそは朝日作曲賞との意気込みが強かったためです。
 そこで2005年の1月の頭ごろには、やはり今年は吹奏楽の応募は無理かと思っていましたが、今年を逃すと来年はマーチの年となり、自分が書きたい吹奏楽曲は自由なスタイルの楽曲の方でしたので、次回は2年後を目指すことになってしまいます。せっかく気持ちが盛り上がったことを考えると、2年待つのも残念なことです。
 そんな様子で、その頃は出品自体を迷っていましたが、合唱曲作曲の合間にも、何とはなく吹奏楽曲のイメージを漠然と思い巡らしてはいました。そのうち、漠然としたイメージが次第にファンタジー的な曲が書いてみたいとなり、日本的なものにするか、いや日本的すぎるのは避けたいので架空の国の物語の感じか、などと連想していき、ついにある時「架空の」と「前奏曲」という単語がキーワードとして浮かびました。
 
 私の場合、曲名が先に出来る場合と、後から出来る場合と様々ですが、先に出来る場合、当然曲のイメージに影響を与えるので、作曲にあたっては、その言葉がキーワード的な意味を持ってきます。今回は早い時期に曲名が決まったことで、全体の構成や細部の決定がスムーズにできたと思います。もっとも「架空の」の次の言葉は「伝説」以外に「寓話」や「伝記」なども候補に上がっており、一週間くらい迷っていました。曲名が変わっていたなら、曲も今とちがう雰囲気になっていたかもしれませんね。

 以上のような経緯で、曲名をこれでいこうと決めたのは1月末。曲名が決まると全体の構成や各部分のイメージは、あまり時間もかからず見えてきました。とはいうものの、やはり2月中は合唱に時間をとられ、本格的な作曲には取りかかれません。しかし、作曲の基本的な方向性が定まったので、気の向いた時に頭の中で少しずつ音を遊ばせることができ、細部のイメージも次第に明確になっていきました。

 そして実際に作曲に取りかかったのは、やはり合唱曲の作曲が終わった3月10日以降。締め切りまで一ヶ月を切っていますが、曲のイメージはもはや動かせない状態になっており、後は実際の細部を定着させていく作業です。
イメージが定まったのでサラサラッと書けるかと言うと、そこはやはり吹奏楽曲。楽器数も多いので、やはり簡単な作業ではありません。また、今回の作曲は、演奏時間や音域の指定も有り、やはり何かと気を使います。

 ところで、私は楽譜をフィナーレで作成することにしているのですが、ノーテーションソフトは便利な反面、細部の仕上げを美しくするには、手動による修正をかなり必要とするため、こだわると案外時間がかかるものです。仕事の時間も画期的に減っているとは思えないこともあります。もっとも、同じ時間なら鉛筆を握るよりキーボードを叩いている方が楽に思っているので、手書きに戻ることは無いと思いますが。

 そのような訳で、期限までに終わるか心配でしたが、何とか書き終える事ができ安心しました。

 4月5日当日消印で提出。出した瞬間は曲を書き上げた満足感と、無事に提出できた安心感でとても嬉しいのですが、あとは審査結果が届くまでドキドキです。

 曲自体はまあまあの出来ではと思っていたのですが、実は課題曲公募の審査のあり方には少し疑問を持っていました。というのは、もしかすると純然たる作曲の出来不出来で決まるのでは無いのではということです。確かに課題曲という性質上、曲として良く出来ていても課題曲としてふさわしくないという観点も有るはずで、純然たる作曲コンクールとは事情が異なる所が有っても仕方の無い事かもしれません。
 その課題曲に適した条件というのも、結構曖昧です。技術的に簡単とか、親しみやすい旋律という募集要項の条件には引っかかります。親しみやすい旋律の基準はいったい何なのでしょうか。
とりあえず以前に落ちた反省点から、楽器の音域は出来る限り指定音域に従いました。親しみやすい旋律というのも私なりに多少意識して、Gからのメロディーに反映させたつもりです。(これについては、その条件のおかげで逆に普段書かないメロディーを書く事が出来、私にとっては良かったと思っています)

 しかし難易度については、出してから難しくしすぎたかなと後悔。きっと難しいとの理由で落とされる可能性も高いはずで、この曲では駄目なのではと日増しに思うようになり、半分あきらめの気持ちになっていました。
 それが4月の下旬でしたか、全日本吹奏楽連盟から速達郵便が届きました。落選通知を速達で出す訳はないのでは、と期待しながら封を切ると、果たして一時通過の知らせ。半分あきらめていたので素直に嬉しかったです。何より音にしてもらえるのですから。

 あとは、運良く課題曲に選ばれれば最高です。実は朝日作曲賞は全くといってよいほど期待していませんでした。自分としてはまあまあの出来と上に書きましたが、やはり経験の少ない吹奏楽曲のことなので、今ひとつ自分の曲に確固たる自信が持てません。また、やはり演奏審査でも、もっと親しみやすい曲の方が高い評価をされるのではと思っていたからです。

 朝日作曲賞を獲れなくても上位3人の中に入れば課題曲には採用されるはずなので、今回は何よりも課題曲採用が一番の望みでしたから、3位にでも食い込めれば十分と考えており、朝日作曲賞は意識に無かったのですね。

 さて、譜面審査が通った事で、喜んでばかりではいられません。一ヶ月くらいでパート譜を完成させなければなりません。直接演奏者が目にする物なので、見やすさを考慮したり譜めくりの場所を考えて、また紙の質や製本の仕方などにも気を使いますし、物理的にも大変な作業です。これはもはや作曲の作業とは別の事なのですが、本当に作品が音になるまでの手続きは、本当に大変なものですね。パート譜も何とか無事に期限内に完成しました。

 演奏審査前日のリハーサルに立ち会いましたが、そこでは課題曲4の作曲者三澤慶さんと初めてお会いし、待ち時間の間にいろいろとお話しをしました。
 今回の演奏審査の演奏は東京佼成ウインドオーケストラですが、クラリネットの小倉清澄君は芸大での同期。この曲のおかげで卒業以来、何と20年ぶりの再会です。もう20年もたってしまったとは時間の速さに驚きです。サクソフォーンでコンサートマスターの須川展也君も同期で、彼とも会えることを楽しみにしていましたが、残念ながら今回は降り番で会うことは出来ませんでした。

 初めて音を聞いた時は、やはり嬉しかったです。今まで何度もこの経験をしている訳ですが、やはり初めて音になった瞬間の喜びは作曲者にとって最も大きなものです。特に失敗したと思う所はなく、演奏上の注文をつけたい箇所もあまり無く、練習は意外にあっさりと終了しました。

 演奏審査当日も立ち会えるとのことでしたが、私は都合により欠席しました。

 結果はどのように伝わるのか分からなかったのですが、夜の7時頃に吹奏楽連盟の事務局の方から電話があり、朝日作曲賞受賞の知らせを受けました。前記のように期待していなかったのでとても驚きました。受賞そのものも嬉しかったのですが、やはり課題曲に採用されることの喜びが大きかったです。
その後は、出版に向けて、驚くくらい慎重に繰り返される校正、そして9月には東京佼成ウインドオーケストラによる参考演奏の録音と成りましたが、いろいろと楽しくまた勉強になりました。

 このように作曲家の脳裏にイメージの種が生まれてから、曲が次第に出来ていき、最終的に人の耳に到達するまでは実に多くのプロセスや出来事があるものです。

曲名について

 曲名についてはかっこいいという感想の他に、意味が分からないと言う感想も耳にしました。いずれにせよ、結構印象的な曲名と思われているようですね。

 あと、伝説はもともと架空の話なのだから「架空の伝説は」日本語としておかしいと言う意見を聞いたことがあります。このように、曲名だけでいろいろな反響があるようですので、ここでは曲名について説明いたしましょう。

 まず、「架空の伝説」の逆の言葉は「実在の伝説」ということになると思いますが、実在の伝説とは、例えば義経伝説とか浦島伝説のように、みんなが知っている実際に昔から伝承されてきた伝説などがそれにあたるでしょう。
 それに対して、「架空の伝説」は、例えばある作家が自分の小説の中で、実際には存在しない伝説を創作して主人公に語らせたとするならば、それは全く作家の創作ですので、その伝説は存在そのものが架空の「伝説」という訳です。
 私はこの曲で、誰もが知っているような「実在の伝説」を音楽化しようとした訳ではなく、どこの国、どの時代のものとも知れないイメージをしたので、そこで聴く人も演奏する人も、各自が自由に「架空の伝説」をでっち上げてイメージしていただいて結構です、と言う気持ちからつけたものです。

 曲名は曲のイメージのキーワードのようなものです。日本語として意味不明でも、イメージを喚起する言葉を選ぶ場合も多いです。小説やドラマでもそうですね。松本清張の「ゼロの焦点」、ゼロの焦点て何。「赤い疑惑」なんで疑惑に赤い色がなどと言い出したら切りが有りません。日本語としては意味が通じなくても、それでも単語からイメージが伝わってくれば良いのではないでしょうか。
 この曲においても「架空」と「伝説」という単語だけからでも、ある種のイメージを感じられることと思います。

その上で、改めて申せば「架空の伝説」という言葉自体は、決して変な言い回しとは思わないのですが、いかがでしょうか。

 ところで英語の訳名Legendary preludeが日本名の意味と合っていないと言うご指摘もありました。正直申しますと、私は英語については自信が無く、もともと英題を付けてはいませんでした。
それを、外国に紹介する時のために必要ということで吹奏楽連盟の方で英訳をつけてくれました。最初の案は忘れましたが、少なくとも今よりは日本語の原題に近かったはずです。
しかし、その訳だと意味は正確に伝わりますが、長い題名になっていました。その後、吹奏楽連盟から、外国に紹介する場合、長い題名は外国では好まれないということになったらしく、より短い今回の案を提示してきました。
私自身、今度の案は簡単で割れ切りすぎているような気がしましたが、元々英題を付けようとは思っていませんでしたし、英語力も無いので、その案に対して批判したり対案も出せず、結局お任せいたしますということにしたのでした。

 以上、曲名にまつわる話でしたが、いわくありげな題名をつけると、いろいろと困りますね。作品23などという曲名では面白くないという意見ももっともだと思いますが、実は作曲者からすると、曲名はそれほど重要では無いと感じることもあります。あくまで音楽そのものが重要なので、曲を聴いて頂ければそれが全てです、という思いもあります。
 反面、聴く側にしてみれば、初演の場合など、音を聴くより先にプログラムなどで曲名を見てしまうわけです。そうなると曲名が先入観を与え、実際の曲を聴いたら曲名とずいぶんイメージが違うとか、ぴったり合っているとか、曲名のおかげで曲が理解できたなどと感じるわけで、曲名に影響力が有るのも事実です。
 いずれにしても曲名の付け方そのものから、作曲者の作曲に対する考え方や、曲に対する意図が伝わるものですね。

曲のイメージについて

 次に曲全体のイメージについて書いてみようと思います。

 全体的なイメージとして日本的な感じをもたれる人もいるようですが、前にも触れたとおり、私には日本のイメージでと言う意図はありませんでした。
 確かに日本的なにおいが有ることは否定しませんが、私のイメージでは、ここでの日本的というのも、どことなく日本といった感じです。
例えばハリウッドの映画などで日本を描写したシーンが有ると、われわれ本当の日本人から見ると変に感じる場合が有りますね。室内の装飾が中国的だったり、日本で有ることを分からせようとするあまり、刀や浮世絵が飾られるはずの無い所に飾られていたりして不自然だったり。恐らくアメリカの人から見ると、中国、韓国、日本の微妙な違いは理解できず、一括りで同じ東洋という理解なのでしょう。
 他にもSF宇宙ものの映画などで、そこに登場する女性の宇宙人が、明らかに日本の着物をイメージしたと思われる衣装を着ているシーンを見たことが有ります。これもどこの世界でどの時代なのかも不明な設定の場合、西洋とは異なる東洋のムードは、不思議な表現には向いていると感じるのでしょう。
ですので、この曲で感じる日本的も、日本風だけれど実は日本ではないといった、まさに架空の国のこととイメージして見てはいかがでしょうか。

 この曲では私は決して描写音楽を作ろうとした訳ではなく、またそうであったとしても、音楽は物語とは別の秩序をそれ自体の構成原理として持っていますので、曲の各部分を具体的な物語的風に説明はできません。(完全な音楽描写を狙ったものや、ドラマの音楽なら別でしょうが)
 架空の伝説とは、具体的にどのような物語を考えたのですかと質問されますが、私自身、曲名から受けるイメージを全体の中心核としてはいますが、あとは音楽としての構造優先で作りましたので、具体的な物語の流れがあって、その時間軸に沿った各場面のイメージを音像化して作った曲では有りません。ですので、具体的なイメージは各人それぞれの受け止め方で感じていただいて結構だと思います。

 その上で、大きなイメージの流れについて説明を求められると、ある演奏会のプログラムにも書いたのですが、以下のように説明することにしています。
 何か物語が始まるような予感を感じさせる序奏、いろいろな場面を暗示するように変化していく主要部、最後は大円団と思いきや、本当の物語はこれから始まるといった感じのエンディング、といった感じです。

このように、私はおおざっぱな流れのイメージしかしておらず、これ以上具体的なイメージは有りません。上記の、「いろいろな場面を暗示するように変化していく」についても、各場面のイメージはご自由に考えて下さって結構なのです。

エンディングのイメージは上記の通り、曲名の「前奏曲」から導かれているのです。エンディングが低音金管のみのユニゾンで終止感が弱いのを、不思議に感じたり、また不満に感じている方もいることと思いますが、前奏曲のイメージであるが故のエンディングの作りです。最後のフェルマータのクレッシェンドの時に、幕が開き始めたり、映画ならこれまでは予告編で、いよいよ本編開始といった感じでしょうか。

曲の作曲学的分析

 ここでは曲の和声や旋律構造を中心にお話ししたいと思います。スコアをお持ちの方は見ながらお読みください。また作曲の技術的な話になりますのて゛、かなり専門的になりますことをご了承ください。音高を説明する場合には、全て実音をドイツ音名で表記しています。また、場所を示すためには練習番号と小節番号が併用されています。練習番号と音名のアルファベットの混乱を避けるために、練習番号は赤、音名は青で表記しています。

・主要音程と序奏 

冒頭の主題で、全曲を通して用いられる主要音程が提示されます。最初の小節、1st・2ndと3rdクラリネットの垂直音程で現れる完全4度、3拍目で旋律の動きに現れる長2度、5拍目の減5度(増4度)がそれで、この曲の重要な音程となっています。
例えば旋律だけ見ても、12小節からの低音から上に上って行く旋律の動きや、Aからのトランペットのメロディーは、その多くが完全4度と長2度でできていることが分かると思います。
 Eから頻繁に現れるモチーフ、56小節目2拍の1stクラリネットB−C−Des−Es−Eの動きも音階的な2度進行で、開始音Bと到達音Eの音程差は増4度(減5度)になっています。
 Gのメロディーの頭も、長2度のゆれG−F−Gと続くD−C−Dを同時に合わせると、完全4度の垂直音程と成り、この動きは冒頭のクラリネットの旋律と全く同じになります。

このように、この曲に出てくる多くの旋律は、主要音程、すなわち冒頭の音型と関連づけて説明することができます。

 話を冒頭に戻して、以下、曲の進行に沿って見ていきます。冒頭6小節からの金管の和音も、ユーフォニウムのDを転回して1オクターブ上げると分かりやすいのですが、転回すると和音構成音は上からE−D−H−Aとなり、この響きは1小節目のクラリネットで登場する4つの音、B−As−F−Esから形成される和音を減5度下げたもので、この減5度という音程差は、それ自体が冒頭に提示された主要音程の1つな訳です。
 ここで、減5度下で和音が響くと、冒頭の色彩感と対極にある音程なので、複調のような効果があります。私はここで金管の和音に、遠くから響く鐘の音を連想しています。

 複調という意味では、4小節目からのフルートとサクソフォーンの音型は、使用されている音がH,Cis,Es,F,G
全音音階となり、クラリネットの主旋律や金管の和音とも異なる音組織といえるので、この部分は3つの音組織による複調的効果という言い方が可能かもしれません。

 さて、上記のE−D−H−Aのような和音は、音階として横に広げると5音音階を構成する音になるので、このような長2度、完全4度構成の和音は日本的な旋律の和音付けに良く使われます。
日本的なイメージを感じられる方が多いのも、この長2度、完全4度の多用が理由だと思います。ただ、前述の通り、私自身は日本的なものをと狙って意図的にこの音程を選んだのではなく、自然にそうなったものです。逆に完全に日本的な音感覚を避けるために、意識的に減5度という、いわばはずした音程を加えてみた訳です。

・AからDまでの分析

 Aからの3小節目からのトランペットのメロディーを日本的と思う方はあまりいないと思いますが、この旋律も冒頭で提示された長2度、完全4度中心で出来ているので、メロディーだけゆっくり目にリズムを崩して弾くと、意外と日本的なメロディーにも聴こえてくるのではないでしょうか。

 ただ、Aからはアレグロの速いテンポ感でリズムがかっちりしているのと、背景の和音構造が基本的に3和音構造になっているので、全体の印象としては西洋的になる訳です。
 3和音構造というのは、大体の和音がコードネームでも表示できる長3和音や7の和音で出来ているという事です。そのため調性感は基本的に有るといえるのですが、機能的に見ると意外に調が安定していません。バスだけを見ても、その瞬間に何調に所属しているのかはっきりしないことが多く、かつ流動的です。意図的に5度から1度の和音への解決進行もさけています。

 23小節目ではb-mollのドミナントを感じさせながら、Bの瞬間にb-mollの1度の和音に解決させず、6度の和音に入ることでb-mollであることが曖昧になり、その後もバスの2度進行で全体の調を何気なくスライドさせていきます。このように、古典的な和声での解決を避けて流動的なのですが、バスの音階的な進行が転調をスムーズにさせているという考え方です。

 モチーフ的に分析すると、トランペットのメロディーの最初の動き(4つの16分音符と、それに続く4分音符と8分音符のタイによる音型)が重要で、これ以降、多用されています。(これを以後、動機Aと呼ぶことにします。)
例えばBの頭のメロディーの動きも、音の上下は違いますが、そのリズム型から動機Aの変形であることが分かります。また、音の上下が違うといっても、完全4度と長2度で出来ていることは同じで、その音程は例の主要音程です。

 この動機Aは、後半の4分音符と8分音符のタイによるリズムが縮小され、4分音符になった形で使用されることも有ります。29小節、37小節の旋律などがそれにあたります。

 また38小節から42小節の動きは、やはり動機Aの最初の16分音符の動きが発展したものです。
具体的に見ると、38小節の頭で、動機Aの最初の16分音符4個の音型がDesの音を起点とした動きだし、2拍目は短3度上行しE起点で反復され、3拍目からは16分音符を1つ減らして3個単位にすることで切迫し、起点もG−B−Cisとさらに3度上行し盛り上げていきます。
 39小節の2拍目でHに達すると、そこから42小節の頭までは、もはや全体は上行せず、完全4度と長2度からなるAs,B,Esの3音に固執し、動きのパターンも同じパターンの反復ではなくランダムにしています。

 和声的には31小節から38小節までは、3和音による和声では無く、長2度、完全4度構成による和音になっています。

 40小節からはホルン、サクソフォーンに3和音が復帰しますが、ここの部分は和声的な発想より、音階的な思考優先で出来ています。すなわち、ホルンと木管で使われている音を全て並べてみるとCes−dur音階になります。ところが42小節1拍目のクラリネットではCesが半音上がってCに代わり、Ges−dur音階に変化し、3rdクラリネットの41小節1拍目4個目の十六分音符の瞬間からGesGになり、全体はDes−dur音階になります。
 Dのクライマックスの頭では、1stクラリネットがそれまでのDesからDになることで一気にB−dur音階になります。そのような訳で、ここの数小節は、音階が元になって音が選ばれており、それが次第に変化していくプロセスで作られています。フラットが少しずつ減る事で色彩が変わって行き、特にDの瞬間で、それまでの変化の到達点と成るように出来ています。

 

・DからGまでの分析 

 Dの旋律の動き、44小節3拍目からC−D−A−G−Dは、Aからのトランペットの冒頭の動き(動機A)
B−Es−F−B−Asを反行させた動きと一致しています。

 Dからは調性を曖昧にするプロセスとして、47小節から51小節の旋律は全音音階を使用しています。
47小節、48小節では、ホルン、トロンボーンが完全4度平行の重音になっているため、全体は完全に全音音階で出来てはいません。それが49小節に達すると、トロンボーンを見ると分かるように完全4度の重音関係が消え、完全4度から半音広がった減5度(増4度)に取って代わられることで、全体の響きは全て全音音階で構成されるようになります。
 51小節のホルン、ティンパニの音型も、これまでの完全4度ではなく減5度(増4度)が使用されていることで、これまでとは違った部分に入ることを示します。

 Eからは全音音階に代わって、長2度、短2度の繰り返しのE−Fis−G−A−B−C−Des−Esという音階が元になって出来ていますが、これはいわゆる「メシアンの移旋の限られた旋法の第2番(M.T.L2)」で、ジャズなどでディミニッシュ・スケールとも呼ばれる音階です。私はこの音階を調性と無調の中間的な性質を持った音階と感じ、ここでは調性感を少なくするために意図的に使用しています。

 このメシアンの移旋の限られた旋法の第2番は移調形を含めて3種類しか無いのですが、Fの瞬間にもう一つのものに変化し、いわば転調効果が起きています。Des−Es−E−Fis−G−A−B−Cの半音下のパターンC−D−Es−F
−Fis−Gis−A−H
になっていることに注目してください。このように77小節までは全て「メシアンの移旋の限られた旋法の第2番」で出来ています。

 ここの部分では56小節2拍目から1stクラリネットに提示される、4つの16分音符による音階上行とそれに続く8分音符のスタッカートによる同音連打が主要動機で、これを動機Bとします。

 ここから72小節までは、この動機Bがカノン的導入や他の旋律と重なることで対位法的に処理されていきます。73小節からは動機Bの頭の16分音符の音型が崩れだし、77小節でクライマックスとなります。

 78小節では半音階を登場させる事で音階を曖昧にし、「メシアンの移旋の限られた旋法の第2番」を解消、79小節ではユニゾンで和音付けしない事により、終止感が有るような無いような宙づりの状態に置くことにしました。(「君が代」で最後のメロディーに和音付けがされていないことと似ているかもしれません。)

 このメロディーは自然に生まれたもので、特に主要音程との関係性を考えて出来たものではありませんでした。
ただ、これも強いて言えばD−Asで特徴的な減5度が登場し、他にも完全4度、長2度の主要音程を含んでいるので冒頭の旋律と関係づけられるとも言えます。結果的には、ここも日本的な音階(短旋法)を感じさせ、日本的な印象をもたらす1つかと思われますが、やはりそれを意図的に狙ったものではありません。

 81、82小節は、Gからの3和音構造へ自然に移行するためのブリッジとして、9の和音を使用しています。
つまり調性的和音ではあるけれど複雑な響きである9の和音の使用することで、これまでの調的に不安定な部分と次のシンプルな3和音への中間状態にしている訳です。

・GからJまでの分析

 Gからは明確な3和音構造でコードネーム・システムで把握できる所です。Aよりは流動的では有りませんが、やはり明確なカデンツを少しはぐらかしています。
 例えば出だしはc−mollですぐにEs−durに入り、再びc−mollにもどり、最後は導音を半音下げた自然短音階の5度の和音で解決感を弱め、終結和音はC−durで、いわゆるピカルディー終止となっています。結果的に長調と短調がまざった色合いに成りますが、これは全く私の和声の好みに起因するものです。

 Hからは91小節、92小節並びに95小節、96小節が同じ和音での反復、93小節目は1拍ごとの反復進行になっており、穏やかな和声の揺れを作っています。
 96小節から97小節はEbm7からGm7への対斜を含む3度関係のバスの上昇による色彩変化をきっかけに、音階的に上行する和音進行と98小節からは4度の動きも含むバスにより推進力を与えて、転調と全体的な高揚の効果を演出しています。

 Iへ入る瞬間は5度関係のバスで、ここのCからFm7への進行は当然f-mollの解決を感じはさせますが、前述の通り、Iからの旋律はGの旋律の変化ですので、全体はc−mollEs−durとなり、Iの瞬間はf−mollを感じても、それはすぐに他の調に移り安定しないのです。

 Iからの旋律は107小節でやっと完全に明確なEs−durの終止となりますが、これも完全終止ではなく4度の準固有和音を使用した変終止にすることで、古典的な強力なカデンツ感を避けています。

中間部のコード分析は以下の通りです。|は小節の区切り。−で小節の前半2拍と後半2拍を分けています。1拍での和音変化は・で分けています。

Gから  | Fm7−Gm | AbM7−Bb | Eb−Eb7 | Ab・Fm−G | Cm−Cm7 | F−Ab | Fm7−Gm | C−C |

Hから | DbM7−Cm7 | DbM7−Cm7 | BM7・EM7−AM7・DM7 | Db−Eb | EM7−Ebm7 | EM7−Ebm7 |

    | Gm7−Am7 | Bbm7−Gb・Cb | Bb−C |

Iから  | Fm7−Gm | AbM7−Bb | Eb−Eb7 | Ab・Fm−G | Cm−Cm7 | Ab−Ab | Fm7−Abm | Eb−Eb |
    | EM7−Ebm7 | EM7−Ebm7 |

・J以降の分析

 Jの頭はF−durの主和音が響きますが、111小節ですぐにFisが混入して不協和にすることで、再現への予兆としています。
ここからKまでは、前半Eからの要素の変形再現ですので、E同様、「メシアンの移旋の限られた旋法の第2番」で出来ています。
 Eの時にはなかった要素が、ホルンとトランペットの掛け合いで現れますが、これも垂直音程は完全4度であり、119小節からは付点リズムでお分かりのように、冒頭のクラリネットの旋律の変形となっています。
また、121小節から123小節では、完全4度に長2度を付加した和音となり、Aからの要素再現を準備します。124小節から129小節までは、33小節から38小節の全く同じ再現です。
130小節から変化しだし、136小節までは「メシアンの移旋の限られた旋法の第2番」が再度顔をだします。
Lからのクラリネットなどによる音型は、譜割りは異なっていますが77小節目に現れる音型、すなわち動機Bの変化型を使用しています。

 137小節からは4度モチーフ(ここではB冒頭と同じモチーフ)を使い、和声的には同じ和音が半音ずつ上昇し、特に140小節でリズムが半分となり切迫することにより盛り上げていきます。ここの和音は感覚的に導きましたが、全曲中最も不協和な和音で、最後のクライマックスへ導くための緊張感を与えるために選ばれた和音です。最後の長3和音がより明るく感じられるような対比と言うこともできます。

 141小節から142小節は半音階に崩れ、いよいよMへの突入の加速エネルギーを増すことと同時に、背景の和音も付けず、減5度平行にすることで調性的にも曖昧な状況としています。

 MFの音のユニゾンの刻みとバスの背景に、金管中心でコラール音型が出てきますが、和音は全て第2転回配置の長3和音です。このトップの旋律動向は、これまでの旋律要素には無く、関連づけて説明できない意外な要素ともいえますが、ここも論理優先よりはファンタジー優先による部分といえましょう。

 146小節からは圧倒的な3和音の連打で、Gesの音が出てきますが、この音は同主短調からの借用音ですので、全体としてはB−durとなります。そうなると、B−durでの終止が予想されますが、配置は第2転回型でこのままでは不安定な和音です。
 ところが、その解決をせずに、例のユニゾン旋律を登場させることで、いよいよ調性不明となり、最後の終止音GもG−durやg−mollの終止とは確信できないままに終了するわけです。このような最後の終止もはぐらかした意図は、上記のイメージの所に記したとおりです。

演奏に当たって

 各楽器の演奏上の技術的ポイントについては書ける立場にありません。バンド・ジャーナル6、7月号などでプロの演奏家による説明記事もあるようなので、そちらをご覧になると良いでしょう。

 ただ、全体的な技術面について言うとするならば、私自身としては、この曲の難しさの中心はタンギングと縦のアンサンブルに有ると思います。これについては、いずれもゆっくり目のテンポから次第に慣れていくような丁寧な練習が重要なのではと考えます。

 音楽的な解釈についても作曲家自身の考え方が絶対とは思っていません。むしろ、このような解釈の仕方もあったかと驚かせてくれる演奏に出会うのを楽しみにしています。

テンポの問題はどのような曲においても重要なポイントですので、この曲のテンポについて述べたいと思います。

 この曲は何カ所かでテンポが変化しますが、それぞれの部分のテンポ設定が難しいと思います。昔から作曲者自身のテンポ指示は疑わしいという例も多いのですが、この曲についても楽譜上の作曲者指定テンポ以外に、いろいろな意見や解釈がでてきて当然です。答えは一つではないでしょう。私自身この指定テンポに絶対的にこだわっている訳ではありません。

 Aからは難しい箇所が多いので、意識的にハードルを低めにするつもりで当初は四分音符112の指定にしていました。しかし、入賞後、ある方の提案を受けて116にしました。実際、演奏可能ならば速めの方がスピード感が有って聴くには良いかもしれません。
 しかし、演奏の観点から見ると、タンギングやアンサンブル上の問題から、これ以上速くは出来ないといったことも有るはずで、音楽的要求と技術的問題が丁度無理なく折り合うテンポに設定することが必要でしょう。
同じことはエンディングMの72にも言えます。6連符を速いテンポでエキサイティングにしたいという気持ちと、タンギングの技術的問題の両面から考えなければ行けません。私自身としては、例え技術的に可能だとしても、Aからの部分などはむやみに速くしなくても良いと考えています。

 逆に曲の冒頭のテンポ72と、Gからの中間部のテンポ84の設定は、もっとゆっくりの方が良いという意見をいただきました。
 実は、はじめはゆっくり目に考えていたのですが、そうすると演奏時間が5分30秒を超えてしまったため、応募する際に、募集要項の「5分程度」から大きく超過することを恐れたため、少し速めに設定したのでした。

 そのようなわけで、冒頭やGからは、少しゆっくりめのテンポで大らかに歌って頂くのは構わないと思います。
ただ、ゆっくりすぎて流れて行かないのは困ります。そのような場合、適切なルバートを考えると良いでしょう。
あとは主要部分が3部形式で、テンポ設計が急−緩−急となっていますので、急、緩の対比という観点から、AやGからのテンポ設定を考えることも必要かもしれません。

 あと、重要なのはバランスです。特に旋律パートと伴奏パートのバランスは注意してください。特にBからは、クラリネットの主旋律のために、ホルン、サクソフォーンなどの伴奏パートは出過ぎないようにすべきです。

 中間部のクライマックスIからの部分も特に注意が必要です。ここではパワーのある金管は全て伴奏にまわっています。トランペット、トロンボーンは和声要素で、ホルンは最初の2小節は和声要素ですが3小節以降は対旋律となります。
 いずれの楽器もフォルティッシモの指示のクライマックスでありながら、実際は木管群の主旋律を生かすために、程よく押さえる必要があります。
 結果として全体の響きは、Iのクライマックス到達点を頂点として、すぐに、あるいは3小節から音量が落ちる結果となるでしょうが、これは仕方のないことと考えています。この部分は元々叙情的な旋律によるクライマックスですので、力強く迫力のあるクライマックスというよりは、情感の頂点として、バランスを崩すこと無く、メロディーの表情豊かな膨らみを重視した表現と考えて頂ければと思います。金管の欲求不満は是非エンディングで解消して下さい。

 あと、各バンドの事情も考慮し、Aからのトランペットの主旋律もソロ指定にあえてしていません。大編成バンドで有ってもソロで対抗できるでしょうし、小編成でも不安定さをカバーする意味で2人でということは考えられることです。

 シンバルのメタルスティックは何がよいかという質問も有りましたが、私は基本的にはトライアングルのビーターが良いと考えています。ただ、先端だと軽すぎてフォルテの時には鳴らしにくいので、その時はビーターの柄の方でたたくと良い結果が出たという話を聞きました。シンバル自体の大きさや、叩く場所によっても響き方が異なると思いますので、いろいろと工夫されると良いでしょう。

上記以外の演奏に関する注意点は、日本管打・吹奏楽学会実行組織機関のホームページhttp://www.basj.or.jp/wind/06testpiece/testpiece2006_1.htmに掲載されていますので、併せてお読み下さい。