さよなら「小浜線」のディーゼルカー



2003年3月15日、JR西日本のダイヤ改正によって、小浜線、敦賀〜東舞鶴間が、電化される事となった。
電化前に、ディーゼルカーのお別れ乗車を考えていたら、M氏より電話で、「小浜線に急行が復活する。」との話があり、最後の記念として、写真を撮りに行く事となった。
当初、M氏の話では、自分を含めて4人になるようだったが、最終的には、M氏・t−ueno氏と自分の3人となった。

3月7日22時40分、渋谷駅で自分とM氏が合流した。ここから東京駅に移動して、今夜の「ムーンライトながら」に乗車する。
「ムーンライトながら」は、全車指定の快速列車で、青春18きっぷ利用者が多く利用する列車だ。
敦賀へのファーストランナーの「ムーンライトながら」は、ほぼ満席の状態で東京を出発した。JR東海の特急車輌を使っているので、まずまずの乗り心地、同じ東海道線の快速と比べたら、グリーン車に乗っている様なものだ。
横浜で日付が変わり、3月8日のスタンプを受ける。
横浜で、少し乗車があった。この後、あまり乗降りが気にならない程だったが、小田原では、大勢の乗客が列車を待っていた。
「ムーンライトながら」は、小田原から4〜9号車が自由席となる。これを目当てに、小田原から乗ってくる人も多い。この日は臨時列車の大垣行きがなかったので、指定券が買えなかった場合は、この方法を使うしかない。しかし、指定席として残っている1〜3号車まで流れ込んでくるのには少々参ってしまう。
この後、貨物列車に道を譲りながら、沼津・静岡・浜松・豊橋と、長時間停車を続けて行く。このまま乗って行けば、大垣まで行けるのだが、豊橋で下車して、後続の「区間快速」に乗り換える事にした。
「ムーンライトながら」出発後、約1時間後の「区間快速米原行き」に乗車。夜行である「ムーンライトながら」を除けば、名古屋方面の始発列車となる。
5時59分に豊橋を出発するも、すでに車内は満員状態になっていた。
この日、団体客があった為、笠寺に臨時停車した。笠寺で団体客を降ろしたが車内は空かず、名古屋で総入れ替えとなった。
名古屋で、t−ueno氏が合流。そのままの列車で米原に向かった。

名古屋からは、ほぼ定員くらいの混み具合だった。名古屋付近は、雲が多い物の晴れていて、写真撮影メインの今回の旅に、少し期待を持たせていた。
名古屋から並んできた新幹線とは、清洲付近で分かれ、尾張一宮〜木曽川間では、名鉄線と並走する。タイミングが良いと、電車同士の競走が見られる区間だ。岐阜でもチラッと名鉄線を見ながら進んでいった。
穂積・大垣と進み、大垣を過ぎると東海道本線の難所、関ヶ原越えだ。
大垣から関ヶ原に向かって、25/1000の上り坂になっている。機関車牽引の列車の場合、重い貨物列車や寝台列車等、速度が遅くなるだけでなく、坂を上れなくなったりする。その為、この区間には勾配を緩くした、「短絡線」と呼ばれる路線がある。大垣を出ると線路は3方向に分かれる。美濃赤坂に行く「支線」、北側に大きく迂回して、関ヶ原に向かう「短絡線」、垂井駅を通り、関ヶ原に向かう「本線」の3路線だ。
昔は短絡線に「新垂井」と言う駅があり、普通列車も運転されていたが、現在は廃止され、米原方面に向かう特急列車と貨物列車が走っている。
関ヶ原に近づくと、天気が徐々に怪しくなってきた。不安は当たって、関ヶ原を過ぎた辺りで雨に降られてしまった。敦賀は降ってない事を祈って行くが、3人共に、諦めモードになっていた。
「区間快速」の終点、米原で、北陸本線に乗り換える。乗換えの間に改札まで行き、「電化記念オレンジカード」を買いに行くも、売り切れとの答えにあえなく玉砕!ホームに戻ってみると、「普通敦賀行き」が到着していた。
419系敦賀行き8:37分発の敦賀行きは、寝台特急電車を改造して作った、419系と言う珍しい電車だった。出入り口は折戸で、寝台車だった為、屋根も高い。乗ってみると、すでに定員くらいの乗客がいた。ほとんどが自分達と同類と思われる人達だ。なんとか席を確保して、敦賀まで乗って行く。元特急電車なのだが、老朽化の為か、隙間風が入ってくるようで車内は寒かった。
長浜を出ると、自分とM氏は車内の照明に注目していた。長浜と姫虎の間では架線に流れる電気が、直流1500Vから交流20000Vに切り替わる。見た目、架線は繋がっているが、切り替え区間は電気が流れていない。(デッドセクションと言います)その為、切り替える時に車内の電気が一時的に消えてしまう。このような区間は多くなく、通る度に気にしているのだが、一瞬の隙をつかれて見逃していたのだ。
交流区間に入る切り替えシーンを見て、琵琶湖の東側を北上する。近江塩津で湖西線と合流すると、次は有名撮影地の新疋田だ。新疋田を出ると、敦賀に向かって、坂を駆け下りて行く。敦賀機関区と、今回のメイン「小浜線」が見えてくると敦賀駅だ。

特急しらさぎ敦賀駅に降りると、辺りは「鉄道マニア」だらけだ。ダイヤ改正で無くなるディーゼルカー、古くから北陸路を走っているボンネット特急と、お祭りのような状態だ。自分も、駅に入ってくる特急列車や、車庫で休んでいる電車をホームから撮っていく。天気は雨どころではなく、風も強く、あられまじりの雨だった 。
一旦、駅を出て駅前を歩く。写真屋で電池やフィルムを買って駅に戻ると、電化記念のお弁当を売っていた。話では10時過ぎから売るはずだったのだが・・・。
記念弁当をとりあえず購入。このまま西敦賀駅まで歩くかどうか迷いながら、駅の外側を西敦賀寄りに歩いて行き、大阪からやって来る「特急サンダーバード」や到着した小浜線を撮影した。
時折強く降る雨(あられ?)の為、西敦賀までの歩きは止めて、小浜線に乗って移動する事となった。乗車前にホームでも写真を撮って、10時43分発の小浜線に乗った。青に白いストライプのディーゼルカーの車内は、鉄道ファンでいっぱいだった。デッキ付の為、出入り口付近に乗客が集中して、山手線のラッシュのような混み方になっていた。

列車は西敦賀駅に到着、降りようとするも、車内が混み過ぎていてなかなか降りる事が出来ない。この日は普通の利用者にかなり迷惑を掛けただろう・・・。駅に降りると、すでに待合室はマニアでいっぱいだった。(自分達もその一部だが・・・)気になる天気も、全然回復してくれる気配は無く、未だに風は強く、降ったり止んだりの天気だ。持ってきた折りたたみ傘も役に立たず、ずぶ濡れになって撮影場所を探す。駅でも写真は撮れるが、人が多くて危険な為、あえて別の場所にする。
西敦賀駅から敦賀駅に向かって、数百m先のあぜ道からカメラを構えてみると、西敦賀駅まで真っ直ぐ見通せる場所だった。
西敦賀駅にある踏切が鳴り始めていたのでカメラを用意する。西敦賀駅に敦賀行きの列車が入っているのが見えた。
小浜線敦賀行きの列車を撮影、その後もう少し敦賀寄りにあるカーブまで歩く。行ってみると先客がいた。話をしてみると、どうも敦賀から歩いて来たらしい。
しばらくして、敦賀からの東舞鶴行きがやって来た。それも撮影して本命の「急行わかさ」を待つも、なかなか来なかった。
撮影ポイントを最初に撮った辺りまで戻ってみる。直線の部分だ。
しばらく待つと、警笛の音と共に「急行わかさ」がやって来た。
急行わかさ国鉄時代そのままの色の、6両のディーゼルカーだった。
撮影も終り、西敦賀駅まで戻って、敦賀行きの列車を待つ。
列車が来る何分か前から、ホームの小浜寄りに陣取って、列車を撮ろうと待っていたが、そんな感じで頑張っているのは、自分含めて4人だけ。他のマニアらしい人達は見向きもせずに待合室で列車を待っていた。
完全に国鉄カラーの「急行わかさ」目当てのマニアを乗せに、「キハ53」という、珍しい車輌が2両でやって来た。
自分達も、駅に入ってくる瞬間を撮って、列車に飛び乗った。

列車の中は、撮影帰りと思われる人達でいっぱいだった。普段走っている「キハ58」は、デッキ付の為に大勢の乗客がいると、乗降りに苦労するが、「キハ53」はデッキなしで扉も大きく開く為、混んでる列車では乗降りしやすくてよかった。

敦賀駅に戻ってくると、小浜線ホームには「急行わかさ」に使われた車輌が展示されていた。
ホーム上で、写真を撮っていると、小浜線、東舞鶴方から銀色の電車が入ってきた。今回のイベントで展示される新型電車、125系電車だ。15日からは、この電車が小浜線として走る事になっている。
北陸線の普通電車、「急行わかさ」、小浜線新型電車と写真を撮って、展示されている電車の中を見て回る。車内は大阪を走る新快速電車のようで、見た目も良く、関東にもこんな電車が欲しくなってくる。
米原で買えなかったオレンジカードを買って、小浜線の列車に戻ると、緑色の列車が脇を通り抜けていった。札幌行きの寝台特急「トワイライトエクスプレス」だった。
機関車交換の為に、しばらく停まっている列車にマニア達が群がっていた。中には、ここぞとばかりにグッズを買い込む人もいた。
一通り撮影を終えて、14時03分発の列車に乗り、場所取りしていたt−ueno氏と交代する。しばらくして、M氏も戻ってきた。
t−ueno氏が戻ってくると、列車は10分弱遅れて敦賀駅を出発した。この列車で、小浜駅まで行く事となった。
小浜までの所要時間は約1時間。その間に、敦賀駅で買っておいた「電化記念弁当」の写真を撮ってから食べた。

小浜駅に到着すると、乗ってきた車輌の写真を撮って、改札の外にある待合室に移動する。ここで、1時間後の「急行わかさ」を待つ。
「わかさ」撮影後にどうするかを話していると、t−ueno氏が小浜線を乗り通した事が無い事が判明。次の列車で、東舞鶴まで行く事に決まった。
1時間の待ち時間の間に、待合室にあった立ち食いうどん(そばは無かったような・・・)で1杯食べてみた。かまぼことねぎが入ったうどんは汁の色が薄く、関西であることを改めて認識してしまった。
「急行わかさ」到着の時間が近づくと、カメラを持ってホーム敦賀寄りに陣取りカメラを構える。後ろを見てみると、駅員さんもデジカメを構えていた。
小浜駅に進入した「わかさ」は、反対方向の列車を待つ為しばらく停車する。その間に、1号車から6号車までの全車両を撮った。
東舞鶴寄りで待っていると、「キハ53」が入ってきた。敦賀行きの列車だ。
小浜駅の「わかさ」とキハ53キハ53と「わかさ」の並んでいる写真を撮っていると、すぐに列車は出発して行った。
再び待合室に戻り、16時44分の列車を待つ。その時に気付いたのだが、小浜駅の改札口にある張り紙に印刷されていた電車の絵が、小浜線とはまったく関係がない京王線の8000系だった。コレには少々驚く。そして、笑いの種に・・・。
16時44分の東舞鶴行き列車に乗り、今度は小浜線全線完乗を目指す。
50分程で、終点の東舞鶴駅に到着。同じホームには、福知山行きの電車が待っていた。乗客が乗り換えると、すぐに発車して行き、小浜線の列車も敦賀に向けて出発した。自分達は同じ列車で折り返し乗車して、小浜まで戻った。

小浜駅では、18時36分発の東舞鶴行きに乗り換える。車輌はなんと昼間乗った「キハ53」だった。
キハ53の隣には、イベントでの展示を終えて、試運転中の「125系」が停まっていた。
写真を撮って列車に乗り、今度は若狭和田に向かう。
20分程で、若狭和田駅に到着。M氏は急いで三脚を用意して、走り去る列車をビデオで撮影していた。
若狭本郷から9分後に来る、敦賀行きを待つ間、若狭和田駅の周りを見ていた。
単線のホームに、しっかりした駅舎のある駅で、駅前も広いが、街灯が少なく暗い感じだ。車の通りはそれなりあったが、あまり1人で歩く気にはなれなかった。(拉致される・・・?)
19時07分発の列車が到着。ホームで待っていたのだが、予想以上に手前で停まってしまい、急いで乗り込む。
この列車で敦賀まで戻り、米原までの最終電車に乗り継ぐ。「電化記念イベント」の後なのだが、自分達以外は普通の利用者のように見えた。
車内が空いているので、各自適当にボックスで座席を占拠。M氏は車内をビデオで撮影していた。
敦賀から2つ目の駅、粟野まで戻ってくると、列車行き違いの為にしばらく停車した。この日、東海道線で人身事故があった為、北陸線の列車も遅れ、それが小浜線の列車にも影響していた。
結局、10分程遅れて粟野を出発。敦賀に着いたのは、8分遅れの21時21分だった。米原行きの普通電車は、21時24分発。小浜線の車内から、停まっている電車は見えていた。連絡通路を必死に走って、何とか米原行きの最終電車に飛び乗った。
車内で息を整えながら、発車を待つ。小浜線の接続を待ってくれたのか、2分遅れで敦賀を出発した。初めて、北陸本線の米原方面に乗った。敦賀〜新疋田間にあるループ線が、今までどういう風に回っていたのか気になっていたが、今回乗ってみてなんとなくだが、分かったような気がした。
車内では、車掌の巡回が始まっていて、一緒に車内限定のオレンジカードも売っていた。とりあえず絵柄を見せてもらうと、大阪〜青森間を走っていた「特急白鳥」の絵柄があった。使う事を前提に買ってしまった。
夜の方がなお目立つ、交直デッドセクションを抜けて、米原まで戻ってきた。まだ、事故の影響が残っているらしく、随分と遅れて大阪方面から新快速電車が入ってきた。
22時25分の大垣行き電車に乗って、大垣から東京行きの「ムーンライトながら」に乗り換える。時間になると、大阪・京都方面の電車を待たずに出発してしまった。どうも、他社だと待ってくれないらしい・・・。
大垣駅に到着すると、今度は、「ムーンライトながら」を待つ。全車指定席の列車なので、座席取りをしなくて済む。ふと、夕飯を食べていない事に気付きコンビニ、もしくはファーストフード店を探すが、23時にもなっていると、店は閉まっているし、コンビニは見当たらなかった。収穫ゼロで戻り、列車に乗り込んだ。
23時09分に大垣駅を出発。このまま東京までだらだらと乗っていく。行きは、ゆっくり走ってきた「ムーンライトながら」だが、帰りは違い、停車時間も1・2分で、さっさか進んでしまう。豊橋や静岡等で買い物をする暇も無く、大船からは始発電車代わりになり、東京には4時42分に到着した。東京で中央線に乗り換えるというM氏とt−ueno氏とは別れることとなり、ホームの階段を下りた所で挨拶をして別れ、イベント旅行は終了となった。


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