TOKIMEKI CLUB
足跡を追って〜清洲〜
2003年3月9日(日)朝の5時チョット前、東京駅八重洲口のコンビニにいた。朝ご飯を買う為だ。
何故こんな時間かと言うと・・・、つい10分ほど前に「ムーンライトながら」で東京に着いたからだ。
前日の夕飯もまともに食べていなかったので、結構お腹が空いていた。
パン3つと紙パックのコーヒー、それとクッキー等のお菓子を買って東京駅に向かう。
東京駅には、「ムーンライトながら」の折り返しである、5時20分発、普通静岡行きが停まっている。この電車が、東京発の東海道線始発電車だ。
乗り得列車としても有名で、「特急東海」と同じ車輌を使っている為、ほとんどの座席がリクライニングする。全車グリーン車みたいなものだ。
もちろん、普通車自由席として走るのだから、指定料金や、グリーン料金等は取られない。これが乗り得といわれるところだ。
時間通りに列車は出発、乗客もそんなにいない。しかし、横浜、大船と停まって行くうちに、立客も出てきていた。
朝ご飯のパンも食べ終え、このまま東海道線を真っ直ぐ進むのも面白くないので、他のルートを考えてみる。
結局、まだ未乗区間となっていた御殿場線を周る事とした。
時刻表で確認すると、2分の接続で沼津行きがあった。この列車に乗る為、国府津到着のアナウンスが流れると同時にデッキで降りる準備をしていた。
国府津に着き、扉が開くと同時に走って乗り換える。6時39分発の沼津行きは、JR東海の新型313系と211系の4両編成だった。ここからは、会社もJR東日本からJR東海になる。
国府津を出発すると、右の方へ曲がっていき、山に向かって走っていく。すぐに左側に大きな車庫が見えてくる。JR東日本の国府津電車区だ。
意外な所にある車庫を見ながら、進んでいく。元々、御殿場線は東海道線の一部として開業してる。当時の技術では、現在の熱海経由のルートは建設困難だった為、箱根を大きく迂回する形で作られたのが御殿場線の区間だ。それでも山道となり、急勾配とトンネルに悩まされ、補助機関車を連結しないと通れないほどだった。
小田原付近と違い、景色はローカル線の様になっている。所々、富士山が見え隠れしている。
沼津行きの車内には、自分を含め、4人しか乗っていなかった。4両のうち、1番前車輌だったからかもしれないが・・・。
夫婦で旅行しているらしい初老の男性が、富士山が見えると必死に写真を撮っていたのが、見ていて面白かった。
途中から自分も参戦して、車窓等を撮っていた。外をよく見ていると、廃止になったトンネルや、鉄橋の跡を発見する事ができた。
小田急線との連絡線のある松田を通る「特急あさぎり」はここからJRに入ってくる。
山の間を通るからか、谷峨駅辺りだと、日陰になっている所がほとんどで、ちょっと暗いイメージが付いてしまった。
沼津に近づくにつれ、学生の姿が多くなってくる。ちょうど、通学時間帯のようだ・・・。
7時58分に沼津に着き、乗ってきた列車を撮っていると、313系と211系を切り離す作業に入っていた。御殿場線の基本は2両編成のようだ。
御殿場線のホームで写真を撮っていると、東海道線のホームから、静岡行き到着のアナウンスが聞こえてきた。急いで跨線橋を渡って、東海道線下りホームに行く。
8時06分発の静岡行きがホームに入ってきた。東京を5時46分に出発した電車で、国府津まで乗った電車の1本後の列車だ。
いわゆる湘南電車、かぼちゃ色の113系8両の列車で、東京発では珍しくグリーン車が連結されていなかった。
車内はほぼ満席で、所々空いているボックス席に相席させてもらう。この電車に静岡まで乗って行く。
終点の静岡に、8時59分に到着、9時23分発の浜松行きに乗り換える。
浜松行きは、熱海始発の列車なので、沼津で1本遅らせれば良かったのだが、静岡まで先に来たのには訳があった。
その訳とは、静岡駅の駅そばだ。ちょっとメニューが変っていると話に聞いていたので、この機会に食べてみようと思っていたのだ。
メニューを見ると、普通の立ち食いそばとあまり変らなかったが、ラーメンはいいとして、なぜか焼きそばがあった。(^^;
学生やサラリーマン風の人がいっぱいいる中、焼そばを注文してみる。さすがに鉄板で炒める訳無いとは思っていたが、案の定冷凍の焼そばを「レンジでチン」だった。
因みに、ラーメンは、油を加えたどんぶりに、暖かい普通のそばつゆを加えただけのように見えた。
冷凍のそばめしみたいな味の焼そばを食べて、浜松行きの到着を待つ。18分に6両の113系が到着した。
到着した6両の113系が浜松行きで、静岡に5分停車して出発した。
あべかわ餅の安倍川を通って、海沿いを走ってゆく。用宗〜焼津間にある「日本坂トンネル」を抜けると、新幹線の方が海側に向かっていった。
遠く新幹線を眺めながら、静岡らしい(?)茶畑の中を走って行ったりと、静岡〜浜松間は、結構景色に変化がある区間だ。
大井川鉄道との乗換駅「金谷」・新幹線乗換駅「掛川」では乗降りも多かった。
掛川では、「こだま」しか停まらないのに、しっかりと乗換え案内の放送もしていた。列車によっては、浜松でも同じ列車になるのに・・・。
天竜川を越えて、2つ目の駅が、終点の浜松だ。
浜松では10時45分発の新快速大垣行きに乗り換える。この列車は、岐阜県の大垣までの153kmを走るロングラン列車だ。
御殿場線で乗った車輌と同型の313系だが、車内がボックスシートではなく、転換式の2人掛けシートだった。
興津から来た普通電車の乗客が乗り換えるとすぐに、浜松駅を出発した。
新快速とは言うものの、豊橋までは各駅に停まっていく。イベントでもあるのか、車内はスシ詰めに近かった。
舞阪辺りから新幹線と並んで、新居町まで行く。浜名湖に面している弁天島駅は、新幹線の撮影ポイントとしても有名な所だ。
新居町駅を過ぎると、車内の混雑は落ち着いてきていた。ほぼ定員くらいで、豊橋に到着。豊橋では降りる人より乗る人の方が多かった。
新幹線・飯田線・名鉄線・豊橋鉄道の乗換駅、豊橋を出発して、ここからが、新快速としての本領発揮だ。(快速と2駅違うだけだけど・・・)
蒲郡・岡崎・安城と、主要駅にチョコチョコと停まっていって、名古屋には12時08分に到着した。
隣のホームに「特急しらさぎ」が停まっていたので、写真を撮っておいた。
名古屋駅で途中下車して、駅の「テルミナ」に入っている「スガキヤ」でラーメンを食べた。とんこつ系の白く濁ったスープだが、にぼしの様なダシの香りがした、結構変ったラーメンだったがおいしく頂いた。(ハマッタかも・・・(^^;)
JRの名古屋駅に戻る前に、名古屋鉄道(名鉄)の新名古屋駅に時刻表を買いに行くが、1日前だったので売っていなかった。(;_;)
名鉄に乗りたい衝動を抑えながらJRのホームに戻り、清洲に行く、普通岐阜行きに乗った。
乗車直前に、岐阜行きの停まっている線の反対側を、119系の回送が突っ走っていった。もちろん、カメラにはちゃんと収めておいた。
岐阜行きの先頭に乗って、運転台にかぶりつきながら清洲まで行く。他の一般の人には、さぞ危ない人に見えたことだろう・・・(^^;
13時前に清洲駅に到着。改札までの階段で、見たことのある後姿があったので、少しためらいながら、改札の外に出た所で声を掛けてみた。
声を掛けた相手は、予想通り『ひびきの高校鉄道研究部』のたくりん部長だった。
冬コミ以来だったので、駅前でしばらく鉄道談議(萌えも入る?)となった。昨日、小浜に行っていたと言うと・・・、なんと、たくりんさんも小浜線に乗っていたという。
どの列車に乗ったのか聞いてみると、「急行わかさ」の後に来た、キハ53形2両編成の普通敦賀行きに乗っていたという。自分も、西敦賀駅から乗った列車であり、なんとも世間の狭さを感じてしまった。
清洲駅の写真を撮り、TOKIMEKI CLUBの会報に載っている、ヒントの写真と同じ所を撮りながら、清洲城まで線路沿いに歩いて行く。
途中、それらしい人とすれ違いながら、清洲城まで到着。門をくぐって、天守閣の裏手にあるグラウンド場に行くと、すでに10人近く集まっていた。
集合時間として設定されている15時には時間があったので、しばらく雑談となり、色々な話で盛り上がったのだが・・・、ここで判明したのが、ほとんどの参加者が同業者、すなわち、鉄道マニア(鉄ちゃん)兼業のメモラー(ときめきメモリアルのファンの事)だった。
結局、鉄道談議に花が咲き、中には、メイド喫茶だ、巫女茶屋だの言っている人も居て、話を聞いてるだけでも飽きなかった。
2時を過ぎた辺りで、人も来ないようだったので、撮影を始める事となった。撮影には付き物と、等身大のポップを出してくる人もいた。
風が強く、撮影用に出したポップや、横断幕、カメラまで飛ばされそうだったので、しっかり抑えながら、短時間での撮影となった。
私は下の段に居ます。ドコでしょう・・・(笑)
撮影終了後は、清洲駅方面に帰る人と、車で来た人など、方向別に別れる感じで解散。駅に向かう人達で、清洲城の近くの休憩所に移動して、しばらく話していた。
この休憩所が意外にも、東海道線・新幹線とよく見える所にあり、意外な鉄ちゃんスポットかもしれない・・・。
駅ホームで、大阪方面に帰る方と別れ、たくりんさんと2人で名古屋駅に戻り、マックでお茶の後に、名駅周辺を案内してもらった。
お互い、17時発の列車が、帰宅するのに都合が良い事から、50分頃に改札で別れ、キヨスクでお土産を買って、東海道線のホームに上がる。
名古屋17時00分発、新快速豊橋行きに乗ったのだが、車内は超満員でだった。それでも、名古屋では、乗客の大半が入れ替わるので、座席に着くことが出来た。
名古屋を出発して、豊橋、浜松、静岡・・・と乗換えて家まで帰るのだが、てっきり、普通電車と接続があると思い込んでいた新快速だったが、実際は、名古屋を17時20分に出る、特別快速浜松行きが、1番早く浜松駅に着ける列車だった。結局、豊橋駅で後続の特別快速に乗換えた。
浜松到着と同時に、列車から駆け出し、静岡行きの列車に乗り換える。静岡や、浜松のようなターミナルだと、旅客流動が少ないと思っていたのだが、結構な人数が乗換えていた。
浜松からは、18時41分発の沼津行きに乗る。熱海まで行くには、終点まで行っても、静岡、20時19分発の熱海行きに乗るしかないので、静岡で降りることにした。
1時間10分かけて、静岡まで到着。浜松からの列車の中で、名古屋で、お土産と一緒に買った駅弁を食べて夕飯を済ましてあった。ただ、ホームでボーっと列車を待つだけになってしまった。(−−;
113・115系のかぼちゃ電車ばかり来る中、熱海行きは銀色の211系だった。しかし、残念なのが1つあり、かぼちゃ電車の座席がボックスタイプなのに対して、211系はロングシートだった。
浜松から来る、20時18分着の電車が到着するのを待ってから、熱海行きは静岡駅を出発した。
競合する路線が無いからか、それとも本当に利用率がいいのか、車内は混んでいて、2本前で静岡駅に来ていたのは正解だった。
運転室直後の座席に陣取り、前面展望を堪能する。夜なので、景色としては、あまり楽しめないものの、信号や踏切、車のライトなどの光があるので、それなり面白かった。
函南を出て、長い長い丹那トンネルを抜け、伊東線の来宮駅の脇をかすめると、終点の熱海駅に入る。
ここからは、JR東日本となり、自分の住んでいる地域の列車も顔を出してくる。
15両もの長大編成となった、東海道線の113系。銀色の2階建てグリーン車を連結して、今でも主力車輌としての威厳を保っているように見える。
今まで、名古屋方面から乗ってきた列車が、最大でも6両、それに比べ、15両もの車輌が繋がっているのを見ると、輸送量の差を改めて知らされる。
21時39分に熱海駅を出発する、東京行きの列車に乗る。終点の東京には、23時26分到着の予定だが、自宅に帰るのに便利と思われる、川崎乗換えにすることにした。
前から4両目あたりに乗り、川崎を目指す。さすがに23時過ぎに東京に着く列車にはあまり人が乗ってなかった。しかし、15両中、前から4両目という不便な位置に乗っているのも、原因かもしれないが・・・。
23時07分に川崎に到着。列車の中から、乗り換える南武線が停まっているのが見えたのだが、南武線ホームに着いた時には、すでに発車してしまっていた。
しょうがないので、23時32分発の立川行きを待つ間、駅前をウロウロしていた。実は、コレが川崎駅初下車だった。(覚えている限りでは)
立川行きに乗り、約30分で稲田堤に到着。ここから、京王稲田堤まで歩き、京王線に乗り換えた。
結局、自宅に着いた頃には、1時半近い時間になっていた。
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