禁断の果実

 

わたしは今、深い闇に閉ざされた場所にいる。
冷たくて、恐くて、ずっとここから出られないんじゃないかって、とても不安になる。
きっといつか、兄さんが助けに来てくれる。
そう信じている。
でも、ふと思うことがある。
兄さんは、助けに来てくれない。
だってこれは、禁じられた想いを抱いたことへの、罰なのだから……。

 

 オーボンヌ修道院。
 わたしは数年前まで、この海に面した辺境の修道院で暮らしていた。穏やかで優しい場所だった。ここに暮らす人は皆、そんな人たちばかりだったから。
 ここを離れてから、もう随分と長い時間が経ってしまったように思っていた。けれど、こうしてこの古びた建物の前に立っていると、ここで過ごした日々がまるで昨日のことのように思えた。
「随分と嬉しそうだな」
 ラムザ兄さんにそう言われて、わたしは自分がかなり浮かれてしまっていることにようやく気が付いた。兄さんは何だか呆れ顔だった。ここに来た理由は、聖石の無事を確認するためであって、遊びに来たわけではないのだから。わたしは少し申し訳ないような気持ちになった。でも……。
「何年かぶりにシモン先生にお会いできるのよ。他にも、会いたい人はたくさんいるわ。そりゃあ、遊びに来たわけじゃないのはわかってるけど……」
 言いながら、ここに暮らす人たちの顔が浮かんだ。突然の来訪に彼らはどんな顔をするだろう。喜んでくれるだろうか。そんなことを思いながら扉を開けた瞬間、血の匂いがした。
 見慣れた笑顔が苦痛に歪み、冷たくなっていた。まるで地獄みたいだと思った。もっとも、このしばらく後に、リオファネス城でもっと悲惨な場面を目の当たりにすることになるのだけれど、このときは、そんなことを知る由もなかった。
 凍りついたわたしの脇を、兄さんたちが通り抜けていった。
「酷いな。誰がこんなこと……」
「わからん。だが、相当な剣の使い手のようだ」
「そういえば、表にチョコボが……」
 そんな兄さんたちの会話を、わたしは吐き気をこらえながら聞いていた。いったい誰が、なんのためにこんな酷いことをしたのだろう。犯人への怒りと、無残にも殺されてしまった人たちへの悲しみがない交ぜになって、酷く泣きたい気分だった。けれど、涙は出てこなかった。本当に悲しいときは泣けないものだと、誰かが言っていたのを思い出した。
 まずは生存者を探し出し、助けるということで話がまとまったらしい。戸口にもたれかかるようにして立っていたわたしに、ラムザ兄さんは心配げな眼差しを向け、声をかけてくれた。
「辛いんなら、外で待っていた方が……」
 わたしはあわてて首を横に振った。
「大丈夫。わたしも行くわ。シモン先生が心配だもの」
 一人で待っているのは嫌だった。兄さんは「わかった」と言ってうなずくと、わたしに中を案内するように言った。
 シモン先生は、たぶん地下書庫の入り口あたりにいらっしゃるはず。そのことを皆に伝えて、わたしは先頭に立って歩き出した。
 とても怖かったけれど、すぐ隣に兄さんがいてくれた。そのことがとても心強くて……。わたしは怯えることなく、地下への階段を降りていった。

 

「シモン先生ッ!!」
 その姿を最初に見つけたとき、わたしは血の気が引いていくのを感じた。
 先生は、床に倒れて動かなかった。これまで見てきた人たちも皆そうで、彼らは既に事切れていた。
「先生、しっかりしてくださいッ!!」
 最悪の事態を想像しながらも、わたしはそう叫んでいた。叫んで、駆け寄って、まだ息があるのを確認したとき、酷く安心した。一緒に来てくれた白魔道士の女性がすぐに回復魔法の詠唱を始め、先生は意識を取り戻した。
 意識が戻ったシモン先生は、何者かが聖石『ヴァルゴ』を奪いに来たこと、そして彼らがとても危険な存在であることを教えてくれた。
「これ以上、彼らに関わるのはおやめなさい。命を失うことになる」
 シモン先生が兄さんにそう言ったときだった。
「聖石はどこだッ!!」
 下の階へと続く階段の下から鋭い男性の声が聞こえてきた。それに別の男性の声が重なり、更に下の階へと降りていく靴音が響いた。
 襲撃者の存在を身近に感じ、皆の間に緊張が走った。
「僕は教会から異端者の汚名を受け、命を狙われています。それも僕の持つ聖石のためですか? 教えてください。奴らはいったい何者なんです」
 静かに問う兄さんに、シモン先生は襲撃者の正体を語り始めた。
 それは、どす黒い陰謀の話だった。にわかには信じられない。けれど、シモン先生が嘘をついているとも思えなかった。
 でも、先生の話が真実なら……。
「おまえはここに残れ。僕は奴らを追う」
 シモン先生の話が終わると、兄さんは立ち上がってわたしにそう言った。
「わたしも一緒に行くッ!」
 わたしは反射的にそう言っていた。けれど……。
「シモン殿を一人にしておけない。安全なところに隠れているんだ!」
「……わかったわ、そうする」
 しぶしぶそう言ったわたしに、兄さんはいつになく真剣な表情を向けた。さし出された両手には、不思議な色合いのクリスタルが一つずつ載っていた。
 まるで血のような生々しい赤い色と、すべてを焼き尽くす炎のような限りなく赤に近い金色。
「もしもの時のために聖石を預けておく。僕が戻ってこなかったら、必ずバグロスの海に捨てるんだ。いいな?」
 わたしは小さくうなずいて、その二つの石を受け取った。恐かった。本当に、兄さんがこのまま戻ってこないんじゃないかって、恐くてたまらなかった。
 こんな時に何もできないなんて、本当に悔しい。
「わたしも、兄さんみたいに男に生まれたかった……」
 そうならば、一緒に戦えるのに。ずっと傍にいられるのに。
 唇を噛んだわたしに、兄さんはどこか寂しげな笑顔を向けて言った。
「……ばかだな。心の許せる肉親はアルマだけさ。」
 そのとき、わたしはどんな顔をしていたのだろう。
 信じてくれているのは嬉しかった。本当に、すごく、嬉しかったのだけれど……。
『肉親』
 この言葉に、酷く傷付けられたのもまた事実だった。わたしはラムザ兄さんの妹なのだと、今更のように思い知らされた。
 つらかった。
 大切な人たち――ここ、オーボンヌ修道院で優しくしてくれた人たちが傷付けられ、あるいは殺されてしまったことよりも、自分が兄さんの妹だということの方が、わたしの心を苛んでいた。
 とても酷い顔をしていたようだ。兄さんは、少し困った顔をして、小さく溜息をついたのだから。
 ああ、まただ、と思った。
 また、兄さんに迷惑をかけてしまっている。わたしはうつむいた。とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 そんなわたしの髪に兄さんの手が触れた。それは、わたしの知っている兄さんの手じゃなかった。大きくて、少しごつごつしていて、まるで知らない人の手みたいだった。
 ティータが殺された、あの雪の日から三年。家を出た兄さんは、傭兵としてずっと剣を振るってきた。変わってしまうのも、当たり前だった。
 これは剣士の手だ。そう思った。
 でも、あったかい……。
 これは、紛れもなくラムザ兄さんの手。その兄さんの手が、わたしの髪を少しだけ乱暴にくしゃくしゃとかき回して離れた。
「シモン殿を、頼んだぞ」
 そう言った兄さんの声は、微かに震えていた。そしてわたしに背を向けて、地下への階段を降りてゆく。その背中が涙でにじんだ。
 もう二度と、兄さんには逢えないかもしれない。そんな気がした。

 

わたしは、深い闇に閉ざされた場所にいる。
何も見えない。何も聞こえない……?
闇の中に、一条の光が差し込む。
それは、まばゆい朝の光にも似て……。

     ……ルマ

……アルマ……

……アルマっ!!

誰? わたしを呼ぶのは。
ラムザ兄さん……?

 

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あとがき
キリリクで執筆は2002年の春頃だったと思います。
ラムザ×アルマとのリクエストだったのですが、アルマの片思いっぽい感じに……。

2007.01.15 神風華韻