花束をきみに

 

  3. 幸福の余韻、そして悲しみの記憶

 うたた寝から目覚めてみれば、窓から射し込む夕日に部屋中が赤く染まっていた。
(夕焼けがすごいだろうな……)
 ヴォルマルフはいまだ少しはっきりとしない頭の中で、何となくそう思った。
 その時、彼の背後で女の声がした。
「ごめんなさい」
 と。
 どきりとした。その声は、死んだ妻のものに酷似していたからだ。
 振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。その少女に、一瞬、妻の姿が重なる。
「メリア……か」
 そこにいたのは娘のメリアドールだった。似ているのも道理、母娘なのだから。
「ごめんなさい、起こしちゃったみたい」
 すまなさそうに言う娘の言葉を優しく否定してヴォルマルフは立ち上がる。そして気付いた。部屋の中に、甘い花の香りが漂っていることに。
 少し辺りを見回してみると、卓の上に花瓶が置かれていた。白い花弁が夕日に照らされて赤く染まり、儚くも美しく、芳香を放っていた。
「その花は?」
「庭から切ってきたの。きれいでしょ?」
 メリアドールが微笑みながら答えた。
「ああ、母さんの好きだった花だ」
 ヴォルマルフの言葉にメリアドールは一瞬はっとした表情をして、悲しく微笑んだ。
「そう、だね。……父さん、辛くない?」
「何故そう思う?」
「何か、そんな顔してる」
 ヴォルマルフは思わず自分の顔に手をやった。そんなに悲壮な顔をしていたのか、と。
 メリアドールは苦笑していた。どうやら、ヴォルマルフの行動が滑稽だったらしい。
「自分の表情ってわかんないよね。特に、父さんは不器用だから。母さん、よく言ってた」
 そう言った娘の表情は、どこか悲しげだった。
「お前の方こそ、辛いんじゃないのか? そういう顔してるぞ」
「父さんほどじゃないよ。私は、笑えるもの……」
 うつむきがちにそう答えたメリアドールは、遠慮がちにヴォルマルフの服の袖をつかんだ。そして、額をヴォルマルフの肩に押しつけるようにして言った。
「ねぇ、知ってる? 父さん、あれから、一度も、笑ったこと、ないんだよ……」
 その声は微かに濡れていた。泣いているのだと思った。
 ヴォルマルフはメリアドールの肩をそっと抱き寄せた。
(そういえば、あの日もこうしていたな)
 あの日――妻の葬儀の日だ。
 泣きじゃくる少女にかけてやる言葉も見つからず、ただ抱きしめてやることしかできなかった。
 不意に悲しみの記憶がよみがえる。癒すことのできない痛みが……。
 しかし、妻は幸せだったのかもしれない。
 ヴォルマルフは時々そう思うことがある。そう思わせるほど、妻の死に顔は安らかだったのだ。もしかしたら、愛するものを守って死ぬことこそ、至上の幸福なのかもしれない。
 残された者は、たまったものではないのだが……。
 そうして命を救われた者は、どんなことがあっても生き延びねばならないのだ。どんなに絶望しても、自ら命を絶つことは許されない。ただ、癒えぬ傷を抱えて生きて行くしかない。
 生きることこそが、自分をかばって死んでいったものの願い。そして、最後に交わした約束なのだから。
 約束。それは呪縛だった。永遠に、解けることのない。
 妻の死から間もなく、ヴォルマルフは瀕死の重傷を負った。そこは乱戦の戦場、助かるはずもない。それでも、死ぬわけにはいかなかった。悪魔に魂を売り渡してでも。
 それから一年が経った。
 ヴォルマルフの中の闇は日に日に大きく膨れ上がっている。今はまだ、押さえ込んでいられる殺戮と破壊の衝動も、いつかは……。
「父さん、どうしたの?」
 気がつくと、メリアドールが心配げにヴォルマルフの顔を見上げていた。
「いや、なんでもない」
 ヴォルマルフは一抹の不安を押し込んで、腕の中の娘を解放した。
 メリアドールはそっと濡れたまつ毛を拭うと、何事もなかったように言った。
「お腹すいたね。父さん、夕飯何がいい?」
 何と切り替えの早いことか……。
 半ばあきれながらヴォルマルフは言葉を返した。
「何だ、まだ用意してなかったのか?」
「えへへ」
 ごまかし笑いを浮かべるメリアドールの目はまだ少し赤い。
「何でもいいから、早く支度しなさい。あんまり遅いと、イズルードがうるさいだろう」
 ヴォルマルフはそう言って、急かすように扉を開け、娘を送り出す。
「もうっ、何でもいいって言ったのは父さんなんだから、後から文句言わないでよね」
 メリアドールはそう言うと、台所へと駆けて行った。
 娘の後ろ姿を見送りながらヴォルマルフは思った。似ている、と。
 何から何まで死んだ妻・ソフィアにそっくりだ。一つ違うのは、騎士になると言い出したことくらいか。剣の修行の邪魔になるからと、長かった髪もばっさり切って。
(言い出したらきかないからな。そう言えば、あれもそんな女だった。おとなしそうに見えて、気が強い)
 ふと花瓶の花に目を落とすと、白い花弁が一枚、卓の上に落ちた。甘い香りが一段と強くなる。
 甘い想い出、幸福の余韻が微かに蘇る。
「ソフィア……」
 妻の名をそっと唇に乗せて、ヴォルマルフはしばしの間夕闇に浮かぶ白い花を見つめていた。

 

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あとがき
1999年9月発行の同人誌に掲載したものです。古いものですが、お気に入りなのでしつこく載せてます(笑)。
タイトルはガープスルナルのシナリオ集からだったり(内容は全く関係ありませんが)。

2007.01.15 神風華韻