天体観測



――2307年12月9日 現地時間 00:53 アイルランド・郊外

 ティエリア・アーデは不機嫌だった。
 就寝準備を整えていたところを、無理やり車の助手席に押し込まれたのが小半時前。それから行き先も告げられぬまま、夜のドライブに付き合わされている。
 鼻歌まじりに運転している男は、何を訊いても「着いてからのお楽しみだ」と意味ありげに笑うだけで、目的については一切答えようとしない。
(何を考えている?)
 上機嫌な男の横顔を忌々しげに見やりながら、ティエリアは心の中でひとりごちた。
 翌日のことを考えれば、ミッションプランを再確認し、早々に就寝すべきだ。こんなことをしている時間的余裕は、どこにもない。
(ありえない!)
 ティエリアの苛立ちが頂点にきたところで、男は路肩に車を止めた。
「よーし、着いたぞ」
 そんな男の言葉に窓の外の闇へと目を凝らしてみるが、そこには何もなかった。市街地からは遠く、人工物はほとんど見当たらない。ただ、荒涼とした平原が広がっているだけだった。
「ロックオン・ストラトス。こんな場所に何があるのですか? 俺は貴方の冗談に付き合っているほど暇ではないし、貴方もこんなことをしている余裕はないはずだ」
 不機嫌を隠そうともせずに言うティエリアに、ロックオンと呼ばれた男はいつもの飄々とした態度で言葉を返す。
「まあまあ、そう怒りなさんなって」
 ロックオンは喉の奥でくつくつと笑いながらエンジンを止めた。
「外出ろ。そんで、空見てみろ」
 言われてティエリアが助手席のドアを開ける。と、刺すように冷たい外気が車内に入り込んできた。吐き出した息が白く凍りつく。
「おっと、コイツを忘れんな」
 幅広のマフラーを被せるように巻きつけられた。少し息苦しさを感じる。だが、そのまま外に出るよりかはましだ。
「あっち、な」
 指し示された方角の空を見上げる。
 初めて目にする光景に、ティエリアは思わず息を呑んだ。
 南南東の空――ほぼ天頂近くにある双子星の間を、長く尾を引いて星が流れていったのだ。一呼吸置いて、今度は双子の足元からオリオンの方角へ。次は天頂へ。そして地上へ。時々間を開けながら、流星が冬の夜空を彩る。
「綺麗だろ」
 ロックオンは次々と流れる星々には目もくれず、ティエリアの顔を嬉しそうに見ていた。
「これをおまえに見せたかったんだよ。どんな反応するかと思ってさ。これなら、連れ出した甲斐があったってモンだ」
 翡翠色の双眸が優しげな色を映して細められた。それを受け止めた紅玉は困惑を宿し宙をさまよう。
 解からない――とティエリアは思った。確かに美しい光景だ。だが、いったい何の意味があるというのか。
「くだらない。ただ塵が燃えているだけだ」
 ティエリアがそううそぶくと、ロックオンは一瞬ぽかんとした顔をして豪快に笑い出した。
「何が可笑しい!」
 怒気を滲ませた声にも笑いの発作は止まらない。ティエリアは更に不機嫌になった。
 ひとしきり笑った後、ロックオンは小さく謝罪すると、普段から身につけている革の手袋を外してティエリアの頬に触れてきた。突然の接触に身体が強張る。
「くだらないって言うなら、なんで泣いてんだ?」
「は?」
 素っ頓狂な声が出た。
(泣いている? 誰が?)
 少し乱暴に、ロックオンの手がティエリアの頬にこぼれた涙を拭う。
「感動しちまったか?」
 からかうような口調のわりに、その眼差しは酷く優しかった。何故か頬が熱くなる。
(どういうことだ……)
 黙り込んでしまったティエリアの頭を、ロックオンがくしゃくしゃと撫でる。それを不快だと思わない自分が解せなかった。最後に軽く叩くようにして彼の手が離れる。頭上の温もりがなくなったことに、一抹の寂しさを感じた。
 何故だ? 何故そう思う? そう感じる?
 疑問ばかりが浮かんでは消えていく。ヴェーダを参照したところで、その答えは出そうにもない。
 彼といると、どうも調子が狂う。いつもの自分でいられなくなる。その理由が見つからない。
 強引な誘いも、拒絶すればいいだけのこと。明日は大切なミッションがある。早く休まなくてはならない。なのに、ティエリアは今ここにいる。
 ぐるぐると渦巻く思考を中断したのは、その元凶の発する声だった。
「で、ティエリアは何か願い事しないのか?」
「願い事?」
 また突拍子もないことを言い出した――とティエリアは思った。
「流れ星にお願いすると、叶うって言うだろ」
 そう言って、ロックオンは子供のように無邪気な笑顔を見せる。
 どきりとした。彼の表情は普段からくるくるとよく変化する。その中でも見たことのない表情だった。そんな戸惑いを払拭しようと、ティエリアはいつもの不遜な物言いでロックオンに応じる。
「貴方は本当にくだらないことばかり言う。そんなことをせずとも、俺は俺自身の力で目標を達成する」
 半分は本音だが、もう半分は強がりだ。
「ま、そりゃそうか」
 ロックオンは苦笑を浮かべると、空を仰いだ。その横顔がどこか寂しげにに見えて、ティエリアは思わず「貴方は、何かを願うのですか?」と口にしていた。らしくない。
「おれか? おれはなぁ……」
 視線だけティエリアの方に向けると、ロックオン・ストラトスはにやりと笑ってこう続けた。
「秘密だ」
 そして腕を組むと星降る夜空を見上げる。その瞳は流星を探すではなく、一点を見つめていた。
(本当に、不可解な人だ)
 ひとつ溜め息を吐いて、ティエリアもまた空に目を戻す。
 その時、ひときわ強い光を放って漆黒の夜空を星が駆け抜けた。


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あとがき……という名の蛇足
別の話の資料に、星座の出没時間やら何やらを調べていたら、ぽっと浮かんできた話です。だいぶ季節外れなのですが、季節に合わせようとすると書けなくなりそうだったので……。
2008.05.31 マナセカイン