断罪 -conviction-



「ティエリア・アーデだ。よろしく、頼む」
 その声は、掠れていた。
 触れた手のひらはうっすらと汗ばみ、微かに震えている。明らかに動揺しているのが分かった。瞳を逸らさずに、真っ直ぐこちらを見つめるのは精一杯の虚勢か、それとも恐怖からなのか。
 握った手を引き寄せると、細い身体は簡単にバランスを崩して俺の胸元へと倒れ込んだ。反射的に突き放そうとするのを抑え込み、耳元へ口を寄せる。小さく息を飲むのが聞こえ、俺は心の中で苦笑した。
「何をそんなに怯えてるんだ?」
 低く囁いた俺を、揺れる紅玉が見上げる。何か言いたげにわななく唇は、言葉を発することなくすぐに固く引き結ばれてしまった。
「何だよ。これじゃあ俺がいじめてるみたいじゃないか」
 軽い口調でそう言ってみても、何かを堪えるようにうつむくばかりで埒があかない。その態度に心当たりがないわけじゃない。しかし……。
 できれば触れたくないことだった。触れれば閉じ込めてきた醜いものがあふれ出してしまう。そんな気がする。
 アイツは、ニールは彼を庇って負傷し、その傷を押して出撃した戦場で帰らぬ人となった。そう聞かされた。
 直接の原因ではないにしろ、その責任の一端は彼にあるのだと俺は思っている。そして、彼自身もそう思っているのだと俺は確信した。
 恨まれて当然。何をされるか分かったもんじゃない……か。
 しかし、会ったばかりの相手にそんなものをぶつけてどうしようというのだ。それもこれから行動を共にし、ときには命を預けなければならない相手だ。わざわざ波風を立てるべきではないだろう。
 だが彼は、それを望んでいるようにも見える。
 いや、望んでいるのだ。断罪を。そして、赦しを。
 とんだ甘ったれだな。
 こんなやつのために、アイツは……。
 彼を裁いてやろうと思った。わだかまっていた思いを、すべてぶつけてやろう、と。
 だが、赦してなどやるものか!
 俺は彼の肩を掴むと、感情のままに荒々しく壁に押し付けた。
「罰が必要、か?」
 自分でも驚くほど冷たい声が出た。
 少年が、まるでそれを待ち望んでいたかのように顔を上げる。
「貴方の、気の済むようにするといい」
 まるで殺されても文句は言わないとでもいうような、酷く思い詰めた表情で彼はそう口にした。
 いい覚悟だ。さっきまで俺の一挙手一投足に怯えてびくびくしていたやつと同じ人間とは思えないほどに。
 何から言ってやろうか? そう思いながら口を開く。
「それは君の甘えだよ」
 意外な言葉が出た。確かに甘ったれたやつだとは思った。思ったが、これじゃあ、まるで……。
 何故だ? わけが分からない。
 そう思ったのは俺だけではなかったようで、少年の表情もまた困惑へと変わっていた。
「恨みごとが聞きたかったんだろうが、残念ながら俺は君を恨んでも憎んでもいない」
 また思ってもみない言葉が口をついて出る。
 嘘だ。そんなわけはない。今だって、はらわたが煮えくりかえるような思いでこうして対峙している。
「自分のしたことを悔いているなら、他人に赦してもらおうなんて思わないことだ。本当に自分を赦せるのは、自分しかいないんだから……」
 俺は何を言ってるんだ。
 こんなことが言いたいんじゃないだろう!
 糸が切れたように崩れ落ちる少年をそのままに、俺はブリーフィングルームを後にした。



「何をしてるんだ。俺はッ!」
 込み上げてくる苦い思いを拳に託して壁に叩きつけた。自室として与えられた部屋に鈍い音が響く。
 痺れるような手の痛みよりも、苛立ちの方が勝っていた。
 本当は、恨みごとの一つでも言ってやるつもりだった。子供じみているとは思ったが、そうしなければ気が済まない――はずだった。
 何故あんな言葉が出てきたのか分からない。無理にでも理由を挙げるとすれば、思い当たるところはいくつかある。あるがやはり解せない。
「アイツが言わせたかな」
 苦笑交じりに、もう会うことのかなわない片割れを思い出す。
 アイツが身を盾にしてまで守りたかった相手。想像していた以上に若かった。そして、酷く危うい。
 守ってやりたいと思う気持ちも、分からなくもない。
「これで、いいんだよな」
 燻ぶる思いをまた胸の奥に押し込めて、一つ息を吐いた。
 分かってる。これでいいんだ。まだ、どこかで納得できないところはあるけれど。
 恨んでいないはずがない。憎む気持ちもある。たとえそれが逆恨みと呼ばれるものであったとしても、簡単に消せるものじゃない。それでも……。
 彼の――ティエリアのことを思う。彼はまた立ち上がれるだろうか? いや、立ち上がってもらわなければ困る。
 アイツの、果たせなかった想いのためにも。


2008.09.03 マナセカイン


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