*日本で最も有名な化け狸*
群馬県・館林にある茂林寺(もりんじ)ゆかりの伝説に登場する化け狸。童話の題材にも取り上げられている、日本で一番有名な化け狸である。
千葉県・証誠寺(しょうじょうじ)の「狸囃子」(たぬきばやし)と、愛媛県松山の「八百八狸」(はっぴゃくやだぬき)と並び、『日本三大狸噺』と証されるほどである。
元禄の昔、茂林寺に守鶴(しゅかく)と言われる博識な老僧がいて、代々の住職に仕えていた。ある時、寺で大規模な茶会が開催される事になり、寺の者が準備に奔走していると、守鶴は何処からかひとつの茶釜を持ち出してきた。この茶釜、特に途中で水を入れるでもないのに中の茶がいくら汲んでも尽きず、人々は不思議がった。
実は、守鶴は齢数百年を経た古狸であり、先代の住職の人柄に惚れ込み、人に化けて仕えていた物で、いくら汲んでも尽きない茶釜は守鶴の幻術によるものだった。後、守鶴は昼寝の折に尻尾がちらりと見えていたのを人に見咎められ、恥じて寺を去った。人々は大層別れを惜しんだと言う。
この時に残された茶釜が、守鶴が寺を去った後、狸の頭や手足が出て夜中に踊り狂うようになった。恐れた寺の者は、これを古道具屋に売り渡してしまった。その後、多くの人の手を転々とした挙句、見世物師がこの化け狸に曲芸を教え込んだところ良く覚え、愛らしい姿ゆえに多くの人の人気者になった。「分福茶釜」(ぶんぶくちゃがま)と言う名はこの時につけられた物で、その愛らしい姿が多くの人に福を分けてくれる縁起の良いものだから、と言うのが由来だとも、茶道の用語で強火を意味する「文火」(ぶんか)と弱火を意味する「武火」(ぶか)と言う語を合わせた「文武」(ぶんぶ)の語に由来するとも言う。
後、この茶釜は寿命が尽きたものか動かなくなり、元の茂林寺に戻されて供養された。今でもその釜が残っているそうである。
※このイラストはたぬたんさんのリクエストを受けて製作したものです