*江戸の悪戯河童*
「河童」には地方での独自の呼び名が非常に多く、「河太郎(かわたろう)」と言う語はその数多き異称のひとつである。
江戸…つまり今の東京は、嘗ては街の至る所に堀や淵がある場所だった。それ故に江戸の街中で「河童」「河太郎」に遭遇した、と言う記録は頗る多く、中でも九段・小川町の弁慶堀(べんけいぼり)と言う大きな堀に住む「河太郎」は当時から方々に名が知られていたらしい。当時の妖怪カルタの絵札にも「弁慶堀のかわたろう」の名が確乎りと確認出来るほどである。
さて、江戸時代の事…ひとりの中間(武士階級に仕えていた雑務をこなす人達の事)が弁慶堀の傍を通りかかると、堀の中から中間を呼ぶ者がある。見ると堀の中から子供のような者が手招きしている様子。
「誰か誤って堀に落ちてしまったに違いない」
くらいに思った中間が手を伸べて助け出そうとした所、その者は逆に中間の手を掴んで恐ろしいくらいの力で水の中に引き摺り込んだ。その力は凄まじく動かざる事磐石の如し、中間はすんでの所で溺れてしまいそうになったが、必死にその怪しい者の手を振り解き、やっとの事で屋敷に逃げ込む事が出来た。
中間は力を使い果たしたものか、それから数日も寝込んでやっと健康を取り戻したそうだが、その者の体は非常に生臭く、服や体に染み付いた悪臭は幾度洗っても暫く抜けなかったと言う。人々はこれぞ「河太郎」の仕業であったろう、と話し合った。