*霊魂を宿した画聖の絵*
日本では古来から、生物はもとより非生物…石などの鉱物や古道具など…にも霊魂が宿ると信じられていた。こうした思想を「アミニズム」と言い、世界各地で似たような信仰が存在するが、日本の場合は特にその傾向が強かったようである。
古道具に悪霊が取り憑いた妖怪群「九十九神」(つくもがみ)はよく知られている所だが、それ以外にも、例えば名人が精魂を傾けた彫刻や絵などの芸術品が、自ずと命を得て夜な夜な動き出したり暴れたりする話が日本各地に伝えられており、「暴れ絵馬」(あばれえま)はそうした存在の代表的なモノのひとつである。
絵馬(エマ)とは神に祈願する際に用いる絵入りの木製の額…多くは馬の絵が好んで描かれた…の事だ。今では出来合いの物が殆どであるが、昔は分限者や武士階級が高い金子を払って当世の優れた絵師に絵を描かせ、その豪華さが人目を誘ったりした。
「暴れ絵馬」になり易いのは、こうした絵馬でも特に名人級の絵師が描いたモノが多い。絵のあまりの出来の良さにいつの間にか絵馬に魂が宿り、夜な夜な抜け出すのだ。
描かれた姿が姿だけに、人間に対して暴力を働く事は殆ど無いが、田や畑を荒らして廻ると言う少々困った性癖がある。それも、収穫前の良く実った稲や野菜を頻々と食い荒らし、田畑の中を転げ回って作物を散々に踏み荒らすと言う体たらくだ。俗に「牛飲馬食」と言うが、「暴れ絵馬」の食欲は生身の牛や馬の非では無く、これが現れると付近の農民は後の事を思い慄然とするより他無い有様である。
然し、全く弱点が無い訳では無い。昼間の間は「暴れ絵馬」は絵の姿のまま全く動かないので、これだと判った絵馬を見付け出し、手綱と杭を描き添えてしまえば、「暴れ絵馬」は絵から抜け出す事が出来なくなってしまうのである。出来れば、その折には絵馬の空いている場所に飼い葉桶を描き添えて置くのも望ましい。一度命を得た「暴れ絵馬」は、食を断たれると普通の動物と同じように飢えて死んでしまう為である。
因みに「暴れ絵馬」と伝承される絵馬には有名な絵師が手掛けたモノも多く、有名なのモノに京都のあるお寺にある「田荒らしの絵馬」(巨勢金岡)や山口県に伝わる「駒繋ぎの絵馬」(雪舟)等がある。