*復讐に燃える凶暴な野猪の王*
書物によっては「猪笹王」とも表記する。
大和国(今の奈良県)吉野郡にある伯母ヶ峰(おぼがみね)と言う峠を根城に、人畜に甚大なる被害を齎し続けた凶暴な猪の魔物。大きさは小山ほどもあり、背中一面に熊笹が生い茂ると言う実に慄然たる姿をしている。
昔、伯母ヶ峰の南側の村に射馬兵庫(いま ひょうご)と言う名前の猟師がいた。ある時、犬を連れて猟に出かけた時、峠の真ん中で突然この怪物に襲い掛かられた。兵庫は怯まず、自慢の鉄砲で続けざまに「為笹王(いざさおう)」に銃弾を浴びせ掛けたが、怪物は深手を負いつつも霞のように姿をくらましてしまった。
それから数日後、紀州(和歌山県)のある湯治場に風体の怪しい武士が現れて湯治を所望した。士農工商の風潮が色濃い時代ゆえに湯治場の主人は下にもおかずこれを持成そうとしたが、何故か武士は人に見られるのを極度に避けた。やがて就寝の段になると武士は「決して私の寝姿を覗き見てはならぬ」ときつく申し渡して寝部屋に入ったが、これを不審に思った者があって、主人が止めるのを聞かず夜明け近くに部屋をこっそり覗き見た。すると、部屋の中には座敷いっぱいになるほどの大きな猪の魔物が高いびきをかいていたのである。覗き見られた怪物は、自分が伯母ヶ峰に住む魔物「為笹王」である事を明かし、「復讐の為、射馬兵庫の所有する猟犬と鉄砲を排除してくれるよう、何とか世話して貰いたい」と言い残し、姿を消した。
話を聞いた土地の役人は後の祟りを恐れ、早速兵庫の元へ使いを走らせて交渉したが、兵庫は「たかだか畜生、恐るるに足らぬ」と相手にしない。結局交渉は物別れに終わってしまった。するとこれを怒った為笹王が、諸々の変異を為してますます人畜を害する事甚だしかった為、遂には伯母ヶ峰を通る者がひとりもいなくなり、街道筋は廃道寸前になってしまった。
後に、丹誠上人(たんせいしょうにん)と言う徳の高いお坊さんが法力を以ってこの怪物を封じ込めたが、毎年旧暦の12月20日、所謂「果ての二十日」だけはこの封印が解け、「為笹王」が自由になると言われ、今でもこの日に伯母ヶ峰を通る事は堅く禁じられていると言われている。