It's what heats me up


 は、は、と犬のように短く息を吐き出しながら、神田はのろのろと頭を動かし横を向いた。視線の先に横たわるのは闇。
 頭に霞みがかかったようだ。首の付け根が痺れたように重い。力を入れすぎているせいだとわかってはいるものの、体が己のものではないように、コントロールできない。力を抜きたくても抜けない。せめてこの上の熱がなくなりさえすれば。
 背に触れているのは、常ならば冷えたシーツだというのに、今は上昇した体温でやけに生暖かい。その上汗で湿っていて、不快だ。
 それもこれもなにもかも、全てがコイツのせいだ。
 顔を背けたまま目を動かし、神田は視線だけを再び天井へ向けた。その闇に支配された視界にぼんやりと浮かび上がるほの白い影。
 白い髪、白い肌。もっとも、今肌は薄紅く上気している。忌々しいことに、おそらくは自分もそうなのだ。舌打ちをしたかったが、今僅かでも唇を開いたら、そこからあらぬ声が漏れ出しそうで、きっとそうなったら自分は死んでしまうに違いない。
「神田」
 やけに掠れた声で名を呼ばれ、視線を再び影から外す。
 見てやるものかと、動きで表明した意思は、しかし耳朶に噛み付かれて頓挫した。ざわりと、湿った感覚の耳を中心に、鳥肌が立つ。反射的に首を竦めたのと同時に声が零れた。小さく。
 思ったより普通で少し嗄れた声は、それでも聞きたくないと耳を塞ぐのに十分なほど欲に濡れていた。
 ちくしょう、という言葉が頭をぐるぐる回る。
 何故こんなことを許してしまったのか、甚だ疑問だ。一体全体自分が何を考えていたのか、自分で自分を問い詰めたい気持ちでいっぱいだった。
 あり得ない。何があり得ないかというと、全てだ。何もかも全て。
 なんでこうして足を広げて、自分にもついているあれを突っ込まれてなきゃいけないんだとか、しかも突っ込んでいるのがなんでモヤシなんだとか、それがまたやけに手馴れてる(ような気がする)とか、ともかく全てが有り得ない。気に食わない。一番気に食わないのはやっぱり、この状況を許した自分だろうか。それともそれを許させたこの少年。
 そいつがまた名を呼ぶ。
 赤毛の友人のようにファーストネームを呼ぶことに拘る彼が口にしたのは、しかしそれを決して許さない神田の意思に従い、ファミリーネームだ。やけに神妙な声で、それは何か不安そうにも聞こえる。
 ああ、ちくしょう。
 神田はもう何度目かわからない悪態を内心呟いた。
 力押しで来られれば、同じ力で切り捨てられるものを、コイツは最後の最後にこれなのだ。捨てられた子犬や子猫のように、哀れを誘う声で神田を呼ぶ。どうしようもない。
「…うるせぇ」
 出来る限り、普段どおりの声になるよう、必死に自分を制御しながらどうにか応えると、無理に搾り出したせいでひどく掠れていた。それをどう勘違いしたのか、見下ろしてくる大きな灰色の目に焦りの色が滲んだ。
「え、ちょっと、苦しいとか…その、だ、大丈夫ですか?」
「……そう思うなら、もうやめ、ろ」
 誰のせいだと思ってんだこのヤロウ。残念ながら最後までは言葉に出来なかった分きつく睨みつけると、それはあっさり拒否された。
「いやですよ」
「てめえ…っ」
 妙にきっぱりとした、さっきまでのあの情けなさは演技だったのかと思うくらいきっぱりとした返答に、かあっと頭に血が昇った神田は反射的に身を起こしかけ、しかし呻き声一つ、結局はシーツに沈んだ。
 今の動きで乱れた髪が一筋、顔を覆ったが、邪魔だと思う間もなくアレンの右手がそれを払いのける。こめかみに近い額の辺りから顔の輪郭に沿って、やけに丁寧な動きで払った後、もう一度指が額に触れそのまま指が髪に差し入れられ、ゆっくりと梳いた。それから漆黒の一束を、白い指が摘み上げ、その先にアレンの唇が寄せられたかと思うと、大事なものを扱うような仕草で口付けた。
 唐突に、髪が逆立つような感覚が神田を襲った。ざわざわと胸が騒ぎ、冷や汗のような血が足りないような、頭の中から酸素がなくなってしまうような、変な感覚だ。
 神田は何か悪態でも吐き出そうとしていた口を引き結んだ。
 どうしていいのか、どうしたいのか、わからない。
 わからないまま、アレンの存外しっかりした首に腕を伸ばし、引き寄せた。一瞬目が合った。驚きで大きく開かれた灰色の目が熱に潤んでいて、やけに美味そうに見えた。美味そうだと感じた途端、わけのわからない衝動に駆られ、その左眼に舌を這わせていた。
「ちょ、神田…!」
 アレンの焦った声。身を引こうとする動きを腕の力で封じる。アクマの姿をそこに映すという左眼に尚も舌を這わせると、涙の塩映ゆさがいっそう奇妙な感覚を増幅させた。


 それを興奮と呼ぶのだと悟ったのは、驚きから脱した白髪の少年からの熱病のようなキスの最中だ。それまではただひたすらに不本意さに苛々を募らせていたのに、髪に口付けられた途端、なにかスイッチが入ったようだった。
 でも悟ったからとてどうにかなるものでもない。自分の興奮が相手に伝播し、火を点けてしまった。
 それまでの、いっそもどかしいほどの丁寧さとは打って変わって、アレンは神田を翻弄した。
 神田がやめろと言ったところは余さず抉られ、擦られた。時折漏れる声を認めたくなく、しかしそれがまた興奮を煽る。やけに嬉しそうに気持ちよさそうに突き上げてくるアレンを受け入れたそこは、始めのような痛みではない疼きを訴えた。
 痛みならいくらでも耐えられるのに、でもこんな頭の根っこが引き攣れるような感覚の前には、抵抗のしようがない。せいぜい声を漏らすまいと、堅く握った拳で口を強く抑えるくらいで、それさえもアレンの右腕に引き剥がされてしまえば、おしまいだ。
 体中が性感帯になったようだ。
 どこで覚えてきたんだこんなこと、と真っ白になる意識の中でぼんやり思った。同時にちりり、小さく胸が疼いたが、神田は気付かない振りをした。




「…いい加減、人の上からどけ」
「ねえ、神田」
「てめぇ、人の話を…」
「もう一回って言ったら」
「ぶっ殺すに決まってんだろ、このモヤシ」
「…乱暴だなあ」
 いつもなら寝に帰るだけの寒々とした空間を、ようやく冷え出した熱気が満たしている。同じように冷えている筈のシーツは、さっきまで触れれば火傷しそうに熱いと感じていたのが、ようやく人肌くらいになった。
 乱れていた呼吸をようやく整えて開口一番、唸るように捻り出した言葉を見事に無視してアレンが神田の片口に顔を埋めたまま呟いた。それを切り捨てると僅かに絶句して少年はようやく顔を上げる。離れた肌の間に冷たい空気が入り込んで、体温を奪った。
「もう十分だ」
「僕はそうでもない…」
「てめえのことはどうでもいいんだよ」
「あ、一つ聞きたいんですけど」
 ぐぐと白い頭を押し退けようとする神田の腕を、掴んでアレンが呟いた。その顔をまともに見て、神田は眉を寄せた。不審げに。
 なんだか少年が嬉しそうなのだ。しかし問い返すのも癪に障るからと、先を聞かずに無理矢理身を起こしかけた時だった。
「なんでさっき目舐めたんですか?」
 不意打ちのように問われた言葉に動揺したせいで、掴まれた腕を軽々と外される。起き上がるために立てた腕は、結局押し戻されてしまった。アレンの大きな目が異様にきらきらしていて、その勢いで寝台に縫い止められたかのようだ。
「いきなり積極的になっちゃったじゃないですか」
 まあ僕もちょっと興奮しましたけど、と続いた言葉に、確かにそうだろうよと、まさに身を以て知らされた人間として神田は内心盛大に毒づいた。が、しかし反応すべきはそこではない。
「なってねえ!」
「僕もう嬉しくて」
「聞けよ、人の話!つか、離れろ!」
 何故と訊かれて答えられるものなら正直に答えたいくらいのきらきらぶりだった。子犬が遊びをねだるような期待に満ちた目。というより、待てと言われて好物を前に今にも飛び掛りそうに待つ犬のようだ。身の危険をこれ以上ないくらいに感じて、神田は身を引いた。そして当然のことながら、背中のシーツに阻まれる。
「だから、ね」
「ぶった切るぞてめえ!」
 ね、だなどと可愛らしく小首を傾げるあたりが、これはもう計算だろう。
 やっぱり許したのは間違いだったと、怒鳴りながらも神田がさすがに青褪めかけたところで、不意にアレンが身を離した。そのまま起き上がり、寝台の縁に片膝を抱えるようにして座った。そして一方の肩を軽く竦める。そしてにこりと笑う。
「冗談ですよ」
 半ば以上は本気だっただろうと追求はしなかった。薮蛇になりそうだったからだ。その代わりに無言で神田も起き上がった。体の表面が熱を失い、急速に冷えていく。
 体の動きに合わせてさらりと髪が肩を滑り、幾筋かが垂れ落ちた。それを、利き腕を伸ばしたアレンの指が掬い上げる。それから、でも、と小さく呟き、空いている方の紅い腕を寝台について身を寄せてきた。ただでさえ狭い寝台の上、一度は離れた熱源が近付き、僅かにほの温かく感じるのは気のせいではないだろう。
 掬い上げた黒髪の先にアレンが唇を寄せ、ゆっくりとした仕草で口付ける。そして、神田のことが好きなのは冗談じゃないですから、とキスを落とした後、伏せた灰色の目が神田を見上げて囁いた。
 凍り付いたように黙って、アレンのしたいようにさせていた神田は、冷えてどこかに失われていた熱が蘇ってくるような気がした。腹の奥か胸の奥か、それははっきりしないが、じわりと滲み出すような、それ。怒りのようなそうでない別のもののような、奇妙な感情が熱を生み出している。
 追い縋るようにみせて、寸前でその手を放す。なのに執着していると告げる。その態度がいつも神田を苛つかせる。

 本当は欲しいくせに。

 神田は自分の髪を絡める白い指ごと掴んで引き寄せた。
「……それなら、これくらいして見せろ」
 噛み付くように口付ける寸前、低く唸るように告げる。歯ががちりと鳴ったが、構わず唇を押し付けるとアレンが嬉しそうに笑った気がした。
 しかしそれが確かかどうかはわからなかった。


 その、闇に紅く光るオッドアイ。
 それが身を疼かせたのだと、神田は最後まで告げはしなかった。







真生さんからまた小説を頂いてしまいました よ …!もうどうしようホントちょう萌える堪らないよ…!(ぶるぶる)
アレ神は本当に距離感が堪らないよね!と日々萌えの応酬を続けているおれたちです…おおおまた書くといい…!
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リクエストするといいよ…!