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 11月20日(水)
今日、友人で相互リンクでも大変お世話になっている『雑感草子』の六条さんがサイトをリニューアル・オープンされた。サイトを「歴史」と「趣味」の二つに分け、より整備されたわかりやすいサイトにしたのだ。さすがはわが師匠。(笑) 整備されたわかりやすいサイト、私も目指したいのだが何とも技術が伴わない。(涙) ただ来年行うであろう「ぶらりんこ」は、今年の分とはきっちり分けようとは思っている。どういう仕方にするかは只今思案中。 『ぶらりんこ』に来てくださる皆様のおかげで本日4000番を超える事となった。感謝の気持ちでいっぱい。今年も思えば後1ヶ月と10日。今年はいい一年だった。(ちょっとまだ早い。(笑))もう一度やり残しがないかチェックしよっと。



 11月19日(火)
体調がもどり一安心。なので今日はHP更新。「会津ぶらりんこ・第二弾!」とも思ったが、先に「不思議な体験」を書いた方がいいだろうと思い、こちらを先に更新した。例のホテルで撮れた写真の話。ここに写っていたもの、「大泉の母」は「そんなにたいした事はない。」と言っていたのだが、この後、「お浄め」をするまでの数日間、私はこの写真の「ひと」に苦しめられる事となる。あまり書いてしまうと後の「お浄め顛末記」がつまらなくなってしまうのでこの辺でやめにするが、三鷹の八幡神社の件以上に、「そういうものが現実に存在するんだ。」と実感した出来事だった。こういう事は実際に体験してみないとわからないと思う。今まで体験していないから・・と言って、今後も体験しないという保証はない。しかしこの手の話、怖い話ばかりではない。先日娘がいつも身につけていたペンダントを失くしてしまった。このペンダントは実家の母の友人の尼さん(真言宗)から頂いたものだった。(その方は昨年病死している。) いくら家の中を捜しても見つからない。たぶん外で失くしてしまったのだろうと半ば諦めかけていた。ところがそのペンダントは無事娘の手元に戻ってきたのだ。偶然にも娘の友だちがそのペンダントを拾ったのだという。以前見せてもらった事があったので覚えていたとか。この話を聞いた時、「そうか・・。ペンダントがうちへ帰りたかったんだ。」と直感した。ペンダントの中には地蔵菩薩の御影が入っている。こういう話も一種の「縁」なのだと思う。ペンダントのような「縁」は大歓迎だが、写真の「縁」は・・できれば遠慮したいものである。(笑)



 11月18日(月)
昨夜から今朝にかけて風邪を引いたのか気持ちが悪かった。(ムカムカするかんじ) それで足腰も痛い。なので今日は掃除・洗濯以外はずっと休んでいた。何とか今は元に戻った感じ。疲れかもしれない。誰にでも身体の中で弱い場所があると思う。私の場合は大腸。3年前に急性大腸炎、2年前に出血性大腸炎をやった。最初のは出血はしなかったものの熱が39度以上も出て、水を飲む事さえできないくらいの腹痛。「もしかしたら死ぬかもしれない。」とまで思えるほどの痛さだった。それが2〜3日続いた。近所の医者に点滴に通い何とか回復。 しかし2度目の出血性大腸炎、これはさすがに大学病院へ。「入院して下さい。」と言われたが娘が受験生だったので断り、4〜5日、点滴をしに病院通いをした。1回の点滴時間が2時間半。けっこうキツかった。その期間、何も飲まず食わず。5日で5キロくらい痩せた。(ちょっと嬉しかった。笑) それ以来、腹痛恐怖症でお腹が痛くなると「あれ(出血性大腸炎)にはなりたくない。」と即休むようにしている。この頃無事に過ごせてホッとしているが、昨夜の異様な気持ち悪さは、内心「もしや・・」なんて考えてしまって・・。怖い、怖い。 痛いのはやはり嫌だ。



 11月17日(日)
日野石田・土方家に6日以降私のところまで送っていただいた署名をお届けした。これで完全にネット署名のお手伝いは終了。今日は資料館開館日という事もあって資料館の前はすごい人の列だった。今年に入って一番とも言える来館者数だったのではないだろうか?閉館時間まで待って訪問。その前に久しぶりに高幡不動へ行き、お不動さんにお参りした。本堂後ろの奥殿で重文の不動明王像を拝む。この宝物殿、歳三関係の書簡なども展示してあった。土方家の親戚・平家が寄贈したもの。歳三の文久三年冬の手紙、文末の 「いざさらば われも波間にこぎいでて あめりか船をうちやはらわん」 この歌が印象的。 歳三も「攘夷」の気持ちに燃えて上洛した事がわかる。生家近くの石明神社もお参り。残念ながらお社は建て直されていたが、大きな木が二本、神社を囲むように立っていた。「この木は歳三も触ったかな。」「もしかしたら小さい時、この神社に「武士になるんだ!」ってこっそりお参りに来ていたかもしれないな。」等と思いながら手を合わせた。ご当主、お嬢さんに署名をお渡しし、急ぎ家へと戻った。今日はお不動さんのおかげで石田から我が家まで1時間かからずに帰る事ができた。こんな事は初めて。まったく電車を待つ事なく乗る事ができた。やっぱり、お不動さんは凄い!




 11月16日(土)
今日は法政大学・社会人向け講座『多摩の歴史と文化』の第3回目。(本当は第5回目。私は3・4回と受講せず。) ついに幕末・明治維新のところに入った。「新選組はでてくるかな〜?」と内心ワクワクしながら聴いていたが講座冒頭に、「幕末の多摩と言えば新選組が有名ですが、この講座はその事でない別の側から・・・。」と講師の先生のお言葉。 トホホ・・。ガッカリ。しかしながら講座自体は大変興味深い内容だった。多摩・柴崎村の名主鈴木平九郎の公私日記を講師の先生と共に読んでいった。この日記の嘉永と安政は立川の郷土資料館から取り寄せて持っている。照らし合わせながら自分でも読んでみたい。 今日も幸運な出会い。たまたま隣に座られた老紳士。 第一回目から第4回目までの講座内容をまとめられたとおっしゃり、そのコピーしたものを見せてくださった。「私は3回、4回は受けていないです。」と言うと、なんと!そのコピーを私に下さったのだ。「間違っているかもしれないので、来週までに間違いを教えてください。」とおっしゃりながら。なんて親切な方。それに勉強家。「すぐまとめないと忘れてしまうから。」と受講する講座すべておまとめになっているらしい。以前にも国分寺の郷土資料館が開催した『甲州街道』という講座を受講なさったとか。(これまたおもしろそうな講座。) 私ものんびりしてはいられない。さあ、『多摩の歴史と文化』の講座内容、そろそろまとめ始めなきゃっ。




 11月15日(金)
今日は龍馬の命日(誕生日でもある)。京都の霊山は大変な人だった事だろう。高知も「龍馬祭」と称し、大々的にイベントを開催している。私は・・と言えば命日に龍馬を偲ぶのはバッハの「マタイ受難曲」で・・と決めている。5月に霊山歴史館へ行った時、歴史館の方が「全国に龍馬に関する会は70団体。今年アメリカにもできた。」とおっしゃっていた。そんなに愛されているんだ・・。私がそばに居なくても龍馬は大丈夫だろう。今年はじめからずっと新選組を追い続け、新選組の「縁」に支えられて今日まで来たように思う。自分自身が磁石にでもなったように、「なんでっ!?」というくらい、私のまわりは「新選組」でいっぱいになってしまった。まるで新選組の隊士に囲まれてしまったかのよう。浅葱色のダンダラ模様の羽織を着た若者たちに囲まれた峠の茶屋のおばさんひとり・・。(笑) 彼らの世話を焼きながらふと見ると、木の陰に頭がチリチリな大男発見。細い目をもっと細くして私を見ている。「あ、龍馬。」と思うと、もういなくなっていた。そんな勝手な想像をしているうちに龍馬が近江屋で襲撃された時間(正確な時間を私は知らない。ただ昔から「午後8時」と勝手に決めている。笑)が近づいてきた。さあ、バッハを聴く支度をしよっと。




 11月14日(木)
やっと「幕末ぶらりんこ・会津編」の第一弾をアップできた。帰ってきてもう2週間になる。この2週間で東京も訪れた頃の会津若松とそんなに変わらないような寒さになってきた。「今年はおかしい。」会津若松でタクシーに乗るたび、運転手さんが言っていた言葉。磐梯山に2・3回雪が降って、それから里へ降りてくる・・、これが従来の会津地方の「冬到来」の合図だったらしい。ところが今年は磐梯山と里が同時に雪景色。こんな事は初めてだという。夏は夏で今年も夏は暑かったらしい。ここのところ夏は異常とも言える暑さのようで、昨年などは市内で犬が20匹ほど暑さのために死んだとか。盆地だから暑さ・寒さが激しいのはしかたがないが、犬20匹死ぬというのもすごい話。この異常気象、今後どこまで行くのだろうか・・。




 11月13日(水)
この頃結構忙しい。今日はまず練馬郵便局へ。ここ1週間で届いた署名を確認しに行った。11月6日以前に私のHPから署名用紙をプリントアウトして送ってくださった方もいらっしゃると思う。行ってみるとやはり数通届いていた。この方々の署名も、間違いなく石田の土方家にお届けするつもり。 郵便局の帰り、何やら通りが騒がしい。屋台がたくさん出ていてお囃子まで聞こえてくる。そうだっ!今日は二の酉。 この前、郵便局に署名を取りに来た時も屋台が出ていて「何だろう?」と思ったが、あの日は一の酉だった。おとりさまのお祭りというわけ。 ちょうど昼時。ひとつの屋台だけ、やたらと人が並んでいる。覗いてみるとお好み焼きを焼いていた。それもすっごい分厚いの。見るからに美味しそうで、一瞬「並ぼうか・・・。」と思ったが、時間の都合で今回はやめにした。(T△T) うちでもたまにお好み焼きは作るが、あんなに分厚くて美味しそうにできたためしがない。かえすがえすも食べられなくて残念だった。(次回、三の酉では必ずっ!) その後、その足で吉祥寺へ向かった。やはり連日の外出は疲れる。(フゥ)




 11月12日(火)
この頃涙もろくていけない。今日20年ぶりにクラブの師範とお会いした。昼過ぎ大学の道場をそっとのぞいたみた。今日は合気道の昇級審査の日だったようだ。 現役の学生たちは一列に並び正座。 1・2年生が先生の前で演武をしていた。20年ぶりに見る先生。髪が白くなられた。 もう先生のお姿を見ただけで胸が熱くなり、涙が出そうになってしまった。 先生にそんな姿は見せられないと、しばらく玄関の物陰に隠れ見学。(笑) 「そんなところに隠れてたの?」昇級審査が終わり、所感を述べられた先生は、私に気づいてそうおっしゃった。しばらく道場内で現役も交え、先生とお話しした。やはり私が睨んだ通り、先生は歳三のファンでいらした。「みんなに(歳三の話を)聞かせてやって。」先生がおっしゃったので、現役に「石田」の地名に関する話を説明した。その後道場を出て約2時間、お茶を飲みながら先生にいろいろな話を聞かせていただいた。こんな事は初めて。とにかく私が現役の頃は、先生は「雲の上の人」。まともにお話ししたこと等ほとんどなかった。今日お話ししてみて、先生は私が20年前から思っていた通り、単なる合気道の達人ではなく「万物との融合」を目指す合気道をなさっている方だと確信した。「合気」とは人と人との「気持ち」を合わせる事。私が新選組、歳三を通して人と人とのふれあい、「縁」の大切さを学んだ、正にその事が「合気」そのもの。先生にお会いして「縁」とは「円」・・・というべきか、なんだか自分の「原点」に戻ったような気がした。




 11月11日(月)
昨夜約20年ぶりくらいに大学時代のクラブの師範と電話でお話しした。一時お身体の具合が悪いと聞いていたので心配したが、「もうピンピンしてるよ。」のお言葉にホッ。明日大学に稽古にいらっしゃるとの事、署名にご協力いただいたお礼かたがた、先生のお顔を拝見させていただきに伺う事にした。現役時代は恐れ多くてほとんど先生とお話しした記憶がない。。卒業し、結婚の二文字がちらつき出した頃道場を訪ね、昼稽古の後みんなで昼食、何気なくお聞きした私の「先生、『結婚相手』はどういう男性がいいとお思いですか?」の問いに、先生は「世の中には、相手に対し「そばに居てくれなくてもいいからどんどん出世してほしい。」と思う女性と、「出世しなくてもいいからそばに居てほしい。」と思う女性が居る。この両方を求める事は不可能。」 こうおっしゃったのだ。「出世してほしい。」と「そばに居てほしい。」この二つの事を一人の男性に求めるのは不可能だ・・という事。 確かにそうだ。 20年近く経った今でも先生・・と言えば、もちろん合気道をお教えになるお姿も目に浮かぶのだが、何と言っても私にとってはこのお言葉がすぐ頭に浮かんでくる。「年、とったよ。」と電話ではおっしゃっていたのだが・・。 明日が楽しみだ。




 11月10日(日)
お友だちで相互リンクでも大変お世話になっている『咲花御殿』のおちくぼ姫さんから素敵な写真をいただいた。奈良・吉野山の紅葉。 吉野と言えば桜が有名だが、どうしてどうして・・・。紅葉もなかなかのもの。私は小学5・6年の時、父の仕事の関係で1年半だけ大阪で暮らした事がある。その時の小学校の遠足と言えば、奈良が多かった。印象に残っているのは笠置山と吉野山。明日香も行った。まだ高松塚古墳が見つかったばかりの頃で、そんなに観光客もたくさん押し寄せていない頃の明日香。素晴らしかった。 小5の時の林間学校が和歌山の高野山。宿坊に泊まり、朝のお勤めにも参加した。 思えばこの頃、歴史の舞台となった場所へ遠足で出かけたり、日曜日に父の車に乗せられてドライブがてら出かけたりと・・、こういう経験が現在の歴史大好きな私を作っていったように感じる。関西の子どもたちは幸せだ。現在も学校の遠足では、私がいた頃と同じように『歴史』を直に感じられる場所へ出かけているのだろうか? 遠足が東京ディズニーランドや、USJといったテーマ・パークばかりではちょっと寂しい気がするのだが・・・。




 11月9日(土)
最近プリンターのコマーシャルが気になる。うちのプリンターはエプソンなのだが、その中でも超安売りのをパソコンと一緒に購入。「ま、こんなもんでいいでしょっ。」と最初はさほど気にしなかった。だが、いっこうに写真のプリントがまともにできず(もちろん私のパソコン技術のなさが最大の理由なのだが)、買って半年もたたないうちに一度故障。プリントできるのはせいぜいインターネットのHP内容くらい。肝心の写真は依然としてプリントできず。。(T△T) テレビで見るとそこそこのプリンターだとパソコンに繋げなくてもそのままプリンターだけで写真印刷ができてしまうらしい。 ケチケチしないでそういうのを買っておけばよかった。何のためのプリンターだかわかりゃしない・・。安物買いの銭失いとはこの事。。。(T◇T)




 11月8日(金)
6日の夜から忙しい。昨日は日野を訪問。午前8時45分に家を出て、帰って来たのが午後5時半。(^^;) 今日も相互リンク先のサイトさまや「石田」のリンクでお世話になったサイトさまへお礼のメールや掲示板への書き込みをしていた。 「署名」の件で私のお手伝いできる部分は終わった。 町名変更審議会の様子を見守りながら、さあ、新たな「ぶらりんこ」の開始と行きましょうか。 今年もあと2ヶ月ない・・。(うわっ。大変。) 遠出は無理なので近場をまわってみましょうかね。25日の三の酉、三ノ輪の鷲神社へ行って来ようかな・・と思ったり、せっかく法政大学の講座で多摩を勉強しているんだから、八王子をぐるっとまわってみようかな・・等と思ったり。ただ三ノ輪も八王子もけっこうアブない場所(例えば八王子城跡など。三ノ輪も小塚原が近い。特に八王子城跡は、「全国心霊スポットの王様」と言ってもいいかもね。) 会津でもちょっと怖い思いをしているので考えてしまうのだが、しかしやはり「ぶらりんこ」はやめられませんっ。(笑) 三ノ輪か八王子、どちらか今年中に。行きますよー。(ダッシュ!)




 11月7日(木)
今日は日野市石田の土方家に署名用紙をお届けした。ご当主は大変喜んでいらっしゃった。ひとまず私のネット署名のお手伝いは今日で終了した。後は結果がどう出るか・・。心配だがこれは運を天に任せるしかないといった感じだ。きっと地名変更審議会、日野市議の方々はわかってくださると信じたい。さて歳三生家お隣の土方家にもお邪魔した。ご主人は大変教養のある方で日野の歴史、石田の歴史について色々教えてくださった。とても勉強になった。最後に相互リンクでお世話になっている藤隆さんの「鈴藤」さんを訪問。近くの川に自生する「牛額草」を取っていただいた。うちで栽培できるものなのか・・・。無理なら押し花(草)に・・・。(量多すぎて・・うーん・・)   帰り、駅からさすがに疲れてタクシーに乗った。この運転手さん、はっきり言って漫才師。(笑) 会津でもユニークな運転手さん2人のおかげでとても楽しい旅ができたのだが、今日の運転手さんは40年間に乗せた超ヘンな乗客ベスト10の話を延々していた。 @ ある時はメキシカンルック、またある時はパリのマダム風スタイル、超派手な化粧でとある病院まで行くヘンな奥さん。(この人を2回乗せた。1回は診療予約時間まで間があるからとお茶まで付き合ったそう。。。) Aヘンな外人さん、1年後に同じ場所からまた乗せた。オーストラリアに帰ると言っていたのに。妙に馴れ馴れしく、へんな片言の日本語を話す。 B六本木からよく乗るオカマ。(笑) 顔が孫悟空そっくり。真っ黄色に顔を塗っている。 C96歳のダンナを見舞う94歳の奥さん(というか超おばあさん)「長生きは考えもんだねー。運転手さん。」との名言(?)を残す。 D荻〇の飲み屋のおかみ。 異常なほどの調子のよさで「運転手さん、お腹すいたんでなんか食べてくわー。」ととあるスナックに。「あ、メーターそのままでいいわよ。」と太っ腹を装う。散々食べて散々飲んで歌って・・。いつの間にやらトイレに・・。いつまで経っても帰って来ない。しかたなくその場の代金は運転手さんが払う。腹の虫がおさまらない運転手さんは後日、荻〇の飲み屋をしらみつぶしに捜す。いたっ!代金を払わせた。 ここまでの話を恐ろしい勢いでしゃべりまくり、私がタクシーから降りる時、「後編は縁があったらねー。」と言い、去っていった。。 私も負けずに「ヘンな客、乗せないように。」と忠告しておいた。(笑) すっごい運転手。。(汗) この話の料金てタクシー代に入っているのかなぁ? とにかくすごかった。(フゥ)