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 11月6日(水)
今日夜遅く、日野市石田・土方歳三資料館館長土方陽子様よりお電話があり、ネットによる「石田」地名存続のための署名のお願いは終了する事になった。9月18日に記事をアップ、約1ヵ月半に亘り署名のお願いをしてきたが、郵便局留になっている署名の郵便を受け取りに行くたび、感謝の気持ちで泣きそうになっていた。 ほとんどに私宛ての励ましのお手紙が添えられていた。中には「通信代にお使いください。」と切手まで入れてくださった方もある。やはり人はまわりの人々に支えられているのだという事を今回の事で再確認。若い時は自分の力だけで生きているように思ったが、年を経た現在、自分がまわりの力で「生かされている」という事を実感している。 これからもこの「新選組の縁」、大切にしていきたい。




 11月5日(火)
今日、ちょっと用足しをしながら板橋の近藤・土方両氏の墓へお参りしてきた。あそこにはちゃんと線香が置いてある。寿徳寺さんが置いたものなのか?花も新しいものが上がっていた。持参した線香を上げ、「会津の天寧寺のお墓に行ってきましたよ。」と報告。新八っつぁんの墓にも参り、7月に札幌の里塚霊園へ行ってきた事を話した。写真を撮って来た。が、近藤・土方両氏の墓は暗く写ってしまって墓石の字がまったく読めない。(T△T) 新八の方は大丈夫だった。(ホッ) なので「幕末ぶらりんこ・永倉新八の墓」に追加して載せておこうと思う。 寒くなってきた。夕方、駅前で大火事があった模様。 おばあちゃん(ダンナのママ)がお習字から帰るのにバスで2時間近くかかってしまったらしい。(吉祥寺から) 今年は三の酉まであるから火事が多そう。気をつけなきゃっ。




 11月4日(月・振替休日))
今日、10月末日までに私のところへ届いた署名の集計結果をアップした。 日野市議会議長宛ての署名が319名! はっきり言って驚いている。まさかこんなに集まるとは思わなかった。 本当に送ってくださった方、集めて下さった方に感謝の気持ちでいっぱい。 署名集めの「やま」でもある10月が過ぎた。 これからは町名変更審議会の成り行きを見守りたい。 10月31日、朝日新聞全国版に「石田」地名問題が掲載され、初めてこの事を知った新選組ファン、歳三ファンも大勢居る事だろう。 でも、ここからが正念場。 9月18日、『ぶらりんこ』に初めて「石田」の事を載せ、署名のお願いをしてから1ヶ月半が経った。 やれる事はやってきた・・という感じ。ここで少し小休止を入れ、「大事」に備えるのも悪くない。(もちろん署名のお願いは続けていくつもりだ。)




 11月3日(日・祝)
今日、20年ぶりに大学祭へ行ってきた。学校内はずいぶん変わっていた。グラウンドの前に大きな校舎(ビルですねっ、あれは。)が建っていた。私のいた頃はせいぜい大学全体で5000人くらいの学校だったのだが、校舎が増えたという事は学生の数も増やした・・ということか。なんか学校の持ち味が消えてしまいそうで寂しい。 道場をのぞいてみる。 演武会を開いていた。 ほとんど私の息子や娘と言ってもいいくらいの年の後輩たちを見ていて、20年前の私たちとそんなに違わないような気がした。みんな擦れていなくていい子たちばかり。 「今の子は・・。」なんてよく言うけれど、我がクラブの後輩たちはそんな言葉とは無縁で礼儀正しく、清々しい気持ちになった。 署名でお世話になった先輩に再会、まったく変わっていらっしゃらないのでびっくり。同期のA君も来ていて旧交を温めた。先輩の「人との『縁』は大事だね。」の言葉が心に残った。




 11月2日(土)
今日東京に「木枯らし」1号が吹いたらしい。この頃めっきり寒くなってきた。会津から帰って来て上野に着いた時は、「あったかいなぁ。」と思ったけれど、ここ2日でたいして変わらなくなってきたように感じる。といってもあちらは最低気温2度、最高気温9度と東京の真冬並み。 東京と同じはずはないのだが・・。(なんでだろっ。) ところで、やっと「幕末ぶらりんこ・北海道編」をアップできた。ホッとした。 予定が狂ってしまって、なかなか計画通りに更新できなかったが、これでなんとか先が見えてきたように思う。この調子で3日からの1週間、北海道関係を終わらせて、先日の会津旅行の「ぶらりんこ」を書き上げたい。 明日は20年ぶりに大学祭へ行く予定。ま、本当の目的は現役の後輩たちに頼んでおいた署名を回収しに行く事なのだが、お世話になった先輩にもご挨拶がしたいので、老醜をさらすようで恥ずかしいのだが思い切って道場へ行ってみるつもりだ。(あ、もちろん合気道はしない。そんな事をしたら死んじゃいますよん。(笑))




 11月1日(金)
今日、郵便局に署名を取りに行った。封書で11通も来ていた。後、自宅にも留守中先輩や同輩、友人5人から署名が届いていた。まだ集計はしていないがかなりの数になりそう。有難い。署名を送って下さったみなさんに感謝の気持ちでいっぱいだ。 ただ今日は・・泣けた。大学のクラブの先輩、「私も土方歳三、好きですよ。」と言って下さり、わざわざ会社で署名を集めて下さった。今日、宅急便でその署名用紙が送られてきた。その数、103名! 中に入っていた手紙に「一人一人に話をして署名してもらったから、ちょっと時間がかかってしまって申し訳なかった。」の文が・・。泣けた。20年以上も不義理をして音信不通だった悪い後輩の頼みを嫌な顔ひとつせず引き受けて下さり、お一人で103名も集めるなんて・・。自分だったらできるだろうか。 後で「無事着いた?」のお電話。私の「先輩、HPに書いていいですか?」の言葉に、「いや・・、いいよ。私は「縁の下」は慣れてるから。」と照れくさそうにおっしゃっていた。この先輩、実は私を合気道部へ入れた方なのだ。入学したての右も左もわからない新入生の私に 「全然大変じゃないんだよ。楽しいよー。」「ほとんど練習がないんだよ。昼間やってるから。夜は自由に使えるよ。」などと言葉巧みに誘って(笑)、私を「地獄」へ叩き込んだ・・というべきか。(笑) 今となっては楽しい思い出話。 人と人との「縁」、大切にしていきたいと思う。




 10月31日(木)
帰ってきてしまった・・・。悲しい。ただひたすら悲しい。(TOT) 7月に函館から帰ってきて、後はこの会津旅行だけを生き甲斐に今まで生きてきたのに・・・。(T△T) 今回の旅行も昨年以上に実り多きものとなった。 会津の人は純朴。 都会の人とは全然違う。「人、良すぎっ!」という感じだ。 何でもすぐ自分の事のように考え、一生懸命になってしまう。まったくなんて良い人なのだろう。 これは会津を訪れた人でないとわからないと思う。 昨年以上に「会津気質」に接する事ができて幸せだった。また来年も!(ん?どこかで咳払いが聞こえるぞっ。(笑))




 10月30日(水)
寒かった、ただ、ひたすら。 大内宿は紅葉真っ盛り。山が一面燃えていた。が、どういうわけか山の写真を撮らず。(おバカ) 午後からはリタイアした娘を旅館に置き去りにし(笑)、一人で会津若松市内、幕末散策を楽しむ。夕方帰ってみると娘は悠々自適な「小原庄助」になっていた。(これまたおバカな子・・)




 10月29日(火)
旅行中につき、ひとりごとは言えなかった・・・。が、一言。「私が旅行へ行くと、どういうわけか雨が降る。なんと!今回は雪まで降ってしまった。これは誰かの「呪い」としか思えない。誰だーーっ!(たぶんうちの娘です。すっごい「雨女」。今回「雪女」にもなってしまった・・。(ウッ、ウッ))




 10月28日(月)
明日はいよいよ会津入り。 という事で午前中に旅館宛てに荷物を出し、後はひたすら掃除。此処のところ忙しくてまともに掃除をしていなかった・・。(主婦失格・・) だいたい片付いた。(というか途中で放棄。笑) 29日から31日までのおおよその日程は・・・。
10月29日(火)  会津若松市内観光(何処へ行くかは決めてない。たぶん新選組関係。雨の場合は天寧寺は順延)
10月30日(水)  午前中 塔のへつりと大内宿へ。 午後は会津若松市内観光
10月31日(木)  ほとんど決めてない。(ズボラ) ただ猪苗代の土津神社 母成峠の碑・・・此処だけは外せません! 後は適当。(笑) 夕方帰宅。書き込み板へは携帯からもアクセス可能なので、遊びにいらして下さった方はぜひぜひ書き込みを。会津・東山より愛をこめてレス致します。(笑) ではではっ! 行ってまいりますっ。 




 10月27日(日)
今日は明後日から出かける会津旅行の準備。この時期、本当に着る物がない。コートを着るには早すぎるし、あまり薄着をしていると朝晩はかなりキツい。 東京でさえそうなのだから、まして会津若松は・・・と思い、タートルのセーターを持っていく事にした。後はスラックスとジャケットで何とかしよう。(笑) できるだけ荷物は少なめに・・と思うのだが、また今回も「お荷物」を連れての道中(「お荷物」はこの期間、文化祭の代休で学校は休み)なので、けっこうな荷物になりそうな予感・・。29日は朝8時の新幹線なので、遅くとも6時15分頃には家を出なければならない。 会津若松には午前10時40分頃到着予定。午前中からうろうろするつもり。(笑) 紅葉がちょっと心配なんだけど、「一年前の感動よ、再び!」と思うと、もうそれだけでワクワクしてくる。 今年の「遠出ぶらりんこ」もこの会津でおしまい。出来る限りまわってきたい。




 10月26日(土)
法政大学のエクステンションカレッジ・社会人向け講座『多摩の歴史と文化』の2回目。今日は八王子までの行き方を変えてみた。西武線で秋津まで行き、JR武蔵野線に乗り換え西国分寺へ。そこから中央線で西八王子まで行ってみた。こっちの方がロスが少なく大体往復4時間で済んだ。(それでもこれだけの時間はかかってしまう・・。(汗)) 今日の講義のメインは『八王子』と『大久保長安』。これは先日から読んでいる『多摩の代官』とほとんど重なるところなのでわかりやすくて楽しかった。 考えてみると八王子ってすごい。小田原北条氏の頃は軍事的な拠点。平和な江戸時代になってからは江戸へ運ぶ物資流通の拠点。多摩の中心と言っても過言ではない。講師の先生曰く、「多摩があったからこそ徳川幕府は栄え、江戸は豊かになったんです。」 そっかー、そうなんだー。 だからこそ多摩の人々は「誇り」を持って生きてきたんだろう。その「誇り」が歳三たち幕末の人間にも伝わっていったに違いない。 11月16日からはいよいよ講座も佳境、「幕末と明治維新」に入る。中2つの「江戸時代中期と後期」、できれば取ればよかったなぁと思う。 八代将軍吉宗の「享保の改革」を境に代官制度が大きく変わる。そして多摩を代表する2人の代官、田中休愚と川崎平右衛門が登場。川崎平右衛門は府中出身。日野の佐藤家とも親戚関係にある。 とにかく知れば知るほど多摩は面白い。講師の先生の言葉、「私は多摩は東京都から独立させてもまったく問題のない、そういう土地だと思っています。」 ・・という事は「多摩県」なんて作っちゃっても大丈夫って事? そんなにすごいんだっ! さすがにそこまでは考えつかなかった・・・。(汗)




 10月25日(金)
昨日の続き。2日続けて美容院へ。(それも片道1時間20分の以前住んでいた家の近く・・。往復だと・・涙) ヘアダイのやり直し。 「ライオン丸カラー」から「ダックス・フントカラー」に変身。(笑) これでやっと外を歩けるようになった。やれやれ・・。 帰ってきてから「幕末ぶらりんこ・函館」更新。本当は今日中に函館・札幌関係すべてアップする予定だったが、とんだアクシデントでちょっとしか更新できなかった。 残念。 たぶん会津から帰るまで更新は無理。 明日も例の法政大学・社会人向け講座のため、八王子のはずれまで行かなければならない。 もう会津の用意をするのは27日しかない。(げっ!) バタバタしていて全然テレビを見ておらず、夕刊を見てびっくり! 民主党の石井議員が刺殺された。 それに昨日美容院で聞いた某銀行の噂。 まったく「明日」は何が起こるかわからない。 




 10月24日(木)
今日は久々の美容院(古い言い方・・)。 最近めっきり白髪が増えてきたので、思い切って染める事にした。(ホントの初めて) しかし・・・ガ、ガーン!(T△T) まったく私の予想していなかった色になってしまったーっ。見本を見せられたので私、「ごく自然なブラウンにしてください。」 美容院の先生曰く「あらーっ、これじゃあ全く変わりませんよ。こっちの方が明るくて若いかんじになるわよー。」「・・・はい。では、お任せします。」 茶色にはなったのだが・・・。明るすぎっ!どうしよーっ! 全然自分の髪色に慣れません。・・。(涙) 白髪でみっともないからせめて人前に出て恥ずかしくないようにってヘアダイしたのに・・。よけい恥ずかしくなってしまったーーっ。(号泣) 立ち直りにしばらく時間かかりそう。(グスン)




 10月23日(水)
日野市のオフィシャル・サイトに「新選組」コーナーができ、その中のリンク集に『ぶらりんこ』の名前がっ! 相互リンクや今回の『石田』問題で大変お世話になっている藤隆さんが知らせてくださった。 「どこでっ!?」 「どうしてわかったのっ!?」 やはりネットの世界は広いようで狭いもの。 何とも複雑。 うちと相互リンクしてくださっているサイトさんや、その他見覚えのあるサイトさんがズラリ! ただ、リンク紹介が新選組(土方歳三を中心に)となっていた。 なーんだ、『石田』問題でリンクしてくれたわけじゃないんだ。ガッカリ(笑) でも不思議。 登録日が「10月14日」というのも可笑しかった。1867年のこの日も「大政奉還」がなされた日なのか、「討幕の密勅」(偽物の)が出された日なのか・・・ま、両方ではあるが曖昧な日。 『ぶらりんこ』リンクの件も「新選組サイト」としてなのか、「石田問題の件」で・・なのか、これも「曖昧」・・という事にしておこう。(笑)




 10月22日(火)
今読んでいる本、『多摩の代官』(けやき出版)。これは先日受講した法政大学・エクステンションカレッジの社会人向け講座、『多摩の歴史と文化』の講師3人の先生方が書いた本だ。 面白い。 今週26日にはまた、講座が多摩キャンパスである。その予習にもってこいだ。この中で紹介されている多摩・柴崎村の名主 鈴木平九郎という人物の書いた公私日記(天保年間から安政年間まで書かれた膨大なもの)、この時代の多摩の様子が非常に詳細に記されているという事で興味津々。 立川市歴史民俗資料館に問い合わせてみると全20巻中15巻から20巻までは在庫があるという。(後のものは絶版) ちょうど嘉永から安政までの時代だ。 面白そうなので取り寄せる事にした。 『多摩の代官』を読んでいて思った事。 あの伊豆を支配していた江川太郎左衛門、実は多摩も統治していて江川代官領総支配高7万2000石のうち、なんとその6割近くが多摩にあったという。(嘉永年間がピークでね。すんごーい!) 8月に旅行に行った伊豆で、いつもは素通りのはずの韮山。どういうわけだか、電車を降りて見学。 韮山の江川邸、行きましたよ。すごかった。 蔵が4つ。 井戸はまだ使えるって言っていた。 詳しく書きすぎると「ぶらりんこ」更新の時、書く事がなくなってしまうのでこの辺でやめておくが、ただ、「こんなすごい人が幕末の幕府側にいたんだ。」とある種の感動を持って韮山周辺を見学する事ができた。 それにこの江川代官、神道無念流・岡田十松門下。永倉新八と同じ。 斎藤弥九郎と天保年間、自分の領地内を変装して視察巡回なんかもしている画も嗜むスーパー代官。 何だか知れば知るほど益々講座の成り行きが楽しみになってきた。  




 10月21日(月)
久しぶりに「幕末ぶらりんこ」更新。 やっと総司のところまで書けた。(フゥ) 後はいよいよ「函館」。此処はいろいろあったから書き甲斐があるところ。一挙に「いろんな処ぶらりんこ」の不思議体験まで更新できそう。 6月の吉原から連れて来た「人」、あの横浜のホテルで写った「人」、函館の碧血碑に私達より前に碑のところにいた「人」、みんな一時期我が家に勢ぞろいしていたようだったが(笑)、ついに!私の前からは居なくなった。(ばんざ〜い!) 相変わらず私の使っている部屋で夜中に怪しい音はしているが、私自身まったく気にならなくなってきた。ほとんど気持ちは「日野」、「石田」、「歳三」に向いているからかもしれない。「もしかして歳三がうちにいる「怪しいやつら」をバッタバッタと叩き斬ってくれたのかも・・。」なんて自分に都合のいいように解釈しているおめでたいオバサン一人。(笑) 一方傍らで「俺の部屋、最近なんかヘンな音がするようになってきた・・。」とつぶやくオジサン一人。(わ、私、知ーらないっと。(汗))




 10月20日(日)
池袋のデパートへ行く。 書籍売り場へ行く為に玩具売り場を通っていくと「スヌーピー・コレクション 2002」と題された特別展示をやっていた。全国のスヌーピーファンがデザインした服の中から優秀作品を選んで、そのファッションショーという事らしい。 ちなみにグランプリは祭りファッション「す組」の衣装。 50体ほどのスヌーピーに様々な衣装を着させての展示、可愛かった〜。「遠山の金さん風桜吹雪ファッション」や「忍者ファッション」はあるのに何故か「新選組風」はなし。だんだらの羽織と袴、刀と鉢金つけさせたら最高だと思うんだけど・・。 再来年の「スヌーピー・コレクション 2004」に「新選組隊士風スヌーピー」として応募してみようかな?
 グランプリ、狙えるかも。(笑)




 10月19日(土)
今日は真夜中から事件発生。 ちょうど草木も眠る丑三つ時、眠りが浅くなる頃、何やら苦しみ叫ぶ声。「ぐえーっ!」「いてーよー!」 びっくりして起きてみるとダンナが廊下で苦しんでいた。脚をつったようなのだ。脚に湿布をベタベタに貼ると少しマシになってきたらしい。ダンナは昔からよく脚をつる。山男で若い時から友だちとよく山登りをしていて脚は丈夫なはずなのに・・・である。 私は今迄脚をつったという経験がまったくない。だから、つった時の騒ぎように最初の頃はびっくりしてしまった。(一度両脚を同時につった事があったが、その時は悲惨だった・・。) 脚の筋肉が落ちてきたのと、もともとデ〇病なので(笑)、それも関係しているのかもしれない。(血糖値が高い人は脚をつりやすいそうだから。) 一応治まったが、大事を取って今日は静かにしていた。(というよりほとんどパンダのように一日中うつらうつら・・) 夫婦揃って少しは痩せる事を考えないと・・・と真剣に思うこの頃である。(笑)




 10月18日(金)
此処のところ、忙しくて疲れがたまっていたせいか、2・3日前から喉が痛くなりかけていた。17日の大任を果たし、ホッとしたのか今日は朝、ダンナと娘が出かけた後爆睡。(笑) 気がついたら10時半をまわっていた・・・。(大汗) 大慌てで朝の仕事を片付ける。(フゥ) 今日は比較的ゆっくりしていたせいか、風邪の方もだいぶ良くなってきた。(よかった〜。) 昼過ぎ、駅前のJTBに29日からの会津旅行のクーポンをもらいに行った。もう後10日くらいで会津に行くのだ。なんだかあっという間。昨年は「どこどこに行って〜♪」てなかんじで、買ったばかりのPCで日程表まで作っていたのだが、今年はおおまかなところだけ押さえて、後は自由気ままな「ぶらりんこ」にしようと思っている。楽しみ、楽しみ♪ 夕飯を作り終わって娘が帰って来るまでの時間、昨日ダンナが買ってきた朝日新聞社・朝日ビジュアルシリーズ「日本遺産」創刊号「東大寺」を見る。 表紙の奈良の大仏さんを見て「あら〜、いい男♪」 中に載っていた写真家・入江泰吉氏の有名な一枚 東大寺戒壇堂 広目天立像を見て、「まあ〜、広さま、素敵〜♪」 実は私、広目天の写真(大判)を5月の奈良散策の際、購入してきている。また5月の日野訪問の際に土方歳三資料館で歳三のポスターも購入済み。(笑)何とか部屋に飾りたいのだが、大昔からある「龍馬の写真」に遠慮して未だに飾れないでいる。(笑) 同じ部屋に龍馬と歳三の写真を向かい合わせに飾ったら・・・。(ゴクッ) なんか、阿修羅と帝釈天の戦いのようになってしまって収拾がつかなくなりそう。(どちらが阿修羅でどちらが帝釈天とは言わないが。。(笑)) かと言って龍馬の写真を片付けるわけにもいかず・・・。うわーん、どうしよー。(迷い続けて、もうすぐ半年が経とうとしている・・・。)




 10月17日(木)
今日は今年4度目の日野訪問。 石田の土方家へ10日までに集まった分の署名をお届けした。ご当主は大変喜んでいらした。追加の分と合わせて今日お届けしたのは、日野市長宛署名 189名分  日野市議会議長宛署名(捺印有り) 107名分。 約3週間でよく集まったと思う。これもすべて署名を集めてくださった皆様、『ぶらりんこ』を見て署名を送ってくださった皆様のおかげ。感謝の気持ちでいっぱいだ。今月末の第二回目の締め切りに向けて私も何とか署名を集めたいと思う。もう少しだ。頑張りたい! 
資料館を後にした私は、こんどはお隣へ。名主土方家ご子孫 土方智様宅を訪問。 たびたびメールを下さったご主人に挨拶。その際、ご主人から貴重なお話をたくさん聞かせていただいた。 もう「石田の生き字引」になった気分。(笑) それほど濃い内容のお話だった。 やはり歴史は机上の勉強ばかりではダメ。 実際、歴史ある場所を歩き、そして「生きた」歴史を知っている方に会って、直にお話を伺う・・・これが何よりの「勉強」だと感じた。 新選組の「縁」・・・これほど私に色々な事を教えてくれたものはない。新選組に感謝。 歳三に感謝。(拝)








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