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 10月16日(水)
今日は忙しかった。まず午前8時半に家を出る。10時までに渋谷へ行く為だ。 NHK放送センターの近くにある「塩とたばこの博物館」で特別展「浮世絵に見る江戸吉原」を観た。大田記念美術館でやった「吉原風俗」より数段よかった。書籍に出ている有名な浮世絵がところ狭しと並んでいる。爽快、爽快。 中でも吉原の「ガイドブック」である「吉原細見」、享保年間のものから明治2年に出たものまで合わせて13冊が展示。この明治2年の細見にはあの花魁の名が、そう「新吉原角町稲本内小稲」と絶対書いてあるはずなのだ。もう、見たくて見たくて・・・。(ジタバタ) 所蔵は江戸東京博物館になっていた。どこかでコネを捜して・・・と。(いるはずもないが・・) 8月の千葉・佐倉市の歴史民俗博物館の展示会で観る事ができなかった葛飾北斎の櫛のデザイン画、展示してあった。 いいっ!さすが天才。斬新で、それでいて優雅。 ルンルン気分で渋谷を後にした。 次に行ったのは赤坂見附。サントリー美術館・特別展「源平の美学 平家物語の時代」。 やはり何と言っても「国宝・平家納経」。 経の書かれた書面から何故か・・何故だかわからないが「音楽」を感じた。消えて見えなくなった文字ひとつひとつが、まるで「音」のように空中に躍り出た・・・そんなイメージが私の頭の中をまわる。 至福の一時だった。 




 10月15日(火)
季節の変わり目。今日は会津旅行の事もあり、ちょっとお洋服などを物色しに近くの百貨店(そこまで立派じゃないけど・・)へ。いいなぁ〜、素敵だな〜と思ってもサイズが・・・。(涙) 手ぶらで帰るのも腹が立つのでシャツ類を購入。 どうにかしたい、お腹の贅肉。 麗しきマキシ丈のスカートが似合うようになるのは何時の事か・・。(永遠に来なかったらどーしよー・・。(泣)) 明日・明後日と忙しい。明日は午前中に渋谷・赤坂の博物館・美術館をはしご。午後は吉祥寺に出て用足し。そして明後日は日野へ出かける。オバサンの体力、既にウルトラマンの3分は過ぎている。(笑) 




 10月14日(月・祝)
持つべきものは・・・である。昨夜、思い切って「石田」署名の件で大学時代の部活の師範、及び先輩・同輩に電話をしてみた。あいにく師範はお留守だったが、私が1年生の時4年生で副将をなさっていたT先輩、私より1年学年が上で主将をなさっていたT先輩、短大から編入してこられて事実上は「同期」のR先輩(女性)、そして同期も同期、統制をしていたA君。石田の地名存続の署名の話をすると「いいよ。」と快諾。A君は「17日にOB会があるから、その時現役にも書かせるよ。」と即OK。師範にも私からの手紙を渡してくれるという。「ねー、歴史小説とか読むの?」と聞くと「ぜーんぜん。あはははー。」の返事。私が石田の話を詳しく話そうとすると、「で、どうすればいいの?」「署名に協力してくれる?」「いいよ。じゃあ、17日のOB会の時、先生も先輩方もいらっしゃるし、現役もくるからまとめて取ってくるよ。」「捺印がいるのよね。」「全部押してあればいいんでしょう?大丈夫。」「あ、ありがとー。ありがとー。(感涙)」・・・となったのである。私は体育会の合気道部だった。体育会系の男子はほとんど理屈を言わない。頼まれたら大概の事は即OK。ここがいいところだ。約20年ぶりに電話をした先輩お三方。きっと「なんて図々しいヤツめ。」とお思いになったに違いないが嫌な顔せず、引き受けて下さった。 ここでも私は「縁」に助けられている。感謝(拝)
(※写真はおちくぼ姫さんが送ってくださった「匂い桜」。可愛い可憐な花。見ているだけで心が和む。)




 10月13日(日)
今日は連休の中日。 昨日の往復8時間のダメージから立ち直れない午前中、またまたダンナが本屋に行こうと言い出した。家族で連休中出かけないのは寂しいと思ったのか・・。「疲れてるんですけどー。」と言っても、「10時45分出発ね。」と聞こえているのか、聞かない振りをしているのか・・。しかたなく高麗人参エキスのカプセルとロイヤルゼリーの錠剤を飲む。これを飲むと不思議と疲れを感じなくなるのだ。(やっぱ年だね。フッ) 池袋の本屋へ到着。色々物色する。私は「浮世絵の歴史」(美術出版社)と「江戸の画家たち」(ぺりかん社)を購入。特に「江戸の画家たち」は探幽、春信、北斎、応挙、宗達、光琳、若冲、蘆雪など江戸の絵画史を彩った画家達の「主題」や「技法」についての考察、そして絵画の「読み解き方」が書かれているようだ。これはおもしろそう。嬉しさから「遠距離通学」の疲れがいっぺんに吹っ飛んでしまった。(そう。私は相当の気分屋である・・。)




 10月12日(土)
今日は先日ギリギリで申し込んだ法政大学の社会人向け講座、「多摩の歴史と文化」の第1回目「戦国時代から江戸時代前期(1)」を受講しに法政大学多摩キャンパスまで出かけた。 午後1時から講義が始まるので午前10時半に家を出発。バスで吉祥寺駅まで行き、中央線で西八王子駅下車。ここで既に12時20分。 駅前にあるサンドイッチの店(喫茶店ではない。一応食べるためのコーナーはあるが。)でサンドイッチを食べかけていると・・。「法政大学行き」のバスが来てしまった。あわてて飛び乗る。 案内書には西八王子からバスで20分と書いてあったが30分程かかってしまい、ほんと、午後1時ギリギリセーフ。(危なかった・・。ホッ) 講義は・・というと2時間中1時間40分は、「歴史学のお話」(もう、まぶたが3分の2以上下に下がってしまい・・・、辛かった。笑) 後の20分は「多摩の歴史の概要」(これは面白かった。) 次回は多摩の歴史について本格的に講義を始めるとの事。講師の先生はかなりの「多摩ファン」。多摩を褒め称えまくっていた。(いいぞー、先生! ヒューヒュー) 次回は期待できそう。しかし・・・。本日の講義及び往復にかかった時間→→ナント!8時間。(涙) 同じ東京都とは思えない・・。連休初日でまたまた大きなダメージを受けてしまったゆりこさんであった。
ちなみに写真は法政大学・多摩キャンパス。恐ろしく広くて立派。 私の結論=法政は「金持ち」だ。(笑)




 10月11日(金)
ウッカリしていて娘のコンタクトを注文するのを忘れていた。娘はすんごーーーい近眼で、小学校3年の時から眼鏡をかけている。私もダンナも目だけは悪くなった事がなく、すっかり「過信」していたのだ。小2の時何気なく娘が3メートル先の壁に掛かっている時計を指さして「ママ、のーちゃんね、あの時計見えないんだよ。」と言ったのだ。(ニコニコしながら) 「えぇぇっ!!うっそーー!!」 信じられなかった。そして大至急眼科へ。結果0.03・・・・そ、そんなーーーーーー。そして眼鏡をかける。成長するに従ってどんどん度は進んでいった。いつも行きつけの眼科は昨日から5連休。火曜日にならないとやらない。娘曰く、「あのオヤジ、超ムカつくから行きたくない!」 なので池袋のコンタクトレンズ専門店へ。 こういう店は初めてだったのでちょっと半信半疑だったのだが、ちゃんとした眼科の先生もいらして、すごく親切。 しかし、「度数6.5では合っていません。7にしました。それでも0.9程度です。」 まだ成長段階なのであまり度の強いレンズはつけられないんだそうだ。 どこまで行くんだ、娘の近眼。20歳になった時、視力検査で0.00000000001なんて事にならないでほしい。 これは親の切なる願いである。(涙)




 10月10日(木)
白牡丹さんが教えてくださった法政大学エクステンション・カレッジの社会人講座「多摩の歴史と文化」を申し込んだ。申し込んだのは1回・2回の「戦国時代と江戸時代前期」、それと5回・6回の「幕末と明治維新」。最初「幕末と明治維新」だけ申し込もうと思っていたのだが、めずらしくダンナが乗り気で「12日のは行かないの?」とさかんに聞いてくる。「どーしてー?」と聞き直すと、「だって奴ら(歳三たちの事ね)の源流は戦国時代の武田・北条にあるんだぜ。その事がわかっていないと日野はおろか新選組の事は語れないよ。」と。なるほど。それは一理あるぞっ。さすがわが夫!(めずらしくヨイショッ。笑) というわけで8000万円を投入。(じ、実際は8000円です) 体系的に多摩を勉強しちゃおうっ!という事になった。しかし・・、法政の多摩キャンパスって西八王子にあるらしい。それで駅からバスで20分もかかるとか。家からどのくらいかかるの? 中央線で西八王子まではー・・・えーと・・・吉祥寺からは20〜30分かな?(よーわからん!) うちから吉祥寺までバスで40分でしょー。えーと・・えーと・・・・ガ、ガーン!! も、もしかして2時間くらいかかっちゃいそう。 往復4時間?(再びガ・ガ・ガーン!!)京都まで行けちゃうじゃないの?(涙) (ここで昨日に引き続き恐ろしい疲労感に襲われる。) しかし、貴重なこの機会、逃すわけにはいくまいぞ!(突撃ー!)




 10月9日(水)
はい。今日は超超お疲れに付き、ひとりごとは言えませんでした・・・。 あしからず。




 10月8日(火)
今日、娘と一緒に池袋の「アニメイト」へ行った。まあ、よくこれだけ漫画に関するものを売っているなぁと感心するくらい色々なものが置いてある。 中でも私が注目したのはアニメの主人公達の「フィギュア」。かなり精密に作られていてまたまた感心。それで値段が6000円から8000円。これで新選組隊士バージョンがもしあったら・・・。私は絶対買うぞっ! ただ、「栗塚旭風歳三」は・・・うーん・・・。 やはりご本人に近いのが私としてはベスト! 強いて言えば修正バージョン(土方歳三資料館謹製・歳三フェイスタオルとおなじもの)がいい。どこかで作ってくれないかなぁ。 藤隆さーん、無理ですか?(笑)




 10月7日(月)
今日は久しぶりに「お江戸ぶらりんこ」を更新。やっと吉原を書く事ができた。散策当時、樋口一葉記念館がカメラの突然の故障で撮影する事ができず、9月中に再度取材に行くつもりでいた。しかし「石田」の地名問題などもあり、なかなか出かけられず今回は断念する事にした。 次回の紙幣の顔にもなる樋口一葉。薄幸なその生涯とは反対に正しく天から与えられた才能。英文学者馬場孤蝶との交流、確執、和解など書簡から読み取れて面白かった。一葉の竜泉町の家周辺の模型などもあって楽しい。「顔」に決まってから来館者も増えているらしい。こんど三ノ輪を訪ねた時、再度訪れたい場所のひとつである。次回吉原へ行く時はぜひとも吉原の両サイドにある「西河岸」「羅生門河岸」を見てみたい。この場所は最下級の見世があった場所。特に羅生門河岸はうろうろしていると連れ込まれるので(もちろん男性ね)、この名がついたとか。 お話を伺った鳶の奥さんにも幼い時に行ってはいけないと言われた場所が吉原内にあるそうな・・。それが何処か確かめたい。 私の「吉原熱」はまだまだ続く。




 10月6日(日)
昨日は伊豆高原へ我ら親子3人+おじいちゃん・おばあちゃん(私の両親)とで1泊旅行。私の一番好きな旅館へ連れて行ってもらった。お風呂と料理が超グット! 夕食も終わって娘のリクエストでカラオケをしに旅館のクラブへ向かう。カラオケ・ボックスがあればいいのだが残念ながらこの旅館にはない。娘は無類の「カラオケ好き」(生意気なんだよー。) 人が居ようが居まいがまったく関係なく、自分の「歌いたい歌」だけを歌いまくる超迷惑お嬢だ。孫に甘いじいさん・ばあさんは「おおっ、そうかー。」とカラオケ装置のあるクラブへ連れて行ったというわけだ。(私達夫婦は「お付き」・・。)午後8時、一番乗り〜♪ 娘はガンガン歌い始めた。するとそこに妖しげな男女6人組が入店。よく見ると女性の方は黄色のボディコン風の制服を着たコンパニオン。男どもはどこかの中小企業の社長と従業員といったかんじ。内、若い2人はすでに泥酔状態。浴衣をお尻のところまでたくし上げちゃって、みっともない姿を晒していた。おじいちゃん・おばあちゃんは渋い顔。・・とその時ダンナが「アイツら目障りだ。追い出そうぜ!」 するとおもむろにカラオケのリクエストカードに何やら曲名を書き出した。「ま、まさか・・・。」私の顔は恐怖に引きつった。 「ま、まさか、アレじゃないでしょうねっ!?」 「うるせーよ。早く入れて来い。」 あまり言って怒らせてもしょうがないので、私はしかたなく店員にリクエストカードを渡した。ダンナがカラオケで「おはこ」とする曲がある。1つは「場を盛り上げる曲」。そしてもう1つは・・・、「場を破壊する曲」(大汗) 元々すんごーーーく声がデカイので、カラオケではマイクなしでもオッケーな程。 以前本人いい気持ちで歌っていた時、あまりに声がデカイので(迷惑がられて)店の人にマイクの電源を切られた事があったらしい。 気に入らない泥酔オヤジたちを追い出すため(・・ていうか場を破壊するため)ダンナはガンガンに歌いだしてしまった。 その結果・・・。 泥酔オヤジたち→無傷。まったく気にもせず、コンパニオンのオネエチャンたちにお世辞を使っていた。 そして私は・・・→ハラハラ・ドキドキしすぎて全てのエネルギーを消耗。この後退場。何の為に温泉に行ったかわからなくなってしまった・・。(大泣)




 10月5日(土)
今日は留守します。なので「ひとりごと」はおやすみでーす。  




 10月4日(金)
捺印のある署名が不足している。takeponさんやデバ之助さんに「幕末祭」や「文化祭」といったイベントで署名の呼びかけをしていただいた。署名は集まりつつある。本当にお骨折りいただいて有難い気持ちで一杯だ。しかし「捺印」となると印鑑を当日持っていない人の方が圧倒的に多い。これだと日野市議会に「陳情書」として通用する「捺印付き」ではなくなってしまう。 2日に石田の土方家にお電話した際、ご当主も署名用紙を色々なところへ持っていっていらっしゃる様子だった。 「印鑑はね、そんなに持ち歩いている方っていらっしゃらないですよね。」そうおっしゃっていた。そうなのだ。よほどの事がなければ三文判だってそんなに持ち歩く人はいないだろう。それほど「印鑑」というものは大事な物であることは言うまでもない。 5日を署名郵送の締め切りにしていたのだが10日まで延ばす事にした。「石田・新井地区」地名変更の審議は「続行中」との事。という事は、もうこの後「議案取り下げ」などという事はない。つまり12月の17日の「議決」で全てが決まるという事だ。 来週からちょっと大学時代の先生や師範、先輩・同輩・後輩などのところへも連絡を取ってみようかと思う。そのくらい私としては「切羽詰った状態」なのだ。「『ぶらりんこ』ご来訪の皆様、一人分だけでも構いません。捺印のある署名をよろしくお願い致します。」 今日はちょっと考え込んでしまった・・・。




 10月3日(木)
昨日アップした「報告瓦版」の来年3月日野にかかる橋について。 昨日土方家ご当主に電話。この橋の事は既にご存知だった。橋のできる場所は「うちがあったところです。」とおっしゃっていた。(天保年間に起こった多摩川の氾濫の為、歳三が生まれる以前に現在の場所に移って来たという。)正にこんどできる橋一帯は「歳三生家のルーツ」と言っても過言ではない場所。聞くところによると川をはさんで両岸に「石田」が分断されているという。橋、それも「石田大橋」という名の橋でこの両岸をつないだら・・・・。考えただけでもワクワクする。もう「石田大橋」しかつける名前はない! 新井の名を使った「新井橋」は既に存在する。ここは何としてもこの橋を「石田大橋」にして「石田」の地名存続のためにこの橋に一役買ってもらわねば! この橋の名称募集、たぶん一番応募の多かった名称になる事は必至。 ぜひぜひ新選組ファン、歳三ファンの応募を期待したい。(「土方大橋」もいいのだが石田地区は本当にたくさんの「土方」姓の方々が住んでいらっしゃる。橋の名称として残さなくてもその方々がいらっしゃるだけで、「土方」という名は消える事はない。)        応募の詳細: 藤隆さんのHP または「報告瓦版」




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