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 10月2日(水)
友だちの六条さんのところにウイルス・メールが来たようだ。そういえばここのところウイルス・メールは御無沙汰していた。なのに「ウイルス・バスター2002」のニュー・プログラム アップ・デートは昨日、今日と2日続けてあり。また流行りだしたのかな? 慌てて「ウイルス・バスター」で全ファイル検索。すっごく時間がかかった・・。フゥ  ちょっと前、娘がオーナーやっているMLの「投稿承認」というヤツで、1日にウイルス・メールの投稿承認が6〜7件来ていたことがあったっけ。何故か私が管理人をしているので(自分でやれーっ!)そのたびに削除。もう管理ページを見るのも嫌だった事を思い出した。 確か昨年すっごくウイルスが流行った時期って11月だったなぁ。11月って言えば、来月じゃないのっ! 今年は静かな年の暮れになって欲しい。ホント・・・。




 10月1日(火)
「戦後最大級の台風が関東を直撃!?」 テレビ・マスコミのこの言葉にビビり、パソコンを早々と閉じ、片づけを済ませ布団に入った私だったが・・・。なーんだ、たいして「ジャージャー、ガタガタ。」いう事もなく、台風21号は東北地方へ行ってしまった。肩すかしを食らったような感じ・・。ゴソゴソ起き出して「ひとりごと」を書く事に。 今回の台風のせいで多摩川の水位が上がっているらしい。場合によっては「洪水警報」が出る可能性もあるとの事。午後9時頃のニュースで八王子の浅川(そうです!牛革草は生えているあの浅川です。)が増水している模様がテレビに映った。「歳三の家が石田の地に移ってきたのも確か多摩川の洪水のせいじゃなかったっけ?」 そんな事を考えたら、なんか心配になってきた。この後、眠れるかなぁ・・・。




 9月30日(月)
パソコン(ノート)の調子がよくない。うちのパソコン、昨年の7月に購入したのだが、度重なるフリーズで一度は「大破」。2月に「心臓移植」の末、ようやく回復したかに見えたのだが、この8月以降、HP作成の為、長時間労働を強いていたせいか9月に入ってすごぶる不安定。一度はバック・アップを取ったのだが、CD−Rに取ってしまったため上書きがきかない。 「また取り直ししなくては・・・」と思いつつ、面倒臭がってなかなかやる気になれないでいる。また大破したらそれこそ大変。 大切に優しく扱おうと朝開ける度に思うのだが、生来の乱暴者につき・・・。(シーン) フリーズする度にパソコンを投げ飛ばしたい感情をグッと抑えつつ、「さて、次の更新どうすべ〜。」と思案する毎日だ。(笑)




 9月29日(日)
今日たまたま毎日新聞・日曜版を読んでいたら、「司馬遼太郎を歩く」という記事にぶつかった。サブタイトルが「長州人の山の神」。この話、新潮文庫『歴史と視点』に収録されている司馬氏の随筆文(ご本人は『雑記』と言っている)だ。面白そうなのですぐ本屋へ。この長州人(伊藤博文、山県有朋、三浦梧楼、品川弥二郎ら明治の元勲)の「山の神」、名は白井小介という。私は初めて知る名だった。 吉田松陰の親友。松陰が国禁を犯して牢獄の身になった時、自らの刀を売り、金7両を松陰に差し入れするという大胆な行動に出た人物だ。当然、松陰門下の連中は白井に頭が上がらない。 北越戦争に参加、功績をあげ奇兵隊で最後の軍監を務めた明治5年以降、何故か白井は故郷山口県平生町宇佐木へ帰ってしまう。 ここからが今日のテーマ。(笑) この白井小介、前出の元勲たちを「襲撃」しにちょくちょく上京していたらしい。この襲撃のしかたがハンパじゃない! もう山科けいすけ氏の「サカモト」を100倍毒々しくした感じ・・というか。(笑) まあ、興味のある方はぜひ読んでいただきたい。・・(笑)・・なんたって山県公爵夫人にトイレに入ってのお〇りの世話までさせてしまう人物。それでも元勲たちが何も言えなかったのは白井が「松陰先生の親友」、そして自分達の下っ端時代の「弱み」を握っていたからに他ならない。「こんなスーパー痛快面白じいちゃんが長州にいたっ!」 私にとっては会津の少年たちを預かり立派に育てた奥平謙輔以来の衝撃だった。嫌いだった長州に一筋の光。 だから歴史はやめられないのだ。




 9月28日(土)
今日は斎藤一の命日だ。 会津若松・七日町の阿弥陀寺には、猛烈斎藤さんLOVEのファンが押し寄せている事だろう。 近頃の斎藤人気はすごい。そもそも斎藤人気に火をつけたのが少年漫画「るろうに剣心」だ。もちろんあそこに描かれている斎藤は架空の人物。実際の斎藤一(藤田五郎)とはまったく違う。 この漫画中、唯一斎藤が妻・時尾の名を口にする部分がある。長いコミック28巻中、唯一そこだけ・・である。それなのに、(漫画の)斎藤ファンの間では「藤田時尾とはどういう人物なのか!?」とすごい噂になった。 藤田時尾は素晴らしい女性だ。 「斎藤一は不死身でございます。」 この言葉を平然と言えてしまう女性。 こう胸を張って言えるのも、いくつもの苦難を乗り越えてきた者同士の「鉄」の信頼関係からなのか・・。普通の夫婦間ではなかなか言えない言葉だ。 明治の初め、警視庁に入庁する前の斎藤が一体何をしていたのかよくわかっていない。たぶん諜報活動をしていたのではないかとされているが、(詳しくは赤間倭子氏著「新選組・斎藤一の謎」に書いてある)詳しい記録は残っていない。謎が多い分だけ小説家や漫画家は興味をそそられるのであろう。だから「るろ剣」の斎藤のようなクール・ガイが登場したりするのだ。こちらもいいのだが、私としては中村彰彦氏著「明治無頼伝」の斎藤の方が好み。 実際の斎藤は本当に無口で、自分から人に話しかけるといった事はなかったらしい。剣と酒を愛した斎藤一。そして「誠」の人、斎藤一。 本当の斎藤一を解き明かす史料・資料の発見を待つばかりである。(会津・阿弥陀寺に向かって合掌。)




 9月27日(金)
久しぶりにたこ焼きを食べた。そもそも私が一番初めにたこ焼きを食べたのは小学校5年、大阪に1年半、父の転勤で暮らしていた時だ。もう今から30年近くは昔の事。(やばっ!年がバレる。笑) その頃たこ焼きは6個で20円だった。なので子供達のかっこうのおやつだったというわけ。学校から帰って一番にうらのたこ焼き屋台へ走る。そう、50円玉を握り締めて。「おばちゃーん、50円分下さーい。」 「はい、おおきに。」おばちゃんは15個のたこ焼きをササッと容器に入れ、私に手渡した。 「ふふ・・、これを独り占めしたい!」 悪魔のささやきが私の耳もとで聞こえる。(笑) そう、私には2つ上の兄がいるのだ。内緒で全部食べちゃおうか・・とも思ったが、ま、バレた時の報復が怖いので、シブシブ兄の分を取り分けた。 美味しい! 決して今のような贅沢な素材を使っていないのに、当時は「こんな美味しい物が世の中にあったのか。」って感動するくらい美味しく思ったものだった。 だから30年経った今も、たこ焼きは大好きだし、「たこ焼き」と書かれた暖簾を見ると、身体が自然と吸い寄せられていく。(笑) しかし、あの時に食べたたこ焼きより美味しいと思うのに未だ出会えていない。自分の事ながら「子どもの頃の感動ってすごいんだなぁ。」と妙に感心する今日この頃だ。 




 9月26日(木)
今日は彼岸明け。 だからというわけではないが、埼玉県日高市にある高麗の里・巾着田の100万本の曼珠沙華を見に行った。(近日「いろんな処ぶらりんこ」でアップ予定) いやー、こんなたくさんの曼珠沙華を見たのははじめて。一面燃えるような赤い絨毯。満開を迎えていたせいか西武秩父線が高麗駅まで満員状態。私は午前10時過ぎに高麗駅に着いたのだが、もうその頃曼珠沙華群生地・巾着田近くの道路、駐車場は押すな押すなの大渋滞、超満車状態だったようだ。 やはり考える事は皆一緒。 トイレや座るところに不自由したものの、素晴らしい曼珠沙華の群生を見て心は安らいだ。 帰り道、野菜を売る農家の前を通る。気持ちがいい位きれいな里芋を発見!「パパに「タコ芋」(タコと里芋を炊いた物)を作ってあげよう。」と即購入。 栗もあったのだが重そうなのでやめにした。 帰ってさっそく「タコ芋」を作る。 激激うまっ!(注:私の腕がいいという意味ではない、念のため。笑) こんなにきれいで新鮮な里芋って見た事がない。「 うまい!うまい!」と言いながら、気がつくと・・・。(シーン) こんな事だったら、里芋も栗もいろいろ買ってくるんだった・・。やはり産地物というのは味が全く違う。 高麗の次回の花はコスモス。これも群生地があり素晴らしいらしい。 こんどは家族で出かけて「買出し」してくる事にしよう。それほど美味しい里芋だった。




 9月25日(水)
21日(土)の国立博物館での話、みたび。 「江戸蒔絵展」を観終わって、平成館から本館へ移る。この時、例の「虎徹」の弟子の刀を観た。そして1階、2階と常設展も見学。今回は重文の「洛中洛外図屏風」(舟木本)が展示してあった。「ああ、あそこが清水だ。」とか、「此処は方広寺大仏殿だ。」などと話しながら、隈なく屏風を観る。「洛中洛外図」は美術的に観ても素晴らしいが、史料としても相当レベルの高いものだと思う。 同じフロアに菱川師宣の「見返り美人図」があった。「これも観なきゃ損、損〜♪」と掛け軸の前まで行ってみた。「ジー、ジー」 変な音がする。隣を見ると、中年のオバサン(私と同じくらいネ)が「〇メール」を使って「見返り美人図」を撮影しているのだ! ふ・ふ・ふ・・、さぁー、フツフツと燃えてきましたよ、ゆりこさんの「怒りの炎」が・・。 これじゃあ、「盗撮」と変わらないじゃないかいっ! 「携帯で写真撮ってるよー。」椅子に腰掛けていたダンナに報告。「どいつだ?」と我々が振り向いた時には、「〇メールオバサン」の姿は跡形もなく消えていたのだった。




 9月24日(火)
爽やかな天気。秋がどんどん近づいているのがわかる。 「さあ、ぶらりんこ復活!」と行きたいのだが、なかなか気忙しく、ぶらりんこできない状態が続いている。私としてはお江戸を隈なく・・・の心境なんだが、その道のりは遠そうだ。 「龍馬の居た江戸」と題し、龍馬が逗留していた場所を巡るのもおもしろそう。これもやりたい。「行きたい、行きたい。」ではあるが、まず更新分を書かないと・・。たまる一方。これも困った・・。10月末に会津へ行く事が決まりそうな今、近場ぶらりんこよりまずは更新分をあげてしまおう。改めて決心の日。




 9月23日(月・祝)
今日、近くの古本屋をのぞいてみた。 この古本屋、店主が「うちはくだらない本はありませんっ!」って自慢するだけあってなかなか良い本が揃っている。 以前のぞいた時も、新人物の歴史読本「沖田総司ー新選組青春譜ー」(これ300円でゲット!)や、やはり歴史読本クロニクル「土方歳三の35年」(こちらは700円)を購入。「さあ今日も、レアな新選組関係本はないかね?」と意気込んで行ってみた。残念ながら今日は新選組関係はゼロ。しかし、1995年4月号の歴史読本「河井継之助ー薩長に挑んだ男ー」(300円)と1996年8月号「坂本龍馬と高杉晋作」(400円)をゲット。まだ斜め読みなのだが、河井の特集号は河井の生涯を非常にわかりやすく解説していて読んでいて楽しい。また龍馬と高杉の号には、この二人と全く関係ない話なんだが、市村辰之助(歳三の小姓だった市村鉄之助の兄)の墓が岐阜県大垣市の全昌寺という寺で見つかった話が出ていた。明治4年にこの辰之助が日野の土方家(佐藤家の間違いだろう)にかくまわれている鉄之助に手紙を出していたと書かれていた。市村鉄之助に関しては本当に新しい史料が出てこないようだ。この辰之助の墓が建てられたのが昭和8年、建てた子孫の方の名が墓石に記されている。万代修氏が大垣を何回も訪ねて調べても、このご子孫の行方はわからなかったらしい。鉄之助は2度も明治政府に逆らった人物。(だから大好き!笑) それで関係史料が出てこないのか・・。今後に期待したい。




 9月22日(日)
国立博物館の話 その2。「江戸蒔絵」展を観終わって、本館へ移ったすぐの部屋に、先頃博物館に寄贈された品々が展示してあった。寄贈したのは東大の某教授。(ご引退なさってたかも。私の記憶はいい加減。陳謝) その数10点はあったと思う。 「伝雪舟」とか「胎蔵界両界曼荼羅」とか・・、とにかく「何でこんなに凄いのたくさん持ってるの?」っていうくらい凄い作品ばかりだった。中でも私が興味を持ったのは刀剣。 寄贈の刀剣は二振り。 一方は平安時代の太刀。もう一方はかの近藤勇局長の愛刀虎徹の作者、長曽根虎徹の弟子 長曽根某の作品。本来刀にはまったく興味のない私だが「長曽根虎徹」の名前を聞いて黙ってはいられない。(実際にはそのコテツの弟子の・・・なのだが・。笑) 「虎徹」は小杢目(もくめ)の締った地金に数珠刃とも称される五の目に足太く入る刃が特徴。師匠である虎徹の作風を受け継いだ作と注意書がされてあった。うーん、確かによく切れそうではあるが・・・。 この刀を観て、「虎徹」を観てみたくなった。今や幻の刀剣。 さて、近藤さんの愛刀・虎徹は今何処に?




 9月21日(土)
昨日から娘が実家の両親のところに泊まりに行っていて留守。 なので今日は久々のデート。(笑) 我々のデート場所はいつも同じ、博物館・美術館巡りだ。はじめに先日も行った原宿にある浮世絵専門の美術館「大田記念美術館」で特別展「吉原風俗」を観た。 もう、すんばらしいー!の一言。 この頃吉原について勉強しているので、絵を観て大体わかるようになってきた。こうなってくると益々楽しく、もっと別の角度からも勉強してみたくなるものだ。 そして次に上野の国立博物館へ移動。こっちの特別展は「シルクロード」だったのだが、ほとんど興味なし。(笑) もう一方の展示会「江戸蒔絵 −光琳・光悦・羊遊斎ー」と、常設展示に18日から展示されている重文「洛中洛外図屏風 −舟木本ー」を観る事に。 江戸蒔絵の素晴らしさ、特に初期の光琳・光悦はもちろん、印籠の様な小さな細工の物まで、江戸の「匠」の美を堪能。 特に光悦のいにしえの珠玉の和歌集を意匠化した蒔絵の数々にただただ涙。「洛中洛外図」の華やかさ、楽しさも捨てがたい。 「日本の文化っていいっ!」 こういう素晴らしい作品の数々を観た時、いつも思ってしまう。 しばし、「忙しさ」を忘れる一時となった。




 9月20日(金)
今朝、日野の土方家奥様に電話をした。17日に審議会にいらっしゃるとのお話だったので、気になっていたのだ。審議会というよりも15日の土方歳三資料館開館日に署名してくれた来館者の署名を日野市議会事務局にお持ちになったらしい。ところが・・。事務局で、「市議会に出す陳情書の署名で捺印がないのは無効である。」と言われたらしい。 そんな馬鹿なっ! だったら初めからそう教えてくれればいいのに・・。 たまたまシャチハタ判を持っていた来館者の方だけが陳情に行った石田自治会の方プラス1名という扱いで署名有効となった。なんでこう役所って四角四面なんだろう。 しかし、大丈夫。 残りの来館者の署名は馬場日野市長に渡されるらしい。 すこしホッとした。 市長宛も捺印があった方がいいだろうが、市議会のように「絶対捺印」ではない。市長の心情に訴える為の陳情書だからだ。 私も馬場市長に手紙を書こうと思っている。が、此処の所、ネット署名の事で何かと忙しく、なかなか書ける状態にならない。しかし、有難い事だ。協力してくださる方がぞくぞくとサイトに来てくださっている。みんな気持ちはひとつ。「歳三の石田を守りたい!」これに尽きると思う。何とかこの思いを日野の市議さんたちにわかっていただきたいものだ。さあ、勝負は10月、11月。 頑張ろうっと!(と言いながら、この頃疲れ気味。(笑))




 9月19日(木)
晴天が続いている。こういう日は心ウキウキ。(笑) 本屋へ行って色々物色。 S浦H子氏の「大江戸観光」(ちくま文庫)を買う。(バレバレ。笑) 以前買った「お江戸へようこそ」(ちくま文庫)が楽しかったから。買った理由はその程度。(いつもそう。笑) パラパラとめくって斜め読み。「お江戸珍奇」という項に「美形列伝」という見出しを発見! 「江戸で美形とくれば、八郎さんの名前がないわけがないっ!」とドキドキしながらそのページへ。 あった。あった。「幕末維新篇」に。 な、なんと!わが麗しき歳三さまと、これまたわが弟のように慈しんでいる総司くんまで載っていたのだ。固唾を呑んで読んでみると・・・。 ガーン! な、なんだっ!これはー!! 歳三さまに対しては、「マァ美形といえば美形なんでしょうが、ミシンのセールスマンに見えないこともありません。」だって。喧嘩売っとんのかっ!コラァ!!総司くんに関しては・・・ま、触れない方がいいでしょう。 さあ、ついに八郎さん!・・・ひどい。・・・ひどすぎる。まったく史実無視。知らないんだったら書くんじゃないよっ! 冒頭何て書いてあるか・・。「さて、総司クンと同じ条件でありながら忘れられているお気の毒な方もおります。」だって。忘れているのは間抜けなアンタだけで私は片時も忘れた事なんてないよっ!てんだ。 ひどいよ、この人。 なんかお友だちが例の「龍馬の謎」(K談社文庫)で晩年のおりょうさんの写真と近藤さんの奥さん・ツネさんの写真を間違えて本に載せちゃったあのK来K三氏なんだって。(これまたバレバレ・・。笑) 「やっぱりね。」ってかんじ。「よく調べてからにしてもらいたいねっ!」って思いつつ、後ろの発行日を見てみると・・、1994年、この執筆文自体は1987年筑摩書房から刊行って書いてある。・・そんな昔の話なの? なんだかカッカしていた自分が一番アホに思えてきた。フゥ・・




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