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6月28日(土)

あまりに家の中が散らかっているので、ほんのちょっとであるが片づけを始めた。(・・という事はずっと放ったらかしだったっていう事ね。汗)うちの場合「片づける」という事は、不要な物を選別、そして「捨てる」事。なので片づけはゴミ収集日の前日じゃないとできないのだ。(家の中が逆にゴミ置き場になっちゃうから。・・汗&笑) 二階に置いてある電子ピアノを実家に送って、そこに本棚を置く予定。この計画がうまく行けば我が家の片づけはなんとかなりそう。果たしてこの1ヶ月の間で出来るだろうか・・・。(うう・・・)




 6月27日(金)

今日は久々にピアノレッスンの日・・なのだが、結局先生とペチャクチャおしゃべりばかりしていてレッスンにならなかった。(汗)先生もさすがにこれはマズイと思われたのか、「再来週、もう一度やりましょう。」そうおっしゃったので、再度レッスンにお伺いする事となった。・・という事は来月は2回レッスンがあるという事ね。(うーん、これもけっこう辛い・・。汗) 上野の国立科学博物館で開催されている「江戸大博覧会」の招待券をもらった。ラッキー♪(うきうき)




 6月26日(木)

3日・4日前だったか、札幌の或る事務所に忍び込んだ男が警察に逮捕され、署に連行途中、パトカーの中で「脱糞」。(滝汗) 警察官がひるんで窓を開けた途端、逃亡するという事件が起きた。(汗) 私はこのニュースを見て、幕末「逃げの〇〇」とか言って、逃げまわっていた長州の某重要人物の事を思い出さずにはいられなかった。この人物も、幕末の京都で新選組を相手に、この札幌の空き巣と同じ事をやってのけたのだ。(汗) それも通りの真ん中で。(華厳の滝汗・・・) 現代の「逃げの〇〇」さんがその後つかまったかどうかは定かでないが、昔も今も世の治安を預かる者、「う〇〇」くらいでひるんではいけない。平常心、平常心。(笑) 私など17年前は、毎日のように処理していたのだから。・・とは言うものの、やっぱり・・・ひるむよねぇ。(汗&笑)




 6月25日(水)

午前中は雨。午後も一時晴れ間が出たりしたが、夕方になってまたスコールのような雨が降る。ちょっと買い物に出たのだが、もうずぶ濡れ。(汗)早く梅雨が明けてくれないかと思う。夜、ちょっとアクシデントがあり、『その時歴史が動いた』を見る事ができなかった。(涙) しかし、大丈夫。ビデオでしっかり録画しておいたから。なので後日ゆっくり見る事にしよっと。




6月24日(火)

今日はNHK学園オープンスクール・第6回目。いよいよ新選組に関する内容に入った。・・といっても今日のお題は「新選組の時代背景」。(まだ本題ではない・・。汗) 講座終了後、受講生のお仲間で先日の総司忌の話。講演会の後の二次会がかなり盛り上がったようだ。新選組研究の裏の裏話を今をときめく新選組研究家の先生方が話して下さったらしい。(う、うらやましい・・。) なかなか二次会まで参加できないでいるが、来年あたりはちょっと出てみようかな・・という気になってきた。 『新選組銘々伝』の発売が7月。先生方の研究成果がぞくぞくと発表される。こちらもすっごく楽しみだ。




6月23日(月)

今朝5時半ごろ、ゴミを出しに家の前の道に出ると、斜め前のお宅の門、その扉の下に子猫が一匹。門柱の上には母猫らしき同じ毛並みの猫が座っていた。小さな小さな猫。「あれ?」と声を出すと、母猫はじーーっと私の方を身じろぎもせず見つめている。「大丈夫ですよ。何もしないから。」そう母猫に声をかけながら、私は家の中へと入った。午前10時ごろ、洗濯物を干す際、何気なくゴミ置き場になっている電柱のあたりを見るとさっきの子猫。小さくなってじっとしている。 母猫の姿はない。 気になって外へ出て行き、子猫を抱き上げた。まだ片目しか開いていない・・。(汗) 鳴き声もろくに出せない。それでも、わけのわからない「外敵」から自分の身を守る為、必死になって抵抗している。通りの隅っこでも、そのままにしておくのは自動車も頻繁に通るし危ない。なので、猫の寄り合い場所になっている自宅前の松林にそっと子猫を放した。 子猫は母猫の臭いをかぎつけたのか、母猫がいつも利用している斜め前のお宅の出入り口(フェンスの下に穴が開いている)へトコトコと歩いていった。「ああ、これで巣に戻れるな。」そう思い、安心した私は家に戻った。ところが・・・しばらくしてまた見ると、子猫は最初に見つけた通りの端っこにまた身を縮めて小さくなっている。(汗) 「母猫にじっとしているように言われたのかもしれない。」何故か不思議とそう思えてきた。あんなに小さな、生まれたての子猫が自分の意思で元いた場所にもどったのだ。そわそわしながら見ていると、犬の散歩に来た人と、自転車で走ってきて子猫に気づいた人とが立ち話を始めた。・・・とそこへ電話。私は窓から離れ、電話のところへ。電話を切り、戻った時には子猫の姿も、立ち話の人たちの姿も跡形もなく消えてしまっていた。夕方から雨が降り出した。母猫の姿も見えない。子猫は何処へ行ったのやら。




 6月22日(日)

午前中総司忌に参加。と言っても午前10時半過ぎに墓参りは終わってしまった。(汗) 千駄ヶ谷の総司くん・終焉の地へ寄り、池袋経由で12時半には帰宅。昼食は家で取った。 その後、暇だったので本日分を更新。 今日も暑かった・・。でも、昨日は東京は33度もあったらしい。(汗)毎日エアコンのつけっぱなしで、持病の腰痛がまた起こりそう。(汗) 専称寺、総司くんのお墓から六本木ヒルズがよく見えた。ご本人は六本木の移り変わりをどう思っているだろう?




6月21日(土)

明日は総司忌。 当初行く予定はなかったのだが、明日我が家の人間が皆出かける事になって、残っているのは私だけ・・。なので急遽お墓参りの午前中だけでも参加させていただく事にした。 1年ぶりの六本木。どうなっているか。六本木ヒルズが出来、おばさんには更に敷居が高くなった感じ・・。(汗&笑)




 6月20日(金)

台風一過。暑い。(汗) 梅雨だと言うのにこの暑さ。普通梅雨寒とかあってもいいはずなのに今年はない。(汗) 久しぶりにサイト更新の一日。さすがにパソのしすぎで目が痛くなった。(汗) マイ・パソもヒィヒィ・・。使いすぎるとすぐに調子が悪くなる。買いなおしたいけどお金がない。(汗) 来月で購入2年目を迎える。




 6月19日(木)

今日は久しぶりに晴れ。しかしながら、九州近くに台風6号が接近している。なので、東京は日中31度まで上がり、もうムンムン状態だった。不快指数の高い一日ではあったが、久しぶりの晴れ間。たくさんの洗濯物を外に干す。(そういえば乾燥機、壊れたっきり・・だった。(汗)) 無事ウォーキングも終了。明日の天気は・・・さて?




6月18日(水)

今日から夕方、30分だけなのだが、うちの近所を歩く事にした。元々アウトドアより、うちの中でじっとしながらする事(読書、音楽鑑賞、編み物など・・。もちろんパソコンも。汗&笑)の方が得意なので、万年運動不足になっている。(汗) 梅雨のうっとうしさからどうしてもエアコンをつけたくなる昨今、こういう時期は特に持病の腰痛(右腰)に悩まされる。筋や腱といったものが縮んでしまったり、腰骨がずれたりと・・・。すべては運動さえしていれば、自然治癒するはずのものが、運動嫌い(というより、面倒臭がり)のため、毎年のように痛くなっしまうのだ。それに何と言っても、出不精=デブ症。(爆) というわけで、一大決心。今日から毎日(・・うーん、とは限らないかも〜。汗) やってみようと思う。とりあえず初日はクリア。(ホッ) 30分だとたいした効果はのぞめないが、ま、やらないよりはいいかな・・と。(汗&笑) 徐々に時間を増やし行き、1時間くらいにはしたいと思う。 とにかく、毎日続ける事が大切。うん!(・・と自分に言い聞かすのであった。がはは・・汗)




 6月17日(火)

姉妹サイト『月の岬』にも日記コンテンツをつくってみた。タイトルは「業務日記」。毎日更新できるかはわからないが、こちらではしないタイプの話を書いてみたいと思う。(お時間にゆとりのある時にでものぞいてみてくださませ。←以上PR・・汗&笑)  昨日、恐ろしいものを見てしまった。(滝汗) 夜、布団の中に入ってからも思い出され、しばらく寝付けなかった。 私の頭がどうにかなったのでは・・・と思ったがそうではない。鎌倉とか、吉原ふたたび・・・なんて気分が高まっていたのだが、ちょっとまずいかなぁという感じになってきた。(汗) しかし、史跡めぐりをやめる気はさらさらないので(汗&笑)、心の整理ができたら再開する事にしたい。 



 6月16日(月)

バッハのお話、三度。(汗&笑) バッハは子だくさん。最初の妻、マリア・バルバラとの間に7人(ん?確かそうだったと・・汗) 二番目の妻、アンナ・マクダレーナとの間に13人の子どもがいた。(汗・・) バッハの死後、バッハの音楽は古臭いものとされ廃れ、彼の楽譜が肉屋の包装紙にされていた時期もあった。(何て事を・・・涙) それを復活させたのがメンデルスゾーン。約200年ぶりに『マタイ受難曲』の演奏会を開き、これを指揮。(感涙) そして現在、バッハは「音楽の父」として世界中の学校の音楽室にその肖像画(実際はポスターだけど・・)を見る事ができる。ところで、このバッハの二番目の妻・アンナ・マクダレーナの回想録として、19世紀に『バッハの思い出』という本が出版された。音楽の巨匠バッハの貴重なエピソードを伝えるものとして今日まで来ているが・・・実は回想録というのは真っ赤な嘘で、出版社の本を売り込むための戦略だったようなのだ。(汗) そんな事が判明しても、2世紀近くこの本を愛読してきたバッハファンの頭から、この「名著」が消えるはずもなく、実際のエピソードと作られたエピソードとがごっちゃになって現代に伝わっている。 どこにでもこういった話はあるのだなぁと、今更ながら出版物のもたらす影響力の大きさを考えた。



 6月15日(日)

昨日買って来た「アンナ・マクダレーナ・バッハの日記」を観る。バッハの二番目の妻・アンナ・マクダレーナの語りで映画が進行していく。やはりドキュメンタリーだった。(汗&笑) レオンハルトは演技をほとんどしていない。バッハ本人として作品演奏をしているだけだ。映画中使われているのは当時使用されていた楽器。現代の音とは随分違う。でも、これがバッハ本来の音なのか・・と思うと涙が出てくる。 レオンハルトのチェンバロ演奏、素晴らしい。私は38歳でエイズの為亡くなったスコット・ロスのチェンバロ演奏が一番好きなのだが、やはり、そこはチェンバロ演奏の大家・レオンハルト。気が付くとバッハの「音」の海に心地よく漂う自分自身をふと想像していた。 ベートーヴェンの言葉:「バッハはBach(独語で小川の意)ではなく、Meer(独語で大海の意)である。」 ←←はい、その通りです!(笑)




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