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 9月18日(水)
今日は久しぶりにいい天気だった。さわやかな秋晴れ・・まではまだ間がありそうだが・・。 此処のところ急に涼しくなった。あの8月の猛暑が嘘のよう。 今年の夏は暑かった・・。どっこも新選組関係のぶらりんこができない状態だった。(もう、年だからねー。笑) 9月に入って涼しくなったし、またぶらりんこ復活と行きますか。・・がそれとは別の話。「石田の地名を守る会」(勝手に私が作った会。(笑)会員も私一人)の署名ページを今日アップできた。これで一段落。なんとか日野石田自治会のみなさん、土方家の方々のお気持ちがネットの向こう側の新選組ファンに通じ、署名がたくさん集まってほしいと思う。私も今友人に片っ端から頼んでまわっている。そんな私を約2名、冷ややかに見つめている人物がいる。(ダンナと娘) 「ママはさー、私達よりトッシーの方が大事なんだよー。ねっ、パパ。」なーんて言っている。(妬くんじゃない、妬くんじゃない。(笑)) しかし、この4日間、ほとんど石田の事で頭がいっぱい、家の事もほったらかし状態だった。反省。今度の連休は家族サービスに徹しようと思う。 しかし・・頭から離れない・・。(笑)




 9月17日(火)
9月15日、日野の土方家で今歳三のふるさと石田地区が存続の危機にさらされている話をお聞きした。信じられなかった。
まさに再来年の大河ドラマ「新選組!」でブレイク寸前の日野、この場所でこんな馬鹿げた事が起ころうとは・・・、というよりこんな馬鹿げた発想をする人間が日野に居たとは・・、と言った方が正しい。歳三の生まれ育った場所は日野宿石田村だ。石田の歳三で通っている。歳三から石田を取ってしまったら・・・。名無しのゴンベと変わらない。 私などはあの多摩モノレールの駅を「万願寺」にした事自体おかしいと思っている。万願寺が現存する寺ならともかく、今は存在しないのだから。 
あの地区は万願寺駅の近く、だから「万願寺〇丁目」でいい。←←な〜んという安易な発想!(ムカムカ) 石田・新井地区はその辺の新興住宅地とは違う。古い歴史を持った場所だ。昔から住んでいらっしゃる方の思いもひとしお。それがわからない連中などぺペーのペーー!である。(わけわからん・・) 
とにかく!歳三のため、石田のために何とかしなければならない。これは、新選組ファン・歳三ファンの問題でもあるが、まず第一に日野に住む人々の問題でもある。 全国各地の新選組ファン・歳三ファンがいくら騒いで署名活動をしても、当の日野市民が「われ関せず。」では間違いなく石田・新井地区は「万願寺○丁目」になってしまうだろう。ここは日野の歴史を重んじる市民と新選組及び歳三ファンががっちり協力し、この議案を廃案に持っていくよう活動しなければならない。及ばずながら私もお手伝いがしたい。そのためネット署名ページを作ったのだ。12月17日の議決までの3ヶ月・・・ 今はその事で頭がいっぱいだ。




 9月16日(月・振替休日)
久々に音楽を聴く。娘がずっとお世話になっている声楽・ピアノの先生のミニ・コンサートがあった。久し振りに聴くピアノの音。やはりいい。この頃PCに熱中しすぎているせいか、まともに音楽も聴いていない。習っているはずのピアノも・・・、何故かほとんど行っていない。(汗) 私は、ひとつの事に熱中しすぎる傾向が昔からある。 ほどほどにすればいいのに、どうもそれができない性質。もっぱら何かに関する勉強もこれ式で一気に集中学習。それで体得。(笑) 「コツコツ」とか「じっくり」といった事とはほとんど無縁。いやはや・・、性格とはやっかいなものだ。 しかし、今日のミニ・コンサートを聴き、自分のピアノに関して新たな決心! 「真面目に練習しよう!」 さてさて続くかどうか・・・。(笑)




 9月15日(日・祝
今日は日野・八坂神社の例祭。天然理心流奉納額が公開される日でもある。5月の歳三忌に続き、また日野へ行ってしまった。今回は3月行ったコースの逆まわり。まず、石田の土方家へ行き、ご当主にお会いした。この事は後日HPにアップする予定。気さくで本当にいい方だ。 その後、石田寺の土方家墓地へ。 そして八坂神社、大昌寺(佐藤家の墓地がある)、井上源三郎生家とまわった。もっと行きたかったが、サンダルなどというものを履いていたため、もう足が限界になってしまった。(涙) やむなくここでリタイア。 しかし、やはり日野はいいっ!またぜひ訪ねようと思う。(因みに「歳三タオル」 フェイスタオルをゲットした。 やったー!(笑))




 月14日(土)
今、吉原関係の本を読んでいる。面白い。吉原関係の本はこれで3冊目。だいぶ概要がわかってきた。それにしても複雑。つくづくお江戸の人々(というより日本人?)って決まり事が好きなんだなぁと思う。この決まり事という「枠」が、ある意味江戸文化の発展に貢献していたって何かの本で読んだ事がある。単に「何でもいいからやってごらん。あなたは自由だよ。」って言われると、けっこう何をやっていいのかわからなくなる。それがある種の「枠」のようなものを用意して「この中で」って言われると、どういうわけだかその「枠」を最大限に利用して・・というか、その「枠」を越えそうになるくらい「いいもの」が出来ちゃったりする。 これってお江戸(日本人?)特有なのか、それとも万国共通なのか・・。まあ、それはさておき・・。 この吉原、本当に何度も火災にあってその豪華さを伝える殆どの物を焼失。ただ吉原の過酷さ・悲しさを伝える「新吉原供養塔」のある三ノ輪の浄閑寺が現在も当時と同じ場所にあるだけだ。 今の吉原へ行っても、京都の島原のようなものは何一つ残っていない。ソープの呼び込みのお兄さんがいるだけ。吉原から思い浮かぶ言葉、ただひとつ「残念」、この言葉に尽きる。




 9月13日(金)
先日ついにスキャナを購入。(やったー!) 「キャノスキャン・ライド30」という製品。いいかどうかまったくわからず。(笑) ま、キャノン製品だから大丈夫だろうと・・そのくらいの判断で買ってしまった。 今日試しに薄い本をスキャンしてみた。 超へたっぴー。(笑) 電子マニュアルとかいうのが中に入っていたんだけど、まったく意味不明。(こちらに解ろうとする様子なし。笑) スキャンしてもそのままでは使えないものもあるし、何とか画像加工ソフトの使い方をマスターしなければいけない。付属のソフトをインストールしたはいいけれど・・・。(涙) 本屋にスキャナの使用解説書とか売ってないのかな? HPビルダーみたいに。 「宝の持ち腐れ」とはこの事よ・・・。(涙、とめどなく流るる・・)




 9月12日(木)
最初の頃書いたお父様が高知出身の彼女からHP開設祝いのメールが来た。「HPを作ったから遊びに来て。」と誘ったのだ。たくさん褒めてくれた。嬉しい。(笑) その中で先日彼女が行った高知旅行の話があった。何やら高知のテレビには「竜馬チャンネル」というのがあるらしい。一日中、竜馬関係の番組(アニメも含む)をやっているというのだ。高知はそれだけ龍馬に依存しているわけだ。ふーん。なのにあの丹中山の一件は何なんだろう。それだけお世話になっている龍馬の大切な、大切な家族の墓を・・。ほとんど見殺し状態。 墓を何とかしようとしているのは高知市ではなく他の人たちだ。・・情けない。この事から先日旅行したあの函館市の事を思い出した。あの五稜郭の土饅頭、思い出すと涙が出る。この土饅頭と同じ、坂本家墓地も。一体「墓」を何だと思っているんだろう。あーっ!考えるとムカムカ来るんで、この話題はこの辺で。 でも、彼女に来てもらえてよかった。いろんな事が話せる数少ない友人の一人だから。




 9月11日(水)
今日であのテロ事件から1年。 その日の午後9時半頃、ちょうどテレビを見ていて速報でこの事件を知った。飛行機の操作ミス、最初は当然そう思った。でも、「今の時代、飛行機だろうと何だろうとすべてコンピューターが操作してしてくれる時代にこんな事って??」と変に思っていた矢先、イスラム原理主義組織によるテロだと判明した。 戦争やテロを行う事自体「異常」な事だし、それをやろうとしている人たちに「常識」などと言っても通用しないのかもしれない。しかし、「考えつかないような異常な事」が現代、「平和」を連呼する全世界で行われている。「考えつかないような異常な事」の延長線上に世界各国のリーダー的存在の国(あえて国名は出さない)の暴走・暴挙がない事を望む。 11日は世界各地でテロ事件の追悼ミサ及び追悼集会が行われたが、かたや、またテロリストが何かやらかすんじゃないかと世界中がある種の緊張状態にあった。私事だが、1日から両親がヨーロッパへ行っていて12日朝に帰国予定。「その飛行機、大丈夫か?」と家族全員で心配している。きっと世界中で、家族が大きなビルに勤めていたり、飛行機を利用するような家では私のような心配をしていた1日だっただろう。平和とは、簡単な言葉で言うなら「自分の勝手な価値観を他人に押し付けずお互いを大切にしあえば、すべては丸く収まる。」これに尽きると思う。国同士・思想・宗教関係となるとそうもいかないのか。根本的なところはみな同じだと思うのだが・・。




 9月10日」(火)
今日漫画を買った。「JIN−仁ー」の2巻目。 幕末物の漫画の中でこれはかなりヒット。(笑) 4月に第1巻を買って、次はまだかと楽しみにしていたら・・、何の事はない、2巻も同じ頃発売になっていたらしい。 第2巻では竜馬が登場。 この竜馬、けっこういいっ! 私のタイプ。(笑) 何故なら、よく小説や漫画で描かれている「ボーッとした」とか「勉学の嫌いな」とかいう竜馬ではなく、鋭い、得体の知れない(笑)竜馬だからだ。実際龍馬は寡黙で、非常に品行方正だったらしい。品行方正というと「得体がしれない」とは結びつかなくなるが、「天才」は凡人には理解できないもの、この「危うさ」が龍馬の魅力なのかもしれない。事実、洛中堂々とおりょうと手をつないで歩く龍馬と、貞淑な妻になれとおりょうに切々と説く龍馬。このアンバランスが何ともいい。 さて、漫画の竜馬、仁先生を何処ぞに連れて行こうとしている。浅草寺から田んぼを抜けて土手に出る・・・。わかってますよ。何処だか。(笑) でも其処って竜馬より八郎さんの方が詳しいじゃないの? 衣紋坂で衣装を調える竜馬と仁の姿が目に浮かぶ。第3巻が楽しみだ。




 9月9日(月)
ここ2.3日東京は雨ばかりだ。それもかなり強めに降っている。秋雨前線にしては早過ぎない? とにかくこういう日は苦手である。もともと血圧が低いので雨の日は身体がだるく、何もやる気にならない。 低血圧というのは若い女性(それもスリムな)の専売特許のように言われるが、どうしてどうして・・・。私などはどんなに体型が変わろうと何十年も!「低血圧」である。(エッヘン(笑))これは「遺伝」だ。高血圧も遺伝、低血圧も遺伝。 ほとんど何でも遺伝してしまう。 遺伝子とはやっかいなものだ。いい事が遺伝して欲しいと思っても、大概遺伝して欲しくないところが遺伝する。これで私も随分親を恨んだものだ。(笑) そういう自分も親になり、さぞかし娘に恨まれている事だろう。(笑)




 9月8日(日)
「アジアン・フード」の話、再び。(笑) 先日話題にのぼったベトナム料理は大好き。 特にゴイ・クォン(生春巻)とバィン・セオ(ベトナム風オムレツ)。両方とも家で作ってみた。ゴイ・クォンはOK.。 いろんなバリエーションで今、デパート等の惣菜売り場で売られているが、オーソドックスなのが一番美味しい。豚バラ肉・海老(茹でる)、にら、大葉、春雨(茹でる)、香菜、あればミントの葉、これらをライスペーパーで包んで食べる。つけるタレはテイメイジャン(中国の甘味噌)か、ベトナム風甘酢(ヌクマム・唐辛子等を使った甘酢)。 最高! 何個でも食べられる。 ベトナム料理店で食べると2本で600円、惣菜売り場で買っても500円近くはする。自分で作って山ほど食べる。これが一番だ。(笑) 尚、バィン・セオだが・・・、未だかつて成功した試しなし。(涙) 米粉の扱いの難しさ。 何時の日か成功させたいのだが・・・。




 9月7日(土)
先日近くのスーパーで韓国料理の出店があり、私は大好きなオイキムチや辛味噌などをを購入した。 この辛味噌、非常に美味しい。買って正解だった。私はキムチでも日本製はほとんど買わない。ただ塩辛いだけだからだ。韓国産のキムチは塩辛さがほとんどない。唐辛子の辛さだけ。 店のご主人らしき人が、カタコトの日本語でこの辛味噌の「美味さ」を訴える。「ワタシンチ、ジカセイヨ。」って。(笑) 今日残り物の鶏肉と白菜をこの辛味噌で炒めてみた。激うまっ! うーっ、これだったらもっとこの味噌買っておくんだった・・。残念。これで冬にチゲ鍋したら最高だったろうに・・。 後悔先に立たず。 しかし・・実は私って、結婚前まで1度も韓国料理(もちろん焼肉・キムチも)を食べた経験がなかったのだ。 カレーも中辛程度でヒーフー・ヒーフー言っちゃう方で、ほとんど「お子様嗜好」だった。 どこでどうなったのか・・、人生とは本当にわからない。(笑)




 9月6日(金)
今日は土砂降りの雨の中、赤坂のニューオータニ美術館(ホテル・ニューオータニの6階にある)に特別展「浮世絵と江戸文化」を観に行った。まあまあ・・という感じ。帰りに、ついで・・と言ってはなんだが清水谷公園内にある「大久保公哀悼碑」(紀尾井坂で暗殺された大久保利通を悼んで建てられた碑)を見学。 そしてあのホテル・ニュージャパンの跡地をデジカメでパチリ。 清水谷公園でもニュージャパン跡地でも何も起こらなかったのだが・・・。お昼を何処で食べようか・・と物色。3年前にわざわざ行ったのにもかかわらず店が閉まっていて入れなかった某ベトナム料理店。 「今日こそは!」と赤坂・一ツ木通り、TBSを右に曲がる。しばらく行くと店はあったのだが・・・。例のごとくまた店は閉まっていた。 店の入り口のドアの上を何の気なしに見る。 ガラス張りになっているその場所に大きな「お札」が貼られていたのだ。「お、お、おふだーっ!!」 と思うが速いか、私はその場所を猛スピードで立ち去ったのだった。 このところ、このテの話が多すぎる・・。




 9月5日(木)
久しぶりに美容室へ行った。以前住んでいたマンションの近くにある美容室。2ヶ月に1度くらいの割合で通っている。オーナーの先生とは、もうかれこれ10年以上の付き合いになる。 実家の母とそんなに変わらない年の「これ以上強くなれない!」というくらい芯の強い女性だ。(笑) 55歳を過ぎてから「アロマテラピスト」の資格を取った。 本当に頭が下がる。 熱心で勉強家。 「勉強を始めるのに年は関係ない。」の見本みたいな人。 私も「何かやらねばっ!」と思ってようやく今年、HPを開設する事ができた。 しかし、まだまだっ!(笑) 近くにいい見本があるのだから、もう一頑張りしたい。 先生の顔を見ていて、今日ふとそう思った。