関田鍋倉で雪洞事故(2012/03/18)
◆2012年3月17日 長野県飯山市 一山の山林で雪洞事故
2012年3月17日 午後6時ころ長野県飯山市 一山の山林(鍋倉山付近である)で宿泊していた雪洞が崩壊し、3人が重軽傷を負った。
マスコミの報道は、なんて無謀なことをしているんだ、という論調が多い。本人たちの名誉のため、またこの山域の案内人として意見をいう。
「地元署でも聞いたことがない」という報道(Sニチ)
鍋倉の山中で雪洞を掘って宿泊する、というのは私もときどきやることで珍しいことではない。雪の多いこの山域では雪洞は非常に有効で
ある。非常のときのため雪洞で宿泊を体験しておくのは大切なことで、「雪洞体験」を計画したこと自体は批判されるようなことではない。
地元署っていったいどこの誰だ?
雪洞内でろうそくをともすなど、雪が融けやすい状況であった、という報道(S濃毎日新聞)
暗ければ灯りをともすのは当たり前で、ローソクは普通のことである。コンロを使うことさえある。雪洞内の酸欠を感知するためにもろうそくは必要で、
まったく非難されるような内容ではない。雪洞経験のない素人の「憶測報道」
やや判断に問題があったと思われるのは、
@雪洞が大きすぎる。横6m、奥行2mの雪洞を作った、とあるが、本当であれば大きすぎる。雪洞のサイズと安全な天井の厚さというのは公式
は存在しないが、サイズが大きければ大きいほど、天井の厚さは必要である。ちょっと想像すると2×6mの部屋に天井厚2mというのは恐ろしい。
A終日雨が降っていた雪の状況からすると、快適な(大きな)雪洞は作るべきでない。雨のときは雪洞はまったくだめ、ということではないが、
雨は浸透してくるし、非常用にどうしても、作る必要があれば棺おけのような極小サイズ雪洞にするしかない。
「雪洞は暖かく快適」という雑誌などの軽いノリの記述にも問題あり
山岳雑誌、アウトドア雑誌等にも雪洞についてよく記載がある。楽しさばかり強調し、長所も短所もあることを強調していない。
「雪洞は暖かく0度より下がらない、静かでとても快適、テントを持つ必要がない」とある。
私の経験からすると、
外で風にあたっているよりはずっと暖かいが、テントで火器を使うよりはずっと寒い。湿度は高く、濡れものはまず乾かない。
寒いけど死ぬことはない、程度に考えた方がよい。気温は実測したところ氷点下2〜3度程度までは下がる。
テントを持つ必要はなくなるが、雪洞を作るのには2〜3時間かかるし、ウェアも濡れるので行動時間には制約が出てくる。
暗くなるまで目いっぱい行動したければテントの方がよい。
緊急用お1人様「棺おけ雪洞」だったら30分あれば掘れる。
【申し上げたいこと】
消防の方へ 夜間の山中での救助、本当にお疲れ様でした。
マスコミの方へ 素人がいろいろと憶測してえらそうなことを書くな 意見・感想を書くなら誰の発言か責任を持って記載!
事故にあった方へ 今回はなくなった方がいなく不幸中の幸いでした。今回の経験を糧に雪洞の達人になってください。
2011年の状況(2011/04/23)
◆2011年4月17日 火打山 影火打コースで死亡事故
2011年4月17日午前11:15ころ 頚城 火打山 影火打コースで笹倉温泉を目指していた5人グループのうち2名がアイスバーンで滑落
標高2000mくらいで谷を乗り換えるがその乗り換えた谷で滑落した模様。
富山県の防災ヘリで病院に収容されたが、1名が死亡 1名が肋骨骨折で重傷
影火打コースは、スケールの大きさ、眺望のすばらしさから最近注目されているが、条件によっては大変難しくなるようだ。
◆2011年3月11日 東日本大震災の影響
2011年3月11日午後 北アルプス 小日向山でスキー、スノーボードをしていた3名のが雪崩に巻き込まれ、
翌日1名、翌々日2名が遺体で発見された。
3名のうち2名は白馬でスキー、ボードのガイドを行っており、また白馬の滑降シーンを収録したビデオ LANDMADE にも出演しているなどエキスパート
雪の状況などは当然チェックしたであろうし、小日向くらいで、と残念な気がするのだが、
当日は折悪しく東日本大震災の本震発生の時間と一致しており地震により発生した雪崩に巻き込まれた、という可能性もあり、
安っぽい言い方ではあるが、運が悪かった、としかいいようがない。
2009年末より大雪(2010/01/08)
◆2009年12月31日より、冬型の天気が連続し、長野県北部の山岳でも、積雪量は一気に増加した。
山スキーのルート上でもかなり雪がついたようであるが、積雪の圧密が進行する速度以上に積雪が増加すると、弱層がなくても表層なだれは発生する、
(一般には24時間で60cm以上の積雪)といわれ、現在の状況はそれを上回るので、充分警戒が必要。
写真は鍋倉山入山口 長野県飯山市 温井付近の積雪 180cm

2009年の後立山(2009/12/31 2010/1/30修正)
◆2009年3月21日 ぶなの会 三浦大介氏が、爺ヶ岳東尾根から登頂、東面を小冷沢に滑降した。
小冷沢は残雪期には、しばしば滑られているが、3月の報告は珍しい。
三浦氏ご本人からの情報によると、山頂から3人パーティーが滑降していた、と報告したが、稜線滑降と思われるとのこと。東面はほとんどすべられていない。
2008年の後立山(2008/6/20)
◆2008年3月18日、19日で、岐阜の篠崎純一氏が、針ノ木峠(2536m)、ザラ峠(2348m)経由の黒部横断を単独、スキーで行った。
スキーによる黒部横断は、さまざまなラインで行われており、スピード重視なもの、登攀的な要素を含むものなど、それぞれの主張するスタイルを反映しているが、いずれも現在の山スキーの水準の最先端をいくものであることには間違いない。
◆2008年3月22日、23日で、ぶなの会 三浦大介氏が,、針ノ木雪渓---赤沢岳---下の廊下---内蔵ノ助谷---真砂岳---雷鳥平---立山川---馬場場のコースで、スキーによる黒部横断を行った。
◆新潟稜友会の小川嘉博氏と、ぶなの会 三浦大介氏が、2008年4月13日 五竜岳、武田菱 αガリーを滑降している。武田菱の周辺ではいくつか滑降の記録があるようだがαガリーについては不明。遭難した新井氏がどのラインを予定していたかも不明。
◆下記記録でもたびたび登場し、国内の山岳スキーをリードしていた東京大学スキー山岳部の新井裕己氏が2008年4月23日、五竜岳東面で死亡しました。ご冥福をお祈りします。
新聞記事やブログ等を総合するとわかっている状況は以下。
4月22日 五竜岳武田菱を狙ってスキー場から入山。五竜山頂 13時。目的の武田菱は滑れず、B沢を滑降。
4月23日 再トライのため白馬47スキー場から入山。
以降連絡が取れなくなる。
4月27日 知人から長野県白馬村の遭難対策協議会に連絡
4月28日 午前8時ころ長野県警ヘリコプターが五竜岳東面山頂した300mで新井さんの遺体を発見
2007年の後立山(2008/6/20一部追記)
◆東京大学スキー山岳部の新井裕己氏が2007年1月30日、不帰1峰北壁を滑降した。スキーでは過去に記録がないと思われる。新井氏は不帰1峰北壁のルート名を「Non-diploma」と命名した。
新井裕己氏ご本人からのありがたい情報。
◆2007年2月25日、新潟稜友会の小川嘉博氏と、他3名が、雨飾山前沢奥壁右ルンゼを滑降した。
前沢奥壁は、左ルンゼは滑降の記録があり、、前沢奥壁登攀時の下降路にもグリセードに利用されるなど、傾斜が緩いようだが、右ルンゼは傾斜も強く、滑降記録は初めてと思われる。ここをパウダーの時期、2月に滑るというのはかなり過激な内容と思う。小川氏らは「雪ウサギ野道」と命名した。
◆同じく新井裕己氏が2007年2月4日(日)、稗田山北壁を滑降した。稗田山は明治44年8月8日に23人の命を奪った土砂災害を発生させ、日本の土砂災害史にその名前を記録される。
しかし、スキーの対象としては知っている人の方が少ない。大崩落を滑るスキーヤーがでてきたのはまだ日が浅い。
いままで記録のあるのはほとんどが、山ノ神尾根の途中、赤倉山付近から雪庇の弱点をエントリしており、新井氏の滑降した稗田山北面は崩壊壁のもっとも過激な部分と思います。
◆2007年4月28日(土)白馬岳大雪渓2450m付近で雪崩が発生。山スキーヤー2人が巻き込まれ自力で脱出。大雪渓周辺で大小の雪崩が頻発していたようだ。
当時は前線が通過中で、時折日が差す曇りから急変して雷混じりの吹雪。
翌日入山した金沢の早川さんが装備が散乱しているのを発見しているので、28日大雪渓を登行中であった登山者はなんらかの形で遭遇したようだ。
◆2007年4月15日(日)午前10時30分ころ針ノ木岳マヤクボ沢で雪崩が起き、山スキーをするために歩いて登っていた2人パーティーが巻き込まれた。
県警ヘリコプターで救助され、東京都小金井市の男性(34)は左足を骨折、東京都調布市の男性(34)は左腕打撲の軽傷を負った。
大町署によると、雪崩は山頂に近い標高2620メートル付近で発生し、幅約30メートル、長さ約200メートル。現場付近には30−40センチの新雪が積もっていた。
現場近くにいた別のパーティーが雪崩に巻き込まれる2人を目撃し、携帯電話で警察に通報した。
2006年 頸城と後立山で雪崩多発
◆2006年1月28日 頸城妙高前山にて、3人パーティーが雪崩に巻き込まれたが、居合わせたスキーヤー等に救助された。この事故については当時メンバーが事故にあったランドネが事故報告書をWeb上で公開しており、非常に詳細な報告となっている。
◆2006年4月8日 栂池天狗原付近で、5人パーティーが雪崩に巻き込まれスキー等の装備を紛失。ビバーク中に3人が凍死した。
◆2006年4月9日午後1時10分ころ、遠見尾根 一の背髪北谷で山スキー中の12人のうち6人が雪崩に巻き込まれ2名が死亡した。
◆2006年5月1日午前11時半分ころ、針の木雪渓で、5人が雪崩に巻き込まれ3人が死亡した。
こういった事故の報道に接するたび、知りたいことがわからない、苛立ちを覚えます。
●当時の付近の雪の状態はどうだったか、付近でテストを実施したパーティの報告を聞きたい。
●事故当事者はビーコンを装着していたのか、いたとしたら有効に機能したのか。
●付近にいた目撃者はどのような対応が取れたのか。とれなかったとしたらそれは何故なのか。
雪崩があった、というだけでは自分たちがどのように備えをするべきか、全くわからないのです。新聞等にそのような報道を求めても無理なので、すくなくとも当事者がランドネのような報告を行ってくれれば・・と思います。それどころではない、というのはわかりますが、その教訓は活かさないといけないはずです。
新井裕己氏頸城権現岳東壁を滑降
◆東京大学スキー山岳部の新井裕己氏が2006年1月25日、頸城 権現岳東壁をスキー滑降した。そもそもここをスキーで滑ろう、などと考えた人は過去にいないと思われ、もちろん初滑降と見られる。奇しくも当日は1986年、柵口集落を飲み込んだ大雪崩(柵口雪崩:ませぐちなだれ)が発生した日だそうで、新井氏はこのラインにRIP(Requiescat In Pace)と命名した。
舎川朋弘氏不帰U峰滑降
◆白馬村カラースポーツクラブの舎川朋弘氏が2005年3月7日(月)不帰U峰東壁を滑降しました。舎川朋弘さんは以前にもU峰を滑降しています。
今回はバキューム2のシュートからアプローチ。唐松沢に降り立ち、ソロでU峰東壁を登攀。登攀後、U峰東壁 通称ゴーストレートを滑降。二股へ。
すばらしいパフォーマンス。
ちょっと前の「ロックアンドスノー」に二峰を滑る、スノーボーダーの写真が出たのをご存知でしょうか。実力のあるスキーヤー、ボーダーは不帰に注目しているのでしょうか。
最近の後立山と頚城 2004年9月
◆岳人687号クロニクルに注目の記録がありました。2004年4月めっこ山岳会のメンバーによる「頸城焼山北面台地から一の倉川」です。
北面台地から一の倉川の合流点を見ると両岸が高く聳え立ち、とてもスキールートになるとは思えなかった。それが「好ルート」との報告だ。自分の認識の甘さを反省。まだまだ可能性は秘められているとの感をつよくしました。 9月21日
頚城のスキーシーズンは終盤を迎えたが、後立山ではルンゼ滑降のシーズンに入った。最近雨が多かったので標高の低いところでは急速に雪が減っており、沢、クレバスには注意をしましょう。5/15
◆2004年5月16日白馬大雪渓にて山スキーヤーの男性が岩に衝突し、足を骨折し重傷。
◆最近注目の、鑓が岳中央ルンゼ、今年は記録をみただけでも4月から5月に数パーティが滑降している。発表していないスキーヤー、ボーダーも含めるとその2〜3倍はいると思われる。2002年は「2号雪渓の年」。2003年、2004年シーズンは「中央ルンゼの年」であった。
◆2004年4月9日、不帰東面V峰Aルンゼで雪崩が発生。1名が亡くなりました。ご冥福をお祈りします。
◆2004年3月28日、有持真人氏、藤川勝人氏が鹿島槍ヶ岳正面ルンゼ登攀後、北俣本谷右俣滑降。
有持氏得意のFREE TREKによる滑降。
◆2004年3月27日、吉田豊氏 不帰V峰Cルンゼ。やや重めではあるもののパウダーを楽しめたとのこと。吉田氏は昨年4月にもCルンゼを滑っている。
◆2004年3月24日、佐野達夫氏、他大勢が 唐松沢本谷を滑降。ずいぶんポピュラーなルートになった。
◆同じく2004年3月24日、早川康浩氏深沢雄一氏、昼闇山山頂より滑降。すばらしいパウダーだったそうです。
◆静岡の小岱氏、爺ケ岳東尾根を登り、矢沢を滑降。
◆久しぶりに山と渓谷を買いました。「スペシャルクロニクル」では早川康浩氏深沢雄一氏の西穂日帰りも圧巻ですが、なかなか面白いのが「海谷駒ケ岳十一面のカネコロンのアイスクライミングの記録」です。その中に登場してくる「ラッセルをたくさんしてくれた山スキーヤー」とはRSSA堀氏だそうです。カネコロンを間近で見たくて接近したが、逆三角形斜面の雪が不安定で断念したとのこと。
◆戸隠周辺では、大橋から乙妻北面にはいるのはすっかり人気ルートになりました。戸隠山、西岳周辺のルンゼが何とかすべれないのか?と思っている人は多いと思いますが、長野の横堀氏が先日、西岳、P1、P2間の沢(仏沢と思われる)を滑っています。仏沢は上部で雪をつけない岩壁になってしまいますので、下部から詰めて途中から滑った記録でありますが、こんなところに着目したのには脱帽。横堀氏は以前、戸隠表山、久頭龍山の稜線より滑降しており、戸隠のルンゼに入れこんでいる模様。雪がデブリだらけで快適でない、という報告が残念。