戻る  トップページへ

この一文は、2000年冬、RCC神奈川のI氏が北鎌尾根で遭難されたことについて、雑誌「岳人」誌上「かわら版」に単独登山を批判する意見が投稿されたものに対し、反論を投稿して、採用されたものです。私は「単独行」は、確かにある面では危険だと思いますが、それは岩や沢を登ることと同様、山登りの本質だと感じています。


私にとって単独行は「目的」 そもそも何人いれば安全なのか

b_14neko.jpg (53758 バイト)本誌1月号の本欄に単独登山への批判が掲載されました。私はしばしば単独での登山を
行います。それは仲間がいない、という消極的理由ではなく、単独で登ることそのものを目的
としています。
 私たちは山へ登る際、一般登山道ではないバリエーションルートを選択することがあります。
多くの場合、一般登山道より、危険、かつ困難です。しかし、そのルートを選択した場合、その
ルートの困難さは何かを分析し、必要な装備を揃え、トレーニングをします。自分の手に余ると
判断した場合は中止します。そのプロセスは山登りの本質です。

 単独行を選択する場合もこれと同じです。単独行は社会人としての責任を自覚していない、と

いう主張は「安全な登山道があるのになぜわざわざ危険な岩場や沢から登頂するのか、なぜ
危険な冬期に登るのか、生命を軽視している」ということと同じ意味に思えます。単独での山行
における困難性は飛躍的に増加しますが、それを自分の力量と比較して分析して準備を行い、
対策を考えることもまた、山登りの本質です。交友の広かったI氏のことですから、「同行者が見
つからないという理由で単独行を行ったわけではなく、北鎌尾根を選択したのと同様に単独であ
る必要があったのだと思います。そう思えない人は、最も安全な登山道から、できるだけ交通機
関を活用し、安全に「登頂の事実」だけを手にいれれば良いのです。

 また、単独行は最悪の事態に直結する、という主張も疑問です。たしかに、一人では解決できな
い場面で二人いれば助かった、という場合もありえるでしょう。しかし、二人では解決できなかった
が三人いれば助かった、というケースもまたあるはずで、いったい何人いれば山登りは安全なの
だろうか、という疑問に突き当たります。過去の集団登山での大量遭難を分析しても、多ければ
安全、とは言い難いようです。
登山の安全性はパーティーを構成するメンバーの力量によるもので、人数できまるものではありま

せん。人数が少なくなることによって、ある種の危険は増加し、別の危険は減少するというのが
私の考えです。

 一人で困難な山へ放りだされているとき、私は最大限に五感を動員します。10分おきに西の空を
気にし、時計を確認します。自分の体力でまだ下山できるだろうか、と常に自問します。

不利と判断すれば即座に退却に入ります。大勢で賑やかに楽しく登っているときは、残念ながらそう
いう感覚はありません。「何かいやな感じがするから中止しようよ」とはなかなか言えないでしょう。

社会人としての責任を自覚すべき私達は、単純に一人だから危険、大勢いるから安全、と思いこん
ではなりませんし、
「みんなで行けば怖くない」感覚こそ、最も問題視しなければなりません。

2001年3月「岳人645号」