3−3.学級会「訴訟」の考察

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 私の女子嫌いを決定づけたのは、間違いなく、小6の3学期、学級会でおこった「訴訟」である。これについて、その前史もふまえて考察したいと思う。
 この小学校にはすでに、すべての男子によって迫害を受けていた女子(A)がいた。私と同じように言われのない理由で「汚い」「気持ち悪い」と言われて避けられていた。転校当初その理由についていくつか聞かされたが、斜視や彼女の使っているシャンプーのにおいが若干きついといった、いわれなきものであった。

 このAと私は転校してきた3年から卒業までの間、ずっと一緒のクラスである。
 私は聖人君子ではないから、当然この噂に乗ってしまった。転校してきた先の男子がそろいもそろって「気持ち悪い」と言っていることでも影響を受けただろう。私はAを決してよく思ってはいなかった。
 そうするうち、私が1986事件を発端として避けられ始める。Aは比較的私に友好的に接してくれていたが、迫害を受けている者どうしの同盟を結ぶつもりはさらさらなく、彼女もまた私にとっては敵の一人であった。

 こうしてこの小学校には、男子によって迫害を受けているAと、女子によって迫害を受けている私という「2つのいじめ」が同時に存在することとなったのである。そして2人が同じクラスにいたことで、このクラスは迫害の爆心地のようになっていた。

 5年になってしばらくして、女子が男子のAに対する迫害について糾弾し始めた。Aに対するいじめには肉体的ダメージを伴う物もあったらしく、学級会でやり玉に挙げられることになった。しかしその時、私の親友の一人が
「そんなこと言うなら、おまえらもブッコ(私は別のあだ名で呼ばれていたが、本名がバレるので伏せる)のこと汚いとか言うなよ。」
と発言してくれた。こうして公的な場でこの「2つのいじめ」が表面化したのである。
 もっとも、当時の私は「そういったって俺は悪者扱いされてるし」と思っていたが、女子による私への迫害は、男子によるAへのいじめに言質を与えることとなったのである。
 たしかこの学級会においては、加害者がはっきりしている、Aに対するいじめに対してだけ判断が下されただけで、加害者不明で証拠も乏しい私に対する迫害についてはほとんど触れられなかったと思う。これは非常に女子びいきな裁定で、男子の女子に対する印象はそうとう悪くなっただろう。
 あるいはこの学級会以降、クラスにおける私への迫害は無くなったのかもしれないのだが、私には全くそれを認識できなかった。私にとって、女子は敵以外の何者でもなく、交戦中の敵の言葉に耳を貸すつもりはなかったからである。
 学級会が一方的な結論となったためか、私の迫害について「始まった」証拠も無ければ「止められた」という証拠もなかったため言質としての能力を保持していたためか、男子のAに対する意識は変わることなく、Aに対するいじめは復活し始めた。

 直接的に男子と女子の仲を悪化させたのは、6年の3学期だったか、教室の後ろに放置してあった交換日記をとある男子が読んだという事件が、学級会でやり玉に挙げられたことである。
 教室の後ろのランドセル用ロッカーの上の部分はクラス全員のものであって、その上に放置された物は何らかの形で読まれても仕方がない、という男子の弁護は、女子と女子の味方についた担任の非難にさらされ、結局担任によって、一方的に男子が悪いとされ、読んだ男子がきつく叱られる、という決着を見た。読んだ男子も悪いと言えば悪いが、女子も公共の場所に不用心に置いておくのも悪い。この不用心さについて、担任はほとんど触れなかったのである。
 これを契機として、男子は担任の「女子びいき」と女子の態度に対して非常に強い反発を覚えるようになる。男子と女子との対立ははっきりしたものとなった。
 以来、学級会では女子:男子という形で票が割れることが多くなった。このクラスは男子の人数が一人多い。そのため必ず男子が勝つ仕組みになっている。これに対して、女子はもちろん、担任も不満を募らせていた。
私が敗訴した「訴訟」は、このような状況で発生したのである。

 小学校には、2時間目の後の休み時間には、外に出て遊べ、という規則があった。当然の事ながら雨の日は外に出る必要はないが、勉強に関係ない物は持ってきてはいけない、という規則から、教室でも大したことはできなかった。
 そんなある日、女子数人がマンガを学校に持ち込み、晴れの日の休み時間に教室で読んでいたという事件があった。この中には、昔から優等生として権勢を振るっていた女子も含まれていた、と記憶している。
 早速、学級会で女子たちが糾弾された――この手の「訴訟話」が学級会でやたらと取り上げられるようになったというのも、この時期の特徴である。
 マンガ持ち込みと休み時間の違反、2つに違反している以上担任の厳罰があってしかるべきだが、呼び出しをかけただけにとどまった。それどころか、問題の優等生の女子が雨の日のマンガ持ち込みを解禁するようにと発案、担任はそれを喜んで議題にしたのである。この議案は男子側にも利益があるということで可決されたが「女子びいき」であることは明らかだった。担任団も卒業まであと1ヶ月ほどしかないということで、この規制緩和を認めるに至った。
 一週間ほどした、ある晴れの日。同じように休み時間から帰ってきた私は、マンガを読んで平然としている女子(前に学級会で糾弾されたのと同じ面々である)を見つけた。早速糾弾したが、それがどうしたという顔で平然としている。ここで黙っててくれと言うなりしてくれれば、こっそり先生に告げ口するぐらいで済んだだろうが、早速私は学級会という公の場に出して問いただすことにしたのである。
 さて、その回の学級会も、前の時と同じ経路をたどった。女子は呼び出しを受けるだけにとどまり、またもや被告であるはずの女子が、先生からのお小言をくらって責任をとる前に、今度は全面的に持ち込みを可能にするようにとの議案を出したのである。普通なら校則違反をした者の言葉に耳をかすはずはないのに、担任はその議案を平然と取り上げた。私にはそれが許せなかった。責任をとる前から、自分たちの行動を正当化するような議案を出すなど言語道断だった。
 さすがにこれは他の男子たちにも、ひどい女子びいきだと感じられたようで、男子は一致団結してこの議案を廃案に追い込んだ。しかし問題はここからである。担任が涙ながらに、男子と女子がなんでこんなに仲が悪いのか、と訴え始めたのだ。
 私は男子でもカリスマ性のある方ではなく、かなり急進的な立場である。当時の男子は団結力が弱く、さらに私には女子に嫌われているという経歴がある。この私が糾弾した以上、女子は逆の立場に回るのは明らかで、男子の一部が私に反対してもおかしくなかった。その事情を担任は理解していなかった。全くの女子びいきとしか見えない態度である。
 この担任の態度にあきれ返ったのか、男子の一部が賛成に回り、案は可決された。私は責任をうやむやにした女子も担任も、誰も許せなかった。
 こうして私は、筋金入りの女子嫌いになった。

 男子と女子の間に問題を発生させたのは、ハッキリ言って担任のクラス管理ミスである。「女子びいき」と見えるような雰囲気を作ってしまい、一部の女子に甘く見られていたふしがある。この問題はさらに次項で詳しく述べるとする。
 さて、私が最後の学級会において、責任の明確化という点からきちんと論じられれば、この結論はだいぶ違った方向に進んだのではないだろうか。
 当時の精神状態や考え方をふまえると、きちんとした議論を述べることはほぼ不可能であるが、もし、きちんとした議論を述べたとしても、あの女子たちがそれをすんなり受け入れたとは考えがたい。担任の方でも、問題児であった私の発言を受け入れる気はさらさらなかったであろうから、結果は大して違わなかっただろうと思われる。

(00/8/3初出、01/1/25加筆修正)
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