2−20.Let it be

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 最近、ゼミ合宿などの場で、女性と話をする機会が何度かあったのだが、ふとあることに気がついた。
 私には、相手が女性だ、と思うと身構えてしまう癖があった。かつて持っていた女性のイメージが偏ったものだとわかってもなお、あれが本性なんだろう、と、なるべく本性に近づかないように距離を置いていたり、あるいはいつでも応戦できるように、理論武装の用意だけは万全にしていたのである。そして、どんなに親しいと思っている相手に対しても、誰にでも話を合わせるときに使う”社交モード”でしか女性と話をすることができなかった。そのため精神的にかなり疲労がたまり、女性と話をした翌日はたいてい疲れ切った、ブルーな気分で迎える、というのが常だったのだ。
 しかしここ半月ほど、そういう傾向が全くない。特に身構えたところもなく、となりの男のゼミ生と同じ調子で、正面の女性のゼミ生と話が出来る。自分を偽ったところは一つもないし、何か言われたときのために、と理論武装を用意しているわけでもない。もちろん精神的な疲労は全くなく、翌朝もここちよく迎えることが出来た。
 この違いは何なのだろう、と思ったとき、気がついた点がある――私は相手を「女性の一人」と見ていないのである。
 と、このままでは大きな語弊を招くので説明すると、今までは、まず相手を「女性である」と見ることから始まっていた。だから、かつての偏ったイメージを相手に当てはめてしまい、「きっとそうだろう」というところから身構えてしまったのである。
 一方、近頃の私は相手を「その人本人」と見ることから始めている。その人にとって一番良い話題は何なのか、どういうことをすると嫌がるか、そういう風に考えて対応の方法を決める。女性である、という点は後の方にならないと出てこない――この人と恋人同士になれるだろうか、というところまで行き着かないと、性別というのは役割を為さないのである。
 例え、その女性が、かつての女性のイメージそのものの性格だったとしても、以前は「やっぱり女性だからな」と思っていただろうが、今は「苦手なタイプだ」と思うだけである。問題はその人が女性かどうかでなく、その人がどういう性格を持っているか、というところにあるのだ。
 今までこの『ブッコ学的…』では、こういうことをずっと書いてきたような気もするが、身に付くまでには至ってなかったのである。

 こう考えると、男女論というものは全く意味を為さなくなる。女性が本源的にどういう性格をしていようが、どうでもいいことなのである。目の前にいるこの人がどういう性格を持っているか、というところにそれが含まれているわけで、その性格に対して自分が好きだと思えば、それでいいではないか。私が好きなのは「女性」ではなくて、「その人」なのである。(これを極論まで進めれば、性別など無意味で、男でも好きだと思えば恋人同士に、ということになるのだが、あいにくと私にはそういう傾向がないらしい。)
 また同時に、
「恋人とは、自然体でお互いのことを理解しあえるような相手である」
ことを考えれば、相手に恋愛感情を持ったらどうすればいいかとか、恋人同士になったら何が起こるかとか、そういうことも考えなくていいことになる。
 なぜなら、私と恋人同士になれる人なら、恋愛のことを何一つ知らない私に対して、いろいろと手ほどきをしてくれるはずである。例えばどこかに連れて行ってくれと催促してくれるとか、「明日は私の所に電話してきて」と催促してくれるとか。言われればそうだとわかるし、相手のことが好きならそれを嫌だとは言わない。もちろん私も、相手の気持ちを出来る限り考慮して、その女性にとって一番居心地の良いように努力する。つき合ううちにいろんなことがわかってくるだろう。そのうち私とその女性との間に、それなりのつきあいかたが確立するはずである。それが典型的な恋人同士の図式である必要はないし、おそらく私の性格から考えればそんなに簡単な図式にはならないはずである。
 私は私なりに、その女性の気持ちを考え、どうしたら一番喜んでもらえるかを考えつつ、自分なりに行動していく。それを彼女もすんなり受け入れてくれて、だからといってやせ我慢をしたりはしていない、ごく自然体である。そんな「均衡点」みたいな関係が見つかればいいし、そういう人を捜せばいい。
 もし、私についてきてくれなければ、直せるところは直して、最大限譲歩する。それでも私は私だから、極端な方針転換は出来ない。どうしてもついてこれないというなら、関係が終わるだけのことである。そういう人とは恋人同士にはなれないし、友達としても仲良くなるには限界があるに違いない。例えその人がどんなに人間的に優れていても器量がよくても、私にとっては理想ではないから、恋愛の対象としては興味ない、ということになるのだ。

 そんなことを友人に話したら、こんな答えが返ってきた。
「Let it be! 」
 あるがままに――つまりはそういうことである。

(00/12/14)
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