定期演奏会顛末記……編集室ファイル#2

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 私の所属する尺八演奏サークルの演奏会が、とあるホールで行われた。とある大学の箏曲部と合同で毎年一回、この時期に行われる。

 午前10時を少し回った頃、演奏会の会場となったホールに到着。入り口には荷物の搬入を手伝ってくれるおこと屋さんを待って、箏曲部の面々が並んでいた。
 楽屋に荷をほどき、しばらくしておこと屋さんの車で運ばれてきた荷物が到着。地下一階の駐車場から楽屋まで運ぶ。主におことがメインである。
 搬入が一通り終わり、人数もそろったところで、軽くミーティング。早速始まったリハーサルは、まずは尺八合奏曲『鼎』からスタート。

 リハーサルの間、舞台袖で搬入の様子を見たり手伝ったりしていたが、昼をすぎて和服の着付けに取りかかる。これが大変である。今回和装は3回目だが、なかなか慣れない。結局私が和装で出演する『虫の武蔵野』のリハーサルに間に合わず、リハーサルはスーツで出る。箏曲部の二人の注文通りに音を抑えて吹いたら音がスカスカになって焦った。
 この時、見たことのある人が客席に座っている…と思ったら、今年3月に卒業した箏曲部の先輩だった。私は和装に手間取ったり他の用事があったりしたため、なかなか挨拶をできずにいたが、その先輩は演奏会が始まる前にお帰りになってしまった。

 和装も何とか落ち着き、記念撮影の後は、開始まで待機。去年は部長職で吐きそうになるぐらい緊張したが、今年は四年というだけに気楽である。代わりに今の部長がやたら緊張している。
 演奏中は舞台袖の手伝い等もしなければいけないのだが、自分の演奏が心配になっておざなりになってしまった。その分おこと屋さんに手伝ってもらってしまうこととなったのはいけなかった。

 私の最初の出番となる『虫の武蔵野』は和装での出演である。箏・三弦と3人で合奏する、いわゆる三曲合奏で、唄付き。宮城道雄の手による作品である。
 事前のリハーサルやそれまでの曲で、思ったより音が拡散して遠くまで響かないことが判明していた。これまでは絃方(いとかた。箏・三弦の奏者を指す)の唄の声量が小さいことに配慮して音量を絞り込む方針を取っていたが、響かないのではしかたないので、思いっきり吹き鳴らすことにした。
 が、実際はかなり抑え気味の演奏になった。それまで抑える方針でやってきたものを突然変えられるほどうまくはない。
 もともと音量を抑えろ、といのは絃方の要請(と言うよりも指令)によるもので、舞台では音量を抑えたらろくに響かなくなるだろう、ということは私にはわかっていた。しかし、言っても聞かない相手であるし、彼女たちは私と同期ですでに3回も舞台を踏んでいるからにはそれぐらいわかっているはずだから、と黙っていたのである。そのあげくに現場に及んで「大きくしろ」と改めての指令である。わがままもええかげんにせぇや、と言いたいところである。
 後日、この演奏の感想は『唄がうまかった』というものが大半を占め、尺八の音が小さいという批判もあった。しかし、結果として曲のメインである唄を引き立てることができた以上、私の演奏は成功したと言えるだろう。私がいつものごとくむやみに吹き鳴らそうものなら、唄も聞こえず曲の雰囲気もぶちこわしになったことだろう。
 目立たなかったが、この曲が人気アンケートの1位に輝いたのは、ひいては私が唄を引き立てる演奏をしたたまものである。

 ここからが大変である。次の曲までの時間はほとんどないにもかかわらず、和装からスーツへの着替えをしなければならない。曲順をどう組み替えてもこの「早変わり」は必要となるし、去年やった経験もある以上私が引き受けるしかない。これをいかにも当然と思っている他のメンバーの態度が気にくわなかったが、他の人間がやるより私がやった方がマシなことは事実である。
 演奏者全員、クリームのワイシャツに紺色のネクタイ・ズボンでの出演となったのは、尺八三重奏『鼎』。松本雅夫の手による現代音楽で、不協和音と掛け合いが多く、きちんと吹いても理解が難しい曲である。それをたいしてうまくもない3人でやろうというのだ。曲になっているかどうかも怪しい。実際、ところどころミスした箇所があった。しかし、それもなんとかうまくつくろい、曲がりなりにも吹き通すことができた。
 後日のアンケートによると、後輩の一人が靴をはいてなかったらしい。
 早変わりをした私ならまだしも、なぜ彼が靴をはいていなかったか、客席にいる彼の知り合いにも、違和感のある眺めであったという。

 この曲の後は休みが入るので、私は不必要な着替えを入れることにした。本当はこの休みは『鼎』の前に入れてもらって早変わりを避けたかったのだったが、何を思ったのか一つずらして入れることになったのだ。私に対する嫌がらせじゃないかと思わずにはいられなかったが、自己中心的で相手の便宜にも目を向けられない連中のすることである。
 それならその休みを有効活用するまで。ネクタイとシャツを変え、前の曲からの使い回しを防ぐ。
 最後の曲は、純邦楽では基本と言われる『六段の調』。箏・三弦・尺八による器楽曲だが、基本の割にうまく演奏するにはかなりの技術を要する。本来1年生が全員で合奏する曲だが、いろいろわけありで全員での合奏になったのだ。
 本来は1年の時暗譜(あんぷ。譜面を覚えてしまうこと)で演奏しなければいけないのに、箏曲部は私の代から、私のサークルも私の次の代から暗譜をしてきていない。従って、舞台上で暗譜で演奏しているのは私だけ、しかもテンポ調整は先生のご下命により、譜面を完璧に暗記している私に任されているのだ。とかく早くなりがちな箏のパートリーダーを牽制しつつ、他の連中との並びを気にしながらの演奏だったが、この舞台を仕切っているのはこの私だという優越感は何者にも代え難い。
 身勝手なわがままに振り回され、余計な早変わりをさせられたりあてつけのような休みを作られたりした分、しっかりお返しをしてやらなくてはならない。おまえたちがいくら踏みつけにしようとも、この演奏を仕切って、おまえたちを上から抑え込んでいるのはこの私である。本人たちは自分たちが操作されていたことは否定するだろうが、私はそういうつもりで演奏していた。それだけで満足である。
 アンケートでは演奏自体に高い評価は下されなかったが、一部のOBには私だけが暗譜をしていたことがわかっていたようだ。私がどんな役割を果たしていたか、わかっているお客様も少なくはないだろうし、少なくとも私がこの曲について、他の連中よりは一段上の段階に達している、という風に理解されることに間違いはない。

 演奏会後のレセプションでは多くのOBやOG、後輩たちと話す機会を得たが、最もうれしかったのは、去年卒業された箏曲部のとある先輩とお話ができたことである。
 渉外の仕事を勤めた経験もあるその先輩は、同期のにぎやかな先輩のおかげであまり目立っていなかった。去年の演奏会で合奏するまでは、言葉を交わすことも多くはなかった。
 しかし、小柄でおとなしく、しかししっかりとした意志を持ち知性的で、後輩にも優しい先輩に、私は淡い恋心を抱いていた、と言っても過言ではない。去年、先輩と合奏をできることになって本当にうれしく思ったし、合奏練習の間も優しく接してくれて、私にとっては本当にうれしいひとときとなった。
 しかし、私がこの気持ちを暴露したら、きっと問題になっただろう。他の部員たちとのかねあいなど、ごちゃごちゃしたことを考えると、とても告白しようという気にはなれず(今こうして書けるのも、今年でサークルを引退し、今後はサークルとの関係、とくに箏曲部との関係は一切持たないと誓っているからである。恐らくこの記事を見たサークルの連中から非難の嵐がくることに間違いはないだろう)、私は合奏をした一後輩として、そして部長として、その年に年賀状を送ることであきらめることにした。文面はごくありきたりな内容で、他の合奏者にも送ったものと大差ない。返ってきた年賀状は心温まる優しいものであった。
 今もって完全に先輩のことをあきらめて切れている、というとウソになるが、私は先輩に告白するつもりも、恋人になってもらうつもりもない。先輩には、優しいお姉さんでいて頂ければそれでいいのである。

 ……もっとも、この記事を世に出した以上、私はサークルとは縁のない人間とならねばならない。それは先輩とも縁のない人間となることを示しているが、私は自分の気持ちを世に送り出し、同時にサークルとの縁を切らざるを得ない状況を導き出すことによって、すべてを忘れて出直すつもりである。

 一次会は11時に終わったが、二次会には出なかった。翌日にゼミ発表を控えていたこともあるが、先輩がいなかったということが最も大きな理由である。

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