2004年6月:綿の国星
 
 
 大島弓子の作品で主人公の少女の目は、ワープ航法を知っているので一瞬のうちに真実を見てしまう。「綿の国星」で猫は人間の少女と同じ次元で描かれるのだ。
 この本をいつ紹介しようか、とずっと考えていた。新刊の紹介を基本としているこのブックレビューにおいて、非新刊を紹介したのはたった一度だけ。それも98年発売の文庫本。だから、僕が生まれる前に発売されたこの漫画を紹介することには少なからず抵抗があった。
 冒頭の文章は、1978年6月に発売された「綿の国星」第1巻の作品紹介文である。1978年といえば、僕が生まれる5年前、今から数えると実に25年前である。この作品は、1978年5月に発表された同名の初作を発端として、以後1987年3月の「椿の木の下で」まで、9年間で22作を数える。87年といえば、国鉄民営化、ブラックマンデーなどさまざまな事件が起こった年。石原裕次郎がなくなったのも87年だ。そう考えると、なんだかとても昔のように思える。ちなみに僕はこのとき5歳。まだ小学校にも入学していなかった。ではなぜ、そんな昔の漫画をここで紹介するまでになったのか。
 実は、僕がこの作品に出会ったのは2002年のこと。この年の3月に行われたSEGAのイベント「GAME JAM 2」からのあるきっかけでこの作品を知り、さっそくインターネットで調べて購入したのだ。当然すでに絶版になっていたから、中古本の取り扱いサイトを介しての購入だった。総額2000円あまりで購入した本は全部で7巻。もともと読みきりの形で書かれていた作品だから、「綿の国星」以外の作品も多数収録されている。けれど、「綿の国星」の面白さは別格だった。
 はじめにことわっておかなくちゃ。私は自分が半人間だと思っているので右のような(人間のような)かっこうで登場します。毛皮はりっぱな服だと思っているのです。
 道端に倒れていたところを助けられた小さなメス猫。予備校生の時夫、作家のお父さん、猫アレルギーのお母さん。3人と1匹の生活が始まる。「チビ猫」に夢中の時夫、一生懸命猫になれようとするお母さん、気が気でないお父さん、そして、好奇心旺盛なチビ。
 あたしはここにいなかったけど、ここはちゃんとあった。えー、不思議な気がする。
 家族に見捨てられたと思い込み、夜道へ歩き出すチビ猫。ある家の子供に拾われるが、両親の反対にあい再び路頭へ。そんなチビを見つけたのは、猫アレルギーのお母さん。そしてお母さんは、ついにチビをその胸に抱く。人と猫の、とっても綺麗な家族愛の物語。
 サクサクパイ ホクホクパイ フィッシュパイ フィッシュパイ ミートパイ ミートパイ クリームパイ パラパラパイ ポロポロパイ こぼれたパイ ふんでくすくす ふんでくすくす ふんでくすくす あしのうら
 どこかのホームページのレビューで、チビ猫の足首がとてもきれいだ、と書かれていた。とても斬新な見方をするな、と思ったが、そこに注目して読み返してみると、なるほど、たしかにきれいにかわいく描かれている。普段からフリフリのワンピースドレス姿で登場するチビ猫は、読む人にそれが猫であるという印象をほとんど抱かせない。しゃべっているのは人間の言葉だし(もちろんこれは読み手にわかるように、ということなのだが)、一家とチビ猫はあたかも言葉が通じているかのように会話するし、猫同士の会話だって、人間の目から見てもまったく違和感のない内容。いつしか、1人の少女の物語を読んでいるような気分になってしまう。1人の、ちょっと世間知らずで、純粋で、時夫が大好きな少女の。
ピーップ パーップ ギーッ!!
 第一の恋人は時夫。第二の恋人はラフィエル(近所のメス猫たちの間では評判のオス猫だ。今は旅に出ている)。第三の恋人はお父さん。お母さん。ひっつめみつあみ(チビ猫は時夫の恋人をこう呼ぶ)。チビ猫は人間が大好きだ。沈んだ顔をしていたら何とか助けてあげたいと思う。そのためには自分がどんなに苦労をしても構わない。いや、それを苦労だとも感じていない。チビ猫は、人間が大好きなのだ。
チビもスパゲッティくうか?  食うとも!
 どんな話かと聞かれれば、生後2ヶ月の猫がいろいろ冒険する物語、というほかない。なんとも薄っぺらい感じのするあらすじ。しかし。一度でも読んでみてもらいたい。もう入手は困難だろうが、どうにかして読んでいただきたい。チビ猫のとりこになることは間違いない。
 
★綿の国星
  作者:大島弓子
  刊行:花とゆめコミックス(白泉社)
  1978年6月20日 第1巻初刷発行(全7巻)
  ISBN:なし
  定価:360円(税抜)
  ※絶版、重版未定書籍です。