「BLACK CAT」を買いに行きつけの本屋に入ったら、入ってすぐのところに小さな広告と一緒にたくさん並べられていた。キャッチコピーは「史上最年少受賞!」。思わず買ってしまった。いわゆる衝動買い。
19歳の大学生が書いた小説が芥川賞の候補作になったというニュースは僕も耳にしていた。ただ、そのときはただそれだけのことで、別段気にも留めなかったのだ。ところが、今年に入ってその大学生が本当に芥川賞を受賞したという。一緒に受賞したもう一人の作家も同い年の女性だそうだ。これにはさすがに驚いた。
実際のところ、いわゆる「おカタイ文学賞」にこれほどの関心を抱いたの初めてのことだ。これまで僕が触れてきた文学の賞といえば、電撃ゲーム小説大賞や角川学園小説大賞などライトノベルのものばかりで、文学作品と呼ばれる古臭い(と、どうしても思ってしまう)小説を手に取ることもなかった僕には、芥川賞や直木賞なんてただの世間のニュースでしかなかった。あー、今年もそんな季節か、どうせ俺は読まないけどねー。そんなスタンスだった。
受賞の発表があった当日、テレビのニュースには受賞した二人の女性、金原ひとみさんと綿矢りささんの姿が盛んに映し出されていた。本当にたくさんのフラッシュの光を浴びて、何本ものマイクを向けられて、うれしそうに恥ずかしそうに記者たちの質問に答えている姿がとても印象的だった。金原さんのほうはなんだかとても慣れた風で、わりとスムーズにインタビューに答えていたようだけれど、綿矢さんはとにかく緊張しまくっていたみたいだった。受賞のうれしさより、大勢に注目されてしまう恥ずかしさのほうが大きくなってしまっていたみたいだった。
そんな彼女らは僕と同い年だ。1983年8月と1984年2月生まれの20歳。ちなみに僕は1983年12月生まれの20歳。自分と同じ年の人たちが社会的に非常に高い評価を受けたことを、僕は誇りに思う。僕らの世代は「切れる17歳」だとか言われて、周囲から穿った眼差しを向けられていた時代の若者だ。そんな時代の若者にだって、こんなに立派な文章を書いたり、すばらしい技術を持った人がいるんだ。それをきちんと認めてもらえたみたいでうれしい。
それで、買った本を実際に読んでみた。実は、全編を読んだのは「蹴りたい背中」だけだ。もちろん金原さんの「蛇にピアス」も収録されていたのだけれど、バイトの帰りに電車の中で読んでいたら、3ページくらい読んだところであまりに気分が悪くなってしまったのでやめてしまった。僕には少し刺激が強すぎる。長年の読書習慣で活字の情景がリアルにイメージできるようになってしまった頭は、「蛇にピアス」の文章をイメージ化することを拒んだようだ。それで、あきらめて「蹴りたい背中」だけを読んだのだ。
今回の芥川賞の選考委員を務めた作家で現東京都知事の石原慎太郎氏の選評にこんなことが書かれていた。「今回の候補作の作者はいずれも若い、ということでそれぞれの主題がそれぞれの青春についてであったことは当然のことだろうが、それにしても現代における青春とは、なんと閉塞的なものなのだろうか。」全くだ。
主人公の「ハツ」。少し自閉症で、周りを穿った見方をして、友達もほとんどいない。そんな女の子。
相手役の「にな川」。あるモデルに夢中になり、それ以外のことがほとんど見えず、やはり友達がいない。そんな男の子。
共通しているのは「世界が狭い」ということ。ハツの世界も、にな川の世界もとても狭い。石原氏の言うとおりに作品の主題が著者の青春なのだとしたら、著者である綿矢さんの世界も狭いのだろうか。金原さんについても同じようなことが言われているから、今の若者の世界はとても狭いのだろうか。ひょっとして、僕の世界もとても狭いのだろうか。
自分自身の世界が狭いのなら、せめて小説の登場人物の世界は広くしてあげて欲しい。僕も及ばずながらちょっとした書き物をしたりしてるから、なおさらそう思う。人それぞれあるのはわかるんだけど、やっぱりもっと明るい学校生活を書いて欲しい。現実に学校生活を送っている人が書くのなら、なおさら。「孤独と気だるさ」をテーマにした小説は、読んでいて少し気分が悪い。孤独は寂しい。友達や仲間がいないのは怖い。僕らの世界って、そんなもの?
そんなはずはない、と言いたい。大声で叫んでやりたい。僕らの世界は、本質的には狭いのかもしれないけれど、僕らはその世界を自分でいくらでも広げることができる。問題は、それをするか、しないか、だ。しない人の世界はいつまでたっても狭い。世界が狭いと孤独に襲われる。だけど、それをする人の世界の広さは、たぶん大人より広いんだろう。広い世界で生きていくのは気持ちいいと思う。その気持ちよさを書いたならば、きっと明るい文章になるだろう。本の中には、明るい世界が広がるんだろう。
そんな世界を、見つけていきたいと思う。 |