2002年10月から1年間にわたって放映されたテレビアニメ「機動戦士ガンダムSEED」。21世紀初のガンダムシリーズとして注目を集め、また誕生から25周年を目前にしての作品としても話題になった。しかし、この物語は図らずも重い命題を背負うことになってしまう。それは、製作者サイドでさえ予想し得なかった自体。この物語の進行に並行するように、起こってしまった惨事。イラク戦争――――
ガンダムSEEDの世界で世界を二分する要因は、人類古来の種「ナチュラル」と遺伝子改変によって生み出された新たな種「コーディネイター」。この作品では従来のガンダムシリーズとは異なり、思想や思惑ではなく初めて「人間そのもの」の違いによって対立する構図が描かれている。
人は、より良くありたいと思い、より賢くありたいと思い、より強くありたいと思い、より良いものを手に入れたいと思い、より強い兵器を手に入れたいと思う。そしてそれを手に入れた人は、自らより劣る人を軽蔑し、差別し、貶める。迫害を受けた人は、自らより優れた人を羨み、ねたみ、やり返そうとする。そして、果て無き死の連鎖が生まれる。
より良くあることがそんなにも貴重なのか。より強くあることがそんなにも特別なのか。「一番」であることがそんなにもすばらしいことなのか。
やったらやり返される。誰かを殺せば、その妻が、息子が、父が、今度は自分を殺しに来る。人はなぜこんなにも単純なことがわからないのか。
平和のために戦う、とある人は言った。だが、戦うことで本当に平和は訪れるのか。そもそも平和とは何だ。戦わないことが平和なのか。争いがまったくないことが平和なのか。武器が消えれば平和になるのか―――― 人には感情がある。感情は憎しみを呼ぶ。それは仕方のないことだ。そして、憎しみが何を呼ぶ。人の死か、戦争か、別の何かか。
「『反戦』と叫ぶのは簡単だ。だが、それだけでは何もできない」と誰かが言った。だが、何もできないからといって叫ぶことをやめたらどうなる。少なくとも、まだこの地上には「反戦」の声を叫ぶ人がいて、それを聞いてくれる人がいる。そうである限り、人は「反戦」を叫び続けるだろう。
誰かが言った。「小さくても、強い灯は決して消えない」と。そうであってほしい。そして願わくば、それが大きな灯になっていくように。
『今もしかしてとひとつ思うことは、毎日頻繁に色々な友達とメールをやり取りするよりも、一月に一度でも半年の一度でもいい、一人の人間とじっくり互いの話をするほうがいいんじゃないの?ってことくらいだが』 |