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OB会が出来るまで
 
(OB会の歴史) 
 
 手元に昭和57年7月20日付けの会報の創刊号があります。また、それ以前にOB会を設立しようという呼び掛けの案内をもらっていますが、OBによるOB会は昭和57年から始まったとしてよいでしょう。このOB会の設立は松崎聡(50Tp)・晴美(51Fl)夫妻のご尽力によるもので、以後10年近く(英国留学の為、一時重松君54Tpが代行)の御苦労のおかげで、現在のスタイルがほぼ決まって来ました。 しかし、OB会名簿はもっともっと古くから存在しました。手元にある一番古いのが昭和51年11月のものですから、OB会設立より6年も前のこととなりますが、初めてOBがでたのが昭和49年12月の第3回定期演奏会の後ですから、我々47生がOBとなってからです。その名簿のNo1しか残っていませんが、45生5人・46生8人・47生3人の名前がありました。どなたが作って下さったか分かりませんが、OB会という組織そのものがありませんでしたし、その後の名簿の奥付けを見ると学生の方(渉外)が担当してくれていたようで す。昭和53年12月・昭和55年1月・昭和55年11月の発行を経て昭和57年の松崎君によるOB会報及び名簿となるわけです。
 以来、OB会報が年1回発行され、平成2年に本部が私共のもとに移るまで9号、その形を継承して現在に至っております.。
 OB会報は幸いなことに創刊号より現在に至るまで29号すべて手元に保管してありましたので、内容そのものに関してはこの記念誌の中の記事の参考とさせて頂いています。OB会の現状・新執行部の紹介・クラブの部員数・OBの近況報告・五月祭や駒場祭や定期演奏会の案内・年間活動状況等々盛沢山の内容でした。松崎さんがはじめられた近況報告の葉書は、そのまま掲載することで、その人と成りが目に浮かぶ様と、好評を博しており、財政難の折からの形式変更にもめげず、これだけは、そのままの形を踏襲させていただいております.
 創刊号によりますと、OB会の発足に関して、クラブとOB会とが繁栄し、また相互の交流が深まることを願って次の約束が交わされました。
 即ち、
   (1)クラブからOBへの発送物の諸費用全てをOB会が賄う
   (2)OB会本部の活動にクラブから人材を提供する
ということですがOB会の財源不足で現役諸君には満足なことはしてあげられない状態だったと聞いていますし、現在もその状況は変わっていません。皆さんのご協力を是非お願い致します。
 OB会報創刊号に先立ち、規約の是非に関しての問いかけがありました。それ以来、規約の提示がありませんので以下の規約(次ペ−ジ)が今まで使用されていたようです。  
 現在、第3項の注釈にある会費は年間、1世帯当たり2000円とさせて頂くことにしました。納入に関しては、前年までの未納入分は訴追しないで記帳させていただくことにします.つまり、今年度納入された分は、今年度分として記帳、前年度までに未納入年度があっても、遡って記帳することはしない方式です。もっとも、多く払ってくださった方のは、来年度分、再来年度分として繰り上げて記帳しておりますので….また、会費の未納者には会報・名簿を送らないとありますが、松崎君らと同様、会費の納入に関係なく住所のわかる限り名簿と会報を送っております。会費納入方法につきましては毎年春のOB会報を送付する際に、郵便振込用紙を同封し、また銀行口座も開設しておりますので、都合の良い方で納入出来ると思います、皆様の積極的なご協力をお待ちしております。



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